宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

民主党1年生議員の後藤祐一さん、参院本会議での答弁を実現 法案提出者として

2011年06月13日 21時29分52秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]参院本会議で答弁する、民主党衆院議員の後藤祐一さん、2011年6月13日、参議院インターネット審議中継からキャプチャ

【2011年6月13日(月)参院本会議】

 参院本会議が午後3時から開かれました。参本は(月)、(水)、(金)の週3回定例日となっていますが、5月2日(月)に第1次補正予算を成立させた本会議以来の月曜開催となりました。

 金曜日に衆院で可決した、「東日本大震災復興基本法案」(177国会衆法=衆議院での議員立法=13号)が議題となり、衆院側の黄川田徹・復興特別委員長が趣旨説明しました。その後の各党代表質問には、議長席に向かって右側に、委員長や法案提出者の衆院議員、左側に菅首相、野田財務相らが座り、質問に答えました。

 この中で、神奈川16区(厚木市など)選出の民主党衆院議員で、「政権交代チルドレン(1期生)」の後藤祐一(ごとう・ゆういちさんが委員会理事のひとりとして、答弁に立ちました。2009年8月の政権交代後、民主党1期生およそ140人のうち、参院本会議で法案提出者として答弁するのは後藤さんが初めて。

 自民党参院議員の元国土交通省の事務次官、佐藤信秋さんの質問に対する答弁。

 後藤答弁者は「復興庁の設置時期は、(当初提出されていた)閣法では、付則に「施行後1年以内を目途(もくと)にする」と書いてあった」としました。緊張しながらも、「目途」を「メド」ではなく「もくと」と発音したところには、自民党から菅首相に対して、「進退」に関するヤジがかなり飛んでいましたから、何らかの政治センスが隠れている可能性があると思いました。答弁に戻ります。「ただ、(1年以内では)あまりにも遅すぎる、というご提案を自民党、公明党のみなさんからいただきました。わが党のなかでも、これでは遅い、復興庁をしっかりつくる、と明記すべきだ、との意見が多かったんです。そこで与野党協議の場においては、政府案(閣法)を修正いたしまして、この法案の付則ではなく、本文の24条5項に明記し、できるだけ早期に、平成23年度中にも設置できるようにしました」と堂々たる答弁。ここで、自民党のヤジにこたえて「そうなんです、遅いんです」とあいのてを入れたところだけは、1年生らしさも出ましたが、「そのほか、野党のご提案を多く踏まえさせていただき、とにかく早く、良い法案になるようにさせていただきましたので、どうぞ(速やかな審議と可決・成立を)お願いします」と述べました。

 ◇

 政権交代の前段階で、後藤総支部長は、神奈川16区の自民党の亀井元農相の逝去による、選挙が2006年秋の統一補選に前倒しになり、野党民主党の多くの議員・秘書が厚木などに派遣され、闘いました。そのため、後藤さんの記憶が残っている人が多いようです。補選は、弔い選挙の同情論もあり、亀井ジュニアが当選しました。神奈川の県西地域では、全選挙区で自民党の世襲議員が連続して議席を独占してきています。

 そして迎えた第45回総選挙では、後藤さんが58・8%の驚異的な得票率で勝ちました。なお、亀井ジュニアは政界を引退する方向と、聞いています。神奈川16区は、中心都市の厚木市は、自動車部品メーカーが多く産業が盛んなため不交付団体ですが、愛甲郡という自然のむらもあります。関東在住のドライバーは、ラジオの渋滞情報の「東名高速の伊勢原バス停前では~」というフレーズに聞き覚えがあるでしょうが、あそこです。けっこう難しい選挙区ですが、「実現男」のあだ名の通り、後藤さんは政権交代を実現させました。当選後は、当時の幹事長(当時)自宅の新年会に参加させられ、その後、ご苦労があったようです。昨年6月の代表選では、菅直人候補の推薦人(党規約により20人以上25人以内)の1人に選ばれました。

 後藤さんは、官僚時代に内閣府特命担当に出向していましたから、こういう象徴横断的な組織の建て付けは“土地勘”があると思います。おどろくべきことに野党が長かった民主党の当選5回生以上で、私は2人以上、「内閣官房と内閣府の違い」がまったく分からない人を知っています。うち1人は小沢グループで、ナント大臣までやっていますが、「3・11」の時点では閣僚から外れていたのは不幸中の幸いでした。私に言わせれば、内閣官房と内閣府の違いが分からない奴に、与党はできません。

 「民主党もダメ、自民党もダメ」と言う人。気持ちは分かりますが、そう言うあなたがイチバンダメ。

 後藤祐一さんが衆院での与野党協議の経緯を紹介しながら、参院で答弁し、法案の審議・可決・成立をお願いします。完璧ではないけれども、「熟議の国会」は部分的にはできています。きょうも日本の国会が一歩前に進んだことを確認できた1シーンでした。それでも政治は変えられる、との強い信念を持ちましょう。

tags 黄川田徹 菅直人 野田佳彦 亀井善之 亀井善太郎 


『悪党 小沢一郎に仕えて』石川知裕さんが初の著書を緊急出版 どんどん買ってね(^_^)v

2011年06月13日 13時45分32秒 | その他

[写真]石川知裕さんの初の著書『悪党 小沢一郎に仕えて』の表紙、朝日新聞出版、7月7日発売

 さあいよいよ、民主党系無所属の衆院議員の石川知裕(いしかわ・ともひろさんが初めての著書、『悪党 小沢一郎に仕えて』を2011年7月7日、緊急出版することになりました。版は雑誌「AERA(アエラ)」でおなじみの朝日新聞出版です。

 1995年、新進党党首だった小沢一郎さんの家の住み込み書生から、東京事務所の支持者周り、水沢事務所赴任、などを経て、衆院議員になり、与党・小沢一郎幹事長の秘書役まで務めた石川さんが赤裸々に余すところなくつづった本です。ぜひ、アマゾンなどで予約してください。あるいは、書店や、図書館に早めにどんどん予約を入れてください。また学校の先生は夏休みの課題図書に選んでみてはどうでしょうか。

 「いったい小沢一郎とは何だったのか?」というこの20年間のなぞにモヤモヤしている人は、読むことでスッキリとして、夏の暑さが吹っ飛び、秋になると、高い空を見上げ、少し落ち着いた心持ちを取り戻すことができるでしょう。みんなが疑問だった「あのこと」や、だれも知らなかった「こんなこと」がてんこ盛り。どうやら、噂によると、かなり驚くべき重大な内容が、書かれているようです。さらには、摩訶不思議なことに、この重大な内容は、立ち読みの人には読めないような細工(あぶり出しか?)があるとか、ないとか。冗談はさておき、立ち読みするんだったら、お近くの図書館へリクエストをどんどん入れていただきたく存じます。

 この本から、日本史がひっくり返るかもしれませんよ!

 石川さんは現在裁判のため、多額の訴訟費用がいりようとなっております。読まなくてもいいから、買ってくださいね(*^_^*) 大人なら、分かりますね! ぜひ、平積み、ベストセラー目指してよろしくお願いします。ご購入いただいた方は、必ず1年以上保管してくださいね。くれぐれも、amazonに1円で売りに出したりしないでください。レビューも4つ星以上でお願いします。図書館の貸し出しで順番待ちになった方は、お願いして2冊目の入荷をお願いしてくださいね。そのうえで、2週間たっぷり借りて熟読してください。どんどんご協力のほど、よろしくお願いします。


[写真]著者の石川知裕さん

 石川さんは講演で、小沢さんのエピソードを得意ネタにしていますが、曰く「小沢一郎は細かいことを気にしない」。そして、自分が小沢さんに仕えたときに、すでに小沢さんは野党第1党の新進党の「党首」だった。そして、解党後に、野党第2党の自由党の「党首」になり、そして、自自連立政権のときに離党者を出し、人数が減らしながら与党第2党の自由党の「党首」に。そして、連立離脱の際は、自民党の1本づりで、小池百合子さんらが抜け、半数以下の議席に落としながら、野党・自由党の「党首」へ。そして、石川さんは2005年の第44回衆院選の地元支部公募に受かり、総支部長に転身しました。その後、荒井聡さんの知事選出馬に伴い、2007年に繰り上げ比例復活当選したときには、小沢さんはまたしても、民主党の「党首」(代表)だったわけです。

 で、彼曰く「政治家の秘書は多いが、自分の仕えたセンセイがずーっと党首だったのは珍しい。でも党首をつとめる政党がどんどん小さくなっていったというのは憲政史上、私だけではないか」という話をよくしていています。そして、そのプロセスのまっただ中にいたときは、先が見えず辛かった、ということを赤裸々に話します。「そんなにハッキリ言って大丈夫なの?」と思うかもしれませんが、講演の前段階にその答えがあるんですよね。「小沢一郎は細かいことを気にしない」。


私は大賛成、税と社会保障の一体改革 2015年に消費税10%→国保安定、最低保障年金、ジェネリック

2011年06月12日 10時38分20秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 さあ、いよいよ、6月20日(月)をメドに、「税と社会保障の一体改革」の成案が決定されます。

 私は、6月2日(木)の午後6時から首相官邸4階大会議室で開かれた「社会保障改革に関する集中検討会議」がめとめた「改革案」および「参考資料」の冊子(200ページ前後)を入手し、読み込みんでまいりました。

 その結果、これは、個人的に大賛成です! 2015年までに消費税が段階的に10%になります。しかし、このメニューがきっちり実施されるなら、当家ではお釣りが来そうです。

 みなさんのお手元にも、もうすぐ届くでしょうから、ぜひご自身の利益になるかどうか、しっかりチェックしてください。

 ここで言う「社会保障」とは4つ。年金、医療、介護・・・そして子育て支援です。最後に「子育て」を入れた人、おそらく財務省主計局員でしょうが、この人は天才です。つまり、年金受給世代(70歳代、80歳代、90歳代)だけではなく、20歳代、30歳代、40歳代の子育て世帯でも、今すぐ恩恵が来る。具体的には、保育園を利用している人はメリットが大きいです。少しでも恩恵がある世帯は、消費税10%にGO! 私としては今すぐにでも、増税してほしい。もちろん、厚生労働省と自治体がメニューをしっかり実施できればの話ですが。

 税と社会保障の一体改革ほど、「落とし所」がハッキリした政治課題も珍しいでしょう。

 そもそもカンタンな解決方法があります。これから5年間ほど、毎年200万人の団塊の世代が年金受給者になります。ということは、5年後ないし6年後、つまり第47回総選挙の頃には、有権者総数の10%が新しい年金受給者になります。ならば、第47回総選挙で社会保障目的税として消費税を引き上げれば、団塊の世代はその分の年金をもらえ、健康保健の窓口負担が減ることになりますから、団塊の世代はそろって「増税日本」の公約を掲げた政党に投票するでしょう。それまでは、赤字国債で年金の基礎財源を補てんしておけば、消費税の一部を過去の赤字国債の償還分に回すこともできるでしょう。しかし、それはできません。言うまでもありません。ことしの時点でこれ以上の赤字国債の発行が厳しい状態にあるからです。だから、今やらないといけないのです。

 総論はいいとして、各論が大事です。

 私の場合は、70歳代の両親と私の3人世帯で、兄は独立して家を構え子どもがいます。で、私世帯では、これは今すぐに10%に引き上げても、お釣りが来ます。

 プライバシーもあるので、ハッキリとは書きませんが、まず私は日経健康保健組合は脱退しており、基礎自治体の国民健康保健組合(国保)に入っていますので、メニューにある「市町村国保の財政運営の都道府県単位化。それにあわせ財政基盤を強化。低所得者保険料軽減の拡充」という項目は賛成です。私は、地元自治体が好きなので、「地元の国保が破たんしたらしょうがないや」と思えるくらい、地元自治体が好きです。ただ、現実はそうもいきません。仮に財政が苦しくなれば、隣の自治体が財政がいいので、広域連合に入れてもらえばいいとも思います。ところが、反対方向の隣の自治体は全国的にも歳出圧力に比べて自主財源が弱い。こちらと広域連合や一部事務組合となると、保険料が上がってしまうでしょう。そう考えれば、「東京都国保」になれば、これには渋谷区や港区も入ってくるので、有利です。

 それから、後発医薬品(ジェネリック)のさらなる使用促進もやってほしい。

 最低保障年金(満額月7万円)も賛成です。私はサラリーマンが向いていないので、厚生年金保険料を労使折半で払い、悠々自適な老後というのは性に合いません。それまでの間、正社員として縛られる、奴隷です。ちなみに、メニューには「短時間労働者に対する厚生年金の適用拡大」というのも入っています。私は厚生年金という制度そのものに懐疑的で、経団連が正社員を奴隷化する一手段だ、と考えています。ただ、現在では短時間労働者の方々で、「厚生年金に入りたい」という考えが多いようにもきかれます。奴隷になってでも、生活の安定が欲しい、というのが本音なんでしょう。

 ところで、内閣官房がまとめたこの資料、「最低保障年金の満額は7万円」と書いていますが、これは「7万円」ではなく、「月7万円」の書き損じでしょう。一体改革は「落とし所」がハッキリした話であって、国民の理解を得られる資料を作るためのロングストーリー。なので、たたき台をつくる段階から、国民が手に取ることをアタマに入れて、想像して資料を作らないと、これからの官僚は生きていけません。

