おとといの官報を見ていて、「アレッ」と思うことがありました。
[画像]おととい令和元年8月26日付官報の一部をスクリーンショット。
「内閣」の人事異動として、農林水産省経営局長と、財務省官房審議官に、日米合同委員会の政府代表代理を命ずる、という8月22日(木)付の辞令が出ていました。
私が知らなかっただけで、前から合同委員会の人事は官報に載っていたようです。
日米地位協定第25条にもとづく合同委員会の政府代表は外務省北米局長。条約で代表代理を複数おけることになっており、法務省官房長、農水省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省官房審議官の5人が代表代理のようです。
農水省経営局長は、陸上演習場部会長を兼ねるようです。
前泊博盛さんの著書や、矢部宏治さんの著書によると、砂川判決後、日米安保条約と日米地位協定は、日本の法体系よりも上位に位置づけられた。そのため、とくに法務省官房長などは、日米合同委員会での月2回の協議を通じて、法務省事務次官などに昇格していくルートが形作られてきたようです。
そのときそのときの、農水省経営局長は、民主党が野党のときに農林族ではない岡田克也さんの事務所にも就任あいさつに来ていました。民主党が与党のときには、「事業仕分け」で枝野幸男さんらに「冒頭、前回の運営について抗議します。ついてはペーパーにまとめましたのでお受け取りください」と初めて言い、一方的な展開にくさびを打ったこともあったと思います。良くも悪くものんびりした農水省の中で、経営局長だけはやり手、というイメージが私の中にあります。
過去の国会議事録を読むと、合同委員会は秘密でもなんでもなくて、本会議で盛んに議論されていましたが、1969年(昭和44年)ごろから、論点として忘れられていったようです。法務省の東京地検特捜部によるロッキード事件もタブー化に拍車をかけたのでしょう。
合同委員会がタブー視される傾向があったのも、言わない人が出世する日本社会の特質が表れていたのかも、しれません。