今日も空は晴天。晴れ男の面目躍如ですな。
さてシーニックの旅も半ばであります。今日は阿寒湖畔から裏摩周~清里町へと向かい、知床半島を訪ねる旅です。走れ走れ~。
さて今日は、
■シーニックの旅~阿寒から清里へ
■シーニックの旅~清里からウトロへ の2本です。
【シーニックの旅~阿寒から清里へ】
朝阿寒湖畔を出発しようとして大変なことに気づく。それはツール・ド・北海道の実施のために、阿寒横断道路は10時まで一般車両が通れない規制がかかっているということで、そのためになんと8時半出発という行程が崩れてしまったのだ。
しかしそれならそれで、その間を利用して阿寒のまちづくりを見学することにして、現在社会実験中の温泉街一週バスに乗車する。
これは温泉街での宿泊客の移動を助けるための無料バスで、どれくらいのお客さんがこれに乗って、商店街での買い物を楽しんだり移動したりするものかということを実験してみているのだという。
バスは観光カリスマの大西社長がハウステンボスから買い入れたというイギリス製のクラシックバス。運転手さんも道中の様々なことを紹介してくれたり、果ては乗客の記念写真を撮ってあげたりと実に親切。
バスの停留所の標識にも木の彫刻が置いてあったりして雰囲気を盛り上げている。社会実験がうまく行くと良いことを祈るばかりだが、バスのサスペンションが柔らかくて、後ろに乗っているとちょっと気持ちが悪くなりました。
これだけはなんとかならんものか…。
※ ※ ※ ※
阿寒横断道路の通行止め規制解除を見越して10時過ぎに阿寒湖畔を出発。小清水峠で釧路開建とはお別れで、ここからは網走開建さんにお世話になる。
ここからのシーニックの風景の水先案内人は東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議の事務局次長で写真家、本職は女満別町役場にお勤めの山本さん。
多少時間は押していたが「ここまで来ていただいたなら、これだけは見ていって下さい」と案内されたのが裏摩周に位置する「神の子池」。ここは周囲100mほどの小さな池だが、一説によると摩周湖の水が浸み出しているのだとか。
水の色は何とも言えないマリンブルーで、池の底から確かに水が湧き出している。何とも幻想的な池で、確かに神様からの贈り物という表現は過言ではない。
「しかし最近はあちこちで宣伝されてしまって、観光客が随分増えました」とは案内人の山本さん。
「そのことは環境に影響がありますか」と訊ねると、
「池にお金を投げ入れる人が出始めているんですよ。そういうのはなんとかなりませんかねえ…」
ありがたがるのもほどほどにして欲しいものだ。
次にはまた車で移動して、落差2mはあろうかというちょっとした滝に案内していただく。
「見ていて下さい。ちょっとした岩のところでやまべが跳ね上がりますから」
…と、言われた通りに2匹、3匹と小さいものから大きなものまでがぴょんぴょんと跳ね上がるのが見えた。
「彼らが一番飛ぶのにも時間帯があって、大体1時から1時半くらいが一番飛びますね。水温がある程度上がらないと動きが悪いみたいですね」
案内していただかないと見られない風景や、その風景さえガイドさんの一言でさらに輝きを増す。
良いガイドに連れられる旅は珠玉の時間である。
※ ※ ※ ※
昼食は清里町の蕎麦屋「秀峰庵」である。小上がりに上がると、蕎麦打ち界では知らぬ者のいない達磨の高橋名人のサインが入った蕎麦の打ち方の教本が置いてある。
辛み大根の冷たいおろし蕎麦をお願いして食すが、「うん、まさにこれこそコシだ!」とうなりたくなる蕎麦である。
ご主人の勝又さんに伺うと、もう何年も前から高橋名人は自分の気に入るような蕎麦粉を求めて道内を旅して歩いているのだそうで、ここ清里町でもかなりの量を高橋名人に送り続けているらしい。
