[写真]左上から時計回りに、鳩山由紀夫、小沢一郎、鳩山一郎、広川弘禅。鳩山一郎、広川の写真はwikipediaから。
まさに正念場です。
当ブログでは国会傍聴ブログであり、政権交代ブログであって、まあ、どちらがメーンかは鶏が先か、卵が先かということになります。
このブログでは、国会の各会期について、例えば「第169通常会(2008年1月~)ガソリン国会」は、会期中はカテゴリーは「第169通常国会(2008年1月~)」とだけ、書いていて、閉会後に、「ガソリン国会」というように愛称を付けています。ちなみにgooブログのカテゴリーはシステム上、30までなので、このブログを続けていて容量がいっぱいになるのではないかとイチバン心配なのは、このカテゴリー欄であります。ぜひgooを運営するNTTレゾナント社はカテゴリー数の増加のシステム改良も手がけて欲しいと思います。
今回は召集の時点から「第177通常国会(2011年1月~正念場)」と名付けています。
広辞苑によると、正念場とは「歌舞伎・浄瑠璃で主人公がその役の性根を発揮させる最も重要な場面」などとあります。そこで歌舞伎辞典(平凡社)もみてみると、性根(しょうね)とは、「歌舞伎や人形浄瑠璃において、役作りの根本となる人物の本心、心情のこと」とあります。世阿弥が「心をつなぐ性根」、「意中の性根」という使い方で、演じる役者の心底に働く心遣い、内心を言っていたようです。つまり役より前に演じる人間の内心をいったということです。その後、近世中期からは、劇中のその役の心をさす言葉に転じました。
ちなみに、昨日小沢グループの3副大臣、2政務官が辞表を提出しました。このうち内閣府副大臣は宮城県庁内の政府現地対策本部の本部長、他の政務官は、環境省が橋本行革で主管している「がれき処理」について、被災地に何度も脚を運んでいました。もう1人も国交副大臣です。まさに、彼らの「性根」でしょう。
自民党と公明党は、2011年6月1日(月)、午後3時からの党首討論(QT)で、菅直人首相に「お辞めになったらどうですか」などと激しく退陣を迫りました。その後、自公党首会談、野党党首会談を経て、自民党、公明党、たちあがれ日本の3党共同提出で、内閣不信任決議案を横路孝弘・衆議院議長に提出しました。先例により、不信任案が出ると、衆参すべての議事がとまります。午後1時からの衆院本会議で、まずこの議案が議題となります。ここで趣旨弁明に続く討論で、民主党を代表して反対討論に立つ、山井和則さんはぜひ「マニフェスト、とくにバラマキ4Kを見直します」と演説してほしい。不信任案否決(内閣信任)後の、公明党との子ども・児童手当の協議や、4月29日の3党合意に基づく協議がスムーズに進むので、そうしてほしいと思います。
民主党執行部は昨夜時点で、「造反者は50人」と票読みしており、決議案は否決される見通し。造反者のうち少なくとも賛成者は「除籍」するよう、常任幹事会・倫理委員会に発議するプロセスに入ります。これにより、「民主党分裂」は確実となってしまいました。とはいえ、第45回衆院選での民主党の単独312議席(追加公認を含む)は勝ちすぎでした。小沢グループ・鳩山グループが造反してくれれば、除籍できます。事業仕分けのチャンスです。民主党の議席数を絶対安定多数の269議席、あるいは衆参ねじれを考えれば、241議席でもいいのです。ということは、今の305人から、60人いなくなった方が、党内の政策決定のプロセスも見えやすくなります。あるいは、まかり間違って、不信任が可決されれば、解散しますから、私たちが自民党さんも含めて、再仕分けすることになります。また、東北に被災地があることから、早ければ月内にも投票日が来る、スリムでコンパクトな選挙になります。とはいえ、当選者の人数は変わらないのですから、英国のようなお金が最小限ですむ選挙スタイルの好機となります。
