第177常会(第177回通常国会)2011年(平成23年)1月24日(月)の召集から、70日間の会期延長を経て、きょう8月31日(水)、閉会しました。
政権交代後に、再ねじれで迎える初めての通常国会でしたが、当初予算は年度内成立。しかし、特例公債法案をめぐって半年間にわたる3党協議が続き、最終的に3党合意という一つの果実をつくることができました。先例の積み重ねでやがては、両院協議会改革など国会法の改正など、ルールづくりに与野党が知恵をしぼってほしいと思います。衆参ねじれのおかげで、衆院の強行採決がまったくない国会ともなりました。
3月11日に東日本大震災が発生しましたが、これを奇貨として、野党の予算要望、議員立法などが活発化し、与党も修正協議で応じて、多くの法律が成立しました。
横路孝弘・衆議院議長はあいさつで「東日本大震災に対処したまさに『震災国会』になりました」とし「前例にとらわれない」国会運営ができたと述べました。
歴史に残る国会となりました。
自民党の谷垣禎一総裁の「信なくば立たず」という言葉が心に染み入りました。
私も220日間という国会史上5番目のロングラン国会を、けっこうスムーズに完走することができました。ことしは、けっこう楽しかったです。
傍聴券手配などをお願いした国会議員、秘書、衆議院事務局職員、参議院事務局職員、民主党本部事務局など関係各位に心より感謝申し上げます。
日々のページ毎のアクセス数、検索キーワード解析などから明らかになっている、ブログアクセス数を増やせるであろう話題、固有名詞の情報にとらわれず、私が国会の話題として面白いと思ったこと、国民が知るべきだと思う事項を優先して、執筆することができたました。これは、日々安定して当ブログをお読みいただいているおよそ800人前後と思われる常連読者のみなさまのおかげであり、心の底から感謝します。民主党が野党でメディア露出が少なかった2007年、2008年当時の楽しさを取り戻すことができましたし、違った意味で楽しかったです。
ありがとうございました。
しばらく休みたいなというのが実感です。でも何かあれば、”飛び六方”で駆け付けます。
正念場を迎えていた衆議院・参議院を見たうえで判断すれば、日本はしっかり前進していると、私はここに断言します。
【2011年8月30日(火)衆議院本会議】
【参議院本会議】
野田佳彦さんが、第95代内閣総理大臣に指名されました。天皇陛下の任命を受けて、正式となります。
首班指名選挙は、昨年6月に鳩山内閣総辞職を受けて、実施されて以来です。ですから、昨年7月に参院に初当選した新人は初めての首班指名選挙です。昨年9月に民主党代表選がありましたが、これは現職総理が当選しましたから、国会での首班指名選挙の手続きが不要でした。
衆議院では、民主党・無所属クラブ、国民新党・新党日本、会派離脱中の横路孝弘議長に加えて、無所属となっている土肥隆一さんも「野田佳彦」さんに投票しましたので、308票となりました。過半数の240を大きく上回りましたが、「3分の2」数の319は大きく下回りました(衆議院は次期総選挙まで欠員1以上)。
参議院では、すでにホームページで、全員の投票結果が明らかになっていますが、当ブログで、政府・民主党に応援してくれるであろうと指摘した、沖縄県選挙区で伝統ある「革新共闘」で当選している糸数慶子さんは、1回目は福島みずほ・社民党党首、2回目は白票(社民党と同じ投票行動)となっていました。また、自由党初当選の無所属、大江康弘さんは「谷垣禎一」さんに入れていました。
1回目の投票結果は、
野田佳彦さん 110票 (民主党・新緑風会の106票、国民新党の3票、無所属の浜田和幸さんの1票)
谷垣禎一さん 85票 (自民党82票、無所属の尾辻秀久副議長、大江康弘さん、長谷川太紋さん)
山口那津男さん19票 (公明党19票)
渡辺喜美さん 11票 (みんなの党11票)
志位和夫さん 6票 (日本共産党6票)
福島みずほさん 5票 (社民党4人と糸数慶子さん)
平沼赳夫さん 3票 (たちあがれ日本)
舛添要一さん 2票(新党改革)
となりました。
統一会派「たちあがれ日本・新党改革」は各々の党首に投票しました。また、衆院と違い、参院では慣例で議長は投票しません。
そして、決選投票では、
野田佳彦さんが110票
谷垣禎一さんが107票(1回目の85票に加えて、公明党19票、たちあがれ日本3票)
白票が24票(みんなの党、日本共産党、新党改革、社民党、糸数慶子さん)
となり、野田さんが当選しました。
ちなみに浜田さんの引き抜きがなければ1票差だったことになります。また、社民党、新党改革はやはり厳しかったことになります。
6月1日に衆院で、自民党・公明党・たちあがれ日本が「菅内閣不信任決議案」を提出し、2日の衆本での採決で混乱があり、震災と原子力災害での人心の不安もあいまって、不安定な政局に。力のある議員はドンドン議員立法するチャンスを得ました。が、政府を支える役人をはじめとする日本の総力を結集しにくい状態になりました。最終的に8月30日、首班指名ということになりました。ここで、自民党・公明党・たちあがれ日本の3党が統一した行動を参院の決選投票でとったことは、6月1日→8月30日の3ヶ月間の「政治空白」(谷垣総裁、山口代表らの表現)をへて筋を通したことになります。
しかし、野田新首相はこれから天皇陛下の任命を受け、組閣をし、政務三役を決めて、体制を整えなければ行けません。おそらく9月9日(金)ないし9月12日(月)に第178臨時国会が召集され、所信表明と各党代表質問をやると思います。ということは、3月11日からの半年間のうち、その半分以上が「政治空白」だったことになります。内閣不信任案を権力闘争に利用することなどありえないことです。私は断じて許せません。
さあ、衆参ねじれをチャンスとして、国民がしっかりと監視をしながら、与党内のニューリーダーと、野党を育てていきましょう。
ところで、菅内閣は2011年8月30日(火)午前10時の閣議で総辞職していますが、陛下が野田さんを内閣総理大臣に任命するまでは職務執行内閣となります。災害や第三国からの攻撃などがあれば、菅内閣はすばやく対応します。
このなかで、内閣と皇居の橋渡しをする、内閣総務官の原勝則さん(昭和54年厚生省入省)も早稲田大学政治経済学部卒業生で、野田さんの1年先輩になると思います。「総理も早大(私大)、内閣総務官も早大(私大)」というのは、橋本行革前の首席内閣参事官がどのくらい昔までさかのぼる官職なのか知りませんが、間違いなく太政官制度始まって以来の取り合わせだと思います。今は人事院総裁をやっている江利川毅さんら旧内務省(厚生省など)官僚のエリートコースとされています。古川貞次郎さんは九州大学法学部卒業生後、長崎県庁(出身は佐賀県)に2年ほど勤めてから厚生省に入ったということで相当な変わり種とされるのが、官僚のならわしです。九大は旧帝大だし、九州地方では東大と同格の扱いです。それでも、入省時には、心ない言葉を同期から浴びせられたようです。
ホントウに時代が変わったとしかいいようがありません。ただ、両人の後輩になる私でも「大丈夫なの?」と思ちゃったり(^^;)。長年の慣れがありますからね。東大が当たり前、というより、東大法学部が当たり前で、大学院卒はかなりの変わり種、なぜなら、入省後に海外の大学院に国費留学できるので、東大法学部から直接入った方がいい、という官僚の世界も少しずつ変わってきているのでしょう。早大に限りません。初代司法大臣が建学した日本大学や、例えば、慶大経済学部、中大法学部など競争の激しい私学には、良い人材がたくさんいます。一方、国公立大学では、いわゆる駅弁大学と言われる、地方の国立大学にも人材はいますし、バブル期の名残りもあり、アメリカなど海外の大学、大学院を修了した人材は明治維新以来最多でしょう。
成果主義では、ゴマすりが出世しますので、官僚はある程度、メリットシステム、年功序列がいいと思いますが、政治家も官僚も、およそリーダーの本物と偽物の選別のスピードが速くなっていることは、野田さんの代表選での演説やふるまいをみていても感じます。世界は待ってくれません。振るい落とされた偽者も、日本は農耕民族ですから、食べられなくなるわけではないし、再チャレンジが早くできる。いいことです。非世襲首相から非世襲首相へのバトンタッチはそれ自体が政権交代の目に見える成果です。そういう意味では、逆の発想で、宮澤喜一さん以来途絶えている東大法学部卒業の首相と私大卒の内閣総務官という取り合わせもいずれは見てみたい気もしますが、ゆっくり着実に。まずは何が何でも衆院解散までの2年。絶対に野田内閣を続けてもらわなければ、日本が潰れます。
あすで220日間の会期も終わりますので、ホッとしたいところですが、なかなか代表選の後は、スッキリしないのも事実。
ということで、ちょっとしたクイズです。クイズというか、アタマの体操。ここ4年間の政治の流れを反芻するのにいいと思います。
きょう午後1時半から参議院本会議が開かれ、菅内閣からの総辞職の申し出を受け、首班指名選挙が行われます。
意外でしょうが、昨年夏の第22回参院選で当選した、谷亮子さん、三原じゅん子さん、竹谷とし子さん、石川崇弘さん、松田公太さんらにとっては初の首班指名選挙となります。
そして、参院の首班指名は1回目は当選者が出ず、野田佳彦さんと谷垣禎一さんの決選投票になる見通しです。
前回の決選投票は、政権交代前の平成20年(2008年)9月24日(水)以来3年ぶりとなります。
ちなみにこの決選投票では、与党党首の麻生太郎さんではなく、野党党首の小沢一郎さんが当選し、衆参で別々の人物が当選しており、両院協議会の結果、衆議院の院議を優先し、麻生太郎さんが首相となっています。
このときと違い、今回は、参院の決選投票でも野田佳彦さんが当選する見通しです。
野田佳彦さんvs谷垣禎一さんの決選投票で、公明党がどう行動するかなどが注目です。例えば、いまだに「自公」というようにあたかも両党が一つの政党のように書く人がいますが、はたしてそうでしょうか。与党・国民新党も政府外議員が1回目に「亀井静香」と書くハプニングがあるかも。
結果は野田さんが首相になります。
しかし、デモクラシー(民主政治)はプロセスが大事です。
きょうの参議院本会議は、ここ4年間の政権交代前後の衆参ねじれに思いを巡らすイイチャンスだと思います。参議院の記名投票採決(堂々巡り)は1回20分程度ですから、そんなにくたびれません。
この辺のことを、新聞が全然報じていないので、とりあえずブログを更新してみました。
プロセスが大事です。それと、安易に内閣不信任案などをもてあそぶと、どれだけの時間のムダがでるかということも感じていただきたいと考えます。
首都圏にお住まいの方は、午後1時前までに、参議院議員面会所(地下鉄「永田町駅」が近く、「国会議事堂前駅」も可能)に行くと先着順(定員あり)で傍聴券をもらえます。10歳以下のお子さんはダメだと思います。小学校5年生以上なら夏休みの宿題にもいいかもね。
こういうのをみてもらえると、当ブログが「3党合意」のことにこだわった理由も分かっていただけると思います。
菅直人首相の代表辞任表明にともなう、民主党代表に衆議院千葉県第4選挙区選出の当選5回生で財務大臣の野田佳彦さん(のだ・よしひこ、Yoshihiko Noda 1957-) が2011年8月29日(月)就任しました。はやければ今国会中に、第95代内閣総理大臣に就任します。民主党が一つになり、民自公が一つになり、日本が一つになるうえでベストの選択で、民主党が土俵際の徳俵の危機感で巻き返しのラストチャンスをつかみました。
