東京大空襲で焼け出された私たち一家は、焼け残った
空き家を借りて落ち着きました。
そこでも日夜、空襲、特に艦載機が怖かった。
おちおち寝ていられませんでした。
両親はどんな気持ちでいたのでしょう。父はどうせ死ぬなら
みんな一緒に死のう、と言っていたそうです。
8月15日天皇陛下の大切なお話がある。と言われました。
我が家のラジオは半分壊れていたので、近所のお宅に
みんな集まりました。私は白いブラウスを着せられました。
放送が始まっても雑音がひどく、お言葉は難しく私は分かりません。
お言葉が終わって、大人たちは泣いていました。お母さんに
抱っこされていた赤ちゃんがお母さんが泣いているので
一緒に泣いていました。
みんな本土決戦になると思っていたそうです。
家に帰り、父が終わったな、母がこれ以上空襲が続いたら
気が狂ったかも知れないと言いました。
私たちは本土決戦がなく命びろいしましたが、沢山の命が
失われました。その頃長兄が、ニューギニアで戦死したのも
まだ知りませんでした。
戦争が終わった、万歳!なん言っている人はいません。
喜んだ、万歳、と言った人はどんな気持ちの人
だったのでしょう。
あの日の空は抜けるような青空でした。今日は少し雲が
あります。
世界中の戦死した人たち、爆撃でなくなった人たちの
ご冥福を祈ります。
それにしても靖国神社に御親拝がないのが情けないです。
こんばんは。
ポツダム宣言受諾の日、どうしてもう少し早く戦争を終わらせることができなかったのか?
死ななくてもよい命をたくさん死なせてようやく受諾した。最後は天皇陛下の決断だったと聞いています。
天皇陛下はどうして御親拝されないのでしょう?
を新たにしたく思います。
その上で、靖国神社へのご親拝に確かな道を開くのが、
我々日本人の これからの大きな課題と心得ます。難しい
現状もありますが、必ず叶えないといけませんね。
連合国側の都合だと聞いています。
早く終わらせなかったのは、原爆を落としてからと
考えたようです。
ソ連に仲介を頼んだ、日本もお粗末でした。
情けないです。
私たち子どもも死ぬ覚悟をしていました。
余談ですが、国民が苦しんでいる頃、
軽井沢に疎開していた金持ちは、焼きたてのパンと
美味しいバターで朝食を楽しんでいたそうです。
それを自慢げに言っていた人を知っています。
そういう人間を、非国民と言います。
池部良さんの随筆でも同じような台詞を吐いた人物が出てきます。
今をときめく芸能事務所の婿でした。
何故天皇陛下はご親拝しないのでしょうか
国民のために祈るのが天皇です。
誰かがさせないのか、ご本人がその気にならないのか。
不思議です。国民が願っています。
皇室は外交より、国のためを思ってくれればよろしいのです。
安倍総理も参拝しないで、靖国に祀られている英霊に
申し訳がたちません。