宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

◎民主党、「農業者戸別所得補償法案」(仮称)を参院に提出へ

2007年09月22日 06時58分27秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦

【初投稿2007-9-22】

民主、農業者所得補償法案を今国会提出へ(朝日新聞) - goo ニュース

【戸別所得保障制度が法案化、臨時国会で参院可決も?】

 民主党は21日、農家への「戸別所得補償制度」を創設する「農業者戸別所得補償法案」(仮称)を参院に提出出することを決めました。

 米、麦、大豆、菜種、てんさい、でんぷん原料用馬鈴薯(ばれいしょ)などを対象に、標準的な販売価格生産費の差額を、生産農家に直接補償する法案です。

 農家への戸別所得保障制度(予算額1兆円)は民主党が第21回参院選挙で「国民との3つの約束」の一つとして打ち出しました。

 ちなみに「3つの約束」とは、①年金通帳を交付し、正しい年金記録を作り直したうえで、年金の基礎部分を税金でまかなう(収入が多い人は傾斜的に減額)②子ども手当を中学3年生まで一人毎月2万6000円支給する③農家の市場価格と生産価格の差額を政府がささえる戸別所得補償制度――でした。

 ビラ(最近では、簡易版マニフェストと言うんですね!)では3番目の「国民との約束」でした。が、演説では小沢一郎代表が一番力を込めて演説していたのが印象的でした。演説の趣旨は食糧自給率100%を目指すことで、それによる国家の安全が保障されるという意味合いに私は解釈しました。
 この政策には、前の通常国会農林水産委員会の野党側筆頭理事として活躍した篠原孝さん(長野1区比例)の考えが多く採用されていると聞きます。

【日本農業の粗生産高はわずか9兆円】

 農業は林業・漁業と同じ第一次産業に分類されます(以下、wikipedia「農業」からの引用です)。

 農作物栽培の場合、基本的に自然を対象にするため、日照や気温、降水量などの気象状態に左右されやすく市場での価格変動もあり、収入面での安定に欠ける面があるとのことです。

 ちなみに2003年の日本の農業の粗生産高8兆9,986億円・・・これって少ないですよね。この粗生産高というのは、現金(マネー)の動きに限らず、牛が2頭増えれば、その評価額も計上されるようです。言ってみれば、棚卸し資産のようなものでしょうか。
 予算額1兆円というと、大それたことのように思えるのですが、ここは数字の錯覚で、カロリーベースでわずか39%の食糧自給率、生産価額ベースではもっと低い日本の農業。減反して補助金、生産調整のため野菜を潰して補助金――という補助金の削減。それと農業土木の削減。この2つをやれば、十分財源は確保できると私は考えます。
 ですから、超極端な話をすれば、国営農業でもやっていけそうなくらい、日本の農業の付加価値額は低いようです。このまま世界貿易機関(WTO)の農業交渉で、経済のグローバリゼーションの世界に日本農業を送り出していいんでしょうか?

【追記 2007-09-28】
 このエントリー(記事)は、連日google検索で多くの方が訪れてくださっています。(gooの分析によるもので、IPアドレスなどはこちらから見えませんから、御安心ください)
 農家の方がこの法案にたいへん興味を持っていらっしゃることをひしひしと感じます。

【追記 2007-10-18】
 民主党が法案を参院に正式に提出しました。
次のエントリーにまとめましたので、ぜひご覧ください。
政権交代へついに切り札登場! 民主党、農業者戸別所得補償法案を参院に提出


「鬼」の居ぬ間に・・・民主党攻勢 

2007年09月22日 06時15分18秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代


【民主党、政策通は自民党凌駕・草の根活動は10分の1・・・でしたが】

 民主党
の若手は自民党議員と比べて選挙区での日常活動が10分の1と言われていましたが、少し変わってきたのでしょうか? 
民主若手、地元回りに熱 総選挙へ「小沢戦略」(朝日新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/K200709

 自民党総裁選に忙しいさなかに民主党の当選1、2回の若手衆院議員地元回りに励んでいる。足場を固めろという小沢一郎代表の意向を反映したもので、次の総選挙に向け地力強化を狙う。安倍首相の辞任表明で生じた国会空転を契機に、ベテランは東京で政策の「弾込め」を進め、選挙の足腰が弱い若手は身軽にして地元回りを徹底させる――。次の総選挙に政権交代をかける小沢氏の戦略だ。