野田さんは松下政経塾1期生。同塾からは初の総理となります。菅直人さんと同じく非世襲・非二世議員で、これは、平成になってからは、竹下登首相→宇野宗佑首相→海部俊樹首相以来となります。
それと、まことに卑近な2つ。付け加えさせてください。新進党勢からは初の総理。そして、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業生としても初めての総理です。この2つ、ぜひ付け加えさせてください。
野田さんは、政見演説のなかで、「昭和35年10月、浅沼委員長が日比谷公会堂で暗殺されたのを白黒テレビで見た」のが政治を身近に感じたきっかけだとしました。浅沼稲次郎は、55年体制の二大政党の一翼を担った日本社会党の書記長から党首に昇格していました。「演説乞食」と言われた沼さんも、早大政経の先輩です。
私が野田佳彦さんをはじめて見たのも、その日比谷公会堂でした。民間政治臨調、いまは21世紀臨調ですが、その記録をみると、その日はは1992年11月12日、自民党「政治改革を実現する若手議員の会」(石破茂代表)が日比谷公会堂で開いた「政治改革国民集会」だということで間違いないと思います。このときは、若手議員たちの精神的支柱だった後藤田正晴先生があいさつのときに転んでしまいました。そして、私は1階席で早稲田大学の政治サークル鵬志会の1年生で、仲間とともに、聞いていたのですが、2階席の方で聴衆としてマイクをにぎったのが早大雄弁会の3年生だった斎藤淳一郎さん。「雄弁会」というと、会場が割れんばかりのどよめきで、私たちのサークルは知名度ゼロですので、残念な気がしましたが、個人的にも仲の良い斎藤さんなので、うれしかったです。斎藤さんは栃木県庁職員を経て、この4月、1人区を制して、みんなの党の県会議員に初当選しています。
そして、私の記憶だと、この後、壇上に、なぜか千葉県議の野田さんが登場したのです。だれだろう?と思いました。そして、「無所属の県会議員として2期やってきた」とか演説して、だんだん演説のトーンが高くなってきました。演説は最高潮を迎え、自分ができる具体的な政治改革として、「私は来るべき総選挙に、日本新党公認で立候補することを決めました」と語りました。会場はやんややんやの大喝采。私はゾクゾク、鳥肌が立ちました。
この2週間後、11月24日には、日本新党代表の参院議員、細川護煕さんが初の公募国会議員候補予定者として、野田佳彦さん、牧野聖修さん、石井紘基さん、河村隆之(河村たかし)さんの4人を発表します。これに先立つ、11月3日には江田五月・社民連代表ら27人が政策集団「シリウス」を結成していました。そして、12月18日には、改革フォーラム21が正式に自民党羽田派となり、翌1993年6月18日の宮澤解散につながります。
日比谷公会堂で野田さんを見たとき、演説は感動しましたが、上下色違いのスーツを着ていたような記憶があり、違和感を覚えた感じがします。そして、その野田さんが松下政経塾の出身だということを次第に知るようになり、同じ系統の人は、同じように上下色違いのスーツなど派手な出で立ちが多い傾向があるような気がしました。最近の野田さんは、そのような出で立ちを見ることは皆無です。
それはさておき、日比谷公会堂で沼さんが倒れる映像を見ながら、野田少年は母親から「政治家って命懸けなのよ」と言われた気がするということです。
野田さんは最初の小選挙区でしくじり、3年8か月間浪人しましたが、その間、「当時所属していた政党は解党し、政党助成金は来ませんから」として、「中小企業・零細企業のおやっさんに助けてもらった。銀行振り込みは失礼だから、歩いて集金して、領収書を書いた」としました。天井を見ながら眠れない日々。6歳の長男と3歳の次男を膝の上にのせたときの髪の毛のにおいが忘れられないといいます。
臥薪嘗胆の日々。どじょうが金魚の真似をしたらおしまいだーー野田さんは「都市部選出なのにシティーボーイに見えない」ので、野田内閣発足後、しばらく支持率が上がらないだろうとして、解散はないから安心してくださいと語りました。
◇
2000年、国政復帰。逆境に強くなった野田さん。
郵政解散の大敗北で沈み込んでいた2005年10月の第163回特別国会。野田国対委員長は「審議拒否をしない健全野党・政権準備党」をめざします。
そして、本来は敵である与党・自民党総裁の小泉首相が、選挙後1ヶ月経った10月17日に、靖国神社を公式参拝(拝殿参拝)したことについて、その当日、タイムリーに質問主意書を出しました。そして、国内どころか中韓の外交ルートからも、「”A級戦犯”という戦争犯罪人が合祀されている靖国神社に総理が参拝することは、日本が軍国主義を美化するあらわれとなる、という論理」の反対論が起きていると指摘しました。そして、巣鴨プリズンで行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)は、サンフランシスコ講和条約第11条という国際条約に基づくものだと指摘。だから、国内法上、戦争犯罪人、戦犯は存在しないのではないかと指摘しました。
これに対して、政府(第3次小泉自民党内閣)は、25日付で答弁書を閣議決定し、「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」との答弁を引き出します。
すなわち、東条英機らへの東京裁判の判決と刑の執行(絞首刑含む)は、多国間条約である「平和条約(サンフランシスコ講和条約)第11条」にもとづいており、日本の国内法にもとづいていない。だから、国内法上は戦犯は存在しないということになります。
ですから、中国、韓国がときに正式な外交ルートで示した見解は、認識自体が違うということになり、国内外、与野党、左右で入り乱れた知恵の輪を解き、国益を守ったことになります。ただし、小泉首相も守ってしまいましたが、責任野党の矜持を示しました。そして、この後、参院でも衆院でも民主党は勝つことができました。それは小沢さんのおかげかも知れません。そして、もちろん堀江メール事件があり、千葉県連の仲間である永田寿康・衆院議員が辞職し、そして飛び降り自殺をして命をおとすことになったことは、痛恨の極みであり、野田さんは一生涯、月命日ごとに永田さんのことを考えて欲しいと考えます。
野田さんは政権政党とは雪の坂道をみんなで雪だるまを押して坂の上をめざす作業だとしました。
それまでにも、いろいろなことがありました。2002年の中野寛成幹事長(幹事長代理は岡田克也さん)おろし、永田さんの件、1996年落選後に選管を地裁に告訴などいろいろ眉をひそめるような気持ちになったことがあります。それらも含めて、挙党一致で前に進んでいかなければなりません。国会で「野田」といえば、一に野田聖子さん、その次に野田毅さん、だいぶ距離を置いて、野田佳彦さんで、「あの堀江メールの国対委員長だった人」という知名度の無さでしたが、面白いなあと思ったのは、野田さんの腹心が「握手させてあげるよ」と言われて楽しみに付いていったら、そこには代表経験者で知名度が高い岡田克也さんがいて、岡田さんと握手したそうで、この辺は「冷めたピザ」と言われながらも、人の使い方が上手かった小渕恵三さんに似ているのかなあと思います。「金魚になれないドジョウ」は第二の小渕のように民主党や日本の力を人事で引き出すことができるかどうかが、ポイントになります。
今第177通常国会では、先日も書いたように、衆院財金委理事の公明党の竹内譲さんがやんわりと誤答弁を修正してあげたり、閣法2号の「国税改正法案」、閣法4号の「地方税改正法案」では、藤井裕久さんと野田毅さんが修正協議で可決。閣法1号の「特例公債法案」も、岡田幹事長や公明党幹事長の井上義久さんや、自民党政調会長の石破茂さん、公明党政調会長の石井啓一さんが3党合意に半年間奔走。実務者では、公明党の元厚労相・坂口力さんや、民主党政調会長代理の城島光力さん、自民党政調会長代理の鴨下一郎さんらがキッチリやりました。鴨下さんは日本新党同期生で、そのほか、竹内さん、藤井さん、野田毅さん、岡田さん、井上さん、石破さん、石井さん、坂口さん、城島さんらはみんな新進党仲間なんです。そして、鴨下さんは日本新党1期生になります。このほか、自民党国対委員長の逢沢一郎さんは、松下政経塾1期生の同期ですから、「怨念」を乗り越えれば、民自公3党は、衆参ねじれを力に変えて、力強く政策で前に進むことが出来ます。
松下政経塾1期生。日本新党1期生。新進党1期生。それはとても勇気がいることです。第一空挺団のパラシュート部隊だったお父さん譲りの勇気で、成長と財政の両輪で、日本を救うため。
一つになりましょう。中庸の政治、和の政治。日本の正念場です。
おめでとう、野田さん。あす、首班指名が行われますが、参議院でもイッパツで野田首班指名となることを願っています。
おはようございます。
いよいよ、第177回国会は、国会史上220日間の会期を今週で閉じます。残り3日間となりました。
そして、きょう2011年8月29日(火)民主党代表選(古賀一成・中央代表選挙管理委員長)が開かれます。
やはり与党ということで、土曜日は日本記者クラブ主催の会見(司会は企画委員の川戸惠子さん=元TBS政治部記者・アナウンサー)、日曜日は、フジテレビ新報道2001、NHK日曜討論、テレビ朝日サンデーフロントライン(サンフロ)、党主催の討論会(ネット中継)、夕方には日テレ「バンキシャ」で5人の候補が討論しました。そこそこ良い議論が出来て、民主党の支持率の底上げにつながったと、私は思います。
そして、ここに来て、驚くべきことに、トップランナーとみられた候補者が「新執行部は、3党合意を白紙にするか、見直すか検討して決める」との発言をくり返すという驚くべきハプニングがありました。これはこの候補者(現職閣僚)が、6月2日(木)の自民党・公明党・たちあがれ日本による菅内閣不信任案に対して前夜賛同する意向を示す夜会合を開いた71衆院議員らが属する「マニフェスト原理主義派」に擁立されたため、3党合意を見直すことを示唆したのだと思います。
公明党代表の山口那津男さんは、6月2日の内閣不信任案否決のあと、支持者に対して平謝りの状態でした。が、8月26日、菅直人さんが退陣する意向を表明したことについて、「(6月2日に)実質的な退陣表明をして約3ヶ月の政治空白をつくった責任は重い」としたうえで、「新しい代表は3党ですでに合意されたことをきちんと与党として履行する責任を持つべきだ。3党で合意した土俵を生かし、復旧・復興、円高などの当面の課題に取り組むことを求めたい」と記者団に語った、と報じられています。
仮に3党合意を白紙にした場合は、第3次補正予算の編成で、子ども手当、高速道路無料化の“2k”の歳出の部分的減額補正ができなくなり、年金財源の国庫負担分の1次補正で転用した歳入の2・5兆円の穴埋めができなくなります。いわば、“勧進帳”にたとえれば、義経(菅さん)を見逃した富樫(自民党)、番卒(公明党)の顔に泥を塗ることになります。国会はちゃぶ台返しの大混乱。とくに自民党では幹事長が党内や、参院執行部から突き上げられるでしょう。そして、3次補正予算(案)は参議院で否決されるか、参・議運委員会(自民党の鈴木政二さんが委員長)が本会議に上程させず、補正予算では異例の30日ルール適用も視野に入るかも知れません。これではだれが総理になっても、民主党政権は年内に倒れます。