 それと、具体的にどことは言いませんが、2つほど、私に有利な項目があります。

 なお、「デフレ化のマクロ経済スライド」には私は反対です。

 まあ、具体的に、当家としては、国保と年金だけでお釣りがくる計算になりますので、賛成です。ちなみに、子育て・子どもは、兄家族は厚生年金だし、保育園を使っていないのでメリットはありません。おそらく消費税分負担増になるでしょうし、将来の厚生年金受給額は減るでしょう。とはいえ、両世帯とも「安定」が得られます。どう考えても、消費税10%なら十分にお釣りが来ます。自治体の取り分を増やすなら、もっと増税してもいいでしょう。片山善博・総務大臣から「10%のうち、国と地方の分け前にも配慮すべきだ」という意見書が出ました。とうとう出たか、やはり出たかという印象です。これにより、税と社会保障の一体化の議論が立体化しました。片山さんの意見書は出て当然なのですが、とりあえず総論・各論で押し切って、その後に手直しする方がいいように思えます。

 で、税と社会保障の一体改革は、総論と各論を理解した上で、国民の判断を得るべきです。そういう意味では、今でも地方自治界では語りぐさの、北海道ニセコ町長の逢坂誠二さんの「予算書」全戸配布のようなことができればいいのですが、かなりの歳出になります。この200ページ前後は、なるべく安く出版ルートに乗せたり、あるいは、本屋のない過疎自治体では、首長さんの要望で、費用負担は別として、全戸配布ができるようにしたらいいと思います。ちょっとネットでは、なかなか全体像が見えにくいのかなあ、という気がしますが、ネットでも、自分の関係する分野だけみて、消費税10%が釣り合うかどうか、自分の利益で、判断したらいいと考えます。あるいは、iPad向けや、iPhone向け、キンドル向けなども出すと、注目を浴びるのではないでしょうか。

 国民にとって喫緊の課題ですが、最大の問題は、やはり小沢グループということになりそうです。今は国難だし、改革のスピードを上げないといけないので、あえて名指しします。異論があれば、メール下さい。とくにひどいのこの男です。



 吉田治衆院議員。小沢一郎幹事長の下、副幹事長(国対担当)を担当したので、1年生議員に一定の影響力を持っています。当選4回生の49歳にもなって、「私は変えたい。政治が変わる。Changing(チェインジング)!!」と具体性の乏しい主張。そもそも「変えたい」「変える」「Changing」としつこい。大阪4区(キタなど)の吉田おさむセンセイ。キタには、橋下徹知事もいますが、この人は民社協会の名折れです。松下政経塾がいろいろと批判されるのも、こういう男がいるからですが、まともな人もちゃんといます。一緒くたにしないでいただきたい。

 厚生労働省は、自治体としっかり連携して、人材も、権限も、財源も大幅に地方に移譲して、過疎自治体だけ「補完性の原理」で補うだけの存在となることを前提に、しっかりと制度設計と、実施のチェックをしていくべきだと考えています。もう時間がありません。また仮に小沢グループが「増税反対」を唱えたら、日本国民の総力を結集して、小沢グループの振る舞いの根源をしっかりと見抜いて、小沢グループを根絶やしにしましょう。100年先の日本のために。

tags 税と社会保障の一体改革=社会保障と税の一体改革


それでも前に進んだ6月6日週の国会

2011年06月10日 22時25分22秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 にわかに信じがたいことですが、6月6日週の国会は前に進みました。

 先週6月2日(木)の衆院本会議では前日の参本に続き、菅直人首相のサミット報告とそれに対する各党代表質問が予定されていましたが、自民党・公明党・たちあがれ日本が菅内閣不信任案を提出しました。慣例にもとづき、すべての審議に先んじて、2日午後1時から採決。ご存じの通り、圧倒的多数で否決され、衆議院は菅内閣を信任しました。私は、菅さんが「退陣表明」したとはまったく思っていないのですが、マスコミは「退陣表明」と報じています。私が菅総理について、以前から「性格は最悪だが精神力が強い」として、総理に推していて、「3・11」でも、それは証明されていると確信しています。どうか、菅さんは見苦しいまでに石にかじりついて続投してほしいと思います。そうはいっても、世間がどうみるか。これが日本の議院内閣制です。レームダック化を前提にした「次の体制」に向けた動きも必要です。

 そもそも、なぜ会期末、6月のセレモニーである不信任案が政局になってしまったか。最大の要因は、民主党の岡田克也幹事長安住淳国対委員長の政府外議員へのしめつけが遅く、甘かったということになるでしょう。そして、採決の前夜の「小沢グループ71人結集」というハプニングにつながってしまいました。うんざり政局はいったい何だったのか。ヒトコトで言うと、民主党正副の幹事長、正副の国対委員長、そして、自民党の執行部およびベテラン議員、公明党の執行部とも、「小沢グループが馬鹿とは知っていたが、ここまで馬鹿とは思わなかった」というのが本音でしょう。

 さて、これまでなら、今週の国会は、野党は「首相の退陣時期」が明確になるまで、審議拒否となったでしょう。しかし、政治への関心の高まり、ネット中継、ボス不在の政治(そのひきかえに、ケータイ、スマートフォンでめまぐるしく変わる情報戦)は国会空転を許しません。それでも国会は前に進んだ、といえるでしょう。

 7日(火)は衆院は疲れて審議無しでしたが、参議院では委員会で衆院送付法案の採決をし、翌8日(水)の参本では、「国鉄清算事業団の債務に関する法案(閣法)」や、「環境教育法の改正案(衆院環境委員長提出)」などが成立しました。かなり早く国会は正常化したといえるでしょう。

 9日(木)の衆院本会議では、「スポーツ基本法案」、「NPO促進法案」の2つの議員立法が参院に送られました。なかなか後半国会らしくなってきました。また、北朝鮮制裁の特定船舶入港禁止法に関する承認案件(衆・国土交通委員会で審議)や、「3・11」後に内閣が提出した「被災地のための金融機能強化法案(177閣73号)」も参院へ。さあ、会期末まで、残り8営業日、間に合うか。この9日(木)は参院法務委では、「刑法改正案(177閣42号)」、参・厚労委では「介護保険法改正案(177閣50号)」が審議されました。おそらく会期内に間に合いそうな気配です。

 そして、10日(金)はテレビ入りで、参院予算委員会に長浜博行さんが登場。意外や意外、テレビ入りの予算委は初めてとのことでしたが、与党質問のお手本のようでした。なお、税と社会保障の一体改革は20日ごろ、政府・与党幹部が成案を出す予定ですが、このたたき台(200ページ前後)は私は独自のルートで入手し、読み込んでいます。その結果、当家としては、大賛成ということになりました。早ければ、今週末にも、その理由を書きます。それにしても「信なくば立たず」が今177通常国会で最も聞かれた言葉だと思いますが、さすがに長浜さんは菅代表・岡田幹事長が民主党財務委員長を任せる人だな、と感じました。ぜひ一度、長浜さんとお話ししてみたい、と感じました。

 話が戻って、10日(金)。衆院の方に行きますと、大きな動きが。まず(火)と(金)が定例日の早朝の閣議で決定した、「国税などの改正法案(177閣2号)の修正案」と「地方税などの改正法案(177閣4号)の修正案」が出ました。民主党の藤井裕久さん自民党の野田毅さんが実務者協議をしていたと聞いています。これは、6月30日で切れる国税つなぎ法、地方税つなぎ法の中の「期限を区切っての減税」「免税」などの租税特別措置の来年3月31日までの延長。それに加えて、自民党からの税制改正の要求をかなり盛り込んだ修正案です。なお、当初の法案にあった、「法人税率の引き下げ」「相続税の基礎控除の5000万円→3000万円の引き下げ、税率の50%→55%」などは、この法案には入っていないようです。とにもかくにも、会期末ないしは6月30日までには絶対に、衆参で可決し、成立させなければいけない法案です。

 ちなみに、衆・財金委は“例の件”で後藤田正純・自民党側筆頭理事が委員を辞めてしまったので、きょうの衆院のホームページからすると、竹下亘・元財務副大臣が筆頭理事になると思うので、穏便に進むのではないかと期待できます。参院の財政金融委員会は、民自公との良識的な理事ですので、大丈夫でしょう。

 そして、衆・総務委では民主党側筆頭理事の黄川田徹さんが途中から、復興特別委員長になってしまったので、当選回数からすると何人かいますが、できれば、40歳になったばかりの小川淳也・元総務政務官に苦労してほしいと思います。この人、ちょっと細かいんですよね。この辺、おおように自民党側理事の肩を抱きながら、法案を速やかに参院に送ったら、次が見えてくると思います。その点では、衆・環境委はたくさん法案を通していて評価できますが、大谷信盛・同委筆頭理事が、参・環境委を傍聴して法案のプロセスをしっかり見ているということを知って、いいなあ、と思いました。民主党も捨てたものではありません。

 そして、10日(金)の衆本では、議員立法となった、「津波対策推進法案(177衆法14号)」」、「社会保険病院の存続法案(177衆法14号)」が通りました。なお、「社会保険病院の存続法案」は、参院選後の「院の構成を定める」だけの第175臨時国会(昨年7月)の審議でつなぎ法が成立しており、「ねじれ国会のお手本 鉢呂吉雄委員長が名裁き」という国会傍聴記にしたためております。

 さらに10日(金)の衆本で、やっとですが、「東日本大震災復興基本法案」が可決しました。これには、内閣提出法案と、自民党提出の法案、それに予算を伴う法案は50人以上の衆院議員の連名が必要なため、骨子案の発表にとどまった公明党案がありました。きょう参院委送られたのは、民自公共同修正で出し直した、第177国会衆法13号議案となりましたが、ポイントは「復興庁」「復興債」「復興特区」の3つで、これは公明党の骨子案にあったものばかりです。チーム3000の地方議員たちから上がってきた公明党が震災復興の主役になりつつあります。現時点で、民主党は公明党ほど組織力がないのですから、公明党の言うことをもっと聞くべきです。2次補正も公明党のアイディアを丸飲みに近いくらい入れたらいいのです。そういう意味では、復興特別委員会の筆頭理事が人柄の藤村修さんだったのは名人事といえるでしょう。

 まあ、しかし、大連立構想から始まった今週の国会ですが、議員立法が通るなど後半国会らしく、たくさんの法律ができつつあります。来週は参院がフル回転しなければいけません。そして、相対的に言えば、「最重要法案である特例公債法案(平成23年度の赤字国債発行法案、177閣法1号)を」成立させなければいけません。ここで、参議院の問責決議案など出したら、参議院不要論は一気に加速するでしょう。そして、特例公債法案が通らなければ、内閣支持率ではなく、国会支持率がなくなるでしょう。毎日新聞によると、震災復興後国会は機能していないと考える人は85%にのぼります。毎年やっている、ギャラップと読売新聞の共同調査では、昨年は、「国会を信用している」は日本では15%ですから、奇妙に一致しています。みんなの党参院議員の松田公太さんによると、電通総研などの世界の価値観調査では、国会の支持率は40%前後の国が多いそうですが、日本では20%前後だそうで、やはりこの辺りの水準です。

 残り1週間+3日間の最終盤国会を迎えます。衆参与野党、議員・職員・秘書が責任感を持って、辛くても前に進まないといけません。私たち国民もこの2週間、うんざりしないで、重大局面として国会を監視し、圧力をかけなければいけません

 さて、菅さんがどうするかということがありますが、民主党新代表に動き出しているところがあるようです。昔、宮澤喜一さんは「保守政党の総裁選出は実力者同士の話し合いが望ましい」という趣旨のことを言っていました。今の言葉で言えば「政権与党の代表は名乗りをあげた者同士の話し合いで一本化するのが望ましい」ということになるかと思います。宮澤さんの発言を聞いた十数年前は反感を覚えましたが、今となっては、その言葉の意味が胸に突き刺さるように感じます。現在は、野田佳彦さん、鹿野道彦農相、樽床伸二さん、小沢鋭仁さんの名前が上がっています。このうち、野田さん、鹿野さん、樽床さんの3人は、新進党に最初から最後までいた人です。憲政史上初めて、第95代首相は、新進党籍があった人となれば個人的にうれしいです。一方、小沢鋭仁さんは、民主党では、小沢(一)さん、岡田さんに続き、前原さんと並ぶほど、政治資金(個人・団体献金、パーティ券)の集金力がある人です。年齢を考えたら、ここで小沢(鋭)さんが出馬するのは当然でしょう。政治部の記者はそれがなぜかを、総務省収支公開室の資料(http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/101130/22620056.pdf)などで調べておくといいのではないでしょうか。私は小沢(鋭)さんは金融に強いから、パーティ券が売れるんだと推し量っています。それと小沢グループは相変わらず人を見る目がないですね。鹿野さんは大変な威張り屋で、菅さんよりも怒鳴りますよ。おそらく小沢グループは鹿野さんと会話をしたことがないんでしょう。小沢グループには鹿野さんの秘書がいるし、農水省には鹿野さんではなく「影の大臣」と呼ばれる政務三役が他にいますから、農水官僚に友達がいれば、その理由を聞いたらいいと思います。ただ、鹿野農相だったからこそ、JA・JFと民主党政権の距離が縮まり、「3・11」後のスピーディーな対応につながったことは間違いありませんし、おそらく「新進党鹿野派」ということから、鹿野さんという名前が上がっているのでしょうから、私は元新進党の党員としてそのことには感謝します。それと仮に野田首相となると、福田康夫首相の早稲田大学政治経済学部経済学科につづいて、今度は早稲田大学政治経済学部政治学科から初の首相となるので、属人的には、うれしいです。もちろん首相にはなりませんでしたが、政治学科の前身の卒業生である、“孤高のパトリオット”「粛軍演説」の斎藤隆夫先生が憲政史上もっとも偉大な政治家であるとの考えは変わりません。とにもかくにも、「宰相の器」というものをよく考えてください。民主党の議員は与党としては馬鹿すぎます。サラリーマン家庭の田舎者が国会議員になると、ここまで驕り、ここまで先が見通せないものなのか、と慄然としている、というのが私の正直な感想です。民主党から乞食党に改名した方がいいのではないかと感じます。今度失敗したら、ホントウに終わりです。

