北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

立教大学シンポジウムにて

2005-10-01 23:31:39 | Weblog
 午後にプリンスホテルでシンポジウムのコーディネーターをする。パネリストとしてならば何回も登場したことはあるのだけれど、コーディネーターは初めて。

 まあ何事にも最初はあるものですね。

 さて今日は、
■立教大学シンポジウム
■娘の二十歳の誕生祝 の2本です。

【立教大学シンポジウム】
 午後にプリンスホテルの国際会議場パミールで「立教大学シンポジウム~創造都市札幌の可能性」というお題のシンポジウムを行った。

 確か3時からだったと思って、少し早めの2時過ぎに家族共々会場入り。家族も呼んで、賑やかしにしようと思ったのだ。

 控え室には本日の講演者の佐藤光明氏と立教大学のH先生、さらに立教大学の押見総長さんなどがいて、四方山話に花が咲く。

 私としてはパネルディスカッションの事前打ち合わせなどもしたかったのだが、パネリストの元日銀小樽支店長の賀来景英さんと立教大学教授で古武道の柳生新陰流免許皆伝という変わり種先生の前田英樹さんが来ない。

「あれ、3時からでしたよね?」
「あれ、本当だもうすぐ3時ですねえ、ちょっと確認してきます…」と言ってH先生が部屋を出て行ったかと思うと、「すみません、3時半からでした、ははは…」

「ははは…」って、えらい適当ですねえ。確認しない私も私ですが。

    *   *   *   * 

 さてその3時半からいよいよシンポジウムの始まり。心配された聴衆の方は、約100人の会場の八割ほどが埋まっている状況。とりあえずは良かった。

 冒頭、司会進行のH先生からの挨拶の後、さっそく道新事業局長佐藤光明氏による講演。お題は「文化がビジョンを持つと~札響再生」である。

 佐藤氏は元々道新の政治記者だったのだが、一昨年に札響再生というミッションを受けて財団法人札響の専務理事として送り込まれたのだった。

 札響はその時点で単年度赤字が続いていて、累積赤字が5億6千万円。「これで来年単年度赤ならば破産です」という状態まで追い込まれていたのだった。

 佐藤氏はそれまでことあるごとに、「良いものを潰すな!」「なぜそんなことがわからないんだ!」と叫び続けていて、ふと立ち止まると今まで自分が外に向かって放っていた悪態がそのまま自分に振り返ってきた思いだったという。
「要するにそれまでの自分も評論家だったわけですよ」とは彼の述懐。

 そこまでは良かったのだが、そこから「そういう精神の根元には一人一人の中に官依存体質があるんですよ」と官批判が始まった。

 実は事前の控え室の打ち合わせの中で「官批判でもなんでもどうぞ。少しやり過ぎくらいにやった方が面白いかも知れませんね」と多少煽ったのだが、煽り方が強すぎたか。

 本当は札響再生の物語の方が私にも会場にも面白いわくわく冒険談なのだが、それよりもやたら官批判という表現になってしまった。まあ佐藤氏にしてみれば、それは「官も悪いけれどそれに頼る一人一人の道民も悪い」と言いたかったのだろうし、相手が私なのでどうとでも受け止めるだろうと思ったのに違いない。

 でももう少しトーンを落としても良かったかな。

    *   *   *   * 

 では札響再生のポイントは何であったのか?彼曰く、「それは情報公開でした。今の経営状況がどうなっているのか。今何をしなければ来年はどうなるのか。そういったことを包み隠さず団員に伝えなければ、指示だけをしても伝わるものがなかったということです。コミュニケーションの前提は情報公開なのです」

 そのうえで彼は四つのポイントがあったと言う。「札響改革の四つのポイントとは、①常に参加の発想を取ったこと、②競争原理を常に入れたこと、③変化をさせる・常に変わるということを意識させたこと、④単なるイベントからムーヴメントへ、という運動への展開を図ったことの四つです」

「そのためには、札響の連中にポップスや演歌までやらせました。ボストン交響楽団にはボストンポップスオーケストラがありますが、あの発想です。クラシックと言うよりも音楽を市民に近づけなくてはならない。そのためには冬ソナまでやらせました。最初のうち団員たちはぶつぶつ言うんですよ。『俺たちはポップスをやるために音楽をやってきた訳じゃない』ってね。彼らはプライドは高いですからね。しかし、いまそうやってお客さんを広げなければ来年はないんだ、ということを一つずつ説明してやらせたんです。やらせてみたら、当然感じるものはあるわけです。聴衆の感動は演奏者に伝わるんです」

「ある時はホスピスに演奏の慰問に行かせました。やっぱりぶつぶつ言っていた。でも良い音楽は人間にとって弱っているときほど心に効いてくるものなのです。キャスター付きのベッドで集まってきました。もう余命の幾ばくもない人たちばかりです。患者さんたちが音楽を聴きながら泣きだしました。最後には演奏している楽団員たちも泣きながら演奏していました。感動こそが人を動かすのだ、と思いました」 

「実質二年くらいしか札響にはいませんでしたが、その間に累積赤字の5億6千万円は全てなくして負債をゼロにしました。昨年度は単年度決算で1億5百万円の黒字が出ました。いまや日本中のオーケストラの中でも優良な楽団の一つです」