公明党の漆原良夫・国対委員長は、公明新聞日曜版(8月28日付)で第177通常国会を振り返り、特例公債法案(閣法1号)について、「自民党の一部では、これを解散・総選挙を迫る手段とする考えもあったようですが、公明党の考えは全く異なり、あくまで政策判断で対応しました」と述べています。そこで、3党協議いわば”勧進帳”においての政策協議(“山伏問答”)では、「赤字国債の発行は、次の世代への“ツケ”となります。そこで少しでも次世代への負担を減らすため、公明党は、子ども手当、高速道路無料化など不要不急の予算の見直しによる歳出削減を行い、第1次補正予算に流用した年金臨時財源2・5兆円の補てんなどができるならば、認めても良いとの考えでした」と説明しました。そして、漆原さんによると、「8月4日に公明党が呼びかけ、民主、自民との3党協議が始まりました。その結果、『政局より政策で判断すべき』との公明党の主張を自民党も理解し、8月9日に3党幹事長が合意したのです。評論家の森田実氏は、この合意を『国会の危機を救った公明党』と高く評価しています」と自画自賛しています。
これに対して、半年間、特例公債法案について党幹事長と政調会長、実務者による協議内容を把握しながら答弁してきた財務大臣は「3党合意がなければ、3次補正はできません」「これやらないと信頼損ねます。内閣もたないと思います」とテレ朝で述べました。この候補者は「与党とは、坂道をみんなで雪だるまを持ち上げていく作業だ」として、民主党内の人材を使い切るとの姿勢を示しています。また農相も、4kの一つがターゲットになったこと、およびその政局感から、「3党合意、これはきちっと守っていかないといけません」と述べ、「3党合意の政策効果を検証する」と先を見た発言をしました。前外相や前国交相も3党合意を守ると述べました。
この経産相の発言は、致命的な大失言だと考えられます。ただ、民主党は衆院1期生が多いことと、参議院議員の、中央代表選有権者に占める割合が以前より下がったことから、「3党合意見直し」という失言が地雷、自爆装置であることに気が付かない人も一定数いることが予想されます。また、経産相がきょうの投票会場での15分間の演説で発言を修正する可能性もあります。
ところで、財務相と前外相が激しい2位争いをしています。2位以内にならなければ、決選投票の得票は「ゼロ」。この両陣営の2位争いが、結果として決選投票での末脚につながる可能性が出てきました。民主党代表選の結果は、午後2時過ぎには明らかになるもようです。
[写真]パソコンに向かう達増拓也・新進党代議士、1997年11月1日付日本経済新聞夕刊掲載、宮崎信行撮影。
岩手県知事選挙には、無所属で、会社役員芦名鉄雄氏(66)、共産党推薦のいわて労連議長鈴木露通氏(60)、民主党推薦で再選を目指す現職達増拓也氏(47)、超党派の政治団体「いわて復興県民の会」推薦の前県議高橋博之氏(37)が立候補しています。投票日は、2011年9月11日(日)。米中枢同時多発テロから10年、郵政解散での岡田克也民主党の小泉自民党の圧勝から6年、そして、東日本大震災から半年。さまざまな思いの詰まった日です。
達増(たっそ)さんは、私にとって大事な巡り合わせのある人です。
私が日経新聞記者として、初めて署名入りで書いた記事が1997年11月1日付日経夕刊7面の「らららパソコン面」に載りました。初めてなのに、13字×350行というものすごい分量の大きい記事。ちなみに1面トップ記事でもおおよそ60行から70行が目安とされています。記者経験半年の私にこれだけ多くの記事を書かせ、署名入りで載せるというのは、リストラ大王の日経新聞でないとありえない話。今思うと、手を抜かさないために署名を入れさせていたのかもしれません。
この記事の中で、「昨年十月の総選挙で外交官から新進党代議士に転身した達増(たっそ)拓也さん(33)は自らホームページを開設したり、パソコン通信での参加者限定の会議室も開設している永田町では指折りの”サイバー議員”」と紹介しています。野党の1年生議員だった達増さんにとっても、第41回総選挙の報道をのぞくと、この記事が全国紙デビューだったようです。
[画像]僕が初めて書いた署名記事の全文、1997年11月1日付日経夕刊7面「らららパソコン面」
[画像]達増さんの写真(私が自分で撮影)と、末尾には(政治部 宮崎信行)の署名。
この「らららパソコン面」というのは、パソコン黎明期において、いかに気軽に接するかというコンセプトの土曜夕刊の気軽なページ。日経新聞社では、「ローテーション原稿」といって、各部に機械的にローテーションを回し、各部内で仕事を配分するのですが、どうしても新人記者に回ってくることが増えます。このとき私は橋本龍太郎首相番記者と総務庁担当、首相官邸スーパーサブを兼ねていて、まるきっり時間的余裕がなかったのですが、達増代議士の秘書が新生党学生塾時代からのお知り合いで、今は中塚一宏・衆院議員の奥さんになられている聡子さんで、「すいません、ホントウに余裕がないんですけど、新進党でパソコンやっている先生だれか紹介してください!」と電話で懇願したら、「うちのセンセイどうですか!」とトントン拍子で話が決まった。「パソコンと国会議員」というのは、当時はかなり違和感がある取り合わせだったんです。
この記事は次のような出だしで始まります。
[引用はじめ]
インターネットを遊びだけでなく、勉強やビジネスにも利用したい。しかも無料ならそれにこしたことはないーー民間企業のホームページは会社案内や就職情報に限られていることがまだ多い。しかし国会や霞が関の各省庁など公共機関が設置しているホームページは、情報のつまった無料で巨大なデーターベースだ。
[引用おわり]
この辺りの文章は、新米記者だった僕のオリジナル部分はほとんど残っていなくて、デスクが直しているから、あまり記憶がありません。このころは、「ネットサーフィン」という趣味がはやり、「ウィンドウズ95新発売に長蛇の列」というニュースから間もない時期。このブログを読んでくださっている読者は、この時代の前後にパソコンを始めた人が多いと思います。おそらく他の政治ブログでは、2000年代のテレビ局の予算縮減と小泉ワイドショー政治への不信から、インターネットを始めたご老人が多いようです。
[引用はじめ]
達増さんが目下、注目しているのが十月から運用が始まった衆院LAN(構内情報通信網)だ。情報システムやデータベースと議員や事務部門を結んでいる。衆院第二議員会館内の達増さんの事務所には衆参両院の各委員会の議事録が備わっているが、一年分だけで積み上げると約1・5メートルにもなり、本棚二段分が埋まった。検索が不便なだけに、衆院LANのデータベース機能は魅力だ。現在は過去2年分の衆院本会議の議事録を読むことができる。
「議事録をワープロソフトに取り込んで、過去の議論を参照しながら委員会での質問を練ることができる。国会議員の官僚依存体質に風穴を開けられるかもしれない」
衆院LANを使えば、ほかの議員と電子メールで直接、意見を交換できる。「もっと多くの議員が電子メールを使えば、料亭政治もなくなるだろう」と期待している。
[引用おわり]
この14年前の達増さんの予言はいくつか的中しています。ただ、少し時代は先を急ぎすぎているかも知れません。過去の議事録を取り込んで、過去の議論を参照しながら委員会での質問を練る。的中はしている。しかし、記事中にはないが、おそらくこの「過去の議論」というのは数年から数十年単位のことを言っていると思われますが、最近では「大臣は、おとといの参議院○○委員会で次のように述べられましたが」というように、数日単位のスパンになっていることもあります。そして、これは官僚依存体質への風穴というよりも、野党から与党への攻撃力が増している、とくに参議院自民党が大臣のクビをドンドンあげることができるという現実につながっていると言えるでしょう。
また、電子メールを使って意見交換をすれば、料亭政治もなくなるだろうということです。このころの「料亭政治」とは自民党の派閥領袖級の会合のことで、中堅、若手にとっては「料亭政治」はまったく蚊帳の外でした。そして、電子メールを使って意見交換もありますが、それ以上に、ケータイで「今話せる?」。そして、ケータイでは真意が伝わらないので、与党の政府外1期生議員まで、ホテルニューオータニの庭園内の料亭が縁遠くもない生活になってしまいました。そうなると、電子メールを使って、多くの人を動かし、議員立法のための賛同者20人を集めるという政治ではなく、やたら昼は会議、夜は宴会、その間に間断なくケータイが入るという実にせわしない生活をする国会議員が増えてしまいました。生活がしっかりしていなければ、良い政治ができるわけがありません。朝新聞を読んでいない議員などいっぱいいて、そのため、内閣、衆議院、参議院、党内政局、他党内政局、自治体の動き、国内経済、マーケット、国際情勢、社会ネタを連動して考えることができない議員ばかりになっているように感じられます。だから、「8月9日の3党合意を見直す」と「第3次補正予算(案)は参議院で否決される」ということが理解できないような現職大臣が出てくるのでしょう。
そうすると、やはり「革命」にも感じられた1990年代のパソコン、インターネットは、あくまでも道具であり、それをどう使いこなすかは各個人の能力や仕事環境にあり、あるいは、「国民性」というものも大きく影響してくるでしょう。アメリカやインドなどのベンチャーでは、ブースで区切られた「個室」で、となりの同僚と電子メールで意見交換をしているというような雑誌記事やテレビルポを散見することがありますが、これを考えると、なかなか日本人は厳しいかも知れない。
ところで、この記事のしめくくり。これはかなり私の記憶に残っています。というのは、長文の企画記事は、書き出しは何度もデスクに直されますが、後ろの方は、そんなに直されないモノだからです。
[引用はじめ]
住専問題や薬害エイズ問題で見られたように、官庁にはとかく都合の悪い情報は隠して、外部には出さない体質がある。こうした点は改めるため、政府は長年の懸案だった情報公開法案を来年の通常国会に提出する予定だ。
情報公開制度が中央省庁に導入されれば、情報公開の補助手段として、公共機関のホームページが持つ意味は重みを増しそうだ。
[引用おわり]
情報公開法、公文書管理法、国家行政組織法第12条などを総動員。そして、国立公文書館の整備も進めればいいんです。
さて、インターネットを使ったら、達増さんは私の兄から1週間前後、歳が若いことを知りました。
[画像]達増拓也・岩手県知事、2011年6月2日、日本記者クラブのYouTubeチャンネルからキャプチャ。
達増さんは初の小選挙区制となった第41回衆院選で岩手1区から新進党公認で当選し、「たっそで行こう!21世紀」なんてキャッチコピーだったと思いますが、タイヘン新鮮だったのは、官僚出身議員はやまほどいますが、外務省出身だったということです。中選挙区時代は、おおむね自民党が2~3議席、社会党が1~2議席、公明党や民社党が1議席ずつを分け合っていたため、「利益の誘導と分配」ができることが政権与党議員の選挙の強さにつながりやすく、外務省出身者は選挙に不利でした。今の小選挙区になって、民主党にも、自民党にも、公明党にも、無所属でも外務省出身議員は増えてきています。「小村寿太郎」の名前が国会審議で聴けるような時代になりました。
そのなかで、外交官出身の“元祖サイバー議員”が、岩手県知事として東日本大震災の被災者、および被災自治体などの各種地方公共団体、県内の各種団体と国政府との調整役になるというのは、意外な感じもしますが、ぜひ、達増さんには頑張ってほしいと思います。
ガンバレたっそ!負けるなたっそ!