 閑話休題。

 いずれにしろ、特例公債法案です。それと、ちょっと取材が甘くなってしまっているのですが、自然エネルギーの全量固定価格買い取り法案(177閣51号)は審議入りしていません。

 さあいよいよ、第177通常国会は、正念場を迎えました。


公明党代表「ごくごく短期で、復旧・復興に特化した連立はある」

2011年06月08日 21時15分10秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[写真]公明党代表で参院議員の山口那津男さん

 どういうわけか、記事にはなっていませんが、公明党代表の山口那津男さんが2011年6月7日放送の「BSフジLIVE PRIME NEWS」におよそ出演しおよそ1時間たっぷり出演しました。この中で、「ごくごく短期で、復旧・復興に特化すれば」民主党と連立する考えがあることを示唆しました。

 ちなみに、「示唆」とは、政治記事見出しの定番です。ところが、この「示唆」という言葉を誤解して、政治を論じている方が、掲示板などでよく見受けます。

 「示唆」とは、「それとなく気付かせること。また、暗にそそのかすこと。」(広辞苑)です。

 政治記事の見出しとしては、私の感覚としては強い順に

 「断言」>「明言」>「発言」>「言及」>「示唆」の順になるかなあと思います。要するに党人である以上、党首としても一人で決められることではないので、「示唆」ということになります。

 のっけから、話がそれましたが、山口さんは大要、次のように述べています。

 まず「大連立」について、「政権を持っている民主党がメッセージを発することの意味」が重要だ、としながら大連立になると、官僚の思惑が入りやすくなるのではないか、と指摘します。ただ、山口さんも東大法学部卒業生ですので、「官僚の思惑が入りやすい」というのが、行きすぎた政治主導による民主党政権が迷走している現況では、必ずしも悪い意味ではないのではないか、と私はTVの前で感じました。

 そして、「やむにやまれず出した」菅内閣不信任案の理由は菅内閣が「遅い」「現場を見ない」の2点だとしました。これは公明党という政党のシステム、あるいは立党の精神、DNAからしたら、最も許せないことです。

 そして、民自公の修正協議により、復興基本法が成立しそうだとの見通しを示し、そのときに退陣すべきだとしました。

 ここで、スタジオの早稲田大学政治経済学部教授の河野勝さんが「(不信任案否決で衆議院で)信任された首相が辞めるのは、憲政の常道からしておかしい」「せめて、特例公債法案(平成23年度の赤字国債の発行法案)は通してあげるべきではないか」とツッコミを入れました。

 山口さんは、「参院での問責(決議案カード)を使うまでもなく、民主党の参院側の幹部が『辞める』と言っているので、大勢は決した」として、復興基本法成立(6月17日との観測)で総辞職すべきだ、としました。また、ここで、山口さんが問責決議案に慎重になっているかもしれない、ということも感じ取れました。

 さて、復旧・復興のスピードにこだわる公明党ですが、大連立に関して重ねて問われると、「建設的な与野党協議の場を国会につくるべきだ」というあいまいな発言をします。その上で、今後の政治日程として、すでに自民党・公明党幹事長が合意した復興基本法成立で菅総理が辞任し、民主党が次のリーダーを選ぶ。そして次の枠組みをつくる。で、その日程のためには、まずは菅首相が早く辞めるべきなんだ、という主張をします。

 ここで、河野教授は「ガバメント(政府、government)には(内閣や大統領だけでなく)国会も含まれる。衆院議長・参院議長らが主導して、国会としても復旧・復興の議論の場を積極的につくるべきだったのではないか」と指摘しました。すなわち、与党・民主党だけでなく、野党・公明党も一定の責任を負っている、ということを意味していると思いますが、山口さん、困った表情でした。

 この河野教授の指摘をきっかけに、スタジオは「民公連立」の話題がしやすい雰囲気に。

 山口さんは、公明党としては、(公明党地方議員らの要望を国政府が一元的に受け付ける)復興庁の必要性を説きました。公明党の復興基本法独自案にあった「復興庁」については、民主党の藤村修・衆院復興特別委員会・筆頭理事が真摯に公明党、自民党の声をきいて修正協議していて、基本法に盛り込まれる見通し。そして、復興庁設置法案が、いつかは別にして提出され、来年1月とか、いつかは分かりませんが、内閣府復興庁ができる見通し。復興庁は10年以上の長期的な組織におそらくなるでしょう。

 そして、時限については「ごくごく短期」、テーマについては「復旧・復興に特化」し、テーマからは「子ども手当、TPP、選挙制度はダメだ」として外すように主張しました。

 そして、民主党が「一つの方向性を出せば」、「(民主党の)新代表がつくられれば、2次補正をつくる。どう(公明党が)協力する姿勢をつくりだすかとしました。そして、第3次まで来ている、公明党の復旧・復興ビジョンについて、2次補正予算(案)に「全部丸飲みしてくれとは、言わないですよ。いいところは取り入れてほしい。我々の提言はもう3回目です」としました。

 これについては、6月6日(月)、私が岡田幹事長に質問していますので、引用します。ポイントは赤字で染めてみます(一部ケータイでは赤字が出ませんので、ご容赦ください)。

[民主党の岡田幹事長の定例記者会見(2011年6月6日)の要旨から引用はじめ]
 
【フリーランス・宮崎記者】5月末に公明党から「大震災復旧復興ビジョン」の第3弾が出されている。第2次補正は10兆円から20兆円規模ではないかと言われているので、公明党のこのビジョンを丸のみしても、おそらく予算規模には全く届かないぐらいの細かい要望だと思うが、こういったものにどう対応していくお考えか。

【幹事長】ちょっと具体的にはお答えしにくいのですが、さまざまな必要性というか要望というか、それは被災地にはあります。先週土曜日にも、私は松島の桂島と野々島、あとは仙南地区といいますか、福島との県境の白石市とか角田市などの市長さんや周辺町長さんからお話を聞いてまいりました。
 
(中略)

 今まで各党・政府連絡会議(震災対策合同会議・実務者会合)などをやって、いろいろな議論をしてきましたが、特に自民党公明党の実務者の皆さんは、今までも非常にいい前向きの提言をしていただきましたので、一緒に被災地の要望も聞いて、そして、2次補正に向けての協議を、早い段階からできればいいのではないかと思っております。もちろん相手のある話ですから、これはまだわかりませんが、被災地あるいは被災民の皆さんを第一に考える観点から、そういうことも含めて、これは与党・野党を超えてやっていったらいいのではないかと思っています。

[引用終わり]

 さて、フジテレビの山口さんの番組に戻ります。山口さんは、民主党の次期代表について、「いろいろと野党と話し合える人がいいのではないか」とし、「菅内閣のときのボールを投げて、受け止めた方にやってほしい」と述べました。そして、「民主党の中には決断力のある人がいる」とし、「民主党は若い人たちの力がフラットだ」という表現のしかたで、現在の中堅以上の幹部がチームとして力を出せる体制の構築が望ましいことを示唆しました。山口さんは念押しとして、「小沢一郎さんと鳩山由紀夫さんの『政治とカネ』の問題があれば、(国民は民主党政権を)信頼しないというのが当然のことであり、(小鳩切りを完全にできなかったことが)菅さんのリーダーシップを低下させた」と述べました。クリーンな公明党として脱小鳩を求めました。

 ところで、公明党最大の闘いだった第17回統一地方選が終わり、現在の公明党は2013年7月ごろの衆議院・参議院・都議会のトリプル選挙を想定して、そこに目標を定めているような気配です。やはり選挙疲れをいやしながらも、次の目標に向かって地方議会活動・日常活動をじっくりやりたい、という雰囲気が感じられます。そのためにも、公明党本部職員だけでは対応しきれない部分で、「復興庁」が必要、ということになるのだと考えます。

 この2013年7月(?)のトリプル選挙を念頭に置いていると思われますが、山口さんは最後に、「最高裁が衆院にも参院にも違憲判決を出している」ことを強調して、衆院の1人別枠制度(いちにんべつわくせいど)の撤廃、参院での選挙制度改革など、衆参「両方にふさわしい選挙制度」をつくったうえで、2013年7月のダブル選挙にのぞみたい、という方向性を示して、番組は終わりました。この選挙制度の改革については内閣の枠外で、国会や各党間の協議でやる、ということだと思います。

 ところで、昨日の30年物国債の入札が不調でした。大手生保会社が「政局の見通しがつかない」として買い控えたという情報があります。なんとか、6月22日の会期末までに、お願いですから、特例公債法案(平成23年度の赤字国債発行法案)は、頼むから、成立させてください。うんざりするような大政局になっていますが、道は開けると思います。僕は最近、次の言葉が好きです、勇気がわいてきます。そして次の言葉を確信しています。

 それでも政治は変えられる。


石破茂さんと岡田克也さんはそろそろ仲直りして欲しい 救国のために、期限付きでいいから・・・

2011年06月08日 10時54分32秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 自民党政調会長の石破茂さんが、2011年6月7日、テレビ朝日番組に出演して、「岡田克也民主党幹事長は菅さんと共同責任がある」と述べ、岡田克也さんが次期首相に就くことに否定的な見方を示したーーと時事通信が報じました。

 石破茂さんは1986年の衆参ダブルの第38回総選挙で初当選、そして、冷戦が崩壊した1990年の第39回衆院選で岡田さんが初当選しました。石破さんは二世議員ですから29歳で初当選、岡田さんは非二世議員ですから36歳で初当選なので、年齢は岡田さんの方が上になります。とはいえ、石破さんは田中角栄さんのススメで選挙に出ましたが、「中選挙区内で1派閥1議員」という自民党の習わしから、中曽根・渡辺派「政科研」に所属しました。一方、岡田さんは田中派の流れをくむ最大派閥の泣く子も黙る竹下・金丸派の「経世会」に属しました。

 岡田さんと石破さんは政治改革の必要性で一致し、「政治改革を実現する若手議員の会」(石破茂・渡瀬憲明共同代表)をつくりました。岡田さんはこのころのことを、「燃えていた」、「同志的な結合でひたすら政治改革実現に向けて力を合わせた仲間たちだ」というように、『政権交代ーーこの国をかえる』の38ページに記しています。岡田さんとしては、それに先立つ、仙谷由人さんらとの「CP研(比較政治制度研究会)」の方が思い入れが強いようです。

 1993年1月8日(金)召集の第126通常国会では、政治改革関連3法案をなかなか提出しない宮澤喜一内閣に対して、石破さん、岡田さんらの憤りは最高潮。そして、6月14日に自民党の梶山静六幹事長が「今国会での政治改革関連3法案の提出を断念する」と発表すると、石破さん、岡田さんら20人は勢い余って、渋谷区の宮澤総理・総裁宅に押しかけて直談判するという「宮澤邸夜討ち事件」を引き起こしました。玄関先に出てきた宮澤さんの「おやおや、これはどうしました?」「何ならここでやろうか」というナゾの言葉の後、石破さんが「総裁、政治改革関連法案の件ですが・・・」と話かけると、「遅いけど、君ら上がるかい?」と問うと、一瞬きょとんとした石破さんの後ろにいた岡田さんらが「お願いします!」と行って自宅に上がります(映像資料がなく、記憶なので、少し事実関係が違うかもしれません)。しかしこのときは、車座になって話したものの宮澤総理を説得できず、一夜明けた党の臨時総務会で「法案不提出」を正式決定することになったことを知り、党本部6階で開催を実力封鎖しようと試みます。それが有名な下のシーンです。


[画像]自民党臨時総務会の開催を封鎖しようとする岡田克也さん、岩屋毅さん(岡田の右肩後ろ)ら1回生議員と、封鎖を解こうとする亀井静香総務ら、1993年6月15日、自民党本部6階、岡田かつや後援会報2010年秋特別号「岡田かつや20年の歩み」から(http://www.katsuya.net/2010winter4.PDF

 さて、この写真から1年後。時代が大きく変わり当選3回生の石破さん、2回生の岡田さんは与党・新生党の衆院議員でしたが、あっと言ういう間に、羽田内閣が不信任案を突き付けられ、非自民連立内閣は崖っぷちに追い込まれます。羽田首相が解散しようとしているという情報を聞いた2人は、官邸に乗り込みました。このときのことについて、岡田幹事長は「石破さんは、『若い議員のために、ここは解散すべきでない』という話でした」「私(=岡田さん)は『せっかく小選挙区制度の法律が通った』『相当努力した結果できた小選挙区比例代表並立制を確実なものにするために、解散すべきではない』と申し上げました。ですから、論理は2人全く異なりました」(5月30日の幹事長定例記者会見)として、石破さんとの考え方が“全く”違ったことを強調しました。そして、今度は石破・岡田コンビは1年前とは逆に総理を説得することに成功しました。岡田さんは「羽田先生には申しわけないという気持ちは常に持っておりますし、それがその後、新進党において私が党首選挙で海部さんではなくて羽田さんを応援した。逆に言うと、小沢さんの考え方とそこからずれが出てきた」と語りました。

 ところで、石破さんも昨日のテレビ朝日では、「小沢一郎元代表とだけはやれない」と語ったそうです。石破さんは昨年12月のラジオで小沢一郎氏について、、「あの頃(1993年)は、この人こそ真の改革者だと信じましたよ。我々若い議員は感動しました。あのときは光り輝いていた」として、今の小沢氏は、「トータルに必要なことがなにかといえば、水沢に帰る・・・今は奥州市っていうのかな・・・水沢に帰ることだ」と引退勧告しました。

