与党とか野党とか、衆議院とか参議院とか、そう言うのに関係なく、遅々として進まなかった第177通常国会がようやくスピードを増し、法律工場としてフル稼働し出しました。やればできるじゃんという感じです。
【参院本会議 2011-3-25(金)】
参院本会議では、前国会から積み残しの「展覧会における美術品損害の補償法」(第176国会閣法14号)、「海外の美術品に関するわが国における公開の促進に関する法律」(177衆1)の2本が可決、成立しました。
◇
【衆院本会議 2011-3-25(金)】
衆院本会議では、予算関連法案のうち、関税定率法改正案、IMF加盟法改正案、中小企業などの金融円滑化法(亀井法)延長案を議題にしました。石田勝之・財務金融委員長が報告し、採決の結果、「全会一致」(だと思います、諸政党は不明)で、可決しました。年度内成立の可能性が見えてきました。
[画像]衆院本会議で、予算関連3法案の審議結果を報告する石田勝之・財務金融委員長、2011年3月25日、同ネット中継。
◇
【衆院財務金融委員会 2011-3-25(金)】
この後の、衆院・財務金融委員会では、平成23年度の赤字国債の発行の特例に関する法案(177閣1号)、所得税法など(粗特法含む)の改正法案(177閣2号)の提案理由説明に続き、各党の質疑もできました。このうち、所得税法など改正法案は、自民党らから議員立法(筆頭発議者・自民党の野田毅さん)で、「国税つなぎ法案」こと、「国民生活などの混乱を回避するための租税特別措置法などの改正案」(177衆4号)が提出されており、来週中(年度中)に審議入りかつ速やかに可決、参院送付、成立すると思われます。
◇
さて、成立した「展覧会における美術品損害の補償法」は、海外、なかんずく欧米の美術品を借りて、日本国内での特別展示をやりやすくなります。公明党などが主導してきました。一方の、「海外の美術品に関するわが国における公開の促進に関する法律」は例えば、台湾・台北の「故宮博物院」にある、「清王朝」など歴代中国王朝の美術品の展覧会を日本でやることができます。これは報道によると、自民党の古屋圭司さんががんばってきたそうです。ちなみに、与野党修正があったので、衆院・文部科学委員長の田中眞紀子さんが出し直す格好の議員立法となりました。言うまでもなく、田中眞紀子さんは日華断交(日台断交)をした田中角栄首相の長女ですから、これは奇妙な歴史の巡り合わせとなります。
ここ数年は、例えば「ピカソ展」とか、「モネ展」ではなく、改装中の「ドイツ・ドレスデン美術館展」とか、「ルーブル美術館展」(正確に言うとルーブル美術館の中のごく一部の展示品の展覧会」など、一つの美術館から丸ごと借りる格好の展覧会が主流でした。これは手間暇かからないですからね。一人の画家をテーマにして、世界中・日本中の複数の美術館から、借り集めるいう展覧会は、学芸員はやりたいのでしょうが、日本の国力衰退、主催者の各新聞社の経費節減もあり、数が少なくなりました。今後はもっと厳しいでしょう。しかし、東京という街に住んでいてつくづく感じるのは、なぜ東京に人が集まるのか? 仕事があるから、物があるから。それ以上に情報があるから。国立西洋美術館のように、東京に集まる美術品というのも、これは情報であって、そこに人が集まり、モノが集まり、マネーが流れる。あるいは現代ベトナム美術などもかなり水準は高いですから、これからも、なんとか上野公園だけは、「希望の灯」を日本に灯し続け、アジア各国からの留学・就学もやりやすくして、アジアの交差点であり続けて欲しいと思います。
【衆院国土交通委員会 2011-3-25(金)】
ところで、きょうの衆院・国土交通委員会で残念なことがありました。古賀一成委員長が、冒頭に、「本日の審議に、~~君、~~君を政府参考人として出席を求めることにご異議ありませんか? 異議無しと認めます」としたうえで、質疑者として民主党の三村和也さん(神奈川2区比例)を指名しました。ちなみに、三村さんというと、従妹の広末涼子さんのご出産が報じられ、3・11後では数少ないおめでたいニュースとなりました。三村さんや広末さんは、なんだかふんわり異次元にいるような感じがして、僕はとても好感を持っています。