負けるな。
新内閣がのぞむ、「第178臨時会、第178回秋の臨時国会」の召集をめぐって、与野党のかけひきが始まりました。
報道によると、国会対策委員長の自民党・逢沢一郎さん、公明党・漆原良夫さんは民主党の安住淳さんに召集案をだしたようです。
「2011年平成23年9月9日(金)召集、新総理の所信表明演説→12(月)~14日(水)に各党代表質問、15(木)に衆院予算委、16(金)に参院予算委」というスケジュール案のようです。そして、外交日程としては、国連総会(第66期)のハイレベル会合が9月20日(火)に予定されており、これに行くということになりそうです。
しかし、この自公案では、新政権の船出は波が高く、座礁する可能性が高いと考えられます。
まず、首班指名から、組閣、認証式を経てから、ある程度の予習時間があった方が、答弁ミスは少なくなります。とくに18人の閣僚で内閣、70人で政務三役という組織を編む以上は、どうしても、その分野をもっとも得意とするわけではない議員が担当になることはやむを得ません。また、早く召集すればするほど、野党やマスコミがスキャンダル攻撃をする余地が高まります。また、平成23年度第3次補正予算(案)はどうやら10月に組み上がる気配ですので、早期に召集して、野党が「早く補正を出せ」「出せ」と言い続ければ、与党の支持率はカンタンにさがるでしょう。とはいえ、「所信表明を早くやれ」「外国で演説する前に、国会で代表質問を受けろ」という要望は、一定以上の世論の後押しを受けることは間違いないと考えられます。
このような点を勘案すると、民主党側からみれば、「9月12日(月)召集・所信表明演説」「14(水)~16(金)に各党代表質問」というのが最善のように思えます。このあと、3次補正予算(案)の提出まで時間がかかりそうならば、いったん臨時国会を閉じるという案もあると考えます。
なお、私としては、現時点では、第178回国会の傍聴を続けるかどうか、心に迷いを持っています。少し、民主党とは距離を置いた方がいいかなあとも、思い始めてきました。心が折れかけているというよりも、心の根っこが若干腐りかけてきています。ストレイシープ、ストレイシープ・・・女心と秋の空。
自公「臨時国会、早期召集を」 新首相に対決姿勢 :日本経済新聞
野党は25日、31日の今国会閉幕後、民主党代表選に勝利した新首相のもとで開かれる次の臨時国会について、9月上旬も念頭に早期召集するよう与党側に要求した。政権運営の方向性をただし、政権との距離を探るとともに新首相の出ばなをくじく狙い。自民、公明両党は東日本大震災からの復旧・復興支援には協力する一方、早くも国会論戦での対決姿勢をちらつかせてけん制している。
民主党は29日に新代表を選出、30日に国会で首相指名選挙を実施する予定だ。自公両党は前原誠司前外相、野田佳彦財務相が提唱した大連立には原則応じない構え。民主党新体制との政策協議を経て、閣外から復旧・復興などで協力するのが基本戦略だ。
25日の与野党国会対策委員長会談では、自民党の逢沢一郎氏が次の臨時国会に触れて「新首相は少なくとも(来月下旬の)国連総会への出席前に臨時国会を開き、所信表明などを済ませるべきだ」と主張。具体的には来月9日にも召集して首相の所信表明演説、12~14日に衆参代表質問、15~16日の衆参予算委員会を想定する。民主党の安住淳氏は「新執行部が責任を持ってお伝えする」と述べるにとどめた。
自公両党が早期召集にこだわるのは、両党が求める民主党マニフェスト(政権公約)の主要政策見直しなど新首相の基本姿勢を国会審議で明確にさせる狙いがある。本格的な復興策を盛る今年度第3次補正予算案などで協力路線を取れるかどうかを探るためだ。
自民党には新首相にも対決姿勢で臨むべきだとの声が多い。最大派閥、町村派会長の町村信孝元官房長官は25日の同派総会で「誰が新代表になっても民主党の基本的な弱点は変わっておらず、堂々と対峙していく姿勢が必要だ」と強調。参院幹部は前原氏が新首相に就任した場合、外国人献金問題を念頭に「冒頭から厳しく追及する」と明言した。
自民党は3次補正成立後に衆院解散・総選挙に追い込んで政権を奪取する戦略を描く。古賀派会長の古賀誠元幹事長は25日の同派総会で「谷垣禎一総裁も是々非々などと言わず、3次補正が成立すれば即、衆院解散あるのみだ」と指摘。谷垣氏も記者会見で「政治の体制を立て直すのが現実の課題。野党として十分意識して行動しないといけない」と応じた。
ただ、衆院選挙制度の見直し論議なども抱えており、年内解散には公明党が慎重。自民党内も「支持率の高い政権が誕生して臨時国会冒頭解散でもされたらかなわない」と懸念する声もくすぶっており、明確な政権戦略は描けていない。
国会史上5番目の会期220日間となった第177回国会ですが、残り4営業日となりました。
「前川清成さん、被災者差し押さえ禁止法案を議員立法 「私たちの正義に反します」」のエントリーでご紹介した、参院民主党の前川清成さんが提出した第177国会参法15号議案「東日本大震災にかかる義援金の差し押さえ禁止法案」は、与野党修正協議により、参院災害対策特別委員長提出の第177国会参法20号議案となり、衆院に送られ、8月23日(火)に全会一致で可決、成立しました。委員長(自民党)提出のかっこうになりましたが、事実上は、民主党政府外議員が筆頭発議者となった議員立法といえ、「前川法」と呼ぶべき法律ではないでしょうか。
この法律は短いものです。読んだ限りでは、金融機関に限らず、自治体の税務課も対象になると思われます。
私も含めて、一般に、被災者に寄せられた義援金を差し押さえる行為は、「とんでもない」「許せない」と思うでしょう。しかし、差し押さえようとする債権者も被災者だったり、被災自治体から見て「悪質な税金滞納者」かつ「自治体の中では程度が軽い被災者」かもしれません。そういった場合の差し押さえも禁止されるんだと思います。そういう状況を超越して国民の代表である国会議員の「私の正義が許さない」(前川さんの参院での趣旨説明)法律は、これは内閣提出では不可能であり、議員提出だからできたものだと考えます。
日本国憲法第29条の「財産権は、これを侵してはならない。財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」と定めています。ところで、日本国憲法では、わが国の政治体制を議会制民主主義とハッキリ定めていますが、経済体制に関して、「自由主義経済」「資本主義経済」体制をとるという定めは実は、どこにも書いてありません。この29条の「私有財産」制、およびその権利の確保が、わが国が自由主義経済体制をとることの唯一の憲法上の根拠といえると思われます。そして、今までほとんど見過ごされてきた日本国憲法第83条の「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」という条文。これは「財政民主主義の定め」ということになりますが、これは私が第177通常国会をみながら、最もこの国会で光った条文なんだと思っています。
2009年8月30日に多くの国民の期待を受けた政権交代でしたが、鳩山由紀夫代表が総理就任直前に、岡田克也幹事長を解任するという私にとっては暴挙と思える行動に出ました。そして、そのかわりに就任した小沢一郎幹事長が政府外議員の法案提出を禁止しました。そのため、議員立法は与野党とも低調な状態が続き、さらには閣法まで低調となりました。菅代表になった第175通常国会、第176臨時国会も低調でしたが、第177通常国会から文科委、厚労委などで、首相経験者も含む超党派議連による議員立法が成功。その後、「3・11」による、政府の法案提出ペースの遅れに、どうやら自民党と公明党が党所属の地方議員、推薦首長から突き上げられる事態(もちろん国のためには好結果)になり、ねじれ参院野党の提出法案が成立するなど、前回の衆参ねじれではなかったことが次々と起きました。
小沢一郎幹事長は、民主党議員が国民の請願の紹介者になることを禁じる暴挙もしでかしました。請願権は、日本国憲法第16条に定められた国民の権利であり、大日本帝国憲法(明治憲法)の第30条でも定められています。小沢(氏)の行為は憲法違反だった可能性があります。また、岡田幹事長は、「与党らしい規約作り」を定めていましたが、小沢幹事長は、民主党規約改定委員長だった川端達夫さんが文部科学大臣に入閣後、後任をおきませんでした。岡田幹事長は、代表の任期を「次の総選挙まで」と変えるつもりでしたので、現在のように「来年9月の代表選までのつなぎだ」というよく分からない議論はあり得なかったことになります。小沢信者のみなさんはホントウにこれで良かったのでしょうか。今、小沢さんが再び注目を浴びて、喜び勇んで日々を過ごしているのでしょうか。
さて、会期が国会史上5番目の220日間でありながら、廃案(継続審査)となりそうな議案が出てきました。
まず、公務員の給与関連法案は軒並み廃案となる見通しです。議会制度百年史を読んでいますと、この公務員の給与関連法案は以前の国会でもたびたび会期末攻防の材料となっていたようです。とくに、日本社会党が野党第一党で「総評」が強く、かつ、政府機関として国鉄(国労など)があったころは、会期末処理に失敗して、再度臨時国会を開いた例もあるようです。今後は、給与関連法案は、各組織の所管の委員会ではなく、一括して、内閣委員会に付託するという知恵もあっていいと考えます。
閣法2号だった「所得税などの改正法案」はちぎって成立、ちぎって成立を2回やりながら、残った「法人税率の引き下げ」、「相続税率の引き上げと基礎控除額の引き下げ」は廃案ですから、この部分の税制改正は持ち越しということになります。
前国会からの郵政改革法案は、特別委員会を設けながら、自民党が委員名簿を出さないなどの妨害により、趣旨説明だけで終わりそうです。
社民党が力を入れていた、労働者派遣法案も、廃案が確実。
民主党が野党時代の参院議員立法から、4通常国会連続で出している「地球温暖化対策基本法案」も、原発爆発によるエネルギー基本計画の見直しにより、前提がかわってしまい、廃案となる見通しです。昨年の第175通常国会で、衆院で可決し、参・環境委員会で採決直前まで行っていたのに、つくづく惜しいことをしたという感じです。
条約の承認案件では、原発輸出に関連して、日本とヨルダンの原子力協定が間に合わず、議案としては審議未了となりそうです。
また、会期末によく「法案成立率」というのが報じられるのですが、あくまでも参考程度にすべきです。なぜなら、内閣が重要法案を出していないケースがあるからです。例えば、菅直人首相が前回の第176回秋の臨時国会の平成22年10月1日(金)の所信表明演説で「幼保一体化を含む法案を来年の通常国会に提出する準備を進めます」と述べましたが、この法案は出ませんでした。また、行政刷新担当大臣だった当時の枝野幸男さんが意欲を示していた、裁判官によるインカメラ審査などを盛り込んだ情報公開法改正案も審議入りせず、継続審査となりました。
ただ、民主党政権になって、ようやく、閣法が成立し、議員立法も通るようになりました。衆参ねじれなのによく行ったと感じます。気になるのは、補正予算(案)の編成・提出のペースが遅いように思えるのと、決算審査のペースが遅いことです。この辺は、自治体議会を見習うべきだと考えます。
私も220日間というロングラン国会でしたが、なんとか完走できそうです。「3・11」以降、2ヶ月間ぐらい自宅でのネット傍聴に専念する心持ちになったのと、意外にお盆休みがあり、久しぶりに午前9時過ぎに起きる生活を楽しんだら、代表選で小沢氏の存在が復権してきてしまい、今通常国会冒頭の1月の「衆院政治倫理審査会での説明」と「党員資格停止」が何だったのだろうという気持ちで、心持ちが穏やかでなくなりました。
1ドルが75円ということになり、国際基軸通貨「ドル」の終わりが始まりました。これにより、経済におけるグローバリゼーションはいったん、踊り場を迎え、ふたたび内向きなローカリゼーションになってくる可能性があります。もはやTPPの議論の前提さえ崩れ去った感もありますが、今国会が多くの法律が成立する第一歩となったことは喜ばしいことだと考えています。
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民主党の岡田克也幹事長は2011年8月25日、卒業会見にのぞみ、衆参ねじれ国会で、「衆議院での3分の2条項をなるべく使わないように、公明党との協議を優先した」と述べました。そのうえで、「10年間与党をやってきて、自公の絆はなかなか強かった」として、民自公の3党協議に切り替えたことを明らかにしました。
その理由として、記者の質問に答えて、「公明党は、新進党のときからやってきた身近な存在だ。新進党のとき、あのときは一つの党でしたが、信頼できる人も多い」と述べ、新進党の枠組みを活用して、ねじれ国会を乗り切ろうとしたことを明らかにしました。特例公債法案(子ども手当、農業者戸別所得補償など4k見直し)の協議では、最後は公明党が賛成に回ろうとし、自民党が慌てて党議決定することもありました。
また、初当選のとき、中選挙区で自身が初当選したあおりで、政調会長(政審会長)でありながら落選の憂き目を浴びた坂口力さんが引退を撤回して、厚生労働大臣経験者としての知識と経験をいかして、子ども手当の所得制限と年少扶養控除のバランスに関する坂口試案を軸にしてまとまりました。
新進党を破壊した小沢一郎(氏)の処分に時間がかかったことについては、「本人がすんなり受け入れていればこんな風にはならなかった」、「党内が混乱した」とし、小沢(氏)が衆議院政治倫理審査会での説明を拒んだことから、処分決定に時間がかかったとし、「処分問題を除くと、小沢グループと呼ばれる人たちがひっかかることは他に無いのではないか」とし、これにより、党内で岡田さんを悪く言う人が増えたことは、菅直人首相・代表から幹事長就任を要請されたときと同様に、「天命だ」とたんたんとしました。
「天命」とは「天によって定められた人の宿命」のことです。
また、3・11の原子力災害と震災について、菅総理は「真っ暗闇の中を手探りで進んだ」とし、「閣僚の中にはストレスで人知れず悩んだ人もいた」とし、精神的な症状があった閣僚がいたことを実名はあげずに明らかにしたうえで、菅さんを「歴代のなかでも抜きんでたタフな首相だった」と持ちあげました。
そして、「心残りは党改革と政治改革ができなかったこと」としながら、「法案はできている」と述べ、与野党の調整ができれば、提出できるとの構えをみせました。