 このように、小沢一郎氏を切らなければ、日本が前に進まないということでは、石破さんと岡田さんは一致する。

 岡田さんは政権交代の118ページに、「自分の政治生命だけを考えて行動する。言行不一致の議員の姿も目の当たりにした。昨日まで自民党を厳しく批判しながら、突然自民党に戻る政治家もめずらしくなかった」「だれがどういう行動をとったかは忘れまいと思う。こうした、ある意味での極限状態に直面したとき、一人の人間がとる行動は繰り返されるものだ」「一度裏切った者は、二度裏切る」と書いています。

 まあ、僕も岡田さんの言うとおり、「一度裏切った者は、二度裏切る」と思いますが、政治とは「程度問題」というものがあります。小沢一郎さんは「裏切り」のホームラン王、名球会入りです。

 石破元防衛相・農相、岡田元外相が力のある政治家だということは党派を問わず認めるところでしょう。ときは移ろい二大政党を代表する政治家となった2人は逆に討ち入られる立場になりました。でも、かつての「若手議員の会」や「CP研」のメンバーも簗瀬進さんや渡海紀三郎、堀込征雄さん、平田米男さんらは今、国会にいません。渡瀬憲明さん、住博司さんらはなくなりました。あるいは、後藤田正晴先生、伊東正義先生も、政権交代をその目で見ることはありませんでした。

 石破さん、岡田さんが力を合わせれば、日本は前に進めます。仙谷さんも、河村建夫さんも、岩屋毅さんもいます。まだまだ大丈夫です。国難です。救国のために、期限付きでいいですので、石破・岡田コンビの復活を見てみたい気がします。


【大連立の5条件】「選挙までの遠さ」「国難の大きさ」「扇の要となる政党」・・・蒲島郁夫・東大名誉教授

2011年06月07日 21時37分23秒 | その他

[写真]熊本県知事で東大名誉教授の蒲島郁夫さん=熊本県庁「ようこそ知事室」から

 大連立。これ、民主党も自民党も党議決定ができなかったら、その場合は菅直人さん=衆議院で信任、民主党代表の任期は来年9月まで=が首相を続けていいんですよね?まあ、いろいろ考え出すとキリがありません。

 こういうときこそ、統治法の原理原則や、歴史に学ぶことが大事です。

 まさに今日本は、「訓政期」(くんせいき、政治を鍛える時代)にあります。政治家も有権者も。

 そういうなか時機を得て、日本を代表する政治学者で、ご苦労なさった人生経験から尊敬されている蒲島郁夫(かばしま・いくお)さんが、大連立のを成功させる「5つの条件」を示してくれました。蒲島さんは東大教授を辞めて、郷里の熊本県で知事をしています。

 朝日新聞の報道によると、蒲島さんは、「国難と戦争の時に救国大連立が怒る。成功させるのはタイヘン難しい」と述べて、次の5条件を説きました。

 大連立を成功させる5条件(蒲島郁夫さん指摘)
 ・選挙までの遠さ
 ・国難の大きさ
 ・イデオロギーの近さ
 ・扇の要となる政党
 ・リーダーの禁欲、無欲

 だそうです。

 このうち「国難の大きさ」は「十分大きい」ということで、喜んでいいのか悲しんでいいのか、少なくとも私たちが生きる今においては合格。

 「次の国政選挙までの時間的余裕」という意味では、参院の任期が2013年7月、衆院の任期が2013年8月となっています。あるいは2013年7月には東京都議会議員選挙があります。“訓政期”で有権者も鍛えて、衆・参・都議選トリプル選挙ならば、1ヶ月で全部済みます。

 「イデオロギーの近さ」ですが、もはや自由主義VS社会主義の不毛な55年体制ではありません。むしろ(行きすぎた)市場原理主義者と生活者優先の違いという対立点があるかもしれません。

 そして、「扇の要となる政党の存在が必要だ」。民主党と自民党の2党連立はないだろうと、私は思います。

 最後に、「リーダーの禁欲、無欲」ということですが、さて、だれが適任だとみなさんは思われますか?

asahi.com(朝日新聞社):大連立の5条件とは 谷垣氏に政治学者の熊本知事が講義 - 政治

 自民党の谷垣禎一総裁が6日、大連立を成功させる「五つの条件」について、政治学者から転身した蒲島郁夫・熊本県知事から「講義」を受けた。

 両氏は熊本市で開かれた同党県連主催の政治セミナーにそれぞれ登壇。東大名誉教授でもある蒲島知事は「大政党の連立はあまりない。歴史的には国難と戦争の時に救国大連立が起こる。成功させるのは大変難しい」と前置きし、5条件を列挙した。

 最も重要なのは「次の国政選挙までの時間的余裕」で、「1年間の余裕の下、6カ月で仕事を成し遂げることが大事」と強調した。


岡田、石原両幹事長「期間くぎって大連立」衆参ねじれ克服で懸案処理→総選挙二大政党定着へ【追記あり】

2011年06月05日 10時44分51秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 民主党の岡田克也幹事長と自民党の石原伸晃幹事長は2011年6月5日(日)のテレビ番組で、期限付き・テーマ限定の大連立政権をつくり、震災復興や、税と社会保障の一体改革などのめどをつけたうえで、第46回総選挙に臨む考えを打ち出しました。

 午前7時半からのフジテレビ「新報道2001」は岡田さんと石原さんの2人でおよそ1時間対談しました。NHK日曜討論では、午前9時から10時まで、与野党幹事長とともに出演しました。

 岡田さんは菅直人首相の進退について、NHKで、「退陣の時期を明言すれば、レームダックになる」として、出処進退は総理自身が決めることだとしながらも、「総理の判断が民意とかけ離れれば、私が進言する」として、いわゆる“鈴つけ役”を買って出ました。また、当たり前ですが、フジテレビで、菅総理・代表が辞めれば、自分も幹事長を辞めるとしました。

 石原さんはフジテレビで、「衆院選のたびに、自民党が300議席・民主党が100議席、民主党が300議席・自民党が100議席というようにスイングする選挙制度」に懸念をしながらも、今は政権交代ある二大政党制の「過渡期だ」としました。

 岡田さんは、自民党が「バラマキ4k」と批判し、平成23年度の赤字国債発行法案(特例公債法案)の見直しの前提(4月29日の3党合意)としている子ども手当について、公明党が児童手当の対象外の中学生にも月1万円支払うことを認めつつある。自民党が幼年扶養控除の復活をあきらめ(「控除から手当へ」)その分の高所得者への支給額の配慮を認めつつある。として、自公案がまとまりつつあるとの考えを示し、石原さんも同意しました。

 そのうえで、岡田さんはフジテレビで「私は期限付き大連立をして次の総選挙で国民の信を問うのがいいと思う」としました。これに先立ち、石原さんは「岡田さんと話しても、岡田さんとは違うもう一方の原理主義の人たちが邪魔をする。党内をまとめてほしい」として、マニフェスト原理主義を掲げる、小沢グループ・鳩山グループを排した「一本になった民主党と話をしたい」と述べました。この後、岡田さんは、マニフェスト原理主義の排除について、「党首選になると大きなテーマになる」となぞの発言をし、顔を赤らめました。これは、次の代表選が来年9月であることを勘違いしたため、顔を赤らめたものだと思われます。

  岡田・石原対談の後に、単独でフジに出演した前原誠司さんは、「今の打開策は時限的な大連立だ」と岡田さんらと同じ考えを明言。そのうえで、「マニフェストを見直して国民の信を問う」とし、「代表選は衆参がねじれている状態で、(時限連立内閣に参加する各党が納得する)だれが(首相を)やるのかという問題だ」としました。これに関連して、NHK日曜討論の中で、国民新党の下地幹郎幹事長は「民主党の代表は総理大臣を決める選挙だから、そのディベートは政治空白ではない」として、ある程度の時間をとってもいい、との思いやりを示しました。民主党の代表選規約では、任期途中での代表辞任の場合の代表選挙は「40日以内」(第6条の2)となっています。いかにも野党時代の規約で、さすがに40日間もとれないでしょう。昨年5月の総選挙後、英国労働党は下院議員のハーマン女史(もともと副党首=閣外)が党首代理をつとめながら、5ヶ月間かけて、エド・ミリバンド新党首(影の首相)を選びましたが、これは野党転落で時間ができたからです。民主党は与党ですから、なかなか時間がとれませんが、それでもマニフェスト見直しのための議論を経たうえでの、臨時党大会でじっくり時間をかけて建て直した方が、かえって震災復興のスピードが上がることになります。

 ここから先はNHK日曜討論の発言だけです。公明党幹事長の井上義久さんが「不信任案提出は苦渋の選択だった」と反省しました。みんなの党幹事長の江田憲司さんは時期について疑問があり、「提出に加わらなかった」としました。日本共産党書記局長の市田忠義さんは「不信任否決の翌日の参議院予算委はやめる、やめないの話ばかりだった。具体的な政策論争はわが党だけだった」「国会のやるべきことは政治の中味をめぐる論争だ」としました。

 社民党の重野安正幹事長は「再生可能エネルギーの特措法案が重要だ」、たちあがれ日本幹事長の園田博之さんは「マニフェストの優先順位を見直すことが大事だ」としました。岡田幹事長は「マニフェストを前倒しで見直す」として、自民党らに対して「特例公債法案を人質に取る方法だと、どの党が政権をとっても衆参がねじれているので何も決まらない」として、予算の30日ルールのように衆院を優先すべきだとしながら、赤字国債は半分が過去の借金の返済だとして「自民党にも責任を共有して欲しい」としました。

 江田さんは「大連立といっても、閣議は全会一致だから、はんこを押す、押さないという話になる」として慎重な姿勢を示唆しました。下地さんは「大連立ということばが岡田幹事長が言うこと事態考えがたい」として反対を明言。その一方で、市田さんは「国難だから大連立だといういことになると、大政翼賛会的になる」としながら、「期限とテーマを限ってやるのは一つの案だ」と肯定的な発言をしました。この発言を受けて、岡田さんが「今解散しても、民主党も自公もともに過半数を参議院で持っていない」と強調すると、石原さんが「岡田さんの言うように、解散しても参院は変わらない」と同調しましたが、その後、「信頼関係をつくるのが大事だ。(民主党と自民党などが大連立しても)数ヶ月から半年ぐらいして信頼関係ができていれば解散できる」と早期の解散にも言及しました。井上さんは「大連立ではなく、テーマが大事だ。例えば年金財源の安定化だ」などとしました。

 NHK解説委員の島田敏男さんは「ポスト菅は代表経験者から出る可能性がある。岡田さんはどうか」と問うと、「現時点では考えていません」と岡田さんは述べました。島田さんが「北澤俊美・防衛相が党員・サポーターも入れた臨時党大会を提案しているが」と聞くと、岡田さんは「それは気の早い話ですね」とし、「総理が正式に辞任してからの話です」としめくくりました。

 当面は、復興基本法案、特例公債法案、税制改革法案、子ども手当の見なし案、税と社会保障の一体改革の成案、第2次補正予算(案)の編成・審議・成立など重要な政策課題が続くので、これらにメドが立った段階で、民主党と自民党が大連立。それに先立ち、民主党代表選を前倒して、じっくり時間をかけて主流派(反小沢)の統一候補と親小沢系統一候補との対決。ここで、マニフェスト修正と新代表選出、そして小沢切りをし、新首班で、民主党と自民党などが連立。この時点で衆参ねじれは解消されます。ここで、国民新党や公明党、みんなの党が埋没からどう脱するのかの難しい判断を迫られます。そのうえで、ある一定の段階で、第46回衆院選で私たちが政権を選ぶことになります。私としては、政権交代可能な二大政党デモクラシーをすすめたいので、民主党と自民党、どちらが勝ってもかまいません。ただ、「300議席vs100議席」という泰山鳴動・テレビの見過ぎの日本国民から卒業して、しっかりと成熟した有権者が増えることが、日本を前に進めることになると思います。

 岡田さん、石原さん、どちらも世襲議員ではありません。2人とも、イメージのギャップがあるようですが、世議議員ではありません。ちなみに菅さんへの不信任政局で、民主党内で造反しようとした人たちは、ほとんどが世襲議員や二世議員で、非世襲議員による菅民主党への個人的な妬みが大きいように思います。

 大連立で、懸案を処理し、二大政党制の新しい日本へ。1990年初当選の当選7回生コンビが、一気に動き出しました。世の中にはいろいろな人がいます。1億人の有権者全員に分かりやすいタイムスケジュール、工程表をある程度、示してほしいところです。

 【追記あり 2011年6月6日(月)午前11時】

 岡田克也幹事長は、きょう午後7時半からの「NHKクローズアップ現代」でも、語ります。

 ところで、岡田代議士、石原代議士が初当選した、1990年の第39回衆院選の自民党のポスターをご紹介したくなりました。正確には、石原伸晃さんは公認漏れで無所属で出馬し、当選直後に追加公認されています。

 
[画像]第39回衆院選の自民党の政策ポスター(「目で見る議会政治百年史」衆議院・参議院編、大蔵省印刷局発行)

 まるでトレンディドラマのような若い男女が寄り添い、キャッチコピーは、「世界のあこがれ、自由な日本。夢ある明日へ、確かな歩み。自民党」というものです。いかにもバブル期の浮かれた日本社会の気質を感じます。自民党は海部俊樹首相(総裁)と小沢一郎幹事長のコンビで、このポスターでたたかい、275議席をとりました。その前の参院選で宇野内閣を倒した、「おたかさん」土井たか子委員長率いる日本社会党も136議席と健闘しましたが、友好政党の公明党、民社党の議席を食う格好となり、小沢自民党幹事長の逃げ切り勝ちという感じでした。経団連(当時の会長は平岩外四・東京電力会長←社長)への300億円の政治献金請求でも話題になりました。

