【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「全国の地方選もう一度4年に一度同時にやる議論を」枝野幸男・立憲民主党代表「20年かかる課題」とも

2019年08月30日 22時45分19秒 | その他
 立憲民主党の枝野幸男代表は月例記者会見を、きょう令和元年2019年8月30日(金)に開き、Youtubeで公開されました。

 おひざ元の埼玉県知事選挙が前回比で上がりながらも低投票率だったと指摘され、枝野さんは「あえて申し上げれば、統一地方選からずれていて、ことしのように参院選とも前後すると、今度は何の選挙だと混乱する」としました。そのうえで、「期日がばらけてしまった地方選を統一しなくていいのか」「4年に一度、全国の選挙が同時に行われる方向に向けて議論を始めるべきだ」と語りました。

 枝野さんは「この状況を変えて(都市部の無関心層が多い埼玉の知事選で)投票率を50%以上にする」という一つの基準を示しました。

 もっとも、枝野さんは「中長期的な課題で、10年20年かけてやらないといけない」と、実現は先送りする姿勢をみせながらも、「任期の延長や短縮を含めて議論すべきだ」とも語りました。

 任期の短縮は、2019年現在、地方議員の9割以上が議員報酬や期末手当などを家族唯一の生活の糧とする中で、48か月分の総報酬が減ることになります。

 また期日の再統一は、有権者比で0・1%未満とはいえ、選挙コンサルタント、印刷会社、フリーランスのウグイス嬢などにとっては死活問題であり、サイレントマジョリティの猛反発が予想されます。

 阪神大震災特例の「2か月」を再統一するだけで24年間もかかりました。国会議員やスタッフの間にも地方選を応援を負担に感じている人は多く、実現性はなくはありません。

 野党党首自ら、選挙期日の再統一に言及したことはまれであり、「政治産業」と主権者である有権者の隙間があるとの与野党の危機感が、改革の機運をもたらすことに期待したいところです。 

日米合同委員会の人事異動は官報に載るんですね 

2019年08月28日 16時31分06秒 | その他

 おとといの官報を見ていて、「アレッ」と思うことがありました。


[画像]おととい令和元年8月26日付官報の一部をスクリーンショット。

 「内閣」の人事異動として、農林水産省経営局長と、財務省官房審議官に、日米合同委員会の政府代表代理を命ずる、という8月22日(木)付の辞令が出ていました。

 私が知らなかっただけで、前から合同委員会の人事は官報に載っていたようです。

 日米地位協定第25条にもとづく合同委員会の政府代表は外務省北米局長。条約で代表代理を複数おけることになっており、法務省官房長、農水省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省官房審議官の5人が代表代理のようです。

 農水省経営局長は、陸上演習場部会長を兼ねるようです。

 前泊博盛さんの著書や、矢部宏治さんの著書によると、砂川判決後、日米安保条約と日米地位協定は、日本の法体系よりも上位に位置づけられた。そのため、とくに法務省官房長などは、日米合同委員会での月2回の協議を通じて、法務省事務次官などに昇格していくルートが形作られてきたようです。

 そのときそのときの、農水省経営局長は、民主党が野党のときに農林族ではない岡田克也さんの事務所にも就任あいさつに来ていました。民主党が与党のときには、「事業仕分け」で枝野幸男さんらに「冒頭、前回の運営について抗議します。ついてはペーパーにまとめましたのでお受け取りください」と初めて言い、一方的な展開にくさびを打ったこともあったと思います。良くも悪くものんびりした農水省の中で、経営局長だけはやり手、というイメージが私の中にあります。

 過去の国会議事録を読むと、合同委員会は秘密でもなんでもなくて、本会議で盛んに議論されていましたが、1969年(昭和44年)ごろから、論点として忘れられていったようです。法務省の東京地検特捜部によるロッキード事件もタブー化に拍車をかけたのでしょう。

 合同委員会がタブー視される傾向があったのも、言わない人が出世する日本社会の特質が表れていたのかも、しれません。




枝野幸男立憲代表「今日のわが国は、時代の大きな岐路」「集団的自衛権と安保法制を強行した安倍政権は、いま、ホルムズ海峡の有志連合への参加で後戻りのできない立場へと追い込まれる」