記者からの「ポスト菅に名前が上がらないなど、失うモノが多かったか?」との質問には「大事なことは民主党が信頼を回復すること。個人的にはずいぶんご批判をいただいたが、そういったことを冷静にみている国民や、国会議員はいると思う。それも含めて天命だと思う」とたんたんと語りました。そのうえで「4人目はありえない」とし、来年9月の代表選(解散がなかった場合)にも出馬しない考えを表明しました。幹事長退任後について、「これからやりたいことはいろいろある」とし、「新総理からこれは天命だと思う仕事を頼まれれば引き受けるか?」との問いには、「天命という言葉はそうちょくちょく使う言葉ではない」と笑いました。
11ヶ月間にわたる3度目の幹事長職、与党としては初の幹事長職でしたが、半分は小沢(氏)問題、半分は特例公債法案で終わってしまった感じです。新進党解党を防げず、民由合併で悪魔を民主党におびきよせてしまった2つの後始末だけで、終わってしまった感があり、日本を前に進めるバトンは次の幹事長に引き継がれることになります。
◇
ところで、まったく関係のない話を書きます。
代表選出馬要請を受けた鹿野道彦さんがなかなか「決断」をしませんが、過去にも似たようなシーンがあり、思い出しました。最近の国会議員はwikipediaが好きですが、初代民主党執行部は、菅代表、石井一国会対策委員長、横路孝弘・総務会長となっています。しかし、実は、菅初代代表は、鹿野さんに国会対策委員長を依頼しています。この時点の民主党のベテランは、寄り合い所帯ですが、今と違って与党経験がやたら長い人と、野党経験が長い人が二分されていました。与党経験が長い鹿野さんは、自民党では3役と呼ばれている総務会長(現在は常任幹事会議長に改組・改称)という言葉に憧れたようで、菅初代代表サイドには伝えていたようです。しかし、ここで、野党経験の長いベテランらが、「野党と与党は反対で、総務会長よりも、国対委員長の方が野党では格上だ」と指摘しますが、鹿野さんはあまり人の言うことを聞かない人のように、13年前に私は感じました。どうも、与党が長い人も野党が長い人も最終的には鹿野さんが総務会長にこだわり、国対委員長を拒む理由がよく把握できなかったようです。これとは直接の関係はないと思いますが、当時既に長老議員だった石井一さんが自ら菅さんに「オレが国対委員長として切り込み隊長になる」と申し入れて、国対委員長に就任しました。ピンさんは「菅は、菅は」と代表を呼び捨てにし、「オレが大臣のころ、菅は野党の若手だったからよく質問してきたけど鋭かったよ。ああいう奴が伸びるんだよなあ。国会議員は野党スタートがいいな」と若手に教えて、大喜びされます。このときの若手というのが、安住淳さん、原口一博さんらの世代になります。一方、自民党出身者から羽田孜幹事長、石井一国対委員長がきまったので、総務会長は社会党系にさざるをえなくなり、北海道知事3期を経て、2年前に国政復帰していた横路孝弘さんが総務会長となり、鹿野さんは無役となってしまいました。その後も、副代表や、ネクスト農相などしか役職に就いたことがありません。最近の鹿野さんをみていると、あのときに似ているなと思ったので参考までに書きました。それから、民主党1期生議員に対して「赤坂で飲んでいるんじゃない」「国会議員になってから真の友達はできない」と書いてきた意味も、ようやく最近分かっていただけた方も多いかと思います。別段、代表選に対して、何か影響を与えたい狙いはまったくございませんので、私を叩かないでください。もう疲れました。
[写真]栄誉礼を受ける北澤俊美防衛大臣、2011年1月18日、海上自衛隊大村基地、防衛省・自衛隊ホームページから。
民主党長野県連代表を兼ねる防衛大臣の北澤俊美さんは2011年8月20日、飯田市での県連大会で、代表選挙に関して、「今名前の挙がっている人たちが、本当に総理大臣の重責を担うことができるのか、いささかの不安がある。第3の候補が、お互いの話し合いの中で擁立されてくるのではないかと思う」と述べ、候補予定者たちの“宰相の器”に疑問符を付け、実力者の話し合いによる第3の候補に期待を示しました。
[写真]東京電力福島第一原子力発電所の爆発直後の3月14日、幕僚を励ます北澤俊美防衛大臣、時事通信配信の代表撮影画像。
[写真]国連事務総長パン・ギムンさんの訪問を受けた北澤俊美防衛大臣、2011年8月、防衛省・自衛隊ホームページから。
[写真]38度線の板門店で北朝鮮兵士(窓の向こう側)にビデオを撮られ監視される北澤俊美防衛大臣、右は韓国軍将校。朝日新聞さんより。
[写真]外国賓客とともに儀仗を受ける北澤俊美防衛大臣、2011年1月、東京・市ヶ谷、防衛省・自衛隊ホームページ。
北澤氏“候補者絞り込みを” NHKニュース
北澤防衛大臣は長野県飯田市で講演し、民主党の代表選挙について、党内で一定の支持がある候補者どうしで争うべきで、立候補を目指している議員が、話し合いなどを通じて候補者を絞り込むべきだという考えを示しました。
この中で北澤防衛大臣は、民主党の代表選挙について「勢力を分散して小さな争いを運動会のようにやってもまったく意味がない。お互いに話し合って、どういう人を立候補させようかといったことがあってしかるべきで、候補者を極力絞って論戦ができるような代表選挙になってほしい」と述べ、話し合いなどを通じて候補者を絞り込むべきだという考えを示しました。一方北澤大臣は、「今名前の挙がっている人たちが、本当に総理大臣の重責を担うことができるのか、いささかの不安がある。第三の候補が、お互いの話し合いの中で擁立されてくるのではないかと思う」と述べました。
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【2011年8月18日(木) 参院・文教科学委員会】
さて、お盆明け8月15日週でしたが、国会審議は、参議院で委員会が一つだけ。衆議院は何にもなしの体たらく。
今週、設定された唯一の委員会は、「自民党らの議員立法に対して、民主党議員が日本国憲法89条論争を挑む」という談論風発としたものになり、さすがにクソ暑い中設定されたにふさわしい良い国会となりました。
参議院文教科学委員会は、委員長ポストは自民党がにぎっていて、二之湯智(にのゆさとし)さん、京都選出です。
議題となったのは、第177国会参法21号「東日本大震災に対処するための私立学校の建物の災害復旧の特別の助成措置に関する法案」です。
提出者は、メダリストで元外務副大臣の自民党・橋本聖子さん、“ヤンキー先生”こと義家弘介(よしいえ・ひろゆき)さん、83歳の最長老議員の公明党の草川昭三さん、71歳の新人議員(元PHP研究所社長)でみんなの党の江口克彦さんら。
[画像]法案の趣旨説明をする参院自民党の橋本聖子さん、2011年8月18日、参・文科委、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。
私立学校の建物の復旧などへの国庫補助率を3分の2にかさ上げするという議員立法です。そういう風に聞くと、「私学に国庫がそれだけ負担する必要があるのか?」と思うところですが、私学教員の経験がある義家さんの答弁によると、私学助成金は生徒数で計算されるため、県外避難をした家庭の生徒がいると、学費も助成金も減ってしまうという現実が被災地の私学を待ちかまえているとのこと。
そして、義家さんの答弁や、自民党の熊谷大(くまがい・ゆたか)さんの討論によると、与党・民主党では、委員長提案による与野党超党派での議員立法を予定していたものの、政調部門会議でストップがかかり、衆院文部科学委員会の与党側筆頭理事は辞表を出した、とのこと。また、民主党は財政負担増を懸念した「財務省に言われて反対に回った」(熊谷さん)とされました。
このような背景があったからでしょうが、質問に立った民主党の大島九州男(おおしま・くすお)さんは、日本国憲法第7章第89条の「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、または公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、またはその利用に供してはならない」との条文と法案の整合性について、問答を挑みました。
[画像]憲法89条論争を挑んだ民主党の大島九州男さん、2011年8月18日、参文科委、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。
なお、はじめに言及しますが、大島さんは私の日大二高の12年先輩ですので、大島さんの国会傍聴記はじゃっかんひいき目な書きぶりになりますので、ご了承下さい。東京電力から広告料を受け取っていることをかくして、「東電賠償スキーム、国が大幅負担へ 素案判明」なんて書く新聞よりずっと良心的だと自負しています。そもそも、議会制デモクラシーの国会を公正中立に書くのなんてムリだし、つまらないです。
私はかねてから、憲法89条は、もっとも違憲立法・違憲行政の議論の余地がある条文だと思います。つまり公金の教育への支出が憲法で禁じられている、と読めます。そうなると、学校教育法第59条の「国や自治体は、教育の振興上必要があると認める場合には、別に法律で定めるところにより、学校法人に対し、私立学校教育に関し、必要な助成をすることがある」としています。
違憲立法・違憲行政は、最高裁に行った場合は、大法廷で15人の裁判官が裁きます。ただ、お昼のNHKニュースを恒常的に見ている人ならば気付くでしょうが、実は大法廷は近年では年に1回前後しか使われていません。国政選挙のたびに選挙区ごとに弁護士が訴えている、一票の格差について「格差は違憲」としながら「選挙は有効(事情判決)」とする判決が年に1回前後あるだけ。裁判所の判例は条文と同じ効力がありますから、日本国憲法は60歳を迎えて、こなれてきたという風に言えるでしょう。
委員会室に戻ります。大島さんは憲法89条について、日本国憲法制定前の審議での議事録や、昭和21年(1946年)の憲法に続き、昭和24年(1949年)に私立学校法ができたときの経緯をひもときながら、細かく指摘。これに対して、まずなぜか橋本元外務副大臣はまったく答弁せず、義家さんが答弁に立ちます。「本法案は、衆議院法制局と参議院法制局と長時間、協議した上でつくったものです」と強調しますが、かなりしどろもどろになってしまいました。この日の審議では、政府参考人は、文科省私学部長ひとりだけで、内閣法制局の長官・部長や、参院法制局の局長・部長などはいっさい呼ばれていませんでした。文科省私学部長もあまり想定していなかったようで、あまりハッキリした答えは出てきません。
[画像]答弁する法案提出者の自民党の義家弘介さん、2011年8月18日、参文科委、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。
ここで大島さんも武士の情けという風情で、「正直なことを言うと、私もこの法案が出て来なければ、ここまでしっかり憲法や議事録を読み込まなかったと思います。とはいえ、この憲法制定当時に国会で先輩たちがどういう議論をしていたかということを私たちはもっと虚心坦懐にとらえて、法案を審査すべきではないでしょうか」と語りかけます。
見かねた江口さんが「大島議員のお話はごもっとも」と答弁したので、笑ってしまいました。さらに江口さんは「私のように人生を長くやっていますと、公立だけでは(受け入れる生徒数などが)やっていけないということはよく分かります」と人生経験アピール。
[画像]法案提出者でみんなの党最高顧問・参院議員の江口克彦さん、2011年8月18日、参文科委、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。
大島さんは「ですから、大きな幹の枝葉だけをチョコチョコ変えるような法令をそろえるのではなくて、幹をしっかりつくるのが私たち国会議員の仕事ではないでしょうか」と語りました。
これに対して江口さんは「同感ですが、今は非常時だからチョコチョコやらないとダメなんです。被災者のためなんです」と答弁します。しかし、冷たいように感じるでしょうが、非常時だからこそ、チョコチョコやってはいけない、それが法治国家における立法府だと私は考えます。まあ民主党内閣の法案提出のスピードがtoo late であることは私も認めます。
大島さんは「私学助成金があって運営されているのが私学の実態であって、私学助成金という制度の幹をしっかりつくり、行政を監督するのが国会の役目だ」と強調して質問を終わります。ただ、この法案は一度は民主党が共同提出に合意したのに反故になった経緯があったようですから、大島さんとしても逃げの質問だったんでしょうが、やはりそういうテクニックは必要です。そして、逃げの質問を憲法論争に持っていった大島さんはなかなかダイナミックな政治家だと感じます。
次に法案に賛成する予定の自民党の熊谷さんが質問に立ちました。この時点で、憲法論争はおされ気味だったので、「ここで改めて文科省に憲法89条との整合性についてお聞きします」と質問しました。
これに答えるのは、民主党参院議員でもある文科副大臣の鈴木寛さんで、ペーパーをみながら、答弁しました。
そして、熊谷さんは自分の認識を示した上で、「発議者にお聞きしますが、私の認識で正しいでしょうか?」と述べると、義家・発議者は「まったく認識を一致しています」と述べました。熊谷さんのナイスフォローとなりました。
けっきょく、委員長(自民党)が採決に加わらないことから、委員会採決では、自民党、公明党、みんなの党の賛成少数で否決されました。これは「20人委員会で」、日本共産党と参院会派「たちあがれ日本・新党改革」は委員を出していません。しかし、22日(月)の本会議では二之湯委員長の報告のあと、参議院議員全員で採決しますので、賛成が反対を上回る見込みで、可決し、衆院に送られる見通しです。参議院は、こういった綱渡りで輿石東会長ら政権与党は参議院を運営しているのに、衆議院側の政府外議員が、民自公3党の修正協議をみて、「岡田幹事長はマニフェストの魂を売った」などと言うのはホントウに恥ずかしい。昨年7月の直近の民意(参院選での与党・民主党へのお灸→衆参ねじれ)を無視しているというか、気付いていなくて、あの人たちは憲法の二院制を無視した“違憲議員”ではないでしょうか。代表選の会合なんか出てないで、参議院の委員会を傍聴したらいいんですよ。
さまざまなねじれがあるなかでの、議員立法と憲法論争ですが、ただ、政務三役も含めて、議員同士が憲法の「解釈」を議論するのは少し違うような感じがします。ただ、大島さんが「正直、この法案が出たからこれだけ勉強した」という触媒になったのは大歓迎です。
熟議の国会は、ホントウに実現してきていると、正直に感じています。
法案は衆院送付後に、与野党修正協議がされるものと思います。会期末(8月31日)まであまり時間がありません、急げ!
