ブロ友さんのヤミ米の事を読みました。
国から配給されるお米がたりなくて、みんな買い出しに
行きました。
母の実家は農家でしたから、少しはもらえたようです。
千葉県から都内に入るのには、有名な市川橋がありました。
野菜類はおとがめなし、お米はとても厳しかったそうです。
父はどうやって持って来たのでしょう。リヤカーで野菜と
一緒にしてきたのでしょうか。詳しい話は聞いていませんが、
大変だった事だと思います。市川橋の交番の前は取り上げた
お米の山があったとか、警察官も威張っていたそうです。
あいつら~とみんな言っていたそうです。
そのとりあげたお米はどうなったのでしょう。
東京から市川の料亭に沢山のお金持ちが食べに来ていたそうです。
取り上げられたお米だったのでしょうか。
何だか急に癪に障ってきました。
昔の警察って
威張ってることが多くて昔の漫画やドラマや映画
などで良く見る警察なんでしょうね。
今は警察もみんな丁寧に言葉使いなどにも気を使っていますよね。
良く警察24時なんかを見てるとそう思います。
先生も警官もみんな丁寧い優しいから、一定数
なめてかかる輩がいますよね。
何もできねーだろー!
みたいな感じで。。。
衣類と物々交換でサツマイモをリュックにもらって
帰りました。
甘いものに飢えていた時代ですから、
弟や妹は喜んでいたと思います。
今のように甘いサツマイモではなかったと思いますが・・・
膝、お大事になさってください。
無理なさらないようにね。
昔の警察官はとても威張っていたそうです。
ほんの少しのお米でも、米!となったら取り上げたそうです。手ぬぐいで袋を作ってお米をお腹に巻いたおばあさんが、袋が破れてざーっとこぼれてしまったそうです。みんなお米で苦労しました。
これからお米で苦労することがないように祈ります。
昔の食糧難のことは忘れてはいけないことですね。
食べ物を大切にしなければと思います。
昔のお芋は美味しくありませんでしたが、食べるものがないので仕方がありませんでした。
いまのサツマイモは美味しいです。
違う物のような気がします。
干し芋も高級化して結構なお値段です。