 それにしても何か勘違いした自民党の1990年ポスター。

そして、これが1985年~1990年~2010年までの国債などの発行残高を示したグラフです。(wikipediaから)

 ↓下のサムネイルをクリックすると大きい画像になります。


[画像]第39回衆院選の各党のポスター()内は選挙での獲得議席、引用元=前掲

 この各党のポスターをみると、「くらし上向き、実感したい。生活先進国をつくる 民社党」がイチバン、今の民主党の政策の主軸になっています。

 
[画像]第39回衆院選の民社党のポスター、引用元=前掲

 また、「福祉と平和の新時代 『生活者の政治』をめざす公明党」というポスターは、公明党(Clean Government Party)が新進党を経て、公明党(New Konmeito)になった今も、変わっていない。ぶれない政党であることを感じさせます。ただし、世代交代が遅れることにもつながっています。一方で、日本共産党が「消費税、米輸入自由化ではぼくらの未来はまもれない」としていて、これは今の小沢グループの主張に近くなっています。これはふしぎな現象です。

 とにもかくにも、1990年初当選の岡田さん、石原さんは、ずっと日本が右肩下がりを続けてきた失われた20年の中、隔靴掻痒としながら、とりあえず小選挙区で7回連続当選してきた2人です。ぜひ、その両方の背中に期待したいと考えています。まずは、民主党と自民党が手を携えて、小沢切りです。【追記おわり】


今後の政治日程(2011年6月5日)を更新しました

2011年06月05日 05時47分11秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行
(有料ブログ)
http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65

 を更新しました。

 内閣不信任決議案否決&菅首相の「一定のメドを得た段階での退陣発言」を踏まえて、6月5日週以降の今後の政治日程を見通してみました。

 とりあえず、きょう日曜日に、岡田幹事長と石原幹事長らが、午前7時半からフジテレビ「新報道2001」、午前9時からNHK「日曜討論」でそれぞれ1時間ずつ出演します。岡田、石原両氏は同期当選組(1990年)で仲が良く、ディベートがうまいあうんの呼吸があります。前回の日曜討論では、岡田さんが「子ども手当見直しで、野党をまとめてください」と言い、石原さんが「なんで野党をまとめなくちゃいけないんですか」と驚く場面がありましたが、その後、民主党、自民党、公明党が子ども・児童手当は公明党案を軸に修正することを念頭に、「3党合意」するということがありました。また、岡田幹事長は月曜日に記者会見をした後、午後7時半からのNHK「クローズアップ現代」にも出演します。岡田さんの政治手法は、週初めに情報を発信して、優位に物事をすすめる手法をとります。ぜひ注目して頂きたいし、内容については、必要ならば当ブログでもご紹介します。

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[訃報]さようなら笹森清さん 思い出す、伊吹労相“選挙干渉”への毅然とした「撃ち方はじめ」の背中

2011年06月04日 22時01分09秒 | その他


[写真]笹森清さん、連合ホームページからトリミングさせて頂きました

 笹森清(ささもり・きよし)さんが、きょう2011年6月4日(土)早朝、亡くなりました。享年70。連合、日本労働組合総連合会の事務局長、会長を務めました。2人しかいない「内閣特別顧問」の1人でした。菅直人さんと笹森清さんは、民主党初代代表と連合事務局長という関係でした。

 心より、ご冥福をお祈りいたします。

 私が思い出すのは、1998年春、日経新聞政治部記者として、労働省記者クラブ・連合を担当していたときのことです。

 第2次民主党結党にあたって、菅直人・初代代表らは、連合が民主党の支援団体になってくれるよう努力します。昨今、連合が民主党を応援するのが当たり前のように思われていますが、結党段階ではそうではありませんでした。新進党を解党された民社協会が、第1次民主党(オリミン)参院議員の元連合副会長の前川忠夫・参院議員に新・民主党の組織委員長になってもらうよう、働きかけるなど必死の工作がありました。

 このとき、鷲尾悦也会長とともに、民主党結党を支えたのが、笹森清事務局長で、菅さんにとっては、その恩義は忘れることができないでしょう。

 もともと、初代会長の山岸章さん(全電通=現在の情報労連)は7党1会派による連立政権、細川護煕内閣の接着剤でした。しかし、自民党や、あるいは連合内の産別からも、「山岸さんは政治道楽が過ぎる」と批判もあり、2代の芦田甚之助会長(ゼンセン同盟)時代には、ナショナルセンターとして、春闘など労働運動の本来の形に戻っていきます。1994年の新進党結党大会では、芦田さんは海外出張中ということで、ビデオメッセージで「新進党がんばってください!」と短いメッセージ。その後、副会長だった笹森さんが来賓あいさつに立ったのですが、これが長広舌で、おそらく20分以上、新進党に注文をつけました。まだ、連合へ馴染みの薄い、自民党出身者や、日本新党初当選組などは面食らったようで、あいさつの後半では、「長いぞ!」「連合も変わってよ!」とヤジが飛びました。

 そして、芦田甚之助会長時代には、メーデーに自民党総裁である橋本龍太郎首相が出席。橋本さんは衆院議員になる前、紡績会社の社員で、ゼンセン同盟の組合員でしたから、「芦田さんは元上司だ」として、「ナショナルセンターと内閣」という構図に連合を引き寄せていきます。橋本行革の原案をつくった行政改革会議の委員にも芦田さんが就任しました。

 そして、民主党ができ、すぐに第18回参院選に突入するタイミングで、伊吹文明労相が露骨に連合に対して「選挙干渉」する、いってみれば、第2回総選挙のときの品川弥次郎・内相による「選挙干渉事件」「品川事件」のようなことが起きました。しかし、連合はそれをはねのけ、民主党は予想外の大勝で、橋本内閣は総辞職しました。

 このときの「伊吹労相選挙干渉事件」騒動を、朝日新聞の1998年4月20日付で、編集委員が分かりやすくまとめ記事にしています。

[朝日新聞記事から引用はじめ]

自民の連合批判 「介入」にき然と対応を 中野隆宣(ミニ時評)
1998.04.20 東京朝刊 4頁 オピニオン (全669字)  
 
 伊吹文明労相は先に連合の鷲尾悦也会長を招き、政府と連合との「政労会見」の窓口を労働省に一本化することを伝えた。あわせて、自民党内の声だと断りながらも、「連合は政治活動に偏りすぎている。特定政党の支持を決めるのは、労働組合としていかがなものか」と述べたという。

 
参院選挙をひかえ、自民党内には新「民主党」に肩入れする連合への批判が高まっている。先月末には、党として「連合との政策協議を打ち切る。連合が健全な労働運動に徹するよう要望する」と口頭で伝えた。労相発言も、その延長線上にある。

 労組の特定政党支持は、議論が分かれる古くて新しい問題だ。しかし、労組の中央団体(ナショナルセンター)の政治活動に対し、政権政党が介入まがいの言動を公式に示したのは、戦後の労働運動史をひもといても前例がないのではあるまいか。

 「健全」な労働運動を、自民党が「判定」する筋合いではなかろう。また、党内の声を伝えるという形をとったにしても、政府の立場にある労相が口にするのは、いかがなものか。

 だが、異例の事態にしては、連合の姿勢はなぜか歯切れが悪い。自民党のけん制に「いわれなき組織介入だ」(鷲尾会長)と反発しながらも、「まともに反応するのは大人げない」とする慎重論が、幹部たちの大勢だそうだ。

 「組合幹部のための春闘はもう終わりにして、労働者のためになる春闘をやってほしい」といった伊吹労相の発言にも、真意をただした上で対応を検討するという。

 物分かりがいいのも結構だが、組織や運動の基本にかかわる問題で、き然とした対応を欠くと、今後に禍根と汚点を残しかねない。(編集委員)

[引用おわり]

 「政労会見」は、長年、内閣では、内閣官房長官が対応していました、連合発足に伴い、ナショナルセンターの1本化により、自民党政権ながら、連合会長と内閣総理大臣が同じテーブルにつく格好になりました。1998年4月13日の「政労会見」は、わずか20分間。鷲尾会長が要望書を橋本首相に渡そうとすると、手が届かず、お互いが苦笑するハプニングもありました。伊吹労相は、政労会見を労相にして、連合会長と首相の会談はしない、とけん制したのです。

 これに猛然と抗議し、動き出したのが、笹森事務局長。伊吹労相があたかも笹森事務局長に追いかけられ、逃げ回る格好となり、私も日経新聞社のハイヤーの運転手さんにお願いしてカーチェイスに近い取材もしました。その結果、労働省に乗り込んだ笹森さんが、女性初の事務次官だった、松原亘子(まつばら・のぶこ)さん通称「タン子」さんから一定の謝罪と妥協策を引き出しました。この後、笹森さんが先導して、松原事務次官とともに、労働省クラブの記者会見室に入ってきて、「このように連合の事務局長と労働事務次官が2人で記者会見するのは異例ですが」と切り出して、話し合いの内容を説明。記者からの「これからも話し合いは続くのか」との質問に対して、笹森事務局長は「連合としては一定の成果を得られたので、これをもって、撃ち方止めとしたい」と発表しました。

 ちなみに、このとき、私は平和な時代に育ったためか、「うちかたやめ」という言葉を知らず、メモがとれずに苦労したことを思い出します。多少強引なように見えても、労相を追いかけ、労働省に乗り込み、事務次官と記者会見し、そして、ある程度のところで、調和する。そういう、「撃ち方」を笹森さんは、春闘などの労働運動で身につけていたのでしょう。

 その後も政労会見は続きましたが、政権交代というか、民主党政権になって、「政労会見」は、「政府・連合トップ会談」というような呼び名に変わっているようです。

 民主党議員に再確認して欲しいのは、①連合が民主党を応援するのは当たり前のことではない、②連合は民主党が野党になっても、ナショナルセンターとして政府に直接政策要望することができるーーという2点です。

 さて、1994年12月10日の新進党結党大会の笹森副会長の長広舌は何だったのかな、とこちらも記事を調べました。

 そうすると、このとき、執行部あいさつで、海部俊樹初代党首をさしおいて、幹事長の小沢一郎さんが冒頭あいさつに立ち、「「私はいま、あらしの海に乗り出す咸臨丸のかじをとったジョン万次郎の心境であります」「私自身、みなさまの期待にこたえられるかどうか心配ですが、党首のご指導の下、党の融和と団結に尽くす決意です」と述べました。

 これに対し、来賓の笹森連合副会長は「「国の命運を(新進党に)預けていいのか、と一抹の不安を(連合としては)禁じ得ない。数合わせやパワーゲームばかりが目立つようでは困る」と釘をさしたようです。朝日新聞の記事を参考にしました。もっといろいろ話していましたが、新進党は1997年12月に解党しましたので、「新進党ホームページ」は現存しませんから、よく分かりませんが、こういったことを述べたようです。

 結党大会後の記者会見では、この笹森さんの発言について、小沢幹事長に質問。小沢氏は「自社さきがけ政権こそ数合わせだ」と気色ばんだ、と朝日新聞は伝えています。まあ、小沢氏のそのたびごとの発言は、実は、その通りで、筋が通っていて、納得するものです。しかし、ここ20年前後の彼の言行はまったく一貫性にとぼしく、100年先を見てこの国を良くしようとしている人間たちにとっては、まさに小沢一郎は害悪でしかありません。

 組合員に期日前投票に必ず行かせ、投票済み証に投票先を書かせ、職場に張り出せ!という笹森さんの「撃ち方」には、賛否があるでしょう。しかし、労働省で垣間見た笹森さんの「撃ち方」は、おとなしくしていることが組織や仲間を守ることではないということです。自分の信念は貫き通さないといけません。私は笹森さんと膝を交えてお話しする機会はありませんでしたが、私は笹森さんが好きだし、その背中を少し、参考にしているところがあります。

 新進党結党大会での長広舌について、きょう調べてみて、笹森さんは人を、組織を見る目があるなと思いました。そして、事務局長昇格後の自分の信念を実現させるための食らいつき方。そういった「撃ち方」は、菅さん、岡田さん、枝野さん、仙谷さん、安住さん、玄葉さん、野田さんら、「非2世」の菅・岡田民主党にバトンを引き継ぎました。

  「憎まれっ子世に憚る」と言うのですから、もっと長生きしていただきたかった。せめて来年8月1日の友愛会創設100周年を目で見たかったかもしれませんが、出身の電力総連・東電労組へのストレスも多少は感じておられたかもしれません。

 きょうをもって、笹森清さん、「撃ち方止め」となりました。
 
連合|連合元会長・笹森清さんのご逝去にあたって(連合ニュース)

連合元会長・笹森清さんのご逝去にあたって
日本労働組合総連合会
会長   古賀 伸明

 本日早朝、連合元会長の笹森清さんが都内の病院でご逝去されました(享年、70歳)。慎んでご冥福をお祈りいたします。
 笹森さんは1997年10月から連合事務局長を4年、引き続いて2001年10月から連合会長を4年務められました。当時はグローバル化や市場万能主義、格差拡大など、社会経済環境が劇的に変化しており、そうした変化に労働組合としてしっかりと対応すべく果敢にチャレンジされました。
 2001年10月には「21世紀連合ビジョン」を発表、連合の目指すべき社会像「労働を中心とする福祉型社会」を提起し、また2003年9月には外部有識者からなる「連合評価委員会」からの報告を受け止め、連合運動の活性化を進めました。加えて、47地方連合会および全ての連合構成組織との直接対話を実施するなど、連合運動の強化・発展に多大なる貢献をされました。
 連合は昨年12月、今後目指すべき社会像として「働くことを軸とする安心社会」を策定しました。これは笹森さんのめざした「労働を中心とする福祉型社会」を今日的に再定義したものであり、その先見性に敬意を表します。その精神は現在の連合運動に脈々と受け継がれています。
 笹森さんのご冥福を改めてお祈りするとともに、その志を継いで、今後もわたしたちは連合運動の発展に邁進いたします。どうぞ安らかにお眠りください。