2019年08月15日 19時06分26秒 | その他

[写真]枝野幸男・立憲民主党代表、2019年7月、東京・新宿で、宮崎信行撮影。

 踏み込んだ談話となりました。

 政府や厚生労働省が「終戦の日だ」としている、8月15日。

 きょう令和元年2019年8月15日(木)、日本武道館での式典が開かれました。

 先月の参院選で、2つの新党「れいわ新選組」「NHKから国民を守る党」に話題を奪われながら、議席を増やした最大野党・立憲民主党の枝野幸男代表は、恒例の各党談話を発表し、その中で、

 「今日のわが国は、時代の大きな岐路に立たされています。集団的自衛権の行使容認と安保法制の成立を強行した安倍政権は、いま、ホルムズ海峡における有志連合への参加を求められ、後戻りのできない立場へと追い込まれようとしてします」

 と踏み込んだ認識を示しました。


[写真]ホルムズ海峡で炎上するタンカーの報道、2019年6月放送のNHKニュース7画面を宮崎信行が撮影。


 枝野さんは「専守防衛に関する従来の政府答弁から逸脱するおそれのある護衛艦「いずも」の事実上の空母化や、他の歳出項目と比し突出して伸び続ける防衛予算等、この数年における安倍政権の安全保障政策は、完全にその抑制を失っています」と断定。

 枝野代表は「わたしたち立憲民主党は、これら歴史の教訓を胸に刻みつつ、戦後日本が培ってきた外交・安全保障の基本姿勢である国際協調と専守防衛を貫き、国際社会の平和と繁栄に貢献していく決意をここに表明します」

 としました。

 現下の世界は、イラン国のほかにある、イラン革命軍という組織が、国なのか国に準じる組織なのか峻別しづらく、ホルムズ海峡の有志連合については法的根拠が宙ぶらりん。アメリカ・ホワイトハウスから、ボルトン元パワハラ国連大使が、日本を訪れ、在日米軍の駐留経費を5倍払えと、脅したのではないかとの一部報道があり、アメリカ政府高官周辺がリークしたのでしょうが、有志連合に正式に参加を要請されたわけではありません。アデン湾にいる海上自衛隊が、ペルシャ湾に移動して、海上警備行動などをすることが予期されますが、それは集団的自衛権の限定行使とも言えません。

 この辺を立憲民主党に指摘したら、ふわっとした意見表明として書いたということでした。まあ、政権交代は現実味を帯びませんが、ふわっとした支持を得る政党が、ふわっとして意見を表明することで、2019年8月の歴史認識として、後々評価されることになるかもしれません。

 私も45年生きてきて、そのうち22年間、永田町で「さすが宮崎さん、するどい指摘」と言われ続けて、もううれしくもなんともないし、「するどい」の言葉で隠そうとした一定の権力者の腹の内もほとんどお見通しになってきました。竹下派の系列のクリニックで、肩甲骨を柔らかくしたら、両肩の上がり方が均等になって、疲れにくくなると指摘されましたので、メディカルコントロールのもと、ホルムズとか小難しいことよりも、肩甲骨を柔らかくすることを、私の2019年夏以降の目標にしたいと考えています。 


宮崎信行の指摘が大きく影響か、「唯一の被爆国」ではなく「唯一の戦争被爆国」への言い換え、飛躍的に高まる、過半数が「戦争被爆国」に

2019年08月11日 16時39分29秒 | その他
[写真]国会議事堂の参議院側の「噴泉」、2017年、宮崎信行撮影。

 宮崎信行の指摘が、どうやら、与野党問わず、国政に大きな影響を与えたようです。

 宮崎信行が2011年9月13日付記事で指摘した「唯一の被爆国」という表現は間違いであって「唯一の戦争被爆国」ではないかとの指摘。合計3回以上、「宮崎信行の国会傍聴記」で、指摘しました。

 あわせて、歴代首相は国会で「唯一の被爆国」と答弁するのに、毎年の広島や長崎でのスピーチは、毎年「唯一の戦争(戦闘)被爆国」と言っているため、後者はコピペではないか、との指摘もしました。

