小さな男の子が母親に、「木の葉はなぜ動くの」とききます。
そういう問いは、自分もしたことがあるし、されたこともある。
ともすれば、理性の問い、論理であるというふうにとりがち。
人間は、いつでも「なぜ」「なぜ」ときいている存在。
ところが、HOWに対しては、科学やいろんな人が答えてくれるが、WHYについては、誰も答えてくれない。
人間は、誰も答えてくれないことが不安なんだけれども問わずにはいられない存在。
その問いは、理性的に答えられた時でなく、その感情が充足された時にやむ。
(河合隼雄先生(心理療法家)と詩人の谷川俊太郎さんの対談 「昔話の深層」から)
(谷川さんの、河合先生の著書「ユング心理学入門」での一節を踏まえてのお話)
風が吹いたから動くのよ。
風ってなぜ吹くの。ねえ、なぜ、なぜ。。。
答えは、すでに子供の中にあるが。
(気づけるかどうか)
その感情が充足された時とは、頭や知識としてわかるのではない、心の底から「ああ、そうだ。そうなんだ。」と自分の感情とぴったり一致した時でしょうか。
カウンセリングを通して、よく話を聴いてもらうと、そんな気づきがあると思います。
それは、2人で話している時ではなくても、後から一人になった時にも感じる。