「ところが送っている粉が美味しいのかどうかと言うことが実は誰も分からず、それが分かるようになるには蕎麦を打って食べるしかない、ということで始めたのですよ」とのこと。
思わず蕎麦談義に花が咲いてしまい、予定時間短縮ができず回りの方にご迷惑をかけてしまいました。うーむ、蕎麦の話になると熱くなってしまうなあ、反省。
【シーニックの旅~清里からウトロへ】
さて秀峰庵を後にして続いては、天の川が降って来るという宇宙展望台からこの地域の代表的なシンボルである斜里岳から知床半島に続く山並みや、カラマツの防風林に囲まれたパッチワークのような農の風景を見せられてこれまた感動する。
そして「次が良いんですよ。今日は天気がよいから楽しみです」と言われ、車で再び移動し、やがて着いたのは、アップダウンをしながらひたすらまっすぐ続く農道のどんづまりの高台。
車を降りて、「さあ、ここから振り返ってみて下さい」と言われた道は目の錯覚で遠く向こうが上に昇るように見える。
「『道、天に至る』と名付けているんですけどね」という解説がまた良い。
「いつかこの道の真っ正面に夕日が沈む瞬間を写真に撮ろうと思っているのですが、まだ果たせていないのです。いつか絶対に撮りたい風景なのですが」と少し悔しそう。
とても一日でこの風景全てを堪能しきれないことは分かりました。特に写真家の目で見た風景は、一味も二味も違って見ることが出来る。
地域を紹介する上で、スタッフに写真家の目が入っているかどうかは大きな要素なのだ。
※ ※ ※ ※
時間がどんどん押しているのだが、今日の宿泊地ウトロを過ぎて、ここまで来たらなんとしても知床五湖までは行こうと車を走らせる。
この後もウトロで地元のシーニックバイウェイの皆さんとの意見交換が控えていたので、随行してくれた担当者からは「小松さん、時間が少ないので、知床五湖か知床峠のどちらかということで、どちらにしましょうか?」と言うのを、「うーん、両方!」と無理を言う。
ここまで来たらなんとしても知床五湖と知床峠を沿道景観や自然観光の視点からもう一度見ておきたかったのである。ウトロまでとはそう簡単にこれるところではありませんからね。
知床峠方面へ曲がらずにまっすぐに半島の先へ車を走らせ、後少しで五湖の駐車場に入るというところでなんと渋滞になっている。平日のこんな夕方の時間に何事かと思いきや駐車場の係員さんがやってきて、「この先の駐車場が満車ですのでもう少しお待ち下さい」とのこと。
「こんなことは昨年まではありませんでしたね。びっくりですよ」とは山本さん。
なんとか駐車場に車を入れて知床五湖の遊歩道を歩いてみることにしたが、五湖全てを巡るコースは40分コースと時間がかかりすぎるために、手前の二湖だけを見て帰ってくることにした。
知床五湖は湖に注ぐ川もなければここから流れ出る川もないのに湖が維持されている不思議な湖なのだが、その仕掛けは羅臼岳や硫黄山からの伏流水がわき出ているからなのだそうだ。
風のない今日は、静かな水面に羅臼岳がきれいに鏡のように写っている。なんとも言えない美しさで、やはり神の領域に足を踏み入れているという実感が増す。
歩道は木道がかなり整備されて、来訪者の利用圧が自然に影響を及ぼさないように配慮されている。道幅も狭いところでは1mもなかったりするのだが、「シーズンになると熊がすぐそこまでは来ますからね」と脅かされるとすこし不安になる。
まあこれだけ多くの人間が訪れてくれば、熊の方も恐れをなして出られないというところだろうか。なんとも人間と自然のバランスが悪いように思えた。
※ ※ ※ ※
とって返して本日の最後の視察ポイントである知床峠へと向かう。峠までの道をなんとしても見たかったのは、この間の沿道景観がどのようなものだったかを再度見ておきたかったからである。
