まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
有名な藤村の初恋である。全文を出すまでもあるまい。
これは暗記している人も多いはずである。
甘酸い恋のたかなりが聞えてくるようだ。
美しい詩文である。
花櫛のかたぶく影に色さして君におぼるるきざしにゆれぬ 揺之
空に真赤な雲のいろ。
玻璃に真赤な酒のいろ。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ。
北原白秋である。
夕焼け空を見ながらものうげに酒を飲んでいる人物の絵が浮かぶ。
酒はワインか。それともブランデーか。
どちらにしろ憂いを薄れさせる液体だ。
酒を飲んだとて憂いは減りはしない。だが。
それが必要だとしか言えない人間が悲しいのだ。
ゆふぐれてあまきぶだうの酒を飲みうれひうするるうれひにしづむ 揺之
どこで見たのか知らない、
わたしは遠い旅でそれを見た。
寒ざらしの風が地をドツと吹いて行く。
低い雲は野天を覆つてゐる。
その時火のつく様な赤ん坊の泣き声が聞え、
ざんばら髪の女が窓から顔を出した。
ああ眼を真赤に泣きはらしたその形相、
手にぶらさげたその赤児、
赤児は寒い風に吹きつけられて、
ひいひい泣く。
女は金切り声をふりあげて、ぴしゃぴしゃ尻をひつ叩く。
死んでしまへとひつ叩く。
風に露かれて裸の赤児は、
身も世も消えよとよよと泣く。
福士幸次郎の詩である。二連あるが前半のみ掲載した。
貧しさが人間の骨を洗うような時代があった。
貧家での子育てにはむごいものがあったろう。
寒い国で見た、人間の地獄のひとこまを、作者は心を叩きつけるように書いている。
生れ来しことは罪かと親にとふ子のまなこにぞ否とこたふる 揺之
世わたりの拙きことを
ひそかにも
誇りとしたる我にやはあらぬ
今日は啄木である。
啄木は世渡りが下手だったのではない。
世間の方が間違っていたのだ。
若くして死んだ詩人の内部にも、
それくらいの認識はあっただろう。
空蝉の世をわたるにはからからとうそもほんとといひて悔いなく 揺之
ひるもなほ星みる人の目にも似むさびしきつかれ早春の旅 宮沢賢治
今日は賢治である。美しい一筋だ。
何のための旅かはわからない。
昼もなお星を見るというのは、探しても無駄なものを探しているというような意味だろう。
嘘ばかりの世界において、真実を求める求道者の魂は疲れを負うばかりだった。
早春の鳥の声をぞききとめて生き疲れにしわれと語りぬ 揺之