今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行
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[写真]カメラを使って、回りの情報を収集する、公明党代表の山口那津男さん、2010年、与那国島、同党の遠山清彦さんのツイッターから。
公明党代表の山口那津男さんは、2011年8月19日(金)、北海道で、「大連立そのものを否定するわけではないが、民主党内でいろいろな意見がある以上、民主党としてどうするのか方針を決めて明らかにすべきだ。大連立という枠組みを代表選の争点とすることが妥当なのか、よく考えてもらいたい。我々は国民のために優先順位を決めて、何をやるかを最も重視したい。これまで民自公の3党協議を重ねてきた実績を生かしながら、臨んでいきたい。まずは震災の復旧・復興で合意形成を進めるのが妥当だ」と述べました。きょう(20日)付の公明新聞が伝えました。
[写真]民自公3党協議のようす、2011年8月9日、民主党ホームページから。
山口さんは、同日開かれた北海道や東北を担当する参院議員の横山信一さん(全国比例)の政治資金パーティーのため、北海道・札幌を訪れていました。横山さんのパーティーでの講演では、特例公債法案が「辞任3条件」になったことについて、「公明党は(3党間での)合意形成を積極的に図った」として、菅直人首相を退陣させるために合意を急いだわけではないと強調。山口さんはこのところ、地方議員向けの夏期研修会などで、2013年の都議選・参院選・衆院選トリプル選挙に向けて、じっくりと日常活動をして党再建をめざす考えをくり返していますが、ゆうべのパーティーでは「政権の追い込みを画策する時ではない」としました。また、首相の菅さんが6月2日の「退陣」ととられかねない発言をしてしまって以降、「内政・外交の課題に対応できず、空白の不利益」が出ているとして、民主党に「必要なことは新体制で取り戻す気概を示すことだ」としました。
先日、当ブログ開設5年目入りということで、初心に返るために傍聴した参・農水委では、この横山さんが質問に立ち、「ホタテ養殖の丸カゴが、(震災の影響で)ベトナム製、中国製が大量注文されており、国内産の調達を急ぐべきだ」、「岩手の漁業者から『横山さん、無保証の融資はないのか』と聞かれたが、その融資制度はある。周知されていない」、「漁業者を無収入のまま浜に縛り付けておくことはできないが、サラリーマンになってしまい生活が落ち着いたら、もう後継者(としては漁業に)は戻ってこない」などと、まさに庶民の生活の代弁者として、鹿野道彦農相に声をダイレクトに届けていました。鹿野農相がどういう答弁をしていたかは、ちょっとノートにもとっていないし、覚えていないので、ちょっと分かりません。
なお、けさ(8月20日朝)放送のTBS「みのもんたのサタデーずばっと」の中で、鳩山グループが「岡田幹事長は衆参ねじれなのに、他党と根回しをしない人だ」と述べたところ、ひごろ強硬派の参院自民党幹事長の小坂憲次さんが「でも、交渉の過程(プロセス)を目に見えるところでのはいいことだ」と鳩山グループをたしなめるシーンがありました。ちなみに、山口さん、小坂さん、岡田さんは3人とも、第39回衆院選(1990年2月)初当選組です。
また、今週はニクソン・ショック(1971年8月15日)から40周年でしたが、New Yorkでは金曜日後場で1ドル=75円をつけるシーンがありました。山口さんは円高対策について中小企業の「現場の人々の生活に寄り添って考えれば一刻の猶予もない」と述べました。
菅直人総理(民主党代表)は2011年8月12日(金)の閣僚懇談会でちかく総辞職する意向を示し、民主党代表選が8月28日(日)ないしは閉会後の9月に行われる見通しとなりました。また総理がかわるのは残念です。歴史の変革期には、このようなことは多いです。例えばインドネシアのスハルト大統領・韓国の朴正煕政権終了後、短期間のリーダーが続きましたが、今は中期的な任期の安定したリーダーが政治をしています。日本も次の首相で、しっかりと「ルール・オブ・ザ・ゲーム」(公選法、国会法、内閣法、国家行政組織法)をつくって、安定した政権交代可能な政治をつくっていきましょう。
次期民主党代表では、現時点で財務大臣の野田佳彦さん(当選5回、54歳)、農相の鹿野道彦さん(当選11回、69歳)、元民主党国会対策委員長の樽床伸二さん(当選5回、52歳)、元環境大臣の小沢鋭仁さん(当選6回、57歳)、前国交大臣の馬淵澄夫さん(当選3回、51歳)が有力となっています。民主党代表選は”1人区””単記式”の投票ですが、私たちの衆院選や首長選と違い、1回目で過半数を満たす候補者がいない場合は決選投票があります。ですから、リードしている野田さんが盤石とはいえず、まだまだ分かりません。できれば最後は話し合いによる1本化がいいのですが、「出来レース」と呼ばれかねず、難しいところです。
昨年9月の代表選で、菅直人陣営の推薦人25人中8人なのに対して、小沢一郎陣営では推薦人25人中1人に過ぎないということを指摘しました。新進党員だった人の数のことです。
勘違いが多いのは、小沢一郎氏は1994年の新進党結党時に幹事長、1995年の参院選勝利時は幹事長で、第2回党首選で党首になり、1996年の第41回衆院選敗北後も党首に居座り、1997年に一方的に解党宣言しました。この間、つねに幹事長か党首のいずれかにいたので、”新進党同窓会”は“小沢氏を囲む会”であるという勘違いが多くなりますが、実際には”新進党同窓会”とは”小沢一郎被害者の会”です。だから小沢候補と対抗した菅総理に8人もの推薦人がついたのですが、「昔のこと」なので誰もそれを話さないので、私がこうやってブログで指摘しないとなかなか見えてこないのです。岡田克也さんは1期生議員のケータイに電話たさい、1期生が「私は政策でこれから考えて決めます」と答えたのに対し、岡田さんは「いや、違うんだ。今度の代表選は、脱小沢体制を構築する選挙なんだ」として菅候補に投票するよう説得しました。
そして、この1年間。小沢一郎氏は選挙の公正さに疑義を唱えていないのに、民主党政権を妨害してきました。自民党や公明党が求める「政治とカネ」の説明責任(アカウンタビリティ)では、衆議院政治倫理審査会ではなくニコニコ動画で“説明”するという国会軽視を続けました。ことし1月31日、検察審査会によ刑事起訴されたときに、常任幹事会が「無罪確定まで党員資格停止で裁判にできるだけ専念してもらう」温情判決を出したのに、かえって恨みを持ったようで、2月17日には「16人による会派離脱届け」騒動で「3分の2」構想を砕きました。このため、特例公債法案をめぐる与野党修正協議となり、統一選をはさんだ長期の協議の結果については、三宅雪子氏ら小沢グループが「マニフェスト(一部)撤回で政権交代の魂を売った」と因縁をつけるチンピラ風情。
それはさておき、有力候補者の一人が、雑誌で「日米同盟は公共財であり、最大の資産だ」という趣旨を書いており、賛同します。やはりわが国は、経常収支黒字国でもありますから、過去に築いた資産を取り崩し、あるいはミドルリスクで投資しながら、食べ長らえていくべきでしょう。そうなると、政治による、利益の最適な配分がますます必要になってきます。
私は「新進党」という公共財を使えばいいと思います。「新進党」は沈没船ではありません。廃止された青函連絡船「羊蹄丸」のように、引退船です。それが昨年9月の25人中8人の結束につながっています。人間ですから、「小沢被害者の会」という「憎しみ」のつながりもありますが、当選している政治家ですから「新進党懐かしいなあ」「小沢憎し」と表では言いません。だから見えにくいのですが、ただ、実はもっとも熱い政治家である、岡田さんの小沢の息の根を止めるための鬼のようなパワーは、この憎しみから生まれているのです。人間ですから。
◇
3党合意で活躍した自民党政調会長の石破茂さんは、小沢氏が起訴された翌日(2011年2月1日)の衆・予算委員会でこうかたりました。「小沢さんの問題。総理、この話にそろそろ切りをつけませんか。総理は在職三十年、私も二十五年になります。その多くを、小沢さんなのか小沢さんではないのかということに費やしてきた」「ずっと、この長い間、本来我々は議論をすることがもっとほかにあったはずだ。そういう議論に我々は時間を費やすことではなくて、それは新進党であり、あるいは今の民主党もそうかもしれない、小沢さんなのか小沢さんじゃないのか、そのことに物すごく時間を費やしてきた。このことの国政の停滞、これに切りをつけないと」「私たちは、国会議員をやっていて本当にむなしくなったことがある。きょう一日きょう一日、また小沢、小沢じゃない、私はこういうことをやるために国会議員になったんじゃない、そういう思いを持ちました」と話しました。
「またかよ!」とうんざりする代表選ですが、この代表選を小沢氏の影響力にくさびをうちこみ、怨念を越えた新しい政治のスタートにしなければいけません。民主党執行部が「大連立」と言っているのは、それにより、小沢氏の影響力を相対的に低下させるのがねらいです。今国会だけでも、会派離脱騒ぎ、不信任騒ぎと散々に振り回されてきました。もうやめましょう。