合 掌

asahi.com(朝日新聞社):元連合会長・笹森清さん死去 70歳 菅内閣の特別顧問 - おくやみ・訃報

 元連合会長で、菅内閣の特別顧問も務める笹森清(ささもり・きよし)さんが4日早朝、肺炎で死去した。70歳だった。連合幹部が明らかにした。菅直人首相の助言役でもあり、震災後も、たびたび意見を交わした。都内の病院に入院して闘病生活を送っていた。

 埼玉県立川越高卒。1960年に東京電力に入り、91年に東電労組委員長、93年に上部組織の電力総連会長に就いた。97年に連合事務局長となり、2001年から05年まで会長。会長時代には、野党だった民主党を支援する立場を引き継ぐ一方で、小泉純一郎首相(当時)をはじめとする自公政権や財界とも積極的に対話する路線を敷いた。

 会長退任後も、労働者福祉中央協議会会長などを務めていた。昨年10月には菅政権の内閣特別顧問に就任し、雇用や社会保障について首相の助言役となった。小沢一郎・民主党元代表や鳩山由紀夫前首相ら政界での人脈も幅広く、首相の指南役的な存在だった。今年4月には首相特使として訪中もした。


衆・財金委筆頭理事の後藤田正純さんも正念場 平成23年度赤字国債発行法成立で信頼回復を

2011年06月03日 20時54分10秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

【追記 2011年6月4日(土)午前8時半】

 一部報道によると、後藤田正純さんが衆院・財務金融委員会筆頭理事を辞任、と伝わっています。現在、衆議院のホームページでは後藤田さんは委員からも名前が消えています。しかし、それは責任をとることではありません。後藤田さんにとって責任とは、経緯を知る財金委筆頭理事に復帰して、平成23年度の赤字国債発行法案と国税改正法案の2本を衆院を通し、参院に送ることです。【追記おわり】

 衆・財務金融委員会の野党側筆頭理事で、影の財務副大臣の自民党の後藤田正純さんのスキャンダルが、講談社の写真週刊誌「FRIDAY」の6月17日号(390円=特別価格、税込み)のトップを飾りました。後藤田さんには奥さんとお子さんがいるということですが、女性の腰に手を回して、接吻したり、その女性がなぜか、朝、赤坂議員宿舎から出てくるという写真が載っています。

 この国会は、その議員の「性根(しょうね)」が出る「正念場国会」であり、とくに会期中の3月11日以降の震災・原子力災害発生後は、「こういうときにこそ人は見られている」と繰り返しこのブログに書いてきました。

 彼はここまで、当初予算関連法案である、今国会の閣法第1号議案である「平成23年度の赤字国債発行法案(特例公債法案)」を6月にいたるまで、衆院すら通っていない、与野党問わない国会の怠慢の“戦犯”です。政治家というのは、その背中を多くの人が見ています。政治家は道が狭くても、前に進まなければいけませんが、つまずいたときには、背中を見ていた人がそっと本人に寄り添って励ましてくれるものです。既得権益に大胆に切り込む政治家の背中を見ていて、既得権益者たちの妨害でつまづいたときは、後ろから追いついてそっと肩を叩く。そして、また立ち上がり、前に歩き出す。それが政治家と支持者というものです。

 しかし、後藤田さんは、当初予算の4割の財源を手当てする法案を、党利党略で止めていました。国民と全府省と、交付自治体、そしてなにより財務省を敵に回した歩みでした。その背中を見て、つまずいた彼に、後ろから駆け寄って、その肩を叩いてくれる人はいないでしょう。ですから、後藤田さんがこのようなスキャンダルに見舞われたという件、もちろん奥様やお子様、奥様のファンの方々、その他関係者にお気の毒ではありますが、後藤田正純さんにとっては、身から出た錆であり、彼の「性根」がもたらした災いであり、まったく同情の余地はありません。

 実は、平成23年度赤字国債発行法案のメドが立たないため、財務省は当初予算の歳出の執行を5%抑えています。すでに成立し、1次補正までされた平成23年度総予算の歳出項目。これは、「2012年3月31日までその金額まで予算を使っていいよ~」という金額です。4月はいくら、5月はいくらという予算ではありませんし、四半期決算も中間決算もありません。あくまでも、来年3月31日までに執行していいという「権限」を各府省に与えている。それが予算の歳出です。

 その歳出の前提となる歳入の4割がいまだに手当てできない現状を招いた後藤田筆頭理事の党利党略にもとづく引き延ばし工作は、国民のクビを真綿でしめる行為にほかなりません。「震災の復旧・復興のスピードが遅い」と自民党は「スピード」をやたら指摘しますが、この「5%の執行抑止」も被災地のみならず、すべての国民に影響を与えています。さように、財政・マネーというのは、こわいものです。

 当初予算関連法案は3月1日までに衆院で可決し、参院に送られるのが常です。平成23年度の赤字国債発行法案は、2月23日(水)の衆財金で、財務大臣の野田佳彦さんから提案理由説明があり、審議入りしました。これだけでも、かなり窮屈でしたが、質疑は3月にずれ込みました。

 すでに当初予算の衆院通過で、参・予算委員会がスタートしていました。ですから、野田財務大臣は、午前9時~正午過ぎ、午後1時~午後5時過ぎまで、参議院に拘束されます。そこで、衆財金の古本伸一郎・与党側筆頭理事らが、野田さんの体も丈夫なことから、午前8時~午前9時、正午過ぎ~午後1時、午後5時~午後11時まで、「朝なべ、昼なべ、夕なべ、夜なべで審議をやろう」と呼びかけました。

 これに対して、後藤田さんは、3月8日(火)に渋々認め、自ら質疑のトップバッターに立ち、次のように述べました。「国対、与党のいろいろな失言なり、運営上の問題で、当委員会がおくれおくれしてきました」「この委員会は古い伝統の中で、原則があって、定例日以外はしない、また夜なべもしない、大臣出席、そういうことで今までやってきたわけでございますが、きょうこうして、夕なべといいますか、五時十分から七時十分まで。当初、与党の方からは朝の数十分、昼の数十分ということでありましたが、各委員にもおわかりいただきたいのは、我々はしっかりとしたまとまった時間で充実審議をしたいということで、では我々も、六時ではなくて七時まで、これから場合によっては八時、九時もあってもよかろうと私は個人的には思っておりますが、そういうことで皆様方にまず御理解をいただきたいと思います」と述べて、発言しました。

 ちなみに、3月8日時点で、後藤田さんは7時までの夕なべ審議だけではなく、午後9時前の夜なべ審議をしてもいい、と口先だけでは述べていますが、夜なべ審議は開かれていません。後藤田さんはどこか別の場所で夜なべをしていたのでしょうか。

 3月11日に大震災が起きました。そして、この法案の中にあった「税外収入2・5兆円の一般会計(基礎年金の財源)への繰り入れ」は、きゅうきょ、第1次補正予算で、復旧予算に振り向けることになりました。このため、現在、内閣は国会に法案の修正要求をして、それが認められた段階です。民主党、自民党、公明党の政調会長の3党合意(4月29日)に基づく、「バラマキ4Kの見直し」が済めば、この法案は短い文章ですので、すぐに閣議で修正決定し、国会に出すことができると考えます。

 後藤田さんの正念場。彼の政治家を続けたいのなら、やるべきことは、修正法案が国会に出たら、速やかに審議をして、採決することです。なお、昨年の通常国会で自民党は「平成22年度の赤字国債発行法」に賛成しました。

 正念場だ、こういうときにこそ人は見られているゾーーということで、慎重になっている国会議員もいるでしょうが、これは慎重になってもしょうがありません。今からどうなることではありません。ずっと前からあなたの背中を見てきた人がいるのですから、性根がバレルのは、運命であり、必然です。ターニング・ポイント(歴史的転換点)にあるきょう、その変化の荒波で、性根がバレル時期が前倒しになるだけのこと。それが第177正念場国会です。

 支持政党を問わず全国民、全府省、そして財務省の首を真綿でしめた政治家が、かような事態にいたったのは、必然です。

 なお、マスコミ用語で言うところの、「財務省が“刺した”」ということは、五分五分というところでしょう。後藤田さんは、「地震でずっと自粛、自粛でしたんでね。もうそろそろいいだろう、ということで飲みに行ったらこんなことに・・・」とフライデー記者に語っています。六本木のバーは、学生時代から通っていた店だったそうです。ちなみに、一部の民主党議員は、六本木のことを、「ギロッポン」と呼んでおり、「鼠先輩かよ!」と突っ込みたくなります。この辺の自民党と民主党の「六本木」の違いというのも、不信任案をめぐる情報戦での自民党の勘違いにつながっていると思いますが、金曜日の夜ですし、不信任政局の話はもう打ち止めにしましょう。無益です。

 それにしても、このニュース、googleでみると、香港でも韓国でも記事になっています。水野真紀さんってすごいんですね。

[衆議院会議録から抜粋引用はじめ]

第177回通常国会

衆・財務金融委員会

第6号 平成23年3月8日(火曜日)

    午後五時十分開議

○石田委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、平成二十三年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案及び所得税法等の一部を改正する法律案の両案を議題といたします。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。後藤田正純君。

○後藤田委員 どうもありがとうございます。

 まず冒頭に、この委員会は、理事会協議の中で、また古い伝統の中で、原則があって、定例日以外はしない、また夜なべもしない、大臣出席、そういうことで今までやってきたわけでございますが、きょうこうして、夕なべといいますか、五時十分から七時十分まで。

 当初、与党の方からは朝の数十分、昼の数十分ということでありましたが、各委員にもおわかりいただきたいのは、我々はしっかりとしたまとまった時間で充実審議をしたいということで、では我々も、六時ではなくて七時まで、これから場合によっては八時、九時もあってもよかろうと私は個人的には思っておりますが、そういうことで皆様方にまず御理解をいただきたいと思います。

 今、先般も外務大臣がおやめになられた。いよいよ政権もレームダック状態になっている中、当委員会でも多くの法案を抱えております。また、国対、与党のいろいろな失言なり、運営上の問題で、当委員会がおくれおくれしてきました。

(中略)

○野田国務大臣 後藤田議員にお答えしたいと思います。

 私ども政府としては、あくまで九十二兆四千百十六億円の予算と、それを裏づける関連法案、この関連法案が年度内に成立しませんと、予算執行でさまざまな支障が出ます。これは間違いないと思いますので、これを一体として年度内に成立をするべく、その都度、委員会の御審議をいただくたびに懇切丁寧に御説明をさせていただき、御賛同いただくように全力を尽くしていきたいというふうに思います。

(中略)

○後藤田委員 世論調査を見ると、解散を早めるべきだというのがもう六割を超えて、今度は大連立をやれというのがまた六割ぐらいになっていて、そしてばらまきはもうやめろというふうになっています。

 変な話、六月に税制抜本改革をやるとき、大連立をやったっていいと思いますよ。そして消費税を上げて、そして解散する、そういうことも、国家を考えれば、一つの方法としてあると思いますが、そのことについてはまたこの委員会で問うていきたいと思います。

 きょうはありがとうございました。

[抜粋引用おわり]


不信任案大差で否決→菅直人内閣信任、とはいえ、菅さん、岡田さんは大いに反省すべきだ!

2011年06月03日 05時54分10秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

【2011年6月2日(木) 衆・本会議】

 本来は、国務大臣の報告「菅首相のサミット報告」とそれに対する各党代表質問が、1日の参議院に続き、議題となるはずでした。しかし、1日夜に自民党、公明党、たちあがれ日本が提出した菅内閣不信任案が緊急上程されました。

 投票総数445人、白票(賛成)152人、青票(反対)293人の大差で否決しました。これにより、菅内閣は第177通常国会において、信任されました。各法案審議はスピードアップすると思われます。

 これは、菅内閣というよりも、民主党内閣への信任ですから、民主党議員が賛成するというのは、憲政の常道からしてあり得ないのですが、やはり「政策好きだけど、統治法知らず」という民主党議員の特性もあり、一時は可決される可能性も出ていました。多少、マスコミがあおっていた面もあります。が、かなり危険水域までいったことは事実で、岡田克也幹事長、安住淳・国対委員長、藤村修・幹事長代理、三日月大造さんら国対副委員長の必死の引き締めで、大差で否決することができました。しかし、民主党代議士会で、菅首相が「一定のめどが着いた段階で」の辞任を示唆することになり、大差で否決したのもものの、「問題を先送りしただけ」という気もします。変化の激しいときには、こういうことがあります。羽田孜首相が退陣記者会見で「政局はもう終わりにしよう」と言ったことが、今でもこだまのように響きます。しかし、それは残念ながら間違いです。一度与党になったら、そこから、引きずり降ろされないよう、石にかじりついても努力しなければなりません。野党や小沢グループが政局をしかけてくる限りは、必ずそれを粉砕しなければならず、今回の岡田執行部の巻き返しは遅かったです。岡田克也幹事長は2日夜の記者会見で「執行部としても反省すべきは反省する」として、「幹事長として(就任後は)小沢問題(1月強制起訴)にかなりのエネルギーを費やさざるを得なかった。そして、大震災(3・11)後は、震災対応で、統一地方選(4月)の応援にも行けなかった」と反省しました。「若い議員が多いので、残り衆議院の任期が2年以上あるなかで、選挙の指導などコミュニケーションを密にしていきたい」と反省しきりでした。

