看学生の時の初めての看取りで、卵が。。

2015-01-15 19:29:45 | 看護師だった頃・看取り

                                                       

看護学生の時、初めて病院での看取りを体験しました。

春休みに実習をさせてもらった、山梨県の巨摩という地域の病院でした。

見渡す限りの桃の木で、桃色一色、遠くに富士山が見える、のどかなところでした。

学校ではできない、夜間の実習(見学体験)をさせてもらえるというので、興奮と緊張。

 

「今日あの人逝くから。。」というような、確信のあるベテランナースの言葉に、びっくり。

その通りになりました。(ベテランの予想は間違いないのです)

私は、ただただ、小さくなっていたような気がする。

 

驚いたのは、ベテランナースが、6~7個ものゆで卵を持参され、休憩室のテーブルの上に、どんと置かれたこと。

「体力つけとかなきゃ」というようなことを言って、「学生さんも」とか、言ってすすめてくれた。

えっこんな時に?? 私は、とても食べられないと思ったが、食べたのかもしれない。

プロのたくましさを垣間見た気がした。

 

もちろん、看取りは厳粛。

私は、アンビュー(人工呼吸をするマスク)をさせてもらったと思う。

そういう体験をさせてあげようと、わざわざ声をかけてくれたのだった。

 

看護師って、熱い心と、クールな頭と、エネルギーあふれる身体が必要です。


ある老兄弟への訪問看護

2014-12-29 18:58:10 | 看護師だった頃・看取り

                  

昭和59年か60年頃のこと、旭川のある診療所で働いていた時のことです。

 

ある年配の御兄弟(姉と弟)のところへ、看護師と事務で訪問していました。

まだ、訪問看護が制度化されていず、受診もままならず、いわば持ち出しの訪問でした。

スカスカ風の通るようなあばら家で、ご兄弟二人で、文字通り、身を寄せ合って暮らされていました。

 

看護師は、魔法瓶に入れたお湯とタオルを持参し、清拭をしていました。

こんなふうに暮らしている方がいる。

別世界のようなことに、とても驚きました。

 

しかも、私は、病院の経験だけで、診療所や訪問は初めて。

お宅へ行く前に、ある男性事務員の方が、「この人たちとの関係は、色々あってやっとここまで来た。くれぐれも、今のままで」みたいなことを言われました。

きっと、私が病院の経験を持ち出して、いろいろ余計なことをしないかと、ひやひやしていたのだと思います。(笑)

 

人は、どうしても、これがいいと自分の考えを押し付けたりしがちです。

良かれと思って、患者さんの生き方に、ずかずかと足を踏み入れることにもなったり。

一方、専門家として必要な大事なことを、充分理解できるように説明することも、なかなか難しいことです。

 

若い私は、そんなことはわかりませんでしたが、何か、毅然として生きているご兄弟だと感じました。

 

人に寄り添うことは、相手を認めるということ、相手を主語にして考えること。

患者さんや、時間をかけて信頼関係をつくってきた先輩に、多くのことを学び、感謝しています。


不思議な時間…穏やかな看取り

2014-12-21 18:56:14 | 看護師だった頃・看取り

                     

80代位の男性で、温厚でいつも冗談を言うような方だったと思います。

大きな腫瘍が、お腹や顎に盛り上がって、こぶとり爺さんのようになって。

痛みがあまり強くなかったのが良かった。

亡くなった時は、病室には、奥さんと二人でした。

奥さんは、もう覚悟をされていました。

でも、子供さんが遠方から来るので、それまでは・・・と言われました。

 

医師は、ベットの上に上がり、アンビューマスク(口にマスクをあて、肺に空気を送る)を始めました。

私は、マスクを押えたり、医師と交代したり。

心臓マッサージは、したかどうか記憶にありません。

 

奥さんは、ベットの足元に腰をかけ、ご主人の思い出を話し始めました。

楽しい話も出て、思わず3人で笑ってしまうこともありました。

何とも、不思議な時間でした。

 

いいご夫婦だなとか、充分看病されたんだなとか思いました。

今思えば、そんなに単純ではないのでしょうが。

 

そんな風に最期を迎えること、誰かを見送ることは、なかなかできないことです。

お二人それぞれが、自分の人生をしっかり生きられたのだなあと思います。

そして、そんな場面にいられたことに感謝しています。

 


永遠の眠りに。。お母さんの白いネグリジェを渡してくれた、娘さんのこと。

2014-12-19 22:16:25 | 看護師だった頃・看取り

                                                    

看護師だった頃のことです。

お母さんが亡くなった時、娘さんから、「あんたたちのせいでしょ」と大きな声で責められたことがあります。

私が、娘さんに「大丈夫、つらいね」という気持ちで、肩に手をかけようとしたのを、振り払って。

 

自分では、一緒に最期の一時期を共にした気がしていましたが、到底、家族とは一緒にはなれません。

その場は、頭を下げるしかありませんでした。

どうしようもない気持ちを爆発させている、それも受け止めるのが仕事と思って。

看護師は、すぐ後で他の患者さんに、笑顔で向かわなければならないこともあります。

 

でも、娘さんは、お母さんに着せたいと、真っ白いネグリジェを持ってきていて、私に渡してくれました。

悲しみ、混乱、身近な人の死は、とても一言では言い表せません。

 

カウンセリングでも、クライアントさんの感情を受け止める、なんて言います。

「受け止める」って、静かだけれど、なかなかのエネルギーがいる。