次に、4月29日(金)の衆院財務金融委員会でこんなシーンがありました。登場人物は野田佳彦さんと公明党の竹内譲さん。この2人は、政治改革総選挙の1993年夏の第40回衆院選で野田さんは日本新党公認、竹内さんは公明党公認で初当選。そして、1回生として細川・羽田内閣を経験した後、新進党結党に参画し、第41回総選挙に出馬したモノの、小沢一郎党首の「消費税5%絶対反対」という突然の抵抗野党転向で支持を失い、事実上敗北(議席は微増)した選挙で落選してしまった仲なのです。
「公明党の竹内譲でございます。野田大臣以下政府の皆さん、昼食もとらずに御苦労さまでございます。大変でございますが、ともどもに、しっかりとした議論をしてまいりたいというふうに思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(略)」
[画像]公明党の竹内譲さん、2011年3月の画像、衆議院インターネット審議中継から。
「そこで、今度は歳入面からの質問をさせていただきたいんです」「(平成23年度第1次補正予算の一般会計への)外為特会からの繰り入れが2308億5896万1千円。ほかの繰り入れは何億なんですよね、(略)億円とか(略)億円とか(略)億円とか。ところが、この外為特会からの繰り入れは一千円までついている。非常に奇妙な感じがするんですよね。この数字の根拠を教えてください」。
この質疑に対して、野田財務大臣は次のように答弁しました。「いわゆる外貨建てなので、そういう形になったというふうに理解をしています」。
野田さんは今国会で、予算と予算関連法案の分離により、参院予算委員会の昼休みに衆院財金委員会で答弁するとったタイヘンな状態のなか、よく答弁しました。巷間言われるとおり、理解力に優れているし、体力があります。野田財務相の答弁は、今国会で3つぐらい気になるところがありましたので、まとめようかと予定していますが、はぐらかしも少ない、安定した答弁ぶりでした。ただ、この竹内さんへの答弁からすると、「外貨建て」のものを1次補正の税外収入に転用していたことになりますから、、これは外為特会の元本部分と取り崩したことになり、劇画「ゴルゴ13」で描かれるような事態です。
本来ならば、野党議員はここで攻め込むはずだし、竹内さんはそのテクニックもありますが、ここは「新進党同窓会」として武士の情けをみせました。
竹内さんは「いや、どうもそれは違うと思うんですよ。後ろの財務省、ちょっとフォローして」と大臣を助けます。なお、議事録では前記のようになっていますが、私は竹内さんは「それちょっと違うと思いますよ~~。後ろの人(財務相事務秘書官)に聞いた方がいいですよ~~」と言ったように記憶しています。議事録は後世の歴史家にも分かりやすいようにこうなっていて、竹内さんは同委員会の理事ですから自分で決裁しているでしょうから、これでいいでしょう。
野田さんは、「年金の二分の一に持っていくところの、その額の最後の足らざるところの調整という形で細かい数字になったということでございます」と答弁し、竹内さんは「そうですよね。(略)そうすると大体そのぐらいの数字になってくるということですよね」と和気藹々(わきあいあい)と実りある審議となりました。
◇
2月16日(水)の衆院予算委員会では、理事で公明党の富田茂之さんが質問に立ちました。富田さんは、第40回衆院選で初当選。新進党結党に参画し、第41回衆院選では小沢党首にブロック上位で登載され、再選しました。これは、創価学会や連合の支持を受ける候補者を名簿上位にして、組織票を掘り起こす作戦でした。ところが、小選挙区立候補者は名簿に重複させないという小沢氏の奇行が大混乱を招きました。なぜ奇行とまで私が言うかというと、この重複できるという改正公選法は、小沢氏らの主導でできた法律であって、自分でそういうルールにしておいて、「小選挙区で勝ってこそ、政治家だ」と、それはたしかにもっともな、筋が通った話しなのですが、法律と筋論の境界線があいまいで、命令を受ける方としては訳が分かりませんでした。そうやって新進党が解党し、公明党公認候補として第42回衆院選にのぞんだ富田さんは、組織票では当選ラインに足りず、落選してしまいました。同じ公明党でもいろいろなパターンがあります。現在は5期生です。
で、富田さんは、昨年9月の尖閣諸島問題のさざ波が残っていた1月に中国出張し、日中友好協会会長の加藤紘一さん(自民党)らと、国務委員(外相より格上)の戴秉国さんと会ったときのエピソードを披露しました。
「公明党の富田茂之でございます。実は、ことしの1月11日から13日まで、日中友好協会会長を務める自由民主党の加藤紘一衆議院議員に同行させていただきまして、この尖閣問題で前面に出てこられました中国の戴秉国国務委員や元駐日大使の武大偉朝鮮半島事務特別代表と会談をさせていただきました」「私にも質問の機会をいただきましたので私の方から戴秉国さんに、『実は以前に戴秉国さんにお会いしたことがある』、1997年と1998年の2回、当時まだ戴秉国さんは中国共産党対外連絡部の部長さんでしたけれども、今、民主党の幹事長をされている岡田克也先生とか、中川正春さんも御一緒だったんですが、当時、戴秉国さんとお会いしていろいろな話をさせていただいたことを御紹介しましたら、にこにこされて、『おお、新進党!!』と言われました。新進党で行きましたので、当時のことを思い出されたんだと思うんですが、よく覚えていらっしゃるなということでした」。
「新進党」というキーワード一つで和気藹々となった戴秉国国務委員は富田さんとけっこうディープな話になります。まず、分かりやすく、下のマンガにまとめました。
(作成 宮崎信行)
マンガでお分かりいただけたかと思いますが、富田さんの2月16日の質問を引用します。
「私は戴秉国さんに、問題が起きたときに岡田さんと直接やり合ったらよかったじゃないですかという話をしました。なかなか民主党の皆さん、中国とのパイプがないということで苦悩されていたと思うんですが、そういう話をしましたら、戴秉国さんも、そのとおりだ、直接話がしたかった、いろいろあってできなかったけれども、これからは一対一の直接の対話が大事だと思うと。会談が終わった後、わざわざ私のところへ歩み寄ってこられて、富田さん、岡田さんにちゃんとこの話を伝えてくれと言われたんですね。本当に大事なことだと思います、いろいろなパイプがありますから。私の方からは、さまざまなレベルでの対話のルート、例えば一緒に行っていただいた加藤紘一先生とか、政界を引退されましたけれども自民党の元幹事長だった野中広務先生とか、日中間で本当にいろいろなパイプをつくってこられた方々を、与野党関係なしに、そういった信頼関係を築いてきた方たちのルートを利用したらどうだろうかという話をしましたら、戴秉国さんも、そのとおりだと思うというふうに言われていました。それで、岡田幹事長にもその旨をお伝えしました」とのことでした。
このように、小沢一郎氏による解党宣言で、新進党員は、民自公にちらばってしまいましたが、今こそこの人脈を公共財として活用すべきでしょう。とくに民主党には地方議員や推薦首長が少ないという、震災復興では構造的な問題があります。こういったところを、公明党や、あるいは自民党に補って欲しい。これは国益のためです。また民主党の地方議員不足は構造的な問題ですから、責め立てても何のメリットもありません。
公明党代表の山口那津男さんは15日、記者団のぶら下がりで、大連立構想について、「まったく否定するものではないが、具体的に意思決定する段階ではない」と語ったそうです。これは、公明党という組織のしっかりした政党ですから、代表の一存ではなく、地方議員や、支持者・とくに創価学会員の意見を聞かないと決められないということを言っているのだ、と私は理解します。
衆参ねじれでは、民主党・国民新党と公明党の3党では、参議院で128議席。参院小沢グループが8人造反しただけで、またしても国政は混乱します。輿石東会長がしっかりと参院民主党をおさえてくれていますが、やはり、自民党も含めて大連立を申し出ないといけないのはこの現況があります。ただ、立ち止まって考えるよりも、走りながら考えるしか方策はありません。
わずか3年間だけ存在した新進党ですが、光り輝いていました。新進党員からの内閣総理大臣はいまだに一人も出ていません。菅直人首相で森喜朗首相退陣後に5代、親が町長の森さんも世襲とすれば、村山首相退陣以来8代連続で家業が政治の世襲議員の総理大臣の負の連鎖は断ち切ることができました。非世襲→非世襲というバトンタッチとなると、平成元年(1989年)の竹下→宇野→海部首相以来ということになります。日本は民主制の国です。
そして、念のため、言っておきますが、新進党員といっても、今国会で活躍しているメンバーは「小沢被害者の会」として心でつながっていますから、この公共財を利用して、小沢首相が誕生することは絶対にありません。夕刊紙などで、「小沢氏が公明党に接近」などと出ますが、それは、公明党・創価学会で第一線を退いた人と会って、お互いの存在感をしめそうとしているだけです。
怨念の政治を乗り越えるためには、小沢氏を乗り越えることが大事です。剛腕は「私たち国民の投票」だけで十分です。
政権交代ある政治を日本に根付かせるため、ルール作りが肝腎です。衆院の任期中は総理がかわらないようにする(ただしリコールはできる)ことが大事です。まさに訓政期であり、システムをしっかりつくっていきましょう。
そのためには・・・
新進党の枠組みを活用しましょう!
