今日も穏やかな一日で良かった。
ブログのテンプレートを正月用に赤く変更してみたところ賛否両論。「たまには変化を持たせることも大事ですね」という意見もあったが、うちの奥さんからの「真っ赤はとにかく見づらいです」と正月早々だめ出しを食らって、あっさりとおとなしいものに変更しました。今度はよいでしょ?
今日は
■「下流社会」を読む です。
【「下流社会」を読む】
昨年暮に買ってあった三浦展(みうらあつし)著「下流社会」という本(光文社新書780円+税)を読む。副題は「新たな階層集団の出現」とあってちょっと気になっていた本である。
著者の主張は、この現代日本で階層格差が広がっているということ。親の所得格差が広がって、それは子供の学力格差を広げることにつながり、結果として階層が流動性を失って階層格差が固定するのだという。
それは日本が「総中流」だった社会から著者の造語である「下流社会」に向かうということなのだというのだ。なかなか恐ろしい話である。
階層意識は単に所得や資産だけではなく学歴や職種によっても規定され、特に自分だけではなく親の所得・資産、学歴、職業も反映していて、さらに階層意識には本人の性格、価値観、趣味、幸福感、家族像なども深く関係しているのだという。
ここで言う「下流」とは単に所得が低いだけではなく、コミュニケーション能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲などを総合した人生への意欲、つまり「生きる力」が弱いのだというのである。その結果として社会的に上に向かう階段を上ることが出来ずに所得も上がらず、未婚のままである確率も高いのだという。
本書が皮肉と批判を込めて訴えるのは、「自分らしさ」という幻想を振りまいて生きてきた団塊世代のその子供達である団塊ジュニア層において、やはり「自分らしさ」や「自己実現」を求める割合が多いのだが、その結果はそのような自己実現を求める団塊ジュニア層の下流化に繋がっていると考えられる、ということである。
自分らしさを求めるために、自分のいやなことはしない、いやな仕事には就かないというわがままを許し、結果として収入の高い職業に就くことが出来ずにフリーターやニートになっているというのだ。
引きこもり研究の第一人者である斉藤環氏の指摘では、コミュニケーション能力が高いか低いかが若者に勝ち組、負け組意識を植え付けるということなのだそうだ。確かに他者とのコミュニケーションを避ける傾向は社会への適応を拒み、結果として低い階層に属すことになるということもあるのかも知れない。
もちろん、団塊ジュニアにも上流に属しているという意識を持った層は存在するのだが、「自分は上流だと思う」と答えた対象者に見られるのは積極性、ポジティブ思考、趣味はスポーツ、結婚は当然と考え生き方に迷いはないというのだ。
上流の親は自分の子供がどうしようもない公立学校で授業を受けるのは我慢がならず高くても私立の学校でレベルの高い教育を受けさせるし、そういうレベルを当たり前と思う子供には社会での振る舞い方や態度というものが身に付いてくる。
逆に下流の親の子は、そのような教育機会にも恵まれず低い意識のまま大人になり、自分らしさにこだわって苦しさを乗り越えて社会を支えようとも思わず、高い能力を必要とする高収入の職業には就くことが出来ず、そのため低い収入にあまんじ、結果として結婚しようとする意欲と能力にも恵まれないままに日々を過ごしているというのである。
食生活に対する意識一つ取ってみても、下流では「料理をするのが好き」であったり、「食品の添加物を気にする」、「野菜をたくさん食べるようにしている」、「栄養のバランスを気にしている」という割合が低く、朝食を食べなかったり食べることが面倒臭いと思うことがあるなどの割合が高いというのである。
つまり、これからの時代は上流と下流に分化する社会が近づいていて、その階層は収入、生活意識等の面からもますます固定化が進むというのが本書の主張である。
※ ※ ※ ※
本書には日清食品の安藤社長の発言が紹介されていて、それは「今後の日本人は年収700万円以上と400万円以下に二極化する。700万円以上の消費者向けに高付加価値の健康志向ラーメンを、400万円以下の消費者向けに低価格商品を開発する」というものだ。
ビジネス界ではこれからの日本はアメリカのように所得によって二極化が進むが、その際に低所得層を無視してはこれからの企業はなり立たないということが次第に常識化されているようである。
※ ※ ※ ※