 さて、内閣不信任案の審議です。趣旨弁明は自民党副総裁の大島理森さんでしたが、のっけから「民主党代議士会では~」と、その1時間ほど前の他党の内輪の会議の内容の引用から始まり、驚きました。この後の、石原幹事長の賛成討論でも「民主党代議士会では~」となりました。ここに自民党が負けた理由が分かりました。情報戦の時代になり、小沢グループ特有の「100人集めた」という質の低い情報に惑わされたのではないでしょうか。小沢グループは誰にでも声をかけます。そのため、執行部としては国対の班なども活用して、その会合の出席者から聞き取れば、その100人がどういう100人か分かります。いわば質の高い情報です。今回は後手後手だったとは言え、ケータイ電話・インターネットの時代でめまぐるしいリアルタイムの情報戦で自民党は負けたのです。派閥のボスが夜中に話したことが、そのまま翌日の国会のシナリオになっていた時代とは違います。そのころは内閣不信任案に与党議員が同調することはありませんでした。唯一の例外は、1993年の第126通常国会で、会期中の3月に最大のボス、金丸信・経世会会長が逮捕され不在になり、その3ヶ月後に、宮澤内閣不信任案が可決されました。そして、自民党幹事長代理の野中広務さんらがケータイ電話を持つようになると、リアルタイムで政治が変化するようになり、2001年の加藤の乱は、ケータイを駆使した野中幹事長、古賀誠総務会長ら執行部が宏池会を切り崩し、論功行賞で、古賀誠さんが総務会長から幹事長に昇格しました。古賀さんは宏池会会長の座も手に入れます。そして、小選挙区の時代になりましたから、総理の解散権はますます巨大な権力となっています。小沢グループは2度とこのような政局をもてあそんではいけないと思います。

 なお、野党が出した不信任決議案に賛成するという「国民への裏切り」をした松木謙公、横粂勝仁の2名を民主党常任幹事会は除籍しました。当然の処分です。2名の小選挙区は、自民党が強い(松木氏の対抗馬は自民党の武部勤さん、横粂氏の対抗馬は自民党の小泉進次郎さん)ので、刺客を立てるにしても、なるべく市議会議長経験者のように、実績がある人がいいと考えますが、内閣信任により、当面、解散はない見通しとなりました。また、小沢一郎氏については、穏便な対応をすることになりました。本来は除籍が当然ですが、新進党を解党した狂犬を野に放つのは危険です。公明党さんにすり寄るかもしれません。小沢氏は党員資格停止のまま、新進党解党を反省すべきです。また、ご家族の介護にも、もっと親身になられたらいかがでしょうか。

 衆・本会議では、山井和則さんの演説が胸を打ちました。ずっと厚生労働分野のこと、「命」のことばかりやってきて、厚労政務官を経て、畑違いの議員運営委員会理事として全委員会に目を通している山井さん。これは、営業部のトップセールスマンが会社全体のことを知るために社長室に移動したようなもので、49歳・当選4回生の山井さんが首相候補の養成コースに入ったことを意味します。

 その山井さんが、「被災地のホームヘルパーさん」の話、まさに命を守る命の話で震災対応に触れました。そして、野党にも頭を下げ、与党にも頭を下げ、「国会の存在意義が疑われる」とお願いしました。この演説の時点では大勢が決していたとは、山井さんの真摯な振る舞いは印象に残りました。菅さんや岡田さんには、こういう態度で示す面が欠けていました。この厳しい局面で、一定のめどが立つまで長期戦になるでしょう。菅さん、枝野さん、岡田さんら民主党7首脳らの覚悟が問われる「信任」となった2011年6月2日でした。

 なお、国会不信が高まったことから、参院での菅大臣問責決議案は、提出されない可能性が出てきました。マスコミのスポットライトを浴びることができなかった、民主党参院議員が不満を募らせているのではないかと懸念しています。余震、放射能ストレスは国会議員も同様のようです。ナントカ早く落ち着きたいものです。

 菅さんは2日夜の記者会見で「国会はいったい何をやっているんだ、と思った方も多いでしょう。とはいえ、私自身の至らない面も原因だった」と真摯に反省しました。一方、鳩山由紀夫氏は「岡田幹事長は嘘を付いている」と発言しました。これについて、岡田さんは日本テレビニュースで村尾信尚さんに対して「私は親から『絶対に嘘をつくな』と言われて嘘をつけない性格だ。政治家としては損をしている」と述べました。そこから勘案すると、「谷垣・小沢・鳩山」の「息をするように嘘をつく」ことを教えられた政治が家業の二世政治家による嫉妬・ねたみにもとづく政局に対して、「菅・岡田・枝野・仙谷」ら非二世政治家が勝ったといえるでしょう。日本が前に進みました!


まさに正念場・・・究極の事業仕分け 内閣不信任案きょう採決

2011年06月02日 09時50分14秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[写真]左上から時計回りに、鳩山由紀夫、小沢一郎、鳩山一郎、広川弘禅。鳩山一郎、広川の写真はwikipediaから。

 まさに正念場です。

 当ブログでは国会傍聴ブログであり、政権交代ブログであって、まあ、どちらがメーンかは鶏が先か、卵が先かということになります。

 このブログでは、国会の各会期について、例えば「第169通常会(2008年1月~)ガソリン国会」は、会期中はカテゴリーは「第169通常国会(2008年1月~)」とだけ、書いていて、閉会後に、「ガソリン国会」というように愛称を付けています。ちなみにgooブログのカテゴリーはシステム上、30までなので、このブログを続けていて容量がいっぱいになるのではないかとイチバン心配なのは、このカテゴリー欄であります。ぜひgooを運営するNTTレゾナント社はカテゴリー数の増加のシステム改良も手がけて欲しいと思います。

 今回は召集の時点から「第177通常国会(2011年1月~正念場)」と名付けています。

 広辞苑によると、正念場とは「歌舞伎・浄瑠璃で主人公がその役の性根を発揮させる最も重要な場面」などとあります。そこで歌舞伎辞典(平凡社)もみてみると、性根(しょうね)とは、「歌舞伎や人形浄瑠璃において、役作りの根本となる人物の本心、心情のこと」とあります。世阿弥が「心をつなぐ性根」、「意中の性根」という使い方で、演じる役者の心底に働く心遣い、内心を言っていたようです。つまり役より前に演じる人間の内心をいったということです。その後、近世中期からは、劇中のその役の心をさす言葉に転じました。

 ちなみに、昨日小沢グループの3副大臣、2政務官が辞表を提出しました。このうち内閣府副大臣は宮城県庁内の政府現地対策本部の本部長、他の政務官は、環境省が橋本行革で主管している「がれき処理」について、被災地に何度も脚を運んでいました。もう1人も国交副大臣です。まさに、彼らの「性根」でしょう。

 自民党と公明党は、2011年6月1日(月)、午後3時からの党首討論(QT)で、菅直人首相に「お辞めになったらどうですか」などと激しく退陣を迫りました。その後、自公党首会談、野党党首会談を経て、自民党、公明党、たちあがれ日本の3党共同提出で、内閣不信任決議案を横路孝弘・衆議院議長に提出しました。先例により、不信任案が出ると、衆参すべての議事がとまります。午後1時からの衆院本会議で、まずこの議案が議題となります。ここで趣旨弁明に続く討論で、民主党を代表して反対討論に立つ、山井和則さんはぜひ「マニフェスト、とくにバラマキ4Kを見直します」と演説してほしい。不信任案否決(内閣信任)後の、公明党との子ども・児童手当の協議や、4月29日の3党合意に基づく協議がスムーズに進むので、そうしてほしいと思います。

 民主党執行部は昨夜時点で、「造反者は50人」と票読みしており、決議案は否決される見通し。造反者のうち少なくとも賛成者は「除籍」するよう、常任幹事会・倫理委員会に発議するプロセスに入ります。これにより、「民主党分裂」は確実となってしまいました。とはいえ、第45回衆院選での民主党の単独312議席(追加公認を含む)は勝ちすぎでした。小沢グループ・鳩山グループが造反してくれれば、除籍できます。事業仕分けのチャンスです。民主党の議席数を絶対安定多数の269議席、あるいは衆参ねじれを考えれば、241議席でもいいのです。ということは、今の305人から、60人いなくなった方が、党内の政策決定のプロセスも見えやすくなります。あるいは、まかり間違って、不信任が可決されれば、解散しますから、私たちが自民党さんも含めて、再仕分けすることになります。また、東北に被災地があることから、早ければ月内にも投票日が来る、スリムでコンパクトな選挙になります。とはいえ、当選者の人数は変わらないのですから、英国のようなお金が最小限ですむ選挙スタイルの好機となります。

 仮に可決されたら、憲法69条では「10日間以内」となっていますが、過去の4回の不信任可決と同時にきょう中に解散すべきだと考えます。統一地方選で苦杯をなめた人で、まだ政治をやりたい心技体に自信がある人は、履歴書を県連の頭越しに党本部の石井一選対委員長に送れば、刺客候補として、党本部直営選挙で、衆議院議員になるチャンスです。

 で、過去4回のうち、2回目の第4次吉田内閣バカヤロウ解散に似ているんですよね。このときは、戦前、文相として戦争美化をすすめたカドで公職追放となった鳩山一郎さんが、自由党代表の座を吉田茂さんに預けました。永田町の密室では、公職追放解除後に鳩山さんに代表を返し、鳩山内閣となる予定でした。鳩山の政界復帰後も吉田内閣は続きます。これは、日本の独立(サンフランシスコ講和会議)という大仕事のさいちゅうだったからです。しかし、独立後のクリスマスに、吉田が内閣改造に踏み切ったことから、永田町の論理で鳩山に首相を禅譲することがないことが分かり、自由党鳩山派が逆上。もともと、鳩山一郎は、鳩山和夫・衆議院議長からの二世議員ですから、母親の名前も分からない「みなしご書生」の吉田を低く見るところがあったようです。そして、東北出身で、世田谷区(旧東京3区)から衆議院議員になっていて、風貌や性格から「たぬき」と呼ばれた広川弘禅。彼は、吉田首相を変えるためにGHQの手を借りて山崎猛首相擁立の党内クーデターの主犯格でしたが、党内情勢を見て、吉田首相続投に寝返り、吉田内閣で農相、行政管理庁長官を務めました。

 そして、鳩山は私怨にもとづき、吉田を降ろすために、内閣不信任案に造反(鳩山本人は欠席)しました。これに先立ち、「議員吉田茂君を懲罰委員会に付するの議案」が、鳩山派と広川派の欠席により、ハプニング的に可決されてしまいました。これがバカヤロウ解散の由来です。これは第177通常国会の「問責が先か、不信任が先か」の議論に似ています。この辺は「小説吉田学校」を見てみてください。

 さて、きょう2011年6月2日は、政権交代の夏の「無血の平成維新」であった鳩山由紀夫首相が内閣総辞職を発表してからちょうど1年となります。今度は鳩山内閣ではなく、民主党の正念場であり、日本の正念場です。

 非世襲政治家(吉田首相、菅首相)への私怨で内閣不信任に走る二世政治家、鳩山一郎と鳩山由紀夫。
 東北出身で世田谷区住まいで「1度裏切る人間は2度裏切る」、広川弘禅と小沢一郎。

 これも彼らの「性根」でしょう。それと小沢一郎氏と鳩山由紀夫氏は高校(都立小石川高校)の同窓生で、お友達です。

 民主党は社会の公器だり、国民の公器です。小鳩を追い出すよい好機となりました。ただし「党分裂」は党分裂です。こういうときは毅然とした対応が、菅直人・岡田克也執行部に求められますが、大丈夫でしょう。前々から言っているように、菅と岡田をなめない方がいい。

 ちなみに、バカヤロウ解散は「3月14日」でした。日本国憲法で3月に解散されたのはこの1度切りです。これは勘の良い方は当然気付くでしょう。参議院で予算が審議中でした。昭和28年度当初予算は、1月29日に政府が提出し、3月1日に衆・予算委員会で可決、3月2日の本会議で可決し、参院に送られましたが、審議未了で廃案になっています。総選挙で、広川公禅を落選に追い込み、政権を維持した第5次吉田内閣は、6月13日に、再度、当初予算を提出し、7月17日に衆院で修正議決、7月31日に参議院で可決・成立しました。4月・5月は暫定予算を参院の緊急集会で議決(後に衆院が同意)、6月・7月も暫定予算で対応しました。(参考、「衆議院先例集平成15年版」)

 この「3月14日」。鳩山グループ幹部(三木武吉ら)は、「吉田は解散できない。なぜなら独立したとは、この予算には米軍の経費負担がある。これを必ずやれとアメリカは吉田に圧力をかけている」と言いふらしました。まあ、もっともな話だと思いますが、結果として、吉田は解散し、7月31日まで遅れながらも予算を通しました。菅総理も仮に不信任案が可決したら、即日解散すべきです。

 ところで、広川農相は、バカヤロウ解散の裏切りの後、総選挙に刺客候補(安井大吉)を立てられ落選。その後、故郷の福島に国替えし、1度だけ当選したようですが、日の目を見ず。その後、また東京3区に国替えし、落選しました。1度裏切る人間は2度裏切る。ちなみに、吉田茂の娘でファーストレディーだった麻生和子さんは、吉田は裏切った広川弘禅を生涯、許さなかったそうです。インタビューテープで、麻生和子さんは「いちどそういうことを起こすと、2度と会おうとせず、全然断ち切ってしまいました」。(塩澤実信『人間吉田茂 昭和の大宰相の生涯』)。

[バカヤロウ解散の議事録(抜粋引用はじめ)]

第15回特別国会
昭和二十八年三月十四日(土曜日)
    午後六時二十六分開議

○副議長(岩本信行君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――

○山崎岩男君 議事日程追加の緊急動議を提出いたします。すなわち、北村徳太郎君外十五名提出、吉田内閣不信任決議案は、提出者の要求の通り委員会の審査を省略してこの際これを上程し、その審議を進められんことを望みます。