 で、ブログを始めた第168回国会から上述の指摘をした第178回国会までを比べると、「唯一の被爆国」は104回使われ、「唯一の戦争被爆国」は5回使われています。

 それに比べて、指摘後の、第179回国会から第198回国会までだと「唯一の被爆国」が120回使われ、「唯一の戦争被爆国」が172回使わています。

 もう「唯一の戦争被爆国」が主流となりました。

 私の指摘後に、日本テレビの「真相報道バンキシャ!」が「マーシャル諸島共和国」の現地取材映像を複数回放送しました。サンゴ礁の空撮映像。ビキニ環礁水爆実験の後は、不謹慎ながら、一か所だけくっきりえぐれて水深が深くなっているため海の青さが深くて「見た目は世界の絶景」。しかし、現地の島民は、半世紀以上にわたり首都がある島に避難しており、一度も島に帰っていませんが、被災者、避難者、被曝者への差別で仕事も得られず、政府頼みの厳しい生活のようです。日本テレビ報道局の記者に聞くと、この番組の放送は同社正社員記者が取材しているそう。報道の経営が大きく沈下しているなか、出張旅費・空撮代を使って取材してくれた日テレに感謝します。

 人類最初の「被爆国」はニューメキシコ州という考え方もできます。ニューメキシコのプルトニウム核分裂型(ナガサキ型)原爆の実験名は「トリニティ」で、マーシャル諸島共和国の水爆実験は「ブラボー」。アメリカ人ふざけんな、とも思える名称なんですが、当事者たちは政治家からの命令で、少し気が変になっていて、そういう実験名を付けたのかもしれませんね。

 まあ、どう控えめに見ても、私の影響だったでしょう。民主党政権時代に、このブログを読んでいない、首相秘書官などいるわけありません。これからは、アメリカをはじめとする外国を見たり、今まで以上に歴史を探求しながら、ジャーナリスト活動を続けていきたいところです。

それから

2019年08月09日 20時47分35秒 | 第25回参院選(2019年7月)

[写真]礒崎陽輔さん、きょねん2018年10月のおそらく19日、参議院議院運営委員長室で、宮崎信行撮影。

 先月の第25回参議院議員通常選挙では、2014年7月1日の解釈改憲「国の存立を全うし切れ目のない安全保障法制のための憲法解釈の再整理」を主導した総理補佐官だった、磯崎陽輔さんが落選しました。

 安倍晋三衆議院議員らによる安倍自民党内閣は続投したわけですから、磯崎さんの落選で溜飲を下げることはありませんが、天の戒めだと考えます。

 1972年の田中角栄内閣の法制局がとりまとめた政府統一見解「集団的自衛権は、憲法13条幸福追求の権利により日本国は持っているが、行使しない」を、羊頭狗肉に破壊した、7月1日の閣議決定。

 私はどうしても許せなかっただけに、自由民権運動の経緯などから反権力的な大分県で、磯崎さんが落選したことは、自分の主張に関して、ある一定の自信を持てました。

 同時に、国際法の大家で戦犯亡くなった、大沼・元東大教授の娘でもある、大沼みずほ参議院議員も山形県で落選しました。


[写真]大沼みずほさん、2013年8月2日、国会正門前で、宮崎信行撮影。

 大沼みずほさんは、平成27年2015年8月25日(火)の参議院平和安全法制特別委員会で、

 「もしこの法案が戦争法案であるなら、世界こぞって反対すると思うんです。日本と第二次世界大戦で争った、戦った国々は猛烈に反対するはずです。でも、米国以外でもこのように多くの国々が賛意を示し、中国や韓国も公式には反対しておりません」

 と語りました。これは相当な詭弁だと思います。仮に安倍晋三首相の言う通り、抑止力が高まるんだったら、中国が反対しないことの方がおかしいはずです。おそらくこのあたりで、自民党・公明党支持者も何かおかしいと感づいた人もいるでしょうが、あまり大きな声になりませんでした。

 「国会は税金の使い道を話し合うところ」。先の参院選でも聞いたフレーズです。しかし、設備投資拡大、高齢者や子育て世代、新卒を含めた雇用の拡大において、国・自治体の歳出よりも、日本銀行の量的金融緩和の方が効果絶大なのは、この6年間で明らかになりました。

 量的緩和については、アメリカが緩和を止めるにあたって、日本に「バトンリレー」を求めたとの説が有力です。黒田東彦総裁1期目の5年間つとめた副総裁は、アメリカから直接圧力を受けたことはないと国会で答弁しており、たしかにそうでしょう。

