●古文の文法で疑問に思うと、どちらかの本に回答があった。
むろん、国文法に「絶対」はないので、諸説ありですませてもいいのだが、諸説があると言うには自分の説が必要なわけで。
●わたしの場合、持論もあるので、それが妥当かをチェックするのにも便利。
●ただ、わたしの場合、一貫した文法の核が(大野氏のように)あるわけではないので、パッチワークやなあと思いつつも、それでいいやと思っている。
●要は教えられればいいのだ。
●わたしが文法を教えるときの力点は以下の通り。
⓵受験をするのに効率が良いこと。
②生徒が知的好奇心を持てること。
●この二つは決して反していない。
古文の文法が(言語が)合理的であるのを知るのは⓵にも②にも役立つだろう
●⓵と②を重視するのは、高校時代の教師が丸暗記させたがりだった反動もあっただろう。
高校3年生のころ、模試の古文、ほぼ、10点代だったし。
●しかし、「侍り」は丁寧語というより丁重語と考えた方が謙譲語としての転用としてはわかりやすいし、係り結びがあるのと連体形終止が現在の終止形終止になったかの理由が同じと知ると面白い。
こういうことを高1、高2で雑学として知っておきたかった。
●しかし、小西甚一四部作やら、このお二方の文法書を読むと古文について書くのがためらってしまう、私がいるよ。
●まあ、書きますけど、きっと。