 民主党は8月末からの一連の人事で、若手は極力ポストに就けず、地元に戻りやすい布陣とした。首相辞任表明の翌13日、国対委員長代理の安住淳さん(宮城5区)はさっそく「こんな状況だから地元に帰れ。選挙区優先。とにかく通らないとダメだ。国会対策も今はベテランに任せておけ」と若手らの尻をたたいた。

 その夜、地元入りした三日月大造衆院議員(滋賀3区、当選2回)は14日朝、JR草津駅東口の駅前で「あれ、国会中なのに三日月おるやないか。そうなんです。首相が敵前逃亡、職務放棄で国会が空転してしまった。急きょ、報告に戻って参りました」。

 「ボク、辞める……は無責任の極み」と首相批判のビラも用意。「早く総選挙をやりましょう。民主党が政権をとり、二世三世の坊ちゃん政治、特権政治を改めます」と声を張り上げた。19日に上京したが、21日には地元に戻る「ピンポン生活」だ。

 ほかの若手も同じだ。05年に比例東京ブロックで復活当選した長島昭久衆院議員(当選2回)も20日早朝、地元のJR立川駅前で「誰が自民党総裁になっても同じ。自民党政治の行き詰まりは明白だ。次は我々に政権を任せて」と訴えた。

 19日夜、岡田克也前原誠司両副代表らとの会合で「次の衆院選も政治生命をかける」と決意表明した小沢氏自身も、参院選のお礼回りを兼ねた地方行脚を10月中旬から再開する。若手の動きには、そんな小沢氏が力説する「日常活動」の効果を実感した影響も大きいようだ。地元回りを重ねる若手の一人は、こう指摘する。

 「浮足だった05年の郵政選挙の二の舞いを演じたくない。1人区を中心に大勝した参院選で、みんな地道な活動が重要だと悟った」。

【参考エントリー(記事)】
福田康夫さん、民主党との「話し合い解散」を示唆
http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/b77cc72f6fc9aff3ecdfe5b89ce149bc
投稿日時 2007-09-22

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福田康夫さん、自民・民主の「話し合い解散」を示唆

2007年09月22日 05時25分15秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

福田氏の「話し合い解散」って何? 国会優先 民主と協調 来春以降引き延ばしも(産経新聞) - goo ニュース" http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/m20070918030.html

(写真は福田康夫公式ウェブサイト=上毛新聞社提供)

産経新聞の記事によると、

 自民党総裁選に出馬している福田康夫候補(群馬4区)が、衆院解散・総選挙について、野党との話し合いで行う可能性を示唆したことが波紋を呼んでいる。参院では民主党などの野党が多数を占める中、今後の国会運営を考慮し、民主党との衝突を避けるための協調路線の一環といえそうだとのことです。

【キーワード解説】(wikipediaを参考にさせていただきました)

 「話し合い解散」というのは岸信介首相(第一次)が1958年(昭和33年)4月25日に実施した衆議院解散のことです。日本国憲法施行後5回目の解散です。
 1955年に右派社会党と左派社会党が合併して、「日本社会党」が結党。そして日本民主党と自由党が、単一保守政党の「自由民主党(自民党)」を結成しました。55年体制の始まりです。 そして56年(昭和31年)の経済白書は名言「もはや戦後ではない」。うん、話し合い解散で良かったんでしょうね。

 ところで、次期第45回総選挙が「話し合い解散」になるか?
 小沢一郎民主党代表は、年内の解散を目論んでいると言われています。来年度予算案も衆院優越で通っても約45本と言われる予算関連法案は民主党の抵抗で年度内に成立しないかも? 結局、まだ分かりません。

 とはいえ、ブログ(blog)ですからキーワードとして、ウェブ(web)にログ(履歴)しておきます。

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「余命半年からの人生」参議院議員・山本孝史さん(3) ゆき夫人

2007年09月22日 00時52分37秒 | その他

孝史へ、山本ゆき

友人が私に言いました。

胸に病を抱える人は、胸に悲しみを長く抱えてきた人だ」と。

 悲しみでぽっかり空いた胸の空洞に、がんが宿ったということなのでしょうか。孝史の胸の真ん中の胸腺に宿ったがんは、7歳でトラックに命を奪われた兄の無念さ交通遺児母子家庭の支援活動あしなが活動で出会った多くの子どもたちと母親の悲しみと苦悩、国会内で先頭に立って真相解明に取り組んだ、薬害エイズの被害者の悔しさの塊なのでしょうか。

