北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

卒業からちょうど50年が経ちました ~ 2年に一度の中学校のクラス会

2024-10-20 22:44:41 | Weblog

 

 昨日は中学校卒業時のクラス会があって旭川まで日帰りで行ってきました。

 中学校を卒業してからちょうど50年と半年。

 しかもこのクラス会はほぼ2年おきに開催されているのです。

 長続きしている理由は、永代幹事として旭川在住の住職がいて彼が転勤せずに地元の名士でいてくれていることが一つ。

 次に毎回男女一人ずつが幹事を引き受けてくれるのですが、その時々の幹事さんたちが熱心に裏方を取り仕切ってくれていること。

 そしてなによりも卒業時の担任の先生のお人柄とそれを慕うクラスメートが多いことでしょう。

 今回も担任のK先生は「86歳になったよ」と言いながら一次会に参加をしてくださいました。

 K先生はいつもご自身の近況を文章にしたためて参加者に配ってくださるので、お話を聞き流すよりも鮮明にいつものご様子がわかります。

 今回は先生を含めて15名が参加してくれたのですが、15年ぶりに参加してくれたという女子やはるばる長野県から駆けつけてくれた友人などもいました。

 幹事さんが卒業したクラスメートの住所を丹念に集めていて連絡を取ってくれている努力の賜物でしょう。


       ◆


 とはいえ、さすがに今年66歳になる面々の事。

 話題は飲んでいる薬の量と親の介護のことが中心になってしまいます。

 2年前の前回のクラス会の後に親御さんが亡くなった、というメンバーもいて、見守りか見送りか看取りか、といった話が多いですが、それぞれの経験談はこれからのこととして大いに参考になるものでした。

 またまだ職業について仕事をしている友人も多く、仕事以外でも「子供たちへのバスケット指導のためにコーチライセンスを取得した」とか、「この歳になって貯筋(筋肉確保)のためにクラシックバレエを始めた」とか、「バレーボールの指導をしている」、「ゴスペルのグループに入って歌っている」など、今を謳歌している様子が聞けて嬉しくなります。

 そんな友人たちの話を聞いていると「まだまだ枯れるわけにはいかないなあ」とやる気がみなぎってくるような気がします。


       ◆

 
 振り返ると私などもこのクラスでの中学校生活は楽しくて幸せだったんだなあ、と今さらながら思います。

 私の場合中学校1年生は札幌の中学校にいて、2年生の5月に父の転勤に伴って旭川にやってきてこのクラスの仲間入りをしました。

 実は札幌では中学校1年生のときに英語の先生と合わなくて、英語が嫌いになりテストの点数も全く取れない状態でした。

 それがこちらの中学校へ来ると、英語の先生がいつも前回の授業から穴埋めの5問豆テストをしてくれるのでした。

 こちらの先生が嫌いではありませんでしたが、札幌での成績不良を引きずってなんとあるときこの5問豆テストで0点を取ってしまいました。

 人生で初めての0点です。

 解答用紙を先生から受け取るときに先生は苦々しく「小松、頭。丸めてこい」と言いました。

 この中学校では当時は男子は髪形が坊主頭だったのですが、それも中途半端な伸び具合の坊主頭だったのでしょう。

 さすがにこれは効きました。

(せめてこの豆テストくらいは取れるように頑張ろう)と思い直して、そこからノートをきっちり取って、予習・復習に励むようになり、ようやく英語の構造が分かるようになってからは一気に得意科目に変身。

 大学受験でも点数の取れる科目になったのですが、そういう自分史を振り返った時に、旭川への転校は大きなエポックで、心機一転の機会になったのだと言い切れます。


 幸せだった自分を思い返すとともに友人たちからエネルギーをもらえる。

 クラス会はそんな時間になっています。

 次回はまた2年後の今頃です。

 友人たちと元気で再開できますように。 

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