道路標識などが知床の景観を阻害しているということがないかどうかを見たかったのだが、同行の上司と共に「思いの外、標識は少ないね」ということで意見は一致した。
しかし、通常のルールに従って周辺の状況に配慮しないような標識のための標識みたいなものも散見されて「いまの標識はいらないね」などとチェックをしてみる。
標識の設置基準に単純に従って、現場というものを見なくなったら技術屋もおしまいではなかろうか。それくらいの真剣なまなざしを向けた景観や観光への配慮が、ここ知床では必要なのではなかろうか。
開発局の行政がいかに知床という現場や景観に配慮できるかが試されていると言えよう。
※ ※ ※ ※
全ての視察行程を終えてやっとウトロの会議室へ到着するのには予定より40分も遅れてしまったが、やっと地元のシーニックバイウェイ関係者が一同に揃っての意見交換ができた。
知床半島が世界自然遺産に認められてからというもの、この地域を訪れる観光客は例年に増して多いようで、その分儲かっているのかと思いきや、「当初見越したキャンセル率が見当はずれで、キャンセルが少なくてホテルではダブルブッキングが続出しているようですよ」という声も聞かれた。
また、「知床ルールなどという言葉も、どうも持続可能な適正利用のあり方というよりは、自然保護的な色彩の強い議論になりかけているのではないか」という危惧の声も聞かれた。
「自然を利用してお金儲けなんて下品だ」という論調が全てだとしたら、それはもう少し議論を重ねた方がよいだろう。
自然と人間との適切な関係性を真剣に議論すべき時が来ていると私は考えているし、それは「自然は保護さえしておけばよいのだ」という信条の押しつけでは解決されないことだろう。
今こそ、官、民、学識経験者などの広範な知恵の結集が求められているのである。
さて、開発局は何ができるだろうか。知恵と力を出すための我々の出番も近そうだ。
さてシーニックの旅も半ばであります。今日は阿寒湖畔から裏摩周~清里町へと向かい、知床半島を訪ねる旅です。走れ走れ~。
さて今日は、
■シーニックの旅~阿寒から清里へ
■シーニックの旅~清里からウトロへ の2本です。
【シーニックの旅~阿寒から清里へ】
朝阿寒湖畔を出発しようとして大変なことに気づく。それはツール・ド・北海道の実施のために、阿寒横断道路は10時まで一般車両が通れない規制がかかっているということで、そのためになんと8時半出発という行程が崩れてしまったのだ。
しかしそれならそれで、その間を利用して阿寒のまちづくりを見学することにして、現在社会実験中の温泉街一週バスに乗車する。
これは温泉街での宿泊客の移動を助けるための無料バスで、どれくらいのお客さんがこれに乗って、商店街での買い物を楽しんだり移動したりするものかということを実験してみているのだという。
バスは観光カリスマの大西社長がハウステンボスから買い入れたというイギリス製のクラシックバス。運転手さんも道中の様々なことを紹介してくれたり、果ては乗客の記念写真を撮ってあげたりと実に親切。
バスの停留所の標識にも木の彫刻が置いてあったりして雰囲気を盛り上げている。社会実験がうまく行くと良いことを祈るばかりだが、バスのサスペンションが柔らかくて、後ろに乗っているとちょっと気持ちが悪くなりました。
これだけはなんとかならんものか…。
※ ※ ※ ※
阿寒横断道路の通行止め規制解除を見越して10時過ぎに阿寒湖畔を出発。小清水峠で釧路開建とはお別れで、ここからは網走開建さんにお世話になる。
ここからのシーニックの風景の水先案内人は東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議の事務局次長で写真家、本職は女満別町役場にお勤めの山本さん。