「ちょうど今、彼らは韓国公演に出かけています。海外公演って億円単位で赤字になるのが通例です。だから軽々しく海外公演なんか出来ません。一度英国公演をやったことがあったけれど、1億円の赤字でした。でも何か夢を持たせたくて、『おれがいる間に海外公演に連れて行ってやる』と大見得を切りました。ちょっと遅くなったけれど、それを今果たしています」

「おまけにこの公演を韓国でソウル~テジョンと二回公演して、福岡に移動して公演、さらには東京へ移動して公演と、日本海一週ツアーで組みました。そもそも移動にあまりお金がかからないからこの一連のツアーでも数千万円の黒字を見込んでいます。やればできるんですよ」

「最後に、役人も我々も、予算や前例ではなく感動で物事を進めて欲しいと思います」と締めくくった。

 実践して人だからこそ言える重みのある言葉である。官批判の時間分をもっと札響改革の苦労談に充てて欲しかったなあ。

 ま、次の機会に譲るとしますか。

    *   *   *   * 

 つづいては元日銀小樽支店長の賀来景英さんのお話。こちらはずっと大局的、かつ日銀マンらしい経済分析からの北海道のお話。

 北海道には優位性があるのに、外との交流が少ないので何が良いところなのか分かっていないのではないか、という耳の痛い話。

 これからの北海道の生きる道として三つの道を考えたい、と賀来さんはおっしゃる。三つの道とは「教育研究、農業、観光の三つです」

 教育研究で言うと、世界がこぞって日本にやって来るという研究分野が少ないのが問題。世界に通用する大学が北海道という冷涼な気候ならばできるのではなかろうか、という期待である。

 次が農業。農業はアメリカだってEUだって保護しているのですから、本来的に保護するのは構わないのです。ただ今の日本の保護の仕方は農協や農業周辺産業の保護になっている。本当に農業が保護されているのなら、国民の多くがもっと農業に従事したいというはずです。
 本州の不効率な農業を止めてでも北海道で再配置するということが良いのではないでしょうか。

 そして最後は観光。北海道はポテンシャルが高いのだけれど、内にこもっているから分からない。例えば登山のマナーなども悪いし、し尿の処理問題で困っているのに入山を規制しようとはしない。
 規制緩和が良いことだらけとはとうてい思えません。

「北海道と沖縄だけは日本とは別格というイメージがあります。昔はそれぞれに開発庁があったくらいです。しかし今やフロンティアという神話が値しませんね」

「北海道はアメリカに似ていると思います。アメリカが活気づいているのは移民の活力です。北海道も移民を入れてはどうですか?」

 穏やかな口調ながら、外から見た北海道についてちくちくと批判してくださいました。経済人のお話はやはり面白い。

    *   *   *   * 

 いよいよパネルディスカッションの番。もともと私自身、なぜ札幌の魅力を再発見しなくては行けないのか、というところに意義があって、こんなに宝をすでに有している町はどうとでもなるのであって、本当に何もなさそうな中小の地方町村こそ何とかしなくては行けないのではないか、とすら思っているのだ。

 ここからは前田先生の参加だが、前田先生は北海道には三回ほど旅行出来たくらい名もので、あこがれの土地のイメージが強いとか。
「札幌農学校時代の内村鑑三や新渡戸稲造さんを生み出した北海道の土壌にはなにがあったのでしょうか」

 賀来さんからは「先ほど時間がなくて言えませんでしたが、北海道にはそれでも150年の歴史があるのであって、それでも人間の造作が加わったというところが少ないですね。小樽には少しあったけれど、それも最近は絶望的です。小樽には小金持ちが多いけれど、持っているだけで自分の町に投資しようとする人が少ない。小樽をまちづくりで成功した町、と語る人がいるけれど、それは誤解と言って良いでしょう」とえらく手厳しい。

 佐藤さんは「開拓の歴史村を作るときに、私は大反対しました。なぜ市内に点在した歴史都市を造れないのか。『ここへくれば全てが簡単に見られますよ』などというのは本当に役人的な発想だ。文化というのは現状への反骨ですよ」

 …とまあ、コーディネーターたる私の意図などどうでもよく、あちらこちらに話が及んだが、まあ私としては楽しい時間でした。

 私のまとめは「歴史的景観の保全や、財産を残す努力なども大事なことですが、やはりモノが幸せや感動を生みづらい社会になってきたような気がします。それは先人たちの苦労の上に、我々が今モノに満ちた社会を生きているからです。良くモノゴトと言いますが、これからはモノからコトの美しさ、コトの感動を求めて行く時代になりつつあるような気がします。それが何であるかはお聞きいただいた皆さんの心の中で見つけていただいて欲しいと思います」というもの。

 なんとか格好をつけて終わることが出来たのでまあ良しとしましょう。
 
 会場には知人の姿もちらほら。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
 

【娘の二十歳の誕生祝】
 シンポジウムが終わったのが6時過ぎで、その足で娘の二十歳の誕生会を私と妻の両親を交えて行った。
 土曜日だというのに夜のススキノは人がたくさん出ておりました。

 一応大人の仲間入り。これからもがんばってくださいな。
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