仮に可決されたら、憲法69条では「10日間以内」となっていますが、過去の4回の不信任可決と同時にきょう中に解散すべきだと考えます。統一地方選で苦杯をなめた人で、まだ政治をやりたい心技体に自信がある人は、履歴書を県連の頭越しに党本部の石井一選対委員長に送れば、刺客候補として、党本部直営選挙で、衆議院議員になるチャンスです。
で、過去4回のうち、2回目の第4次吉田内閣バカヤロウ解散に似ているんですよね。このときは、戦前、文相として戦争美化をすすめたカドで公職追放となった鳩山一郎さんが、自由党代表の座を吉田茂さんに預けました。永田町の密室では、公職追放解除後に鳩山さんに代表を返し、鳩山内閣となる予定でした。鳩山の政界復帰後も吉田内閣は続きます。これは、日本の独立(サンフランシスコ講和会議)という大仕事のさいちゅうだったからです。しかし、独立後のクリスマスに、吉田が内閣改造に踏み切ったことから、永田町の論理で鳩山に首相を禅譲することがないことが分かり、自由党鳩山派が逆上。もともと、鳩山一郎は、鳩山和夫・衆議院議長からの二世議員ですから、母親の名前も分からない「みなしご書生」の吉田を低く見るところがあったようです。そして、東北出身で、世田谷区(旧東京3区)から衆議院議員になっていて、風貌や性格から「たぬき」と呼ばれた広川弘禅。彼は、吉田首相を変えるためにGHQの手を借りて山崎猛首相擁立の党内クーデターの主犯格でしたが、党内情勢を見て、吉田首相続投に寝返り、吉田内閣で農相、行政管理庁長官を務めました。
そして、鳩山は私怨にもとづき、吉田を降ろすために、内閣不信任案に造反(鳩山本人は欠席)しました。これに先立ち、「議員吉田茂君を懲罰委員会に付するの議案」が、鳩山派と広川派の欠席により、ハプニング的に可決されてしまいました。これがバカヤロウ解散の由来です。これは第177通常国会の「問責が先か、不信任が先か」の議論に似ています。この辺は「小説吉田学校」を見てみてください。
さて、きょう2011年6月2日は、政権交代の夏の「無血の平成維新」であった鳩山由紀夫首相が内閣総辞職を発表してからちょうど1年となります。今度は鳩山内閣ではなく、民主党の正念場であり、日本の正念場です。
非世襲政治家(吉田首相、菅首相)への私怨で内閣不信任に走る二世政治家、鳩山一郎と鳩山由紀夫。
東北出身で世田谷区住まいで「1度裏切る人間は2度裏切る」、広川弘禅と小沢一郎。
これも彼らの「性根」でしょう。それと小沢一郎氏と鳩山由紀夫氏は高校(都立小石川高校)の同窓生で、お友達です。
民主党は社会の公器だり、国民の公器です。小鳩を追い出すよい好機となりました。ただし「党分裂」は党分裂です。こういうときは毅然とした対応が、菅直人・岡田克也執行部に求められますが、大丈夫でしょう。前々から言っているように、菅と岡田をなめない方がいい。
ちなみに、バカヤロウ解散は「3月14日」でした。日本国憲法で3月に解散されたのはこの1度切りです。これは勘の良い方は当然気付くでしょう。参議院で予算が審議中でした。昭和28年度当初予算は、1月29日に政府が提出し、3月1日に衆・予算委員会で可決、3月2日の本会議で可決し、参院に送られましたが、審議未了で廃案になっています。総選挙で、広川公禅を落選に追い込み、政権を維持した第5次吉田内閣は、6月13日に、再度、当初予算を提出し、7月17日に衆院で修正議決、7月31日に参議院で可決・成立しました。4月・5月は暫定予算を参院の緊急集会で議決(後に衆院が同意)、6月・7月も暫定予算で対応しました。(参考、「衆議院先例集平成15年版」)
この「3月14日」。鳩山グループ幹部(三木武吉ら)は、「吉田は解散できない。なぜなら独立したとは、この予算には米軍の経費負担がある。これを必ずやれとアメリカは吉田に圧力をかけている」と言いふらしました。まあ、もっともな話だと思いますが、結果として、吉田は解散し、7月31日まで遅れながらも予算を通しました。菅総理も仮に不信任案が可決したら、即日解散すべきです。