ところが、三村和也さんが質問に立ったところで、同委員会の公明党理事の高木陽介さんが委員長に声をかけました。
衆・国交委は定数45です。予算委員会(定数50人)に次ぐ大所帯です。国会法49条により、委員会は半数以上の出席がないと会議が成立しないことになっています。高木理事は、定足数に足りていないのに、古賀委員長が会議を始めて、政府参考人出席要求の採決をしてしまったのではないかと指摘したようです。
[画像]衆・国交委員会の出席議員数を指で数える古賀一成委員長、2011年3月25日、衆議院インターネット審議中継からキャプチャ
古賀委員長は、指で委員数を数えて、「足りているよな・・・23人・・・いるよな」と定足数23人に足りていることを確認した上で、再度、三村さんを指名し、質疑をスタートしました。三村さんは、「震災発生後、私どもの会派(民主党・無所属クラブ)としては初めての質問になります」として、国交省を所管する委員会で、与党政府外議員として最初に発言することの重みを感じているようでした。なお、この日の審議は、日切れ法案「港湾法改正案」の審議でしたので、第1の開国の地、横浜みなとみらい(MM)21地区を選挙区にかかえる三村さんが登場したのでしょう。
[写真]民主党の三村和也さん、2011年3月25日、衆・国土交通委員会、同中継から
この後、公明党の質疑者として高木さんが登板。大要、次のように述べました。
「質問にあたる前にヒトコト、与党のみなさんに申し上げたい。(委員会開会の)冒頭、定足数のことで発言させていただきました。今回の委員会、まさに震災のときに行われている委員会であります。しかも、日切れ法案ということで与党の方から要請がありました。私どもは本来震災(に関する審議の)いっぽんでやらないといけないんですが、この法案(港湾法改正案)を審議しましょう、ということでこの委員会が開かれています。にもかかわらず、与党のとくに1年生の議員が多いと思うんですけど、欠席者が多い。委員会というのは、(各党の)国会対策委員会と理事がやるだけではなくて、委員一人一人が何が今審議されているのかを理解しなければならない。委員は採決要員ではないと思うんです。採決のときだけ来ればいいという発想があれば改めて欲しい。委員会における委員の役割をしっかり認識して欲しいと思います」と述べました。
もちろん、高木さんは公明党でもっとも広報が上手い人で、長年、田原さんの「朝まで生テレビ」に出ていますし、毎日新聞記者としての感覚をいまでももっていて、党の記者会見なども後ろから見て、テレビ映り・新聞の見出しなどの報道ぶりをチェックして、リップマン・ギャップ(イメージ・ギャップ)が生じていないか、確認しています。まして、きょう3月25日、公明党にとっては衆院選に勝とも劣らず大事な第17回統一地方選がスタートしていますから、与党の隙を突いたのでしょう、さすがです。
[写真]公明党の高木陽介さん、2011年3月25日、衆・国交委、衆院インターネット審議中継
やはり、民主党国会議員というのは、民主党の教育が悪いと言うよりも、育った時代の教育の関係だと思うのですが、泰山鳴動しやすく、また異物を排除しようという意識が強い。そのため、私が民主党のリーダーとして期待していた国会議員、例えば、松沢成文さん、上田清司(上田きよし)さん、河村たかしさん、スーパーサブ・官房長官候補だと思っていた北橋健治さんらが、次々首長に転出してしまいました。ホントウに民主党は田舎者ムラ社会です。そのため、党勢が傾いたときに、自民党のハマコーのように、党内野党、別働隊として側面から党を助けられる人がいない。
国交委員名簿をみると、民主党の2人の議員(2回生と1回生)は被災地ど真ん中の人ですから、自分が質問に建てない限りは他の仕事を優先するのはやむを得ない。だったら、手持ちぶさたの政府外議員は、国対の班割りにかかわらず、委員の差し替えを自分から持ちかける、という貢献をすべきです。