 国に裏切られ、医師に人間扱いされなかった薬害エイズ事件の被害者たちの苦しみ、絶望を思い、絶対に許せないと、膨大な資料を読み込んでいましたね。そして、まだ「未公開ファイル」があることや、加熱製剤の発売後も非加熱製剤が販売されていたことをも突き止めました。この薬害エイズから孝史の国会での「いのちの政策」が始まりましたね。

 13年間の国会活動で取り組んだのは、年金、医療、介護の社会保障制度をメインに、臓器移植、自殺対策、難病対策、被爆者支援、障がい者支援、中国残留孤児支援、ホームレス対策、交通事故問題、そしてがん対策などいのちを守る政策でした。

 一昨年の12月にがんが見つかってから1年半、抗がん剤治療を受けながら、時には健康な時以上に、国会で仕事をしていましたね。「命を削る」とは、このことかと何度はらはらしたことでしょう。孝史の訴えが実って、がん対策基本法も制定され、国のがん対策も少しずつ前進していくように思えます。

 国が、がん対策に向け動き始めたのはいいのですが、自分の身体をあまり顧みなかった孝史にとうとう「ドクターストップ」がかかりました。

 5月下旬の治療日。体力消耗が激しく、主治医に「危機的状況」と言われ、もう抗がん剤の治療はできないと通告されました。それを機に、やっとあなたは自分の身体を思いやり、自分のいのちを見つめるようになりましたね。

それでも、6月12日に、厚生労働委員会で質問に立ちました。疼痛緩和のための医療用麻薬メサドンの早期承認を求め、厚労省から積極的に取り組むとの回答を得ました。今、使われているモルヒネなどの十分の一の値段で、海外では広く使われている薬です。これが承認されたら、痛み止め薬の選択肢が増えて、喜ぶ患者さんがたくさんおられるでしょう。痛みさえコントロールできたら、普通の生活が送れるがん患者さんはたくさんいます。本当にいい仕事をしましたね。

 「年金の山本」の存在を示した、年金記録消失問題に関する質問では「わかりやすくて聞き入ってしまった」と、委員会室で写真を撮っていた記者さん。その話を聞いて、「そういうことばの一つひとつが励ましになるよ」と孝史は嬉しそうでした。

でも、今は、体力を回復させる――それ以上の仕事はありません。

時間がない、今やらねばもうできなくなる」との思いに駆り立てられていたような日々。自分の人生を完結させようとしていたようにも思えます。

孝史の人生はまだまだ進行形です。いのちのバトンも持ったままです。渡す相手もまだ見つかっていません。ちょっと動くと心臓がバグバグ鼓動して苦しそうだけれど、酸素吸入だってあるし、抗がん剤の副作用にも悩まされるけれど、孝史は元気です。

孝史の願い――「僕は、治らないと医者から言われたけれど、治りたい。生きたい。生きて仕事がしたい。標準治療のあとは緩和ケアだけの日本のがん医療を変えていきたい」

孝史とえにし(縁)を結んだ人たちが、孝史の想いに共感し活動してくれています。あなたのメッセージを全国の人たちに伝える手伝いをしてくれています。もう、一人で頑張ろうとしないでください。私にも長く伴走させてくださいね。

2007
615日記

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http://www.ytakashi.net/CONTENTS/0.cancer/070617shuki.pdf

から要約して掲載させて頂きました。



山本孝史、ゆきご夫妻です。(結婚式をあげた思い出の明治神宮前で)
―山本たかし公式ウェブサイトから―

【参考】1993年、日本新党で初当選組の同期生、河村たかし衆院議員(民主党、愛知1区)のウェブサイト内「山本孝史さんを応援して欲しい」
http://takashi-kawamura.com/2007sangiin/index.htm
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「オレ、河村の推薦人になっていいから」もう2年前になる民主党代表選挙。