ところで、広川農相は、バカヤロウ解散の裏切りの後、総選挙に刺客候補(安井大吉)を立てられ落選。その後、故郷の福島に国替えし、1度だけ当選したようですが、日の目を見ず。その後、また東京3区に国替えし、落選しました。1度裏切る人間は2度裏切る。ちなみに、吉田茂の娘でファーストレディーだった麻生和子さんは、吉田は裏切った広川弘禅を生涯、許さなかったそうです。インタビューテープで、麻生和子さんは「いちどそういうことを起こすと、2度と会おうとせず、全然断ち切ってしまいました」。(塩澤実信『人間吉田茂 昭和の大宰相の生涯』)。
[バカヤロウ解散の議事録(抜粋引用はじめ)]
第15回特別国会
昭和二十八年三月十四日(土曜日)
午後六時二十六分開議
○副議長(岩本信行君) これより会議を開きます。
――――◇―――――
○山崎岩男君 議事日程追加の緊急動議を提出いたします。すなわち、北村徳太郎君外十五名提出、吉田内閣不信任決議案は、提出者の要求の通り委員会の審査を省略してこの際これを上程し、その審議を進められんことを望みます。
○副議長(岩本信行君) 山崎君の動議に御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(岩本信行君) 御異議なしと認めます。よつて日程は追加せられました。吉田内閣不信任決議案を議題といたします。提出者の趣旨弁明を許します。北村徳太郎君。
―――――――――――――
〔北村徳太郎君登壇〕
○北村徳太郎君 私は、ただいま上程せられました、野党共同提案になりまする吉田内閣不信任決議案につきまして、その提案趣旨の弁明をいたしたいと思うのでございます。(拍手)
(中略)吉田首相は平和条約成立ととも当然引退すべきであり、国民もまたこれを当然として期待していたのであります。
(中略)
案文は先に言つたけれども、重ねて言う。
衆議院は、吉田内閣を信任せず、
衆議院は、吉田内閣を信任せず。
〔発言する者多く、離席する者多く、議場騒然〕
(中略)
以上が、私の、衆議院は吉田内閣を信任せずの決議案に対する説明であります。
衆議院は、吉田内閣を信任せず。
右決議する。
これに対して、満場の諸君の御賛同を願います。(拍手)
(中略、この後、各党の討論)
○議長(大野伴睦君) これにて討論は終局いたしました。
本決議案の採決は記名投票をもつて行います。北村徳太郎君外十五名提出、吉田内閣不信任決議案に賛成の諸君は白票、反対の諸君は青票を持参せられんことを望みます。閉鎖。
氏名点呼を命じます。
〔参事氏名を点呼〕
〔各員投票〕
○議長(大野伴睦君) 投票漏れはありませんか。――投票漏れなしと認めます。投票箱閉鎖。開匣。開鎖。
投票を計算いたさせます。
〔参事投票を計算〕
○議長(大野伴睦君) 投票の結果を事務総長より報告いたさせます。
〔事務総長朗読〕
投票総数 四百四十七
可とする者(白票) 二百二十九
〔拍手〕
否とする者(青票) 二百十八
〔拍手〕
○議長(大野伴睦君) 右の結果、北村徳太郎君外十五名提出、吉田内閣不信任決議案は可決されました。
〔拍手、「万歳」「万歳」ど呼ぶ者あり〕
―――――――――――――
〔参照〕
北村徳太郎君外十五名提出吉田内閣不信任決議案を可とする議員の氏名
池田正之輔君 石田 博英君
石橋 湛山君 加藤常太郎君
木村 武雄君 河野 一郎君
佐々木秀世君 佐藤虎次郎君
重政 誠之君 中 助松君
中村 梅吉君 平塚常次郎君
古島 義英君 松田竹千代君
松田 鐵藏君 松永 東君
三木 武吉君 森 幸太郎君
森 清君 山村新治郎君
山本 正一君 亘 四郎君
秋田 大助君 芦田 均君
荒木萬壽夫君 有田 喜一君
安東 義良君 伊東 岩男君