多少時間は押していたが「ここまで来ていただいたなら、これだけは見ていって下さい」と案内されたのが裏摩周に位置する「神の子池」。ここは周囲100mほどの小さな池だが、一説によると摩周湖の水が浸み出しているのだとか。
水の色は何とも言えないマリンブルーで、池の底から確かに水が湧き出している。何とも幻想的な池で、確かに神様からの贈り物という表現は過言ではない。
「しかし最近はあちこちで宣伝されてしまって、観光客が随分増えました」とは案内人の山本さん。
「そのことは環境に影響がありますか」と訊ねると、
「池にお金を投げ入れる人が出始めているんですよ。そういうのはなんとかなりませんかねえ…」
ありがたがるのもほどほどにして欲しいものだ。
次にはまた車で移動して、落差2mはあろうかというちょっとした滝に案内していただく。
「見ていて下さい。ちょっとした岩のところでやまべが跳ね上がりますから」
…と、言われた通りに2匹、3匹と小さいものから大きなものまでがぴょんぴょんと跳ね上がるのが見えた。
「彼らが一番飛ぶのにも時間帯があって、大体1時から1時半くらいが一番飛びますね。水温がある程度上がらないと動きが悪いみたいですね」
案内していただかないと見られない風景や、その風景さえガイドさんの一言でさらに輝きを増す。
良いガイドに連れられる旅は珠玉の時間である。
※ ※ ※ ※
昼食は清里町の蕎麦屋「秀峰庵」である。小上がりに上がると、蕎麦打ち界では知らぬ者のいない達磨の高橋名人のサインが入った蕎麦の打ち方の教本が置いてある。
辛み大根の冷たいおろし蕎麦をお願いして食すが、「うん、まさにこれこそコシだ!」とうなりたくなる蕎麦である。
ご主人の勝又さんに伺うと、もう何年も前から高橋名人は自分の気に入るような蕎麦粉を求めて道内を旅して歩いているのだそうで、ここ清里町でもかなりの量を高橋名人に送り続けているらしい。
「ところが送っている粉が美味しいのかどうかと言うことが実は誰も分からず、それが分かるようになるには蕎麦を打って食べるしかない、ということで始めたのですよ」とのこと。
思わず蕎麦談義に花が咲いてしまい、予定時間短縮ができず回りの方にご迷惑をかけてしまいました。うーむ、蕎麦の話になると熱くなってしまうなあ、反省。
【シーニックの旅~清里からウトロへ】
さて秀峰庵を後にして続いては、天の川が降って来るという宇宙展望台からこの地域の代表的なシンボルである斜里岳から知床半島に続く山並みや、カラマツの防風林に囲まれたパッチワークのような農の風景を見せられてこれまた感動する。
そして「次が良いんですよ。今日は天気がよいから楽しみです」と言われ、車で再び移動し、やがて着いたのは、アップダウンをしながらひたすらまっすぐ続く農道のどんづまりの高台。
車を降りて、「さあ、ここから振り返ってみて下さい」と言われた道は目の錯覚で遠く向こうが上に昇るように見える。
「『道、天に至る』と名付けているんですけどね」という解説がまた良い。
「いつかこの道の真っ正面に夕日が沈む瞬間を写真に撮ろうと思っているのですが、まだ果たせていないのです。いつか絶対に撮りたい風景なのですが」と少し悔しそう。
とても一日でこの風景全てを堪能しきれないことは分かりました。特に写真家の目で見た風景は、一味も二味も違って見ることが出来る。
地域を紹介する上で、スタッフに写真家の目が入っているかどうかは大きな要素なのだ。
※ ※ ※ ※
時間がどんどん押しているのだが、今日の宿泊地ウトロを過ぎて、ここまで来たらなんとしても知床五湖までは行こうと車を走らせる。
この後もウトロで地元のシーニックバイウェイの皆さんとの意見交換が控えていたので、随行してくれた担当者からは「小松さん、時間が少ないので、知床五湖か知床峠のどちらかということで、どちらにしましょうか?」と言うのを、「うーん、両方!」と無理を言う。
