北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

日本よりもアメリカが勝っている美徳とは(カーティス先生語録)

2007-06-09 23:59:59 | Weblog
 昨日の基調講演としてジェラルド・カーティス先生のお話からもうひとつだけ話題を書き留めておきたいと思います。

 講演の後に質疑応答の時間がもたれました。

 その中で、一人からカーティス先生に対してこういう質問が投げかけられました。
「日本がもっと自信を持ってよい、日本はいろいろな点で良い国じゃないか、というお話は大変よくわかりました。ところでそれでは『しかしアメリカはこういう点で日本と違ってよい国だ』という事がありましたら教えてください」という質問です。

 すると先生はたいそう喜んで「その質問は、私自身の生い立ちも含めてアメリカの良さを伝えられるという意味で、大変良い質問です」とおっしゃいました。そしてご自身の生い立ちとともにアメリカの「寛容さ」という美徳について語っていただきました。

「実は私は高校生のときにあまり勉強をしませんでした。私はジャズピアニストになりたいと思っていました。それでピアノの練習にはずいぶん励み、ニューヨーク州立大学音楽部に進んだのです。その後、そこで培った音楽の腕が有利になるというので、ニューメキシコ州のアルバカーキにあるニューメキシコ大学へ移りました」

 カーティス先生はジャズピアニストになろうという夢があった。しかしニューメキシコで、音楽家を職業にしようというためには自分には才能が不足している、ということに気づき、次第にその道への意欲が薄れていったのだそうです。

「そんなときに、日本文化を研究している先生から『日本について勉強してみないか』と言われました。それで日本研究の道に進んだのですが、そうしてみると音楽を勉強するよりも、漢字を覚えることがはるかに楽しくなりました。一日中漢字の書き取りをしていても飽きることなく、音楽よりも漢字のほうが自分にとって楽しい道になりました」

「そしてその後、コロンビア大学の大学院に進み日本研究を進め、そこで教授にもなることができました。皆さんはあまり知らないかもしれませんが、ニューメキシコ大学はあまり一流の大学ではありません。でもそこで勉強した私がアメリカでも一流のコロンビア大学の教授になることができたのです。そういう意味でアメリカは多様な生き方を受け入れる柔軟さがあると言えるでしょう」

 先生は、人生の多様な生き方を受け入れる度量と寛容さにおいては、アメリカの方が勝っている、と言います。それに比べると日本はずいぶん冷たく感じられる、とも。

「安倍総理の言う『再チャレンジ』という言葉も、アメリカ的な多様さを受け入れる寛容さよりは、もう一度挑戦しなおして新しく厳しい道をやり直すという印象を受けますね。本当の寛容さが日本よりはアメリカにあると思うのです」

 日本社会は仲間意識やチーム意識が強いという美徳は、逆にチームの外にいる人間に対してはより冷たくなってしまうという形で顕れてしまうのかもしれません。

 日本人は同質性が強すぎるために、異分子を「へんなやつ」というレッテルで排除する傾向もあるでしょう。それが子供社会、いや大人社会であっても「いじめ」という形で、同質性を共用するか、排除するという振る舞いになってしまうとも考えられます。

 個人の自由に対してどこまで慣用的になれるか、これからの日本はある種勇気を持ってそのことを考えなくてはならないのではないでしょうか。
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