本書を一読すると確かにそういうことが傾向としてあるのかも知れない、とは思うものの、著者が本書の中で根拠とするアンケートデータは母集団が100くらいなもので、一般社会に適合させるにはちょっと無理があるような気もする。
データから導かれた傾向と言うよりは、直感的な世の中の流れを数字で後追いしたような感が強い。それでも世の中が何か変だ、と思う一つの切り口を「下流階層の出現」というキーワードで示したことは面白い。
それに、生き方において気をつけるべきこと、他山の石として自分だけはそうはなるまい、と思わせるには良い視点を提供しているようにも思える。
何事にも興味を持ってポジティブに生きて、コミュニケーション能力も高く、社会への意識も高く…。しかし現実の社会にあっては構成員全員が上流に生きられることはないわけで、社会全体として下流に陥ってしまった人達の生活をどうやって引き上げるのかということへの著者の提案はいささか現実離れしていて、首をかしげるばかり。
もちろん上流階層を税金などで引きずり降ろすのではなく、下流階層にどうやって上昇意識をもってもらうか、ということが大事なのであって、それはまさに「生涯学習」による自分の成長しかないのだろうな、と思うのだけれど、そのリード役を誰が担うのか、ということへの回答は用意されていない。
本書の中でドラマにもなった漫画「ドラゴン桜」を高く評価していて、漫画の中で教師桜木が発する人生訓を「現在の混迷した教育界や社会全体に蔓延している価値観への挑戦状とも受け取れて、すがすがしい」とベタ褒めしている。
教師桜木のセリフとして「カタ(型)がなくておまえに何が出来るっていうんだ。素のままの自分からオリジナルが生み出せると思ったら大間違いだ!カタにはめるな!なんてほざくやつはただのグータラの怠け者だ!」
「ナンバーワンにならなくていい。オンリーワンになれだぁ?ふざけるな。オンリーワンっていうのはその分野のナンバーワンのことだろうが」
※ ※ ※ ※
本書を読んでどう思うかは人それぞれだが、社会全体の緩んだタガの結果として階層化が進むというのは怖い話である。
せめて自分だけは、と思うところから初めて、収入や所得だけではなく意識として上流の気持ちで生きる社会を作りたいものだ。新春の夢にしては大きすぎるかな。
ブログのテンプレートを正月用に赤く変更してみたところ賛否両論。「たまには変化を持たせることも大事ですね」という意見もあったが、うちの奥さんからの「真っ赤はとにかく見づらいです」と正月早々だめ出しを食らって、あっさりとおとなしいものに変更しました。今度はよいでしょ?
今日は
■「下流社会」を読む です。
【「下流社会」を読む】
昨年暮に買ってあった三浦展(みうらあつし)著「下流社会」という本(光文社新書780円+税)を読む。副題は「新たな階層集団の出現」とあってちょっと気になっていた本である。
著者の主張は、この現代日本で階層格差が広がっているということ。親の所得格差が広がって、それは子供の学力格差を広げることにつながり、結果として階層が流動性を失って階層格差が固定するのだという。
それは日本が「総中流」だった社会から著者の造語である「下流社会」に向かうということなのだというのだ。なかなか恐ろしい話である。
階層意識は単に所得や資産だけではなく学歴や職種によっても規定され、特に自分だけではなく親の所得・資産、学歴、職業も反映していて、さらに階層意識には本人の性格、価値観、趣味、幸福感、家族像なども深く関係しているのだという。
ここで言う「下流」とは単に所得が低いだけではなく、コミュニケーション能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲などを総合した人生への意欲、つまり「生きる力」が弱いのだというのである。その結果として社会的に上に向かう階段を上ることが出来ずに所得も上がらず、未婚のままである確率も高いのだという。
本書が皮肉と批判を込めて訴えるのは、「自分らしさ」という幻想を振りまいて生きてきた団塊世代のその子供達である団塊ジュニア層において、やはり「自分らしさ」や「自己実現」を求める割合が多いのだが、その結果はそのような自己実現を求める団塊ジュニア層の下流化に繋がっていると考えられる、ということである。
自分らしさを求めるために、自分のいやなことはしない、いやな仕事には就かないというわがままを許し、結果として収入の高い職業に就くことが出来ずにフリーターやニートになっているというのだ。
