旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ケベックからローレンシャン高原へ

2014-10-04 17:34:38 | カナダ
ケベックシティの朝、昨夜部屋から見えていたナイアガラの滝のようなライトアップは、巨大な倉庫の壁への投影だった※きのうの日記の最後の写真とくらべてみてください

ホテル目の前の市庁舎の屋根のむこう、もくもくと煙を上げる工場がみえる。

ケベックは昔から木材資源が豊富なところ。かつては王子製紙がこの工場をもっていたが停止され売りに出され、現在は別の企業が引き継いでいるとのこと。製紙会社の資源は寒冷地に多いからスケート関係のスポンサーになるのは自然。

観光開始、まずはケベック州庁舎へ。

ガイドさん曰く「建物全体はパリのルーブル宮殿をイメージし、塔はウェストミンスターからイメージされました」ウェストミンスターとは宮殿の方?アビーの方?

城壁外、1759年9月13日にイギリスとの最後の戦いが行われたアブラハム平原へ。両軍の指揮官が被弾し、結果死亡する激戦だったが、二十分で終わったといわれている 看板は「ディアマント(ダイアモンド)岬」とあるが、シャンプレインがかつてここで見つけた石をダイヤモンドだと思って鑑定させたことからくる。結果、それはロック・クリスタルだったとしても。

ジャンヌダルク公園折しもハロウィンの飾りがたくさん。著名人の名前がかかれたお墓オブジェ

●シャトーフロントナック前からセントローレンス川の河口方向を見る。

橋のかかっているのはオルレアン島。1935年に橋が出来るまでは本土と交流がすくなく、昔のフランス風の街並みがあることが知られている。

カナダ国旗がはためくドームは郵便局、シャンプレインの像と

バスで下の港町へ降りる。1608年にカナダで最初のフランス系入植地となった場所。プチ・シャンプランと呼ばれる。一角のビルの壁に、この街の歴史に関係する人々がえがかれた絵がある見上げるはシャトー・フロントナック。青空と紅葉のはじまった木々に映える

アブラハム平原の近く、監獄だったたてものケベック兵の参加した戦いの記念碑がいくつも置かれていた。第22連隊はカナダ唯一のフランス語で指揮される部隊。彼らのシンボルはビーバー。「Je me souvien 私は忘れない」というケベック州のモットーが書かれている。

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昼食後、モントリオール近くまでセントローレンス川にそってはしり、そこからローレンシャン高原にあるトランブラン山のふもとへ向かう紅葉は今が盛り。二回の休憩をはさみ、五時間ほどののドライブでモン・トランブランの山岳リゾートへ到着まるでテーマパークのような街。この時期は半数以上は日本人客で占められております。

明日のお天気は、誰にもわかりません。今日のこの美しい秋晴れに感謝しましょ
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