 しかし、量的金融緩和と「有事と平時の切れ目のない」集団的自衛権体制において、アメリカからの圧力は日本政府の決定を凌駕します。参議院や、各県議会などの複雑な選挙制度、経済的余裕の無さに基づく野党の宣伝不足の前に、私は、日本の議会制民主主義は、グローバルマネー資本主義に根こそぎ倒されたと考えています。



◎第2次安倍自公内閣、集団的自衛権の行使可能な憲法解釈を閣議決定 自衛隊法改正案など提出へ【追記有】

2014年07月01日 20時57分56秒 | 第187臨時国会2014年地方創生国会

(このエントリーの初投稿日時は、2014年7月1日午前9時で、閣議決定後の夜に仕立て直し)

国立国会図書館のデータベースに週刊金曜日6月13日号にこのブログの筆者である私、宮崎信行が書いた「民主党の岡田克也元外相が激白 外相時代、米国に集団的自衛権を求められたことは一度もない」が登録されました

 朱に交われば公明党。

 自民党と公明党が連立する第2次安倍晋三内閣は2014年7月1日(火)、集団的自衛権の行使解禁をNSC国家安全保障会議の(4大臣会合より重要な)9大臣会合で決定。続いて、臨時閣議で決定しました。

 NSCおよび閣議決定文のタイトルは、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」

 アドレスは、http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0701kaiken.html

 なお、この記事エントリーの末尾にも全文つけておきます。 


 交戦中に、同盟国アメリカの艦船を日本の自衛隊が援護したり、アメリカに向かう弾道ミサイルを日本が迎撃できるとする内容になるようです。

 これらは、すべて自衛隊法改正法案や周辺事態法改正法案などに書き込んで、国会に提出する必要があり、成立し、施行するとしても、早くても2016年夏前後になる見通し。

 ただ、法案執筆のプログラムとなるので、歴史的転換点になります。

【追記 2014年7月2日(水)午前6時】

 閣議決定文には、「自衛権発動の新3要件」が書き込まれました。

「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使する」ことが憲法上できるとなりました。

 まず、この文章は自公協議のために分かりにくくなっています。自衛権発動はおそらく改正法案でも「国会の承認」が必要となるでしょう。この場合、私たち日本国民の有権者が、国会を通して、自衛官に「命を懸けて行ってもらう」ことになりますが、分かりにくいと、国民の少なくとも過半数のコンセンサスを得るプロセスが不透明になります。

【追記おわり】

 日本国憲法第9条には「国の交戦権はこれを認めない」との規定があります。自民党憲法改正草案でもこれは削除することになっています。

しかし、憲法を改正しないと、朝鮮半島から出てすぐのところで、中国や北朝鮮、あるいは国に準じるテロ組織から攻撃された場合、交戦できないと考えられます。アメリカに向かう弾道ミサイル、北朝鮮のテポドンだとしても、法律を動かすためには、「アメリカに向かっている」と情報を確定する必要があり、仮にノドンで、日本列島に落ちてくればこれは、個別的自衛権での対応になります。ホルムズ海峡で機雷除去中に攻撃を受けても「交戦」できません。グレーゾーン事態とされる尖閣諸島沖のわが国領海内を中国艦船がうろうろしていても、武力で領海外に出せば国際問題になります。停戦後の国連平和維持活動PKOについても、かけつけ警護ができても1993年になくなった国連ボランティア・中田厚仁さんは守れないし、独立前ならば警察権を使えず、独立宣言後でも停戦が崩れて交戦状態になったら慌てて帰らなければなりません。

 日米安全保障条約第3条の「締約国は(略)武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」。きょうは自衛隊が創設60周年、還暦だそうですが、「自衛隊の練度を挙げ、装備を備え、育て、防衛力を涵養する」私の観点から、第3条が気になります。

 まあいずれにせよ、法案が国会に出てくるのは、秋の臨時国会以降。施行は2016年夏前後以降。出てきてから、十分に吟味すべきでしょう。

ところで、日本を独立させ、自衛隊を発足させた、吉田茂が国会で「集団的自衛権」という言葉を使ったことがあるか、調べてみました。 第7回通常国会の衆議院予算委員会で1度だけ使ったことがあります。このときの衆議院は吉田率いる民主自由党が270議席を持ち、最大野党の民主党はわずか70議席。そして、民主党は連立派20人が分離して政権に参加しました。このため、芦田均内閣などで与党を経験しながら、下野した当選2回生、31歳に出番が回ってきたようで、その質問に吉田茂は答えています。次のやりとりです。

