世の中にははっとする文章に出会うことがあります。今日はそんなお話。
【睡起偶成(すいきぐうせい)の唄】
王陽明は西暦1472年、明の時代に生まれた政治家であり思想家でもあります。
最近この王陽明に関する本をいろいろと読んでいたのですが、非常にはっとする考えやら文章に出会うことが多いのです。今日はそんな珠玉の言葉の数々の中から、「睡起偶成の詩」をご紹介します。
四十余年睡夢の中
いま醒眼始めて朦朧(もうろう)
知らず日すでに亭午を過ぐるを
起って高楼に向んで暁鐘を撞く
起って高楼に向んで暁鐘を撞く
尚お多くは昏睡正にぼうぼう
たとえ日暮るるも醒むるをなお得ん
信ぜず人間耳ことごとく聾すと
四十数年生きてきたけれど、夢を見ていたようだ
今やっと目が覚めて朦朧としている
気がつくとどうやらもうお昼を過ぎているではないか
起きて高楼に向かって朝の(目覚めの)鐘を撞くのだ
起きて高楼に向かって朝の鐘を撞くのだ
しかしまだ多くの者たちはすっかり寝入ったままだ
たとえ日が暮れたとしても目が覚めるものは必ずいるはずだ
皆耳が聞こえないなどということがあるはずがない
この睡起偶成の詩は別名を首尾吟(しゅびぎん)と言われていて、王陽明が五十才になったときに作ったものと言われています。
四十数年を生きてやっと目が覚めて世の中のことが分かってきた。目覚めたらもう昼過ぎとは随分寝ていたものだ。こうなったら自分がみんなの目を覚ますように鐘を鳴らさなくては…、と王陽明先生にして言っておられます。
この鐘とは警鐘のことで、なかなか良くならない世の中に対する慨嘆でもあります。そしてこの慨嘆は二番目の詩につながって行きます。
高い塔に進んで警鐘をならすのだ。世の中の人たちはまだそんなことに気づかないままぐうぐうと寝ているかのようだ。しかし自分が鐘を撞き続ければ誰かがきっと気づいてくれるはずだ。世の中には気づいてくれる人がいると言うことを信じよう。
この詩は以前書いた「気づいた者の責任」という事にも通じそうです。そして自分が気づいて、「良いなあ」と思ったことを人様に伝えるということの大切さを訴えているような気がするのです。
こういう漢詩などは徹底的に体にたたき込んで暗誦してしまうのがよいですね。決して知識をひけらかすのではなくて、自分の感性に合致する良いお話を人様に伝えて、相手にも何かが伝わったときに初めてこのお話が自分のものになる、自分の血になり肉になるのではないかと思うからです。
このブログ「北の心の開拓記」の初心を思い出させてくれる一節でした。
ここまで生きていて、はっとする文章にたどりつくように出会える年齢になったということでしょうか。縁尋の機妙がここでも生きています。
【睡起偶成(すいきぐうせい)の唄】
王陽明は西暦1472年、明の時代に生まれた政治家であり思想家でもあります。
最近この王陽明に関する本をいろいろと読んでいたのですが、非常にはっとする考えやら文章に出会うことが多いのです。今日はそんな珠玉の言葉の数々の中から、「睡起偶成の詩」をご紹介します。
四十余年睡夢の中
いま醒眼始めて朦朧(もうろう)
知らず日すでに亭午を過ぐるを
起って高楼に向んで暁鐘を撞く
起って高楼に向んで暁鐘を撞く
尚お多くは昏睡正にぼうぼう
たとえ日暮るるも醒むるをなお得ん
信ぜず人間耳ことごとく聾すと
四十数年生きてきたけれど、夢を見ていたようだ
今やっと目が覚めて朦朧としている
気がつくとどうやらもうお昼を過ぎているではないか
起きて高楼に向かって朝の(目覚めの)鐘を撞くのだ
起きて高楼に向かって朝の鐘を撞くのだ
しかしまだ多くの者たちはすっかり寝入ったままだ
たとえ日が暮れたとしても目が覚めるものは必ずいるはずだ
皆耳が聞こえないなどということがあるはずがない
この睡起偶成の詩は別名を首尾吟(しゅびぎん)と言われていて、王陽明が五十才になったときに作ったものと言われています。
四十数年を生きてやっと目が覚めて世の中のことが分かってきた。目覚めたらもう昼過ぎとは随分寝ていたものだ。こうなったら自分がみんなの目を覚ますように鐘を鳴らさなくては…、と王陽明先生にして言っておられます。
この鐘とは警鐘のことで、なかなか良くならない世の中に対する慨嘆でもあります。そしてこの慨嘆は二番目の詩につながって行きます。
高い塔に進んで警鐘をならすのだ。世の中の人たちはまだそんなことに気づかないままぐうぐうと寝ているかのようだ。しかし自分が鐘を撞き続ければ誰かがきっと気づいてくれるはずだ。世の中には気づいてくれる人がいると言うことを信じよう。
この詩は以前書いた「気づいた者の責任」という事にも通じそうです。そして自分が気づいて、「良いなあ」と思ったことを人様に伝えるということの大切さを訴えているような気がするのです。
こういう漢詩などは徹底的に体にたたき込んで暗誦してしまうのがよいですね。決して知識をひけらかすのではなくて、自分の感性に合致する良いお話を人様に伝えて、相手にも何かが伝わったときに初めてこのお話が自分のものになる、自分の血になり肉になるのではないかと思うからです。
このブログ「北の心の開拓記」の初心を思い出させてくれる一節でした。
ここまで生きていて、はっとする文章にたどりつくように出会える年齢になったということでしょうか。縁尋の機妙がここでも生きています。
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