引きこもり研究の第一人者である斉藤環氏の指摘では、コミュニケーション能力が高いか低いかが若者に勝ち組、負け組意識を植え付けるということなのだそうだ。確かに他者とのコミュニケーションを避ける傾向は社会への適応を拒み、結果として低い階層に属すことになるということもあるのかも知れない。
もちろん、団塊ジュニアにも上流に属しているという意識を持った層は存在するのだが、「自分は上流だと思う」と答えた対象者に見られるのは積極性、ポジティブ思考、趣味はスポーツ、結婚は当然と考え生き方に迷いはないというのだ。
上流の親は自分の子供がどうしようもない公立学校で授業を受けるのは我慢がならず高くても私立の学校でレベルの高い教育を受けさせるし、そういうレベルを当たり前と思う子供には社会での振る舞い方や態度というものが身に付いてくる。
逆に下流の親の子は、そのような教育機会にも恵まれず低い意識のまま大人になり、自分らしさにこだわって苦しさを乗り越えて社会を支えようとも思わず、高い能力を必要とする高収入の職業には就くことが出来ず、そのため低い収入にあまんじ、結果として結婚しようとする意欲と能力にも恵まれないままに日々を過ごしているというのである。
食生活に対する意識一つ取ってみても、下流では「料理をするのが好き」であったり、「食品の添加物を気にする」、「野菜をたくさん食べるようにしている」、「栄養のバランスを気にしている」という割合が低く、朝食を食べなかったり食べることが面倒臭いと思うことがあるなどの割合が高いというのである。
つまり、これからの時代は上流と下流に分化する社会が近づいていて、その階層は収入、生活意識等の面からもますます固定化が進むというのが本書の主張である。
※ ※ ※ ※
本書には日清食品の安藤社長の発言が紹介されていて、それは「今後の日本人は年収700万円以上と400万円以下に二極化する。700万円以上の消費者向けに高付加価値の健康志向ラーメンを、400万円以下の消費者向けに低価格商品を開発する」というものだ。
ビジネス界ではこれからの日本はアメリカのように所得によって二極化が進むが、その際に低所得層を無視してはこれからの企業はなり立たないということが次第に常識化されているようである。
※ ※ ※ ※
本書を一読すると確かにそういうことが傾向としてあるのかも知れない、とは思うものの、著者が本書の中で根拠とするアンケートデータは母集団が100くらいなもので、一般社会に適合させるにはちょっと無理があるような気もする。
データから導かれた傾向と言うよりは、直感的な世の中の流れを数字で後追いしたような感が強い。それでも世の中が何か変だ、と思う一つの切り口を「下流階層の出現」というキーワードで示したことは面白い。
それに、生き方において気をつけるべきこと、他山の石として自分だけはそうはなるまい、と思わせるには良い視点を提供しているようにも思える。
何事にも興味を持ってポジティブに生きて、コミュニケーション能力も高く、社会への意識も高く…。しかし現実の社会にあっては構成員全員が上流に生きられることはないわけで、社会全体として下流に陥ってしまった人達の生活をどうやって引き上げるのかということへの著者の提案はいささか現実離れしていて、首をかしげるばかり。
もちろん上流階層を税金などで引きずり降ろすのではなく、下流階層にどうやって上昇意識をもってもらうか、ということが大事なのであって、それはまさに「生涯学習」による自分の成長しかないのだろうな、と思うのだけれど、そのリード役を誰が担うのか、ということへの回答は用意されていない。
本書の中でドラマにもなった漫画「ドラゴン桜」を高く評価していて、漫画の中で教師桜木が発する人生訓を「現在の混迷した教育界や社会全体に蔓延している価値観への挑戦状とも受け取れて、すがすがしい」とベタ褒めしている。
教師桜木のセリフとして「カタ(型)がなくておまえに何が出来るっていうんだ。素のままの自分からオリジナルが生み出せると思ったら大間違いだ!カタにはめるな!なんてほざくやつはただのグータラの怠け者だ!」
「ナンバーワンにならなくていい。オンリーワンになれだぁ?ふざけるな。オンリーワンっていうのはその分野のナンバーワンのことだろうが」
※ ※ ※ ※
本書を読んでどう思うかは人それぞれだが、社会全体の緩んだタガの結果として階層化が進むというのは怖い話である。
せめて自分だけは、と思うところから初めて、収入や所得だけではなく意識として上流の気持ちで生きる社会を作りたいものだ。新春の夢にしては大きすぎるかな。
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