というのは、やはり、国会議事堂内は照明が暗いことをのぞけば、いつもと変わりない。福島第一原子力発電所から漏れだしたことが確実な放射性物質が、野菜や水道から検出されている中、そこから300キロの国会議事堂がいつもの様子で、ネット中継されれば、国民の安心感につながると思うんです。国会議事堂というのは、石造建築で、ヒジョーに密閉性が高く、かつ議員会館は地下通路でつながっているので、外に出なくても仕事できます。とはいえ、いつも通り、国会でたくさんの議員が集まったネット中継された本会議・委員会がいつも通り、行われているいうのが、国民への安心のメッセージです。
もともと、委員会の出席者は、政権交代前は、自民党は半分以下、民主党はほぼ8割以上が出席、公明党、日本共産党、社民党は、委員が1人だけなので全出席というのがありふれた光景でした。ところが政権交代しても、民主党は相変わらず出席率が高く、野党になって暇なハズの自民党は依然として出席率が低い。これは自民党政調が「内閣提出法案の事前審査制」をとっていたため、国会への法案提出前に政策形成のプロセスのクライマックスが来てしまい、国会審議が形骸化したことが原因だと思います。そして、自民党議員は、その変化にまだ気付いていない。自民党の事前審査制システムによる国会形骸化は、とくだんの悪意があったわけではないでしょうが、憲政史における大罪といえます。
そこで、民主党政調は名前は似ていますが、あくまでも提言機関にとどめられています。言ってみれば、政府の審議会と同等かあるいはそれ以下の存在でしかない。後は若手の勉強・育成、政府外議員のストレス発散・ガス抜きでしかない。それなのに、民主党政調には様々な「ワーキングチーム」(WT)と称するちまちました会議体が屋上屋を重ねて九龍城のようにできてしまい、「3・11」前日の2011年3月10日の政調役員会では、WTを整理することについて、政調会長の玄葉光一郎さんらがコンセンサスを持ったばかりでした。
例えば、ここに出た、三村和也さんは、経産省から防衛省防衛政策課に出向して、弾道ミサイル防衛(BMD)の担当をしていたことがありますから、自衛隊や原子力安全・保安院の情報を知ることもできるでしょう。古賀一成さんは東大法学部卒で、建設省出身ですから、旧内務省系の警察庁にも知り合いがいるでしょう。高木陽介さんは、新聞記者出身で与党を10年間やった人です。官房長官会見やNHKニュースが隠している重大な情報があるならば、東京から脱出しているでしょう。立場上、いざるを得なくても、恐怖心が顔に出るハズです。こういう人が間違いなく国会議事堂の中で、かつ政府外なので、スーツ姿で議論をしている。これが安全と日本復興へのメッセージなのではないでしょうか。
ちょっとチェルノブイリのときの新聞記事を調べてみましたが、あのソ連(ウクライナ共和国)ですら、避難している人に、各種医療チームのうち、精神科チームも派遣していて、日本からの特派員は、「避難者たちは精神的な疲労がピークである。また、それは高度な緊張感に起因しているケースが多く、必ずしも精神疾患でない“患者”も多い」と伝えました。「3・11」でも、津波で被害を受けた方の中にも、避難所の校庭などで吐いていて、NHK記者・アナウンサーが何か病気があるのかと聞くとそうではなく精神的な者だったり、50歳代の人が避難所を徘徊しはじている、という情報がNHK記者・アナから寄せられているという話をNHKの解説委員がNHKラジオ第一でしていました。おそらくこういうのはテレビでは言わないですね。これは別段、NHKが情報を隠しているのではなく、テレビジョンとラジオの特性を使い分けているだけであって、私たち情報の受け手はテレビ・ラジオのベストミックスが必要です。日本人の現状から言えば、テレビを見る時間を必要最小限(おはよう日本、お昼のNHKニュース、ニュース7)に絞るとか、ニュース7は見ないで、同時間帯のラジオの「NHKきょうのニュース」を聞くなどといったことをオススメします。こんな状況が続いたら、九州・沖縄の人も精神的にやられてしまいかねないでしょう。