山本孝史氏は衆議院の河村たかし議員会館事務所をやおら訪ねて自分からこう話してくれた。

結果代表戦立候補に必要な20名の推薦人があと2名集められず、断腸の極み立候補できず

にならんだけれど、河村たかしにとっては宝石のような18人推薦人の一人になってくれたのが

山本孝史だった。

 日本新党で初当選の同期の桜。その縁あってかもしれないが、

河村たかしの事務所をわざわざ訪ねてくれて自分から河村たかしの推薦人になると切り出して

くれたのは山本孝史氏ただ一人だ。

 本当にそうできることではない。

 今回は地元の縁あって愛知では三輪信昭氏を応援しているが、

もしこのホームページを見てくれた人がいたら是非、山本孝史氏を熱烈支援して欲しい。

 ガンを患い、つらいと思う。

 しかし、河村たかしの代表選推薦人に自らなると言ってくれたのは山本氏ただ一人。

もし党内出世を考えたらそうできることではない。

金も無く2世でもなく総理をねらうと公言する河村たかしを推薦する。

きっと山本孝史氏は飛びぬけて心の暖かい男に違いない。

早く元気になって参議院議員として目茶苦茶人情味のある政治をやって欲しい。

河村たかし


「余命半年からの人生」参議院議員・山本孝史さん(2)

2007年09月22日 00時48分59秒 | その他

いろんな動きの接点

昨年の5月22日、(略)参議院本会議場で「自分もがん患者である」ことを公表し、がん対策基本法の早期成立を訴えました。「政治家が病気を告白するのは、政治生命の危機」と言われましたが、僕にはそんなことは関係ありません。この機会を逃すと、がん対策基本法の成立はずっと遅れるという自分なりの見通しと、がん対策基本法の成立によって、がん医療や、さらには日本の医療水準が向上し、「救えるいのちは救うべき」と普段から思っていたことが実現すると思ったからに過ぎません。

そして、多くの方の熱意と行動が寄り集まって、がん対策基本法は異例のスピードで成立しました。やはりここでも、見えない力を感じます。

がん患者の視点(略)

がん患者イコール、リタイアではない


身体が辛いときは、「もう無理をしなくてもいいじゃないか」という声が聞こえて、リタイアしたいと思うこともあります。
しかし、当事者が動かねば行政は全く動かないことを、大学3年の時、「大阪交通遺児を励ます会」を結成し、それからの25年間かかわった交通遺児母子家庭への支援運動で痛感しています

当事者自身の訴える力に勝るものはありません病を抱えた当事者が、病気と闘いながら理不尽な行政とも闘わなければならないのは、政治の怠慢以外のなにものでもありません。(略)

自殺も減らせる

8年連続で3万人を超えている自殺者も、救えるはずの命です。自死遺児の支援を行っているあしなが育英会の玉井義臣会長から、「自殺を個人的問題としている間は、自殺者は減らない。社会問題として捉えなければならない」と教わりました。党内での勉強会を重ね、自殺予防に取り組む市民団体とも連携しながら、「自殺対策基本法」に取り組みました。

昨年の5月22日の参院本会議で、がん対策基本法と同時に自殺対策基本法の成立も訴え、成立にこぎつけました。(略)

民主主義を守りたい

もう一つ、僕は民主主義を守りたいと心から思っています。命を守るためです。お国のためにといって命を散らさねばならない状況を再び作り出してはなりません。今の、数の力で突き進む政治や歴史を語り継ぐことを軽視する社会を見ていると、戦後60年以上を経た日本に民主主義は育たなかったと思わざるをえません。

利他主義の薄さが、日本社会での民間活動の弱さにもつながっています。絶望感が強くなります。でも、何かやらないと、何も動かないことも事実です。

民主主義を守ること――これも僕に課せられた仕事です。

いのちを見つめ、大切にする「いのちの政策」。

それを、やれるところまで、やります。

僕は、与えられた命を生き抜きます。

抗がん剤治療で生み出された時間を何に使うのか。残された人生の貴重な1ページ、1ページに何を書き込むのか。(略)

健康であったらと悔しく思うことも度々ですが、がんにならなければ、いまのような仕事ぶりも、生活もありません。治療を続けていますし、少しずつ体力を回復し、良くなることを信じて日々生活しています。

「進行がん患者でもできることはたくさんある」、「いい仕事がいっぱいできる」というメッセージを、進行がん患者難病患者障がい者虚弱な高齢者など、国の政策や社会から「役に立たない。お荷物だ」と見なされがちな人たちに代わって、社会に届けたいと思っています。(略)

