私は個性の強い演技者が好きだ。サム・ロックウェルの様にこの人でないとできない役を演じる事の出来る役者さん、シャイア・ラブーフもそうだ。彼は子役からのし上がり、トランスフォーマーで主演をはった。
ネットフレックスで彼の出ている映画が話題になっている。脇役を演じる彼もそうだが、主演の女優さんが良い演技をしているのだ。昨日、その映画を見た後、長男がどうだったと感想を聞いてくる。ヘビーだろ、と言いながら。
確かにヘビーだけど、話の流れが無理がなく、主演の女性の気持ちがどう揺れ動いていくのかを、言葉ではなく演技で表していく。女性が見るに共感をとても覚える内容だ、何より、最後のシーンが良い。癒される終わり方だ。ただ、その最後のシーンに彼は出てこなかった。
長男の話だ。シャイアは、また映画撮影中に問題を起こして、キャストの名前から外されたらしいよ、と言う。アッ、それでか。私的には絶対に最後のシーンには彼が必要なのに、なぜ?と思った。引っかかった。その答えがこれだったのかもしれない。降ろされたんだろうか?
これが、SNSを恐れるキャンセル文化だ。大衆(SNS)の批判を恐れて個人を廃絶する。しかし、シャイアだ。
ダウンシンドロームの俳優が主演をはる映画で味のある脇役を演じた時も、問題をおこしてその映画の配給に支障を及ぼした。彼は、不遇な幼少期を過ごしている。彼の自叙伝的映画、ハニーボーイを見るとそれが理解できる。
映画撮影で受けるストレスもあるのではないか。
家庭内暴力はよくないが、それを理由に彼の才能を封じ込めていいものか。
これは、女性軽視を理由に行われたキャンセル文化である。以前感想を書いたクリントイーストウッドの「リチャードジュエル」も、キャンセル文化のターゲットになった映画だ。
闇の意志が支配する文化。
ある動機を持って暗躍する国家勢力やグループ。
それを、ひっくるめて闇と表現している。それが政治的なものであれば、英語で言うところのディープステイトと言う事だ。
そして、彼らの狡猾な嘘と隠蔽、排他的な活動に、我知らず力を貸している私達一個人がいる。利用されているのだ。
彼らは扇動する、人の善意を利用する、怒りを誘発させる、憤りを増加させる、敵がいると教える、あなたの苦しみはこいつが原因だ攻撃せよ、葬り去れとささやく、闇は私達の心の中にすでに広がりかけている。
ここ数年で、特にME TOO運動辺りからアメリカ国内で人々の間に瞬く間に広がっていった、個人の過去を責め、それを理由に個人の将来を潰してしまう動きだ。下のブログが、芸能関係の事に詳しい方の様で大変参考になる。
罪を犯したら、法でジャッジされた後その罪を償い、その後は社会復帰もできよう。
キャンセル文化は、社会全体からの廃絶だ。悪くすれば永遠に元の位置には戻れない。赦しが存在しないSNSの弊害。
それが、去年は人類歴史のキャンセル運動にまで発展した。黒人差別を行ったアメリカの過去の偉人と言われる人たちを人種差別家に仕立て上げる運動だ。コロンバスの銅像がいたるところで倒され、建国の父ワシントンまでがそのターゲットになった。エスカレートする扇動された人々の意志にはブレーキが利かない。
そして、今回の大統領選挙。
今、寅さん側についた政治家、経済界の人物、芸能人、会社や団体までがキャンセル文化のターゲットになっている。