○副議長(岩本信行君) 山崎君の動議に御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○副議長(岩本信行君) 御異議なしと認めます。よつて日程は追加せられました。吉田内閣不信任決議案を議題といたします。提出者の趣旨弁明を許します。北村徳太郎君。
    ―――――――――――――
    〔北村徳太郎君登壇〕
○北村徳太郎君 私は、ただいま上程せられました、野党共同提案になりまする吉田内閣不信任決議案につきまして、その提案趣旨の弁明をいたしたいと思うのでございます。(拍手)
(中略)吉田首相は平和条約成立ととも当然引退すべきであり、国民もまたこれを当然として期待していたのであります。
(中略)
 案文は先に言つたけれども、重ねて言う。
 衆議院は、吉田内閣を信任せず、
 衆議院は、吉田内閣を信任せず。
    〔発言する者多く、離席する者多く、議場騒然〕

(中略)
 以上が、私の、衆議院は吉田内閣を信任せずの決議案に対する説明であります。
 衆議院は、吉田内閣を信任せず。
  右決議する。
 これに対して、満場の諸君の御賛同を願います。(拍手)

(中略、この後、各党の討論)

○議長(大野伴睦君) これにて討論は終局いたしました。
 本決議案の採決は記名投票をもつて行います。北村徳太郎君外十五名提出、吉田内閣不信任決議案に賛成の諸君は白票、反対の諸君は青票を持参せられんことを望みます。閉鎖。
 氏名点呼を命じます。
    〔参事氏名を点呼〕
    〔各員投票〕
○議長(大野伴睦君) 投票漏れはありませんか。――投票漏れなしと認めます。投票箱閉鎖。開匣。開鎖。
 投票を計算いたさせます。
    〔参事投票を計算〕

○議長(大野伴睦君) 投票の結果を事務総長より報告いたさせます。
    〔事務総長朗読〕
 投票総数 四百四十七
  可とする者(白票)  二百二十九
    〔拍手〕
  否とする者(青票)   二百十八
    〔拍手〕

○議長(大野伴睦君) 右の結果、北村徳太郎君外十五名提出、吉田内閣不信任決議案は可決されました。
    〔拍手、「万歳」「万歳」ど呼ぶ者あり〕
    ―――――――――――――
    〔参照〕
 北村徳太郎君外十五名提出吉田内閣不信任決議案を可とする議員の氏名
   池田正之輔君  石田 博英君
   石橋 湛山君  加藤常太郎君
   木村 武雄君  河野 一郎君
   佐々木秀世君  佐藤虎次郎君
   重政 誠之君  中  助松君
   中村 梅吉君  平塚常次郎君
   古島 義英君  松田竹千代君
   松田 鐵藏君  松永  東君
   三木 武吉君  森 幸太郎君
   森   清君  山村新治郎君
   山本 正一君  亘  四郎君
   秋田 大助君  芦田  均君
   荒木萬壽夫君  有田 喜一君
   安東 義良君  伊東 岩男君
   井出一太郎君  石坂  繁君
   石田 一松君  五十嵐吉藏君
  生悦住貞太郎君  宇田 耕一君
   臼井 荘一君  小川 半次君
   大麻 唯男君  大川 光三君
   大森 玉木君  岡田 勢一君
   加藤 高藏君  金子與重郎君
   川崎 秀二君  菅  太郎君
   菅野和太郎君  北村徳太郎君
   清瀬 一郎君  楠山義太郎君
   栗田 英男君  小泉 純也君
   小島 徹三君  小畑虎之助君
   河本 敏夫君  河野 金昇君
   後藤 義隆君  佐伯 宗義君
   佐藤 芳男君  櫻内 義雄君
   笹森 順造君  笹山茂太郎君
   志賀健次郎君  椎熊 三郎君
   重光  葵君  白浜 仁吉君
   鈴木 正吾君  園田  直君
   田中 久雄君  高岡 大輔君
   高倉 定助君  高瀬  傳君
   高橋 長治君  高橋 禎一君
   武部 英治君  竹山祐太郎君
   舘林三喜男君  千葉 三郎君
   堤 康次郎君  床次 徳二君
   内藤 友明君  中島 茂喜君
   中曽根康弘君  中野 四郎君
   中山 榮一君  中村 寅太君
   中村庸一郎君  長井  源君
   並木 芳雄君  楢橋  渡君
   長谷川四郎君  早川  崇君
   平川 篤雄君  廣瀬 正雄君
   古井 喜實君  町村 金五君
   松浦周太郎君  松野 孝一君
   松村 謙三君  三浦 一雄君
   三木 武夫君  宮澤 胤勇君
   粟山  博君  森田重次郎君
   森山 欽司君  柳原 三郎君
   山下 春江君  山手 滿男君
   山本 粂吉君  吉川 大介君
 早稻田柳右エ門君  淺沼稻次郎君
   井伊 誠一君  井上 良二君
   伊藤卯四郎君  池田 禎治君
   石井 繁丸君  今澄  勇君
   受田 新吉君  大石ヨシエ君
   大矢 省三君  岡部 周治君
   甲斐 政治君  加藤 勘十君
   春日 一幸君  片山  哲君
   川島 金次君  川俣 清音君
   河上丈太郎君  菊川 忠雄君
   菊地養之輔君  木下  郁君
   熊本 虎三君  河野  密君
   杉山元治郎君  鈴木 義男君
   田原 春次君  田万 廣文君
   竹谷源太郎君  辻  文雄君
   堤 ツルヨ君  戸叶 里子君
   土井 直作君  中崎  敏君
   中澤 茂一君  中村 高一君
   西尾 末廣君  西村 榮一君
   日野 吉夫君  平岡忠次郎君
   平野 力三君  細野三千雄君
   前田榮之助君  前田 種男君
   松井 政吉君  松尾トシ子君
   松岡 駒吉君  松前 重義君
   松本 七郎君  三宅 正一君
   三輪 壽壯君  水谷長三郎君
   門司  亮君  矢尾喜三郎君
   山ロシヅエ君  山下 榮二君
   吉川 兼光君  吉田 賢一君
   吉田  正君  足鹿  覺君
   阿部 五郎君  青野 武一君
   赤路 友藏君  赤松  勇君
   伊藤 好道君  井手 以誠君
   稻村 順三君  猪俣 浩三君
   小川 豊明君  加賀田 進君
   加藤 清二君  勝間田清一君
   上林與市郎君  木原津與志君
   久保田鶴松君  小松  幹君
   佐々木更三君  佐藤觀次郎君
   坂本 泰良君  志村 茂治君
   島上善五郎君  下川儀太郎君
   鈴木茂三郎君  多賀谷真稔君
   田中織之進君  楯 兼次郎君
   辻原 弘市君  永井勝次郎君
   成田 知巳君  西村 力弥君
   芳賀  貢君  長谷川 保君
   原   茂君  原   彪君
   福田 昌子君  古屋 貞雄君
   帆足  計君  正木  清君
   松原喜之次君  武藤運十郎君
   森 三樹二君  八百板 正君
   八木 一男君  安平 鹿一君
   山口丈太郎君  山崎 始男君
   山田 長司君  山中日露史君
   山花 秀雄君  山本 幸一君
   横路 節雄君  和田 博雄君
   渡辺 惣藏君  石野 久男君
   岡田 春夫君  黒田 壽男君
   館  俊三君  風見  章君
   川村 継義君  辻  政信君
   中村 英男君
 否とする議員の氏名
   阿左美廣治君  阿部 千一君
   相川 勝六君  逢澤  寛君
   青木  正君  青柳 一郎君
   赤城 宗徳君  秋山 利恭君
   淺香 忠雄君  淺利 三朗君
   麻生太賀吉君  新井 京太君
   新井 堯爾君  荒舩清十郎君
   有田 二郎君  安藤 正純君
   伊藤 郷一君  伊能繁次郎君
   飯塚 定輔君  生田 和平君
   池田  清君  池田 勇人君
   石井光次郎君  犬養  健君
   今松 治郎君  今村 忠助君
   岩川 與助君  岩本 信行君
   宇田  恒君  宇都宮徳馬君
   上塚  司君  植木庚子郎君
   内田 常雄君  内田 信也君
   内海 安吉君  江崎 真澄君
   江藤 夏雄君  遠藤 三郎君
  小笠原八十美君 小笠原三九郎君
   小川 平二君  小澤佐重喜君
   緒方 竹虎君  尾崎 末吉君
   越智  茂君  大石 武一君
   大泉 寛三君  大上  司君
  大久保留次郎君  大倉 三郎君
   大島 秀一君  太田 正孝君
   大西 禎夫君  大野 市郎君
   大橋 武夫君  大平 正芳君
   大村 清一君  岡崎 勝男君
   岡田 五郎君  岡田 忠彦君
   岡野 清豪君  岡本  茂君
   奧村又十郎君  押谷 富三君
   加藤 精三君  加藤 宗平君
   加藤鐐五郎君 甲斐中文治郎君
   河原田稼吉君  勝俣  稔君
   川島正次郎君  川村善八郎君
   川野 芳滿君  菅家 喜六君
   木村 公平君  木村 文男君
   北 れい吉君  久野 忠治君
   倉石 忠雄君  栗山長次郎君
   熊谷 憲一君  黒金 泰美君
   小金 義照君  小坂善太郎君
   小平 久雄君  小西 寅松君
   小林かなえ君  小林 絹治君
   小山 長規君  木暮武太夫君
   近藤 鶴代君  佐治 誠吉君
   佐藤 榮作君  佐藤善一郎君
   佐藤洋之助君  坂田 英一君
   坂田 道太君  迫水 久常君
   篠田 弘作君  島村 一郎君
   首藤 新八君  周東 英雄君
   薄田 美朝君  鈴木 善幸君
   鈴木 直人君  砂田 重政君
   砂原  格君  關谷 勝利君
   田口長治郎君  田子 一民君
   田嶋 好文君  田中伊三次君
   田中 角榮君  田中 萬逸君
   高木吉之助君  高木 松吉君
   高橋 英吉君  高見 三郎君
   竹尾  弌君  谷川  昇君
   玉置 信一君  中馬 辰猪君
   塚田十一郎君  塚原 俊郎君
   辻  寛一君  綱島 正興君
   坪川 信三君  寺島隆太郎君
   戸塚九一郎君  徳安 實藏君
   富田 健治君  内藤  隆君
   中井 一夫君  中田 政美君
   中峠 國夫君  中野 武雄君
   中村 幸八君  中山 マサ君
   仲川房次郎君  永田 良吉君
   永田 亮一君  永山 忠則君
   長野 長廣君  灘尾 弘吉君
   南條 徳男君  丹羽喬四郎君
   西川 貞一君  西村 英一君
   西村 茂生君  西村 直己君
   貫井 清憲君  根本龍太郎君
   野澤 清人君  野原 正勝君
   羽田武嗣郎君 橋本登美三郎君
   橋本 龍伍君  濱田 幸雄君
   濱地 文平君  林  讓治君
   原 健三郎君  馬場 元治君
   日高 忠男君  平井 義一君
   平澤 長吉君  平野 三郎君
   廣川 弘禪君  福井  勇君
   福井 順一君  福井 盛太君
   福田  一君  福永 健司君
   船田  中君  保利  茂君
   星島 二郎君  本多 市郎君
   本間 俊一君  前尾繁三郎君
   前田 正男君  前田 米藏君
   牧野 良三君  益谷 秀次君
   増田甲子七君  松浦 東介君
   松岡 俊三君  松岡 松平君
   松野 頼三君  松本 一郎君
   松山 義雄君  松村 光三君
   三池  信君  三和 精一君
   水田三喜男君  水谷  昇君
   南  好雄君  宮幡  靖君
   明禮輝三郎君  村上  勇君
   村松 久義君  持永 義夫君
   森下 國雄君 山口喜久一郎君
   山崎 岩男君  山崎  巖君
   山崎  猛君  山田 彌一君
   雪澤千代治君  横川 重次君
   吉江 勝保君  吉田  茂君
   吉武 惠市君  渡邊 良夫君
   荻野 豊平君  木下 重範君
   只野直三郎君  武知 勇記君
   福田 赳夫君  坊  秀男君
    ―――――――――――――

○議長(大野伴睦君) この際暫時休憩いたします。
    午後八時十八分休憩
     ――――◇―――――
    午後八時三十三分開議
○議長(大野伴睦君) 休憩前に引続き会議を開きます。
     ――――◇―――――

○議長(大野伴睦君) ただいま内閣総理大臣から詔書が発せられた旨伝えられましたから、これを朗読いたします。
    〔拍手〕
 別紙詔書が発せられましたからお伝えいたします。
  昭和二十八年三月十四日
    内閣総理大臣 吉田  茂
   衆議院議長大野伴睦殿
    〔別紙〕
  日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。
 御名 御璽
  昭和二十八年三月十四日
    内閣総理大臣 吉田  茂
    〔拍手、「万歳」「万歳」と呼ぶ者あり〕

○議長(大野伴睦君) 本日はこれにて散会いたします。
    時に午後八時三十六分

[抜粋引用おわり]



今後の政治日程(6月1日版)を更新しました

2011年06月01日 09時02分54秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行を更新しました。

 内閣不信任案をめぐる攻防の独自取材も踏まえて、6月1日時点の今後の政治日程を見通してみました。

 なお、今月から読者が2人減ってしまいました(泣)。「レジまぐ社」のシステムの改善で、これまでのクレジット払いに加えて、「レジまぐポイント」を、コンビニ払いや銀行振り込みで購入して頂き、そのポイントを今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行の購読料に充てていただくことができます。ですから、個人だけでなく、法人として購読していただくこともできます。

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