北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人口減少を救う「関係人口」を考える ~ 「関係人口の社会学」を読む

2021-08-18 23:08:57 | 本の感想

 

 いよいよ人口減少局面に入ったわが国では、特に都会よりも地方部で人口減少が顕著です。

 そもそもなくなる高齢者が増えつつ子供が生まれない社会になりながら、進学や就職の際に子供たちは都会に移ってしまいます。

 人口の問題は地域を支える上では大切なことですが、もう人口増感が望めない地方にとって、「住む人が減ったら地域は再生できない」のでしょうか?

 今日は帯にそう書かれている本『関係人口の社会学』(田中輝美著 大阪大学出版会)を読みました。

 著者の田中輝美さんは島根県の新聞社勤務の後にフリージャーナリストとなり、島根に住みながら地域のニュースを記録し続けました。

 その後社会人ドクターとして母校の大阪大学で再度学び、社会学として"関係人口"を定義づけ地域再生に果たす役割を明らかにしようとし、その博士論文をベースにまとめ上げたのが本書です。

 
     ◆


 もう30年以上も前の時代には、将来の人口減少を補うキーワードとして「交流人口」が話題になりました。

 地方をもっと訪れる人が増えて、そこで経済活動をして地域を支えるという思惑で、そのための施策として地方にオートキャンプ場を作ることが奨励されて、現在は第二次のオートキャンプブームと言われています。

 しかし本書では、「そうした交流は、単なる地方の消費で終わるか、地方では農村の担い手として期待されたものの"交流疲れ"ということもあり、交流が崩壊した例も少なくなかった」とされています。

 このコロナ禍で、東京を始め大都会を脱出する傾向が増えたとはいえ、地方が求めるほど「移住人口」は増えていません。

 やはり特定の地域に思い切って移住してくるというのは、かなりハードルが高い移動現象と言えるでしょう。


【そこで「関係人口」の登場】
 今回話題の関係人口とは、「交流人口と定住人口の間にあるもの」とか、「地域に多様に関わる人々=仲間」とされたり、「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」といった定義づけがされてきました。

 結果的に本書で著者は、関係人口を「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」と定義づけました。

 しかしここで注意が必要なことは、「関係人口」はそのまま地域再生の主体とは同じ意味ではない、と著者は指摘します。

 本書ではその後に、地方部で外からよそ者を招き入れて地域を劇的に再生させた事例として、島根県海士町、島根県江津市、香川県まんのう町をとりあげています。

 そして、劇的な再生とは地域の課題が解決の方向に向かったということであり、そもそも地域の課題とは、地元における主体性の欠如である、と看破しています。

 そしてもしも再生がなされたとすれば、その主体はやはり地元の人たちであり、再生のきっかけがよそ者の到来であったことを指摘しています。

 このあたりで読んでいる私と指摘になったことがありました。

 それは著者が「関係"人口"」と言いながら、成功事例として登場するよそ者は、ごく少数のスーパースター的な白馬の騎士のように感じられることです。

 私の関係人口のイメージは、たとえば「ふるさと納税」のように、遠くにいながらもその町のことを多少は気にかけていて、自分たちができる範囲で尋ねたりその町のために寄付を始めなにがしかの力添えをする"人々"というものでした。

 ところが本書ではそこがいつのまにか「優秀なよそ者」の姿の印象が強くなってきています。

 著者は「関係人口は数より質だ」とか「関係人口もいつかはその町を去って良い」と表現していますが、そこにはやはり特定少数の人が見えてきます。

 地域住民の考えを変えさせて行動変容を起こすほどの変化をもたらすようなよそ者とは、単にその町が好きだというレベルを超えています。

 また登場するのは、移住してきたすぐは住民から疎まれながらもひざ詰めで関わってゆくことで次第に信頼を得て活躍が始まるようなレベルをもった超人に映ります。

 しかしそのあたりは著者も良くわかっていて、「関係人口と言うその意味に、総数ではなく質のことを指しているのを矛盾している」、また「本書ではそこに検討が加えられなかった」と述べています。

 
 著者は「人口減少が問題なのは、単に数が減ることではなく、地域の人々が自らやるべきだという主体性を失ってゆく『心の過疎』が生じるからだ」と指摘していることは、地方を見分しながら痛切に感じることです。

 そしてその地域住民の主体性も、日常の中から変えることは難しく、そこに"よそ者効果の刺激"によって、最後は「やはり自分たちがやらねば」という気持ちになることが重要だと述べています。


【コロナ禍での補稿】
 最後に本書では、コロナ下における関係人口論として、地元を実際に訪ねられなくても「応援消費」によって地域を支えようとする動きが増えたり、「オンライン関係人口」で関わりを維持しようとする動きなどを紹介しています。

 どのような人と、どのような質の関係を保ちながら、どのような地域課題を解決しようとしているのか。

 まずは地元民が、心の過疎を脱却してその課題を真剣に考えて共有する動きが必要なのです。

 
【最後に掛川の生涯学習として】
 本書の問題意識は、人口減少によって地域の課題を解決するすべが失われてゆくことを、よそ者からの関わり・支援によって解決に向かわせるにはどうすればよいか、ということが発端になっています。

 そしてそれは、私にすればすでに昭和50年代にかつての榛村元掛川市長が感じていた過疎の問題にほかならないと思います。

 そのときから始まった掛川の生涯学習運動は、地元の人たちがまだ顕在化していない課題を感じ取ることができるような感性を育てようとする試みであったはず。

 掛川も、市民自身の考え方が変わるためには「生涯学習が必要」で、具体的実践的な人材育成講座である「とはなにか学舎」のようなシステムにも外部からの講師を招き寄せて、市民の刺激剤としていました。

 そこで学び育った市民は地域活動を下支えして今でも地域の心のリーダーとして活躍している人が何人もおり、そのようなシステムは「地域学」として、自らの地域を学ぶ運動へと発展しています。

 行政のトップリーダーである市長自身に、地域課題解決のためのファシリテーターや思想家としてのいくつもの能力が重なっていた極めて幸運な時代を目の当たりにした私としては、若い世代にそのような新たなリーダーの登場を願います。

 地域のファンを増やし、外部からのサポーターを増やすような「関係人口論」は今後ますます盛んになるに違いありません。

 本書は、今後のために関係人口とはなにか、を学んでおくための一冊です。

 「夏休みの読書感想文」として。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 70年代ブラスロックバンドの... | トップ | ゴールドから普通へ格下げ ~... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本の感想」カテゴリの最新記事