
「失敗してしまった」と、ひどく落ち込む時はありませんか。
勤務している時は、ずいぶんありました。
中でも、すごかった(と自分で思うのは)500~600人位の参加の、ある学会での司会です。
メインの講演の演者がもうすぐ終わろうとしていた時です。
次の人を目で探していましたが、その人はいません。
呼びに行こうか誰かに頼もうか迷いましたが、(なぜか)足が出なかったのです。
そのうち、メインの講演は、終わりました。
しかし、次の人はいなく、「しばらくお待ちください」とかなんとか言ったのかもしれません。
聴衆は、立ち上がり、帰り始めました。
ある人が、廊下への出入り口で「帰らないで、帰らないで。」と両手を広げて、立ちふさがっていましたが、流れは止まりません。
ようやく、次の人が、演壇にあがったとき、聴衆は半分くらいになったでしょうか。
その人からは、「なんで早く呼ばないの」と怒られました。
私は、伝統ある、大きな学会をめちゃめちゃにしてしまい、恥ずかしくて、申し訳なくて、いたたまれませんでした。
なぜ、気が付いたとき、誰かに指示するとかして、呼びにいかなかったんだろうかと思って、ずっと、後悔しました。
それ以来、司会とかは、嫌で嫌で。。
なんでだったのかを考えると
自分が、人を指図することに自信がなかったのです。
そして、成功させるために、どうするかを真剣に考えなかった。
また、全体に気を配ることができなかった。
それから、10年後位に、同じ司会の担当が回ってきて、私は、退職も近く、その記念と思ってさせてもらいました。
段取り八分と準備して。
発言の原稿、タイムスケジュールなど何回も、シュミレーションして臨みました。
かなりいい出来で「プロのアナウンサーみたい」と言われました。
以前の失敗の原因はなにか。
思うに、準備と、司会としての、人の動きや、聴衆の感情、呼吸みたいなものへの注意がよくわかったからです。
自分がどうかより、全体の成功ために、自分がどうするかを考えなくてはいけなかった。
この出来事も、あの頃深く考えませんでしたが、やっといろいろ考えれるようになりました。
人間は、失敗はしますが、原因を分析して、また、次にすすむことができる。
一時的には落ち込みますが、それも練習、過程だと思うと楽になるのではないでしょうか。
人生は、実験の繰り返しみたいです。