秋明菊がもう終わりに向かって、華やかに咲いています。
人生に意味はあるのか。
最近、この言葉をよく聞きます。
「夜と霧」の著者 ビクトール・フランクル 心理学者オーストリア 1905年~1997年
あのナチスによる強制収容所という過酷な状況におかれ、絶望にあえぐ人間の様子を記録しながら、それでも人生には意味があり、希望があることを訴え続けました。
1944年収容所のクリスマス前は、多くの死者がでた。
それは、飢餓でも労働でも伝染病でもなく、クリスマスには家に帰れるという思い込みがあり、それを信じた人が希望を失ってて死んだ。
未来へ希望が、どれほど生きる精神的な支えになっているか。
本を出すという希望が、フランクルを生かしていたのです。
こんな人生に意味がないと絶望するときに、フランクルはいいます。
「あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうがあなたに絶望することはない」
どんな時も、人生には意味がある。
なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」がある。
あなたを必要とする「誰か」がいる。
人間は、人生から問われているもの。
人生に何を期待するのかではなく、人生が私たちに問いかける。
誰かのために、何かのために、何かすること。
明日へ続きます。
それでは、また。