ここまで来たらなんとしても知床五湖と知床峠を沿道景観や自然観光の視点からもう一度見ておきたかったのである。ウトロまでとはそう簡単にこれるところではありませんからね。
知床峠方面へ曲がらずにまっすぐに半島の先へ車を走らせ、後少しで五湖の駐車場に入るというところでなんと渋滞になっている。平日のこんな夕方の時間に何事かと思いきや駐車場の係員さんがやってきて、「この先の駐車場が満車ですのでもう少しお待ち下さい」とのこと。
「こんなことは昨年まではありませんでしたね。びっくりですよ」とは山本さん。
なんとか駐車場に車を入れて知床五湖の遊歩道を歩いてみることにしたが、五湖全てを巡るコースは40分コースと時間がかかりすぎるために、手前の二湖だけを見て帰ってくることにした。
知床五湖は湖に注ぐ川もなければここから流れ出る川もないのに湖が維持されている不思議な湖なのだが、その仕掛けは羅臼岳や硫黄山からの伏流水がわき出ているからなのだそうだ。
風のない今日は、静かな水面に羅臼岳がきれいに鏡のように写っている。なんとも言えない美しさで、やはり神の領域に足を踏み入れているという実感が増す。
歩道は木道がかなり整備されて、来訪者の利用圧が自然に影響を及ぼさないように配慮されている。道幅も狭いところでは1mもなかったりするのだが、「シーズンになると熊がすぐそこまでは来ますからね」と脅かされるとすこし不安になる。
まあこれだけ多くの人間が訪れてくれば、熊の方も恐れをなして出られないというところだろうか。なんとも人間と自然のバランスが悪いように思えた。
※ ※ ※ ※
とって返して本日の最後の視察ポイントである知床峠へと向かう。峠までの道をなんとしても見たかったのは、この間の沿道景観がどのようなものだったかを再度見ておきたかったからである。
道路標識などが知床の景観を阻害しているということがないかどうかを見たかったのだが、同行の上司と共に「思いの外、標識は少ないね」ということで意見は一致した。
しかし、通常のルールに従って周辺の状況に配慮しないような標識のための標識みたいなものも散見されて「いまの標識はいらないね」などとチェックをしてみる。
標識の設置基準に単純に従って、現場というものを見なくなったら技術屋もおしまいではなかろうか。それくらいの真剣なまなざしを向けた景観や観光への配慮が、ここ知床では必要なのではなかろうか。
開発局の行政がいかに知床という現場や景観に配慮できるかが試されていると言えよう。
※ ※ ※ ※
全ての視察行程を終えてやっとウトロの会議室へ到着するのには予定より40分も遅れてしまったが、やっと地元のシーニックバイウェイ関係者が一同に揃っての意見交換ができた。
知床半島が世界自然遺産に認められてからというもの、この地域を訪れる観光客は例年に増して多いようで、その分儲かっているのかと思いきや、「当初見越したキャンセル率が見当はずれで、キャンセルが少なくてホテルではダブルブッキングが続出しているようですよ」という声も聞かれた。
また、「知床ルールなどという言葉も、どうも持続可能な適正利用のあり方というよりは、自然保護的な色彩の強い議論になりかけているのではないか」という危惧の声も聞かれた。
「自然を利用してお金儲けなんて下品だ」という論調が全てだとしたら、それはもう少し議論を重ねた方がよいだろう。
自然と人間との適切な関係性を真剣に議論すべき時が来ていると私は考えているし、それは「自然は保護さえしておけばよいのだ」という信条の押しつけでは解決されないことだろう。
今こそ、官、民、学識経験者などの広範な知恵の結集が求められているのである。
さて、開発局は何ができるだろうか。知恵と力を出すための我々の出番も近そうだ。
知床は世界自然遺産になり観光客が増していますが、自然環境へのインパクトはやはり心配です。適切な利用に対してもっと関係者も観光客も関心を持って欲しいものですね。