 「総理大臣は外交の堪能者でありまして、私はしろうとでありますから、総理大臣の御意見をお教え願いたいと思うのでありますが、日本に自衛権がありと総理大臣は演説でおつしやいました。われわれも同感であります。あなたが御存じのように、国際連合憲章によると、51条に集団的自衛権ということが認められている。これは第二次世界大戦後初めて認められた言葉であります。かくのごとき集団的自衛権というものを総理大臣はお認めになりますか」

「当局者としては、集団的自衛権の実際的な形を見た上でなければお答えができません」

 「国際連合に表明されているような、つまり連合憲章51条が示しているような集団的自衛権を認めるか、こういう意味であります」

 「これは現にこういう自衛権を認めるか認めないかと言つて、連合国政府から交渉を受けたときには、政府としては見解を発表しますが、お話のような問題に対しては、すなわち仮設の問題に対してはお答えいたしません」

 「仮設の問題とおつしやいますけれども、私は外交界の先輩に対して、国際法上の解釈を教えていただきたいと申し上げているのであります。先ほども申したように、国際連合憲章51条には集団的自衛権というものがちやんと書いてある。われわれも独立国になれば当然こういう問題の渦中に入る。従つて講和條約に専心してもつぱら御研究なさつている総理大臣のことでございますから、私は当然御研究もあるだろうし、御見解もあるだろうと思います。この集団的自衛権という問題は、日本の独立後私はおそらく一番重大な問題になつて来る問題だろう。そういうところから私はお尋ねしているのであります」

 この「集団的自衛権は、日本の独立後一番重大な問題になってくるだろう」と質疑した野党・民主党の2期生は、中曽根康弘衆議院議員です。彼はこの32年後に総理大臣になります。国会議事録でも、中曽根さんが次に「集団的自衛権」というキーワードを残すのは、首相になる32年後までブランクがあきます。

 議事録は、1950年昭和25年2月3日(金)第7回国会衆議院予算委員会、本予算審議、第7号

 そして吉田茂が語った「実際的な形」は、ベトナム戦争として現実化しました。アメリカ大統領、ジョン・ケネディによる、「ベトナムが社会主義化(赤化)すると、ドミノ倒しののようにアジア各国が赤化するという」ドミノ理論。しかし、西洋文明と違い、東洋文明とくにアジアは、統一的な宗教基盤もなく、文化も民族もモザイクであり、ベトナムが赤化しても、タイ王国が社会主義化するとはとうてい思えません。もちろん日本国、日本列島も。

 この我々アジアの民族、国民事情のパラダイムを間違えたドミノ理論は、やがて、ベトナム民主主義共和国(ベトナム社会主義共和国に改称)のホーチミン国家主席により、「インドシナ支配をしたフランス人と同じ瞳同じ肌をもつ兄弟のアメリカ人が、傀儡国家「南ベトナム共和国(1975年、地上から消滅)」を使ってベトナム全土を侵略しようとしている」として「資本主義を守る戦争」から「ベトナム民族解放および南北ベトナム統一戦争」へと画期的パラダイムチェンジをしました。さらに、南ベトナム共和国内で活動する民族解放組織について、アメリカは「北ベトナム・ホーチミンに指導された国に殉じる組織」との決定的情報をつかめず情報戦で敗北。かつてベトナム王国が衛星国支配した隣国に兵站補給路(ホーチミンルート)があることに、(おそらく)半年前後気づかず『孫子の兵法」にも失敗。アメリカ軍兵士は、「What for? 何のために?」という自問自答の中で、狂っていきました。

 このような戦争に日本が参加することになる。例えば、爆弾テロで夫を失い、子どもとともに組織に衣食住を提供され生活しながら洗脳教育と爆弾テロ訓練を受けてきた、女性の自爆テロ犯を鉄砲で殺さなければならないことになります。自衛官は、その自爆テロ女性の最期の表情を一生脳裏から離れないまま生き続けなければならず、酒でなぐさめても、忘れらず、狂って自殺するでしょう。

 集団的自衛権の行使には反対です。

 たびたび引用されるところですが、吉田茂が防衛大学校第1回卒業式で語ったとされる言葉。実際には卒業記念の冊子に寄せた言葉だそうですが、どうしても引用したくなります。至言です。

 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。しっかり頼むよ」