昭和30年代
七輪の中の練炭の燃えカスを道路に捨てていた。
大阪市内の天王寺区ですら、地道でしたから・・・・
伊勢の漬物屋さんのリヤカーが行き、氷屋さんが鋸で大きいヤツを切る。
シャカシャカ、何ともいえない音でした。
冷蔵庫ならぬ、保冷庫にその小さい氷を入れ保存。
TVのルーシーショーでは、電気冷蔵庫から牛乳が
羨ましかったですね~そして移動はモチロン車。
我々の世代は、アメリカの生活に憧れ・・・・・・追いつこうと頑張ったんですな。
ある意味、意図的に洗脳されていたのかも知れません(笑)
小学校の時は、スモッグ注意報が出て昼間でも真っ黒け。
まだ空き地が残ってたので、やる事は野球かチャンバラ。
木製の電柱に登り、そこから他家の屋根から屋根へ飛び移り、気分はねずみ小僧(爆)
背中から転落すると、しばらく呼吸ができませんぜ(体験者w)
ダイナマイトや2Bという火薬を爆発させるのも流行したっけ。
投げようと思ったダイナマイトが、耳の傍で爆発(汗)
腹の立つくらい、痛かった記憶があります。
みんなが貧しい状態なのは、辛くも無くて楽しかったですなあ。
ふと、小学校時代を思い出したので書いておきます。
最近忘れやすいもので(汗)
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時次郎
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