井出一太郎君 石坂 繁君
石田 一松君 五十嵐吉藏君
生悦住貞太郎君 宇田 耕一君
臼井 荘一君 小川 半次君
大麻 唯男君 大川 光三君
大森 玉木君 岡田 勢一君
加藤 高藏君 金子與重郎君
川崎 秀二君 菅 太郎君
菅野和太郎君 北村徳太郎君
清瀬 一郎君 楠山義太郎君
栗田 英男君 小泉 純也君
小島 徹三君 小畑虎之助君
河本 敏夫君 河野 金昇君
後藤 義隆君 佐伯 宗義君
佐藤 芳男君 櫻内 義雄君
笹森 順造君 笹山茂太郎君
志賀健次郎君 椎熊 三郎君
重光 葵君 白浜 仁吉君
鈴木 正吾君 園田 直君
田中 久雄君 高岡 大輔君
高倉 定助君 高瀬 傳君
高橋 長治君 高橋 禎一君
武部 英治君 竹山祐太郎君
舘林三喜男君 千葉 三郎君
堤 康次郎君 床次 徳二君
内藤 友明君 中島 茂喜君
中曽根康弘君 中野 四郎君
中山 榮一君 中村 寅太君
中村庸一郎君 長井 源君
並木 芳雄君 楢橋 渡君
長谷川四郎君 早川 崇君
平川 篤雄君 廣瀬 正雄君
古井 喜實君 町村 金五君
松浦周太郎君 松野 孝一君
松村 謙三君 三浦 一雄君
三木 武夫君 宮澤 胤勇君
粟山 博君 森田重次郎君
森山 欽司君 柳原 三郎君
山下 春江君 山手 滿男君
山本 粂吉君 吉川 大介君
早稻田柳右エ門君 淺沼稻次郎君
井伊 誠一君 井上 良二君
伊藤卯四郎君 池田 禎治君
石井 繁丸君 今澄 勇君
受田 新吉君 大石ヨシエ君
大矢 省三君 岡部 周治君
甲斐 政治君 加藤 勘十君
春日 一幸君 片山 哲君
川島 金次君 川俣 清音君
河上丈太郎君 菊川 忠雄君
菊地養之輔君 木下 郁君
熊本 虎三君 河野 密君
杉山元治郎君 鈴木 義男君
田原 春次君 田万 廣文君
竹谷源太郎君 辻 文雄君
堤 ツルヨ君 戸叶 里子君
土井 直作君 中崎 敏君
中澤 茂一君 中村 高一君
西尾 末廣君 西村 榮一君
日野 吉夫君 平岡忠次郎君
平野 力三君 細野三千雄君
前田榮之助君 前田 種男君
松井 政吉君 松尾トシ子君
松岡 駒吉君 松前 重義君
松本 七郎君 三宅 正一君
三輪 壽壯君 水谷長三郎君
門司 亮君 矢尾喜三郎君
山ロシヅエ君 山下 榮二君
吉川 兼光君 吉田 賢一君
吉田 正君 足鹿 覺君
阿部 五郎君 青野 武一君
赤路 友藏君 赤松 勇君
伊藤 好道君 井手 以誠君
稻村 順三君 猪俣 浩三君
小川 豊明君 加賀田 進君
加藤 清二君 勝間田清一君
上林與市郎君 木原津與志君
久保田鶴松君 小松 幹君
佐々木更三君 佐藤觀次郎君
坂本 泰良君 志村 茂治君
島上善五郎君 下川儀太郎君
鈴木茂三郎君 多賀谷真稔君
田中織之進君 楯 兼次郎君
辻原 弘市君 永井勝次郎君
成田 知巳君 西村 力弥君
芳賀 貢君 長谷川 保君
原 茂君 原 彪君
福田 昌子君 古屋 貞雄君
帆足 計君 正木 清君
松原喜之次君 武藤運十郎君
森 三樹二君 八百板 正君
八木 一男君 安平 鹿一君
山口丈太郎君 山崎 始男君
山田 長司君 山中日露史君
山花 秀雄君 山本 幸一君
横路 節雄君 和田 博雄君
渡辺 惣藏君 石野 久男君
岡田 春夫君 黒田 壽男君
館 俊三君 風見 章君
川村 継義君 辻 政信君
中村 英男君
否とする議員の氏名
阿左美廣治君 阿部 千一君
相川 勝六君 逢澤 寛君
青木 正君 青柳 一郎君
赤城 宗徳君 秋山 利恭君
淺香 忠雄君 淺利 三朗君
麻生太賀吉君 新井 京太君
新井 堯爾君 荒舩清十郎君
有田 二郎君 安藤 正純君
伊藤 郷一君 伊能繁次郎君
飯塚 定輔君 生田 和平君
池田 清君 池田 勇人君
石井光次郎君 犬養 健君
今松 治郎君 今村 忠助君
岩川 與助君 岩本 信行君
宇田 恒君 宇都宮徳馬君
上塚 司君 植木庚子郎君
内田 常雄君 内田 信也君
内海 安吉君 江崎 真澄君