僕は、自らの人生を生き抜きます。
2007615日記

参議院議員・山本孝史さんのメッセージ(3)ゆき夫人へ続く


「余命半年からの人生」参議院議員・山本孝史さん(1)

2007年09月22日 00時45分44秒 | その他

 自民党総裁選挙が続く中、僕は今日は、何を記事にしようかと考えました。21日付朝日新聞には、来年の通常国会まで重要となりそうな記事がいっぱいありました。
 さて、何から取り上げようか。そう考えていたら、ふと、民主党参院議員(全国比例)山本孝史さんのことが頭をよぎりました。

 今回は山本さんの公式ウェブサイト、「参議院議員・山本たかしです」
http://www.ytakashi.net
から、山本さんとその奥さんの手記をご紹介します。
 gooシステムの都合と多くの方に目を通してほしいという気持ちから、心苦しいのですが、要約させていただき、3回に分けます。全文を読みたい方はぜひ、上記URLをクリックしてください。

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いのちをかけて、いのちを守る。

山本たかし

「余命半年からの人生。がんイコール、リタイアではない」

夫・山本たかしにがんが見つかってから1年半になろうとしています。「治療しなければ余命半年」の宣告を受けての闘病と国会議員としての活動の日々。その間、感じたことわかったことなどを夫が手記にしました。

一人でも多くの方に読んでいただき、山本たかしの「いのちのメッセージ」を受けとめていただけたら幸甚です。

2007617

山 本 ゆ き

がん患者としての日々、その想い

朝、目覚めると

今日も、一日分の命をいただいた」と思うようになりました。
 
健康な時と違って、パッとは起き上がれません。目を開けたり、眠りに戻ったり、しばらく行きつ戻りつしながら、頭と身体を眠りの世界から現実に呼び戻します。激しく咳き込むこともあります。胸腺から肺に散らばったがんのためです。一日に二回飲む痛み止めの薬を飲み、妻の作る人参&りんごのフレッシュジュースを飲んで、身体がようやく動き始めます。

こんな身体でこれから先、国会の仕事ができるのか。でも、自分でなければできない仕事があるぞ」。こんな自問自答を繰り返しています。でも不思議なことに、今日の予定を確認して、「今日は、この仕事をしよう」と決めると、徐々に気力が出てくるのです。

僕のがん

 
僕のがんは最初、胸の真ん中の肋骨の後ろ側にある胸腺にできて、そこから肺と肝臓に転移しました。自覚症状がまったくないまま、一昨年末に見つかった時、すでにその状態でした。がんの進行度を表す「期」では第4期、その先がありませんので、世間では「末期がん」と呼ばれています。もっとも、4期であっても治らないわけではありません。また「末期」の時間は、いくらでも延びていきますので、「末期」という表現も正しくはありません。とは言いながらも、極めて厳しい状況から治療が始まりました。(略)


がんでも働き続ける、国会議員としての想い

がんだからこそ、僕だからこそ

がん発見時に、余命半年と宣告されましたが、治療のおかげで1年半生きてきました。単に病院のベッドで天井を見つめているだけの延命ではありません。

がんと共存しながら、今の僕だからこそ以前にもまして、命を守るための仕事ができる、僕にしかできない仕事があると思っています。そして、がん患者の国会議員として、がん対策基本法の成立を後押しし、協議会を傍聴し、国会質疑に臨んできました。新たに得た患者の視点を加えて、医療政策を検証し、社会に改善を訴えることもできたと思っています。

見えない力に導かれて「いのちを守る」

僕は、運命というものを感じます。国会議員になったのも、そして、命をないがしろにするような国の政策に歯止めをかけ、薬害や自殺などの予防対策を樹立するような仕事が自分の手元にまわってくるのも、何か見えない力で、「これは山本さん、あなたの仕事です」と言われているような気がします。

命を守るのは政治家の仕事です。救えるのに救えなかった命、助けられるのに助けられなかった命がいっぱいあります。交通事故、薬害、自殺、難病、十分に治療を受けられずにこの世を去ったがん患者たち。いずれも政治の出番です。

がん患者となったのも、しかも治療が難しい進行がん患者となったのも、僕に「いのちを守る」役割が与えられているからだと、今は思っています。

参議院議員・山本孝史さんのメッセージ(2)へ続く