これは、昨日の福島県庁が置かれている福島自治会館を訪れた北澤俊美・防衛大臣と、佐藤雄平・福島県知事の写真。もともと、民主党・新緑風会の役付きの参院議員仲間でしたし、党内的にも志を共有する同志でしたから、こうやって笑顔でお互いをねぎらう。こういうことができてこそ政治家です。言葉より態度で示す。民、信なくんば立たず。
[写真]福島県知事の佐藤雄平さんをねぎらう、防衛大臣の北澤俊美さん、2011年3月24日、福島市、時事通信さんの配信写真をお借りしました。
こういうときこそ、人間は見られています。また、一つの失言で政治生命を失い可能性が極めて高い。だったら、何をしていいか分からない議員は、ホントウに足手まといにならないでほしい。Think different! ほぼ確実に4月に審議入りする補正予算について、どうやって減額できるかを調べたり、公明党さんが発表した児童手当法改正案について、幼年扶養控除と支給額・所得制限額に関する具体的な実質負担額を調べたり。なんなら、「復興庁」設置法案を自分で書いてみたらどうでしょうか。要するに、出来ない人は余計なことをするな、「私も現地入りしたい」などと、余計なことをするな。国難だから、ハッキリ、実名で言えば、三宅雪子さん辺りは、ホントウに黙ってろ、という感じがします。
きょうは、米国誌「TIME」(アジア版)を久しぶりに購読しました。また、久しぶりに山手線に乗りましたが、成田空港と接続している駅では、おそらく海外から日本に帰国した日本人をけっこう見ました。3月25日ですからね。海外での駐在を終えて、帰国。こちら下町は古い家、世帯主が高齢の家が多いですから、一刻も早く親元に顔を出したいという方もいるのではないでしょうか。そうやって、東京入りするのが、彼ら彼女らの安心、ということなのかもしれません。まあ、さすがの私も、今は電車内で話しかけるというような気力は出てきませんが。関西地方の古い友だちからのメールの最後に「どうか無理はしないでね」と書いてあったことにきょう、気づき、やはり持つべき友だと思いました。僕の性格をよく分かってくれているんだと。
ところで、岡田克也さんは、5歳の時に伊勢湾台風(阪神・淡路大震災まで戦後の死者数は最多だった)を経験し、大阪の高校時代は、70年安保の学生運動の過激派のせいで、入学後から授業が受けられない状態になり、最後は、機動隊が突入してきて、授業がスタート、22歳で通産省に入ると、オイルショックでガソリンと灯油の配給切符を町村信孝さんらとつくり起きして、米国東海岸留学中は、国威をかけたスペースシャトルの爆発で、共和党員・民主党員関係なく、ロナルド・レーガン大統領のもとに「こんなときこそまとまらなければ」と団結するベスト&ブライテストを見てきている。修羅場をしっている。そして、通産省では、資源エネルギー庁(エネ庁)が長い。その彼が落ち着いているのが、私にはイチバンの信頼だし、東京都の放射線に関する情報もネットで見ていますが、岡田さんが東京にいるなら、東京にいて大丈夫だと。ただ、昨日の記者会見では、最後に、「都内、水のペットボトルがなかなか入手できない状態ですが、ぜひ赤ちゃん・お子さん、あるいはそのご家庭以外の人は、水はしばらく控えて他の飲料にしていただきたいことをこの場でも申し上げておきたいと思います」と発言しました。このときは少し心配そうでした。やはり子ども3人を育てた子煩悩な姿、岡田さんはもう3人とも大学まで育て上げたわけですが、これからは日本の父として、少し心配しているような表情でした。なお、その後、東京都は、金町浄水場の水質は雨が止んで、安全な基準に回復したことを発表しています。ちなみに、ある中堅議員の政策秘書によると、伊勢湾台風のときは、近鉄四日市駅前の小売業者が毛布2000枚を提供する社会貢献をしたことを知っているとのことです。これはその小売業者の「私の履歴書」を調べたら、年表に出ていました。この小売業者はその後、大阪に進出した後、日本最大手の5兆円企業となり、現在に至ります。やはりこういうときこそ、人は見られています。
与党政府外議員は、こういうときこそ、泰然自若で、いつも通り、国会議事堂のぞうきん掛けをしなければなりません。