こっきです。
今日は、富根報徳番楽の他とは違うところを紹介したいと思います。
まずは、衣装ですが甲冑を着けていません。
兜はつけているのに鎧が無い、何故なのかは、資料が村役場と共に燃えてしまったためにわかりません。
もしかしたら、昔はつけていたのかもしれません? 道具も一緒に燃えた可能性もあります。
次は、ルーツです。
合川の川井地区(現在の北秋田市)から筏師によって伝わったとされています。
昔、富根という所は、米代川を下って山間部から能代に木を運ぶ人たちの宿場町として栄えた所だったそうです。
その時に川井村の番楽を富根に広めたとされています、しかし川井村の番楽はとっくの昔に途絶えており、ルーツを確かめることはできません。
そこで現在も残っている北秋田市の番楽を見てみたのですが、衣装だけでなく、囃子が全くと言っていいほど違うものなんです。
川を下ってくる途中で変わったのか、富根に来てから変わったのか、はたまた、全く違ったところから伝わったのかは、今では確かめようがないのが現実です。
続きましては、囃子です。
我々の番楽は、ほとんどの舞が3部構成になっています。
翁舞を例に挙げますと、翁拍子、くずし拍子、荒舞拍子、といったようにはっきりと分かれています。
他の番楽を見ますと、舞は変化したりしますが、囃子は一本調子なんです。
これも謎なんです。
最後は、全般的に動きが速く、囃子も早いんです。
太鼓も重厚な感じではなく、タン、タカ、ように軽やかでリズミカルです。
私たちは慣れていますが、初めて聞くたかは、不思議に思われる方が多いかもしれません。
また例を翁舞にしますが、他のを見ると本当に仙人のような緩やかな動きでしっとりとした感じですが、富根の場合は、くずしと荒舞は激しいです、まだまだ60代といった感じの若々しい舞です。
この辺にまだ残っている番楽とここまで違いがあるのはなぜなのか、知るすべはもうありません。
まだまだ、眠っている舞がたくさんあります、少しでも復活できるようにこれからもみんなで90代から30代まで仲良く楽しみながら続けていきたいと思っています。
今後とも応援のほどよろしくお願いします。
今日は、富根報徳番楽の他とは違うところを紹介したいと思います。
まずは、衣装ですが甲冑を着けていません。
兜はつけているのに鎧が無い、何故なのかは、資料が村役場と共に燃えてしまったためにわかりません。
もしかしたら、昔はつけていたのかもしれません? 道具も一緒に燃えた可能性もあります。
次は、ルーツです。
合川の川井地区(現在の北秋田市)から筏師によって伝わったとされています。
昔、富根という所は、米代川を下って山間部から能代に木を運ぶ人たちの宿場町として栄えた所だったそうです。
その時に川井村の番楽を富根に広めたとされています、しかし川井村の番楽はとっくの昔に途絶えており、ルーツを確かめることはできません。
そこで現在も残っている北秋田市の番楽を見てみたのですが、衣装だけでなく、囃子が全くと言っていいほど違うものなんです。
川を下ってくる途中で変わったのか、富根に来てから変わったのか、はたまた、全く違ったところから伝わったのかは、今では確かめようがないのが現実です。
続きましては、囃子です。
我々の番楽は、ほとんどの舞が3部構成になっています。
翁舞を例に挙げますと、翁拍子、くずし拍子、荒舞拍子、といったようにはっきりと分かれています。
他の番楽を見ますと、舞は変化したりしますが、囃子は一本調子なんです。
これも謎なんです。
最後は、全般的に動きが速く、囃子も早いんです。
太鼓も重厚な感じではなく、タン、タカ、ように軽やかでリズミカルです。
私たちは慣れていますが、初めて聞くたかは、不思議に思われる方が多いかもしれません。
また例を翁舞にしますが、他のを見ると本当に仙人のような緩やかな動きでしっとりとした感じですが、富根の場合は、くずしと荒舞は激しいです、まだまだ60代といった感じの若々しい舞です。
この辺にまだ残っている番楽とここまで違いがあるのはなぜなのか、知るすべはもうありません。
まだまだ、眠っている舞がたくさんあります、少しでも復活できるようにこれからもみんなで90代から30代まで仲良く楽しみながら続けていきたいと思っています。
今後とも応援のほどよろしくお願いします。
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