江藤 夏雄君 遠藤 三郎君
小笠原八十美君 小笠原三九郎君
小川 平二君 小澤佐重喜君
緒方 竹虎君 尾崎 末吉君
越智 茂君 大石 武一君
大泉 寛三君 大上 司君
大久保留次郎君 大倉 三郎君
大島 秀一君 太田 正孝君
大西 禎夫君 大野 市郎君
大橋 武夫君 大平 正芳君
大村 清一君 岡崎 勝男君
岡田 五郎君 岡田 忠彦君
岡野 清豪君 岡本 茂君
奧村又十郎君 押谷 富三君
加藤 精三君 加藤 宗平君
加藤鐐五郎君 甲斐中文治郎君
河原田稼吉君 勝俣 稔君
川島正次郎君 川村善八郎君
川野 芳滿君 菅家 喜六君
木村 公平君 木村 文男君
北 れい吉君 久野 忠治君
倉石 忠雄君 栗山長次郎君
熊谷 憲一君 黒金 泰美君
小金 義照君 小坂善太郎君
小平 久雄君 小西 寅松君
小林かなえ君 小林 絹治君
小山 長規君 木暮武太夫君
近藤 鶴代君 佐治 誠吉君
佐藤 榮作君 佐藤善一郎君
佐藤洋之助君 坂田 英一君
坂田 道太君 迫水 久常君
篠田 弘作君 島村 一郎君
首藤 新八君 周東 英雄君
薄田 美朝君 鈴木 善幸君
鈴木 直人君 砂田 重政君
砂原 格君 關谷 勝利君
田口長治郎君 田子 一民君
田嶋 好文君 田中伊三次君
田中 角榮君 田中 萬逸君
高木吉之助君 高木 松吉君
高橋 英吉君 高見 三郎君
竹尾 弌君 谷川 昇君
玉置 信一君 中馬 辰猪君
塚田十一郎君 塚原 俊郎君
辻 寛一君 綱島 正興君
坪川 信三君 寺島隆太郎君
戸塚九一郎君 徳安 實藏君
富田 健治君 内藤 隆君
中井 一夫君 中田 政美君
中峠 國夫君 中野 武雄君
中村 幸八君 中山 マサ君
仲川房次郎君 永田 良吉君
永田 亮一君 永山 忠則君
長野 長廣君 灘尾 弘吉君
南條 徳男君 丹羽喬四郎君
西川 貞一君 西村 英一君
西村 茂生君 西村 直己君
貫井 清憲君 根本龍太郎君
野澤 清人君 野原 正勝君
羽田武嗣郎君 橋本登美三郎君
橋本 龍伍君 濱田 幸雄君
濱地 文平君 林 讓治君
原 健三郎君 馬場 元治君
日高 忠男君 平井 義一君
平澤 長吉君 平野 三郎君
廣川 弘禪君 福井 勇君
福井 順一君 福井 盛太君
福田 一君 福永 健司君
船田 中君 保利 茂君
星島 二郎君 本多 市郎君
本間 俊一君 前尾繁三郎君
前田 正男君 前田 米藏君
牧野 良三君 益谷 秀次君
増田甲子七君 松浦 東介君
松岡 俊三君 松岡 松平君
松野 頼三君 松本 一郎君
松山 義雄君 松村 光三君
三池 信君 三和 精一君
水田三喜男君 水谷 昇君
南 好雄君 宮幡 靖君
明禮輝三郎君 村上 勇君
村松 久義君 持永 義夫君
森下 國雄君 山口喜久一郎君
山崎 岩男君 山崎 巖君
山崎 猛君 山田 彌一君
雪澤千代治君 横川 重次君
吉江 勝保君 吉田 茂君
吉武 惠市君 渡邊 良夫君
荻野 豊平君 木下 重範君
只野直三郎君 武知 勇記君
福田 赳夫君 坊 秀男君
―――――――――――――
○議長(大野伴睦君) この際暫時休憩いたします。
午後八時十八分休憩
――――◇―――――
午後八時三十三分開議
○議長(大野伴睦君) 休憩前に引続き会議を開きます。
――――◇―――――
○議長(大野伴睦君) ただいま内閣総理大臣から詔書が発せられた旨伝えられましたから、これを朗読いたします。
〔拍手〕
別紙詔書が発せられましたからお伝えいたします。
昭和二十八年三月十四日
内閣総理大臣 吉田 茂
衆議院議長大野伴睦殿
〔別紙〕
日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。
御名 御璽
昭和二十八年三月十四日
内閣総理大臣 吉田 茂
〔拍手、「万歳」「万歳」と呼ぶ者あり〕
○議長(大野伴睦君) 本日はこれにて散会いたします。
時に午後八時三十六分
[抜粋引用おわり]