なんでも、行き過ぎても、足らな過ぎてもいけないんだと思うようになりました。
「中道」というのでしょうか。
釈尊の「悟り」の真髄とされる「中道」とは、「両極端を離れた」という意味だとされる。
よく言われるのが、のめりこみ過ぎ。
いいと思ったら、とことんのめり込む。
誰が何と言おうと聞くもんでない。
情熱も、お金も、エネルギーもとことんかける。
そして、あるとき、そうでもなかった現実に気づき、どーんと落ちる。
落ちるとこの世の中で、一番不幸のような気がする。
はたしてそんなことがあるとも思えないのに。
のめり込むと、視野が狭くなり、正しい見方ができなくなる。
その揺れ幅があまりに大きく、心が疲労する。
疲労とは、喜びや、悲しみが、極端になって、疲れる。
喜びはともかく、悲しみはつらい。
えぐられるようなつらさ。
こういう見方もあるなとか、時分はこう思うが、正しいだろうかとか思えない。
のめり込みということは、人の意見も受け入れられない、いろいろな視点から見れないとうことなのかもしれない。
ということは、我儘かもしれない。
のめりこみではなく、いいと思うものでも、にっこり、淡々と追求していきたいものです。