別段、排他的な意味でなく、各党の交渉窓口の要所要所に使えばいいと思うのです。
あの日と同じ澄んだ瞳で。
2011年今後の政治日程を以下のブログで更新しています。
会員制ブログ
「今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行」
のご案内。
国政を理解し、自分の意見を反映させる上では、「日程感」をつかむことが大事です。「今後の政治日程 by 下町の太陽」では、今後予想される政治日程のうち、政局に影響を与えるものに絞って紹介していきます。ぜひご活用ください。
今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行
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[画像]半年間にわたった特例公債法案の修正可決を宣言する石田勝之・衆議院財務金融委員長=衆議院インターネット審議中継からキャプチャ。
【衆院財務金融委員会 2011年8月10日(水)】
ついついホッとしてしまったのですが、この委員会は書いておかねばなりません。
2月16日(水)。衆・予算委の昼休みを利用して、財金委で財務大臣の野田佳彦さんと、金融担当および郵政改革担当大臣の自見庄三郎さんの所信表明がありました。他の委員会より早く所信表明があったのは、今国会の政府提出(閣法)1号議案である「特例公債法案(平成23年度の赤字国債発行法案)」を早く衆院を通過させ、参院で否決されても、衆院で再可決させようという思惑からです。これは、民主党執行部はおろか、キャスティングボートをにぎれる社民党幹事長の重野安正・衆院議員も考えていたことです。ところがその翌日の2月17日午前、渡辺浩一郎氏ら16人の民主党比例単独衆院議員が民主党幹事長室に突然、会派離脱届けを、岡田克也幹事長不在にもかかわらず、職員に置いていくという事態が発生してしまい、この時点で「3分の2」カードは消えました。この日から半年間、重野さんのお姿をテレビで見ることが少なかったような感じがします。たぶん誰も気付いていないでしょうが、この騒動でイチバン損をしたのは重野さんだと思います。
翌週の2月23日(水)。茫然自失とした先が見えない状態で、衆・予算委が休憩になった直後の、午後0時10分から、特例公債法案の提案理由説明がありました。野田財務相はその最後を、「なにとぞご審議のうえ速やかにご賛同いただきますようお願いします」との決まり文句でしめくくりましたが、誰にも先が見えない状態でした。
3月1日(火)。衆院本会議で平成23年度当初予算案を可決しました。この中には、歳入に赤字国債の発行などの見積もりが盛り込まれていましたが、その裏付けとなる法律がいつ成立するかは不明なままでした。例年だとこの日に一括して法案は採決されるはずでした。昨年は自民党の1期生小泉進次郎さんが討論に立ち、「予算に反対、特例公債法案には賛成」と演説しました。しかし、ほとんど同じ内容の法案にもかかわらず、自民党は賛成してくれませんでした。
3月2日(水)の財金委は、白川日銀総裁らへの一般質疑で終わってしまいました。
そして、3月9日(水)。ようやく自民党が起き出します。参院予算委が終わった午後5時10分から委員会がスタート。民主党は早朝、昼間、夕方、夜を全部使って審議をしてほしいと要望していましたが、この日は2時間だけ。冒頭、自民党の後藤田正純・筆頭理事(当時)が「この委員会は古い伝統もあり、定例日以外はやらない。夜なべもやらない。私は個人的には夜8時でも、9時でもよかろうと思うが、きょうは夕なべの2時間の審議となった」と語りました。後藤田さんとしては、野党としてそろそろ起きて、少しずつ与党をいたぶろうという気があったようです。ところで、私も傍聴ノートを振り返ってみて、この過程で毎週(水)だけしか財金委は開かれていなかったことに気付きました。理事会では、毎日でもやろうとする、古本伸一郎・民主党側筆頭理事と野党側理事との攻防があったと考えます。ぜひ、理事会もネット中継を考えて欲しいです。
しかし、この3月9日の起き抜け2時間審議。いうまでもなく、その2日後、3月11日に東日本大震災が発生しました。不透明の次に来た大不安。そして、特例公債法案の審議がストップしている間に後藤田筆頭理事は女性スキャンダルが雑誌で発覚し、山本幸三さんが筆頭理事のバトンを受け継ぎました。この「3月9日起き抜け2時間」という間の悪さは、私は、後藤田さんにとってはある意味、天命であり、彼の性根が生んだ事態なのかもしれません。あまり、後藤田さんのことはよく知りませんが、そういう傾向が今国会にはあります。
◇
話は飛んで、7月29日(金)。この日は金曜日ですが、財金委が開かれ、久しぶりに特例公債法案が議題となりました。ただし、実務者(民主党・城島光力さん、自民党・鴨下一郎さん、公明党・坂口力さん)の修正協議が進んでいるため、本題とはズレがちでしたが、野田財務相が「野党の理事のみなさまのご協力で審議ができ感謝します」として本来は自民党用語である「バラマキ4k」という言葉を民主党財務大臣が自ら使って、低姿勢を貫きます。そこで、自民党1期生の齋藤健さんが「震災が起こったことを契機に財政を見直したらどうか」と発言。で、今調べたら、やっぱり齋藤さんは東京っ子(港区)なんですね。こういう空気を固めて言葉にするのは東京っ子議員の役回り。野田大臣が特例公債法について「会期末(8月31日)までに成立しないと(次の第178国会前には)予算の執行の抑制につながります」と答弁すると、齋藤さんは「よく分かりました。その点を踏まえて国会も対応しないといけないですね」と応じました。
そして、8月2日(火)にはまたしても驚くべき事態が。この日も特例公債法案が議題となりましたが、自民党・無所属の会が持ち時間の2時間40分を、茂木敏充さん一人に配分しました。茂木さんは質問がスタートして1時間半後の時点でも、「金融担当大臣、ちゃんと質問通告しているでしょう。このパネルをちゃんと見てください」と、さすが自民党広報本部長と思わせる一人舞台を演じました。とはいえ、1人に2時間半も質問時間を与えているのですから、「もうそろそろいいのではないか」という雰囲気が出たのではないか、と想像します。
そして、8月9日(火)に3党合意が成立しました。
2011年8月9日(火)の民主党、自民党、公明党の3党合意文書。
民主、自民、公明の3党は、以下の点について確認する。
一、歳出の見直しについては、以下の通りとする。
高速道路無料化については12年度予算概算要求において計上しないこととする。
高校無償化、農業戸別所得補償の12年度以降の制度のあり方については、政策効果の検証を基に、必要な見直しを検討する。
なお、これらを含めた歳出の見直しについて、11年度における歳出の削減を前提に、11年度第3次補正予算ならびに12年度予算の編成プロセスなどに当たり、誠実に対処することを確認する。
一、歳出の見直しと併せ、子ども手当等の見直しによる歳出の削減について、11年度補正予算において減額措置することを、特例公債を発行可能とするための法案の付則に明記する。
一、法人税減税等を含む11年度税制改正法案(その内容を一部切り出して6月22日に成立した法律にあるものを除く)については、復興のための第3次補正予算の検討と併せ、各党間で引き続き協議する。
一、東日本大震災復興基本法第8条に規定する復興債の償還財源の具体的内容や償還ルールなど、あらかじめ決めることとされているその償還の道筋については、第3次補正予算の編成までに、各党で検討を進める。
一、11年度第1次補正予算における財源措置として活用した年金臨時財源については、第3次補正予算の編成の際に、復興債で補填(ほてん)することとし、そのための財源確保策と併せて、各党で検討
する。
一、以上を踏まえて、特例公債を発行可能とするための法案について速やかに成立させることとする。
以上、確認する。
これを受けて、8月10日(水)の午後1時半に財金委が開かれました。初の菅直人首相が入っての財金委員会となりました。そして、民自公3党が、「補正予算での減額」を盛り込んだ修正案を出しました。午後3時38分、修正案は可決され(日本共産党が反対)、翌日8月11日(木)の本会議で参院に送られました。
さて、この8月10日(水)の財金委は、あたかも、野田佳彦財務大臣、自民党で質問に立った野田毅さん、公明党で質問に立った竹内譲理事ら3人とも旧新進党員でした。そして自公の旧新進党員が、イデオロギー対立のない政権可能な二大政党による政権交代ある政治を1994年~1997年にめざした旧新進党員からは一人も出ていない内閣総理大臣を出そう。固有名詞は言わなくても誰のことだか分かりますが、そのような風情でした。やはりオリジナル民主党の共同代表が2人総理をやったので、ここで、「新進党勢」を首相にして民自公にちらばる人脈を活用すれば、衆参ねじれの中、政治を前に進めることができるのではないかと考えます。総理が使い捨ての状況が続いていますが、ここで土台を作り、国会法や内閣法の改正までいってから解散すれば、どちらが政権を担おうとも首相が使い捨てにならないシステムをつくれるのではないかと考えています。これについては、固有名詞も絡み、いろいろと叩かれやすいので、エントリーを改めて、来週にもアップしたいと思います。
なお、閣法2号である「国税などの改正法案」はいまだに衆・財金委にとどまっています。私としては、おそらくこの法案は会期末で廃案になるのではないか、と推測しています。廃案になると、法人税率の5%引き下げと、相続税率の5%引き上げと控除額の引き下げ(5000万円→3000万円)が実施されません。税理士さんでもどうなるか分からない人がいるでしょうが、当面、相続税制は変わらないのではないでしょうか。国会の場で税制改正が部分的とは言え見送られる、という異例のケースとなりそうです。
それと、石田勝之委員長(埼玉2区)がしっかりと委員席にすわり、議事を進めました。委員長は理事に席をときどき替わってもらえますが、石田委員長は他の委員長と比べても、しっかりと委員長席(議長席)に座り、きっちりと議事をこなしていた印象です。選挙区のライバル、自民党の新藤義孝さんが訪韓で名を馳せましたが、地味に委員長職をこなした石田さんを選挙区の人はきっちりを評価に入れて欲しいと願います。
ところで、予算関連法案を中心に現地やネットで傍聴していて気づいたことがあります。今国会の衆院では、財金委が可決し、翌日の本会議の日程として採決されることが多かったです。その一方で総務委員会では午前中に審議し、可決し、その日の午後の衆本に緊急上程して採決することが多かったように思います。財金委は衆院議員の野田大臣と参院議員の自見大臣が出席するのに対して、総務委は、民間人の片山大臣だけですから、日程調整はしやすいと考えます。それなのになぜ総務委は緊急上程ばかりだったのか。前半国会で与党側筆頭理事をしていた人は「3・11」で両親、奥さん、長男、秘書が津波で流され難儀した方なので、あまり触れたくないのですが、なぜ総務委の日程は財金委より半日ずつ遅れたのか? 国会というのは、人がやっているんだという当たり前の現実を痛感し、小沢一郎氏という人の独断的手法で新進党を壊してしまったことで、救いようのない天罰を現代の日本国民にもたらしている、と私は改めて思います。
2011年今後の政治日程を以下のブログで更新しています。
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国政を理解し、自分の意見を反映させる上では、「日程感」をつかむことが大事です。「今後の政治日程 by 下町の太陽」では、今後予想される政治日程のうち、政局に影響を与えるものに絞って紹介していきます。ぜひご活用ください。
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(このエントリーの初投稿日時は2011年8月12日 午前11時)
会期末(8月31日(水))を前にして、参院での審議時間を考えると、衆院通過のリミットが近づいています。
そのため、いくつかのエントリーが前後重複すると思います。いずれ時間があったら調整しますが、2011年8月12日の金曜日の参院本会議で、国のがれき処理代行法が成立しました。
これはまず、小里泰弘さん、田中和徳さんら自民党、江田康幸さんら公明党などが衆院に共同提出した法案で、後から、閣法も提出。衆院本会議では同時に審議入りしました。
これは、橋本行革で廃棄物行政が厚生省から環境省に移ったものの、法律の想定外の多量のがれき(災害廃棄物)の発生でてんてこ舞いになっています。自治体が処理して、環境省に概算払いを要求するのですが、これが滞っており、江田五月・環境大臣も「職員を現地に常駐させています」(メールマガジン)とはいうものの、なかなかうまくいかないようです。
また、総務大臣の片山善博さんも、発災直後から、総務委員会などで、「阪神大震災との違いは、(神戸市、芦屋市などと違い)、失礼ながら今回の被災自治体はどこも財政状態が悪い」とたびたび答弁しています。自治体ごとの能力差というのは、どのような行政課題でも、必ずあり、それはある程度認めるべきですが、がれきを除去しないと、復旧から復興へ何も始まりません。
もちろん、現在進行中の問題ですので、今から環境省から他省に移すというわけにも行きませんが、自公案提出時の7月28日の本会議での小里さんは「復興庁ができるまでは復興実施本部に頑張ってほしい」「平野達男・復興大臣、『私がやる』と言ってください。国交省もがんばってください」としました。また、現行の制度だと、被災自治体の中から財政再建団体がでかねない、とも小里さんは指摘しました。
その後、民自公の修正協議をして、昨日、衆院本会議を通過し、その後、参院復興特別委員会で審議、採決。きょう午前10時の参院本会議でスピード可決・成立しました。内容は、「処理費用の95%を国が負担し、残りの5%も後から地方交付税で補てんする」というものになりました。
私はこの審議を聞いて思ったのは、これまで野党の議員立法は、官僚統治機構(いわゆる霞が関)を使えないので、政府案に比べると内容が乏しくなりがちだったのですが、自民党と公明党はともに、民主党を上回る地方議員や推薦首長がいるので、市町村の情報ルートはむしろ、自民党や公明党の方に吸い上がる現状にあるように思います。
この辺の市町村のルートが機能している自民党や公明党は、陳情という格好で、党本部に情報が来る。一部では、復興基本法(民自公が修正で立法)の内閣府復興庁は、公明党本部がてんやわんやになって大変なので、復興庁をつくってほしい、という事情があったようにも聞きました。これは公明党にとっては、名誉だと思います。
今国会での震災立法が野党の議員立法ペースで進んでいるのは事実です。これは民主党政府にとっては情けないことですが、非常時ですし、国会もガバメント(Government)の構成要素ですから、自民党や公明党は、自分たちの党員である地方議員や推薦首長のためにやってほしいし、民主党も虚心坦懐に頭を垂れるべきです。
震災法案では、このほか、参院自民党の片山さつきさんらが立法した二重ローン対策法案も参院を通過して、衆院に送られており、今国会中に立法ないしは政令改正が行われると思われます。