競馬マニアの1人ケイバ談義

がんばれ、ドレッドノータス!

エースに恋してる第10話

2007年08月21日 | エースに恋してる
 ベンチに戻ると、みんな、歓喜でオレを出迎えてくれた。しかし、オレはあまりうれしくなかった。こんなやつからホームランを撃ったって、なんにもうれしくないのだ。でも、2ランホームランは2ランホームラン、一気に2点ゲットだ。いや、今の岡崎なら、もっと点が獲れるかもしれない。次のバッターは、チーム一器用な中井…
 オレはバッターボックスに向かう途中の中井を呼び寄せ、耳打ちをした。
 中井への1球目。指示通りのセーフティバント。打球は岡崎の右手側に転がった。右ピッチャーの岡崎は、左手のグローブでそのタマを捕りに行った。が、逆手となった岡崎のグローブは、タマにはちょっと届かず、結局ショートが捕った。当然のように、内野安打。ふふ、思った通り、岡崎は浮足立っている。
 次の鈴木は、最初っからバントの構え。打球は岡崎の守備範囲内に転がり、今度は無難に処理… と思った瞬間、岡崎はすってんころりんと尻もちをついてしまった。こいつ、まじで身体を作ってなかったようだ。
 次の北村には、初球尻にデッドボール。これでなんと、ノーアウト満塁。大量得点のチャンスだ。このチャンスにまわってきたバッターは箕島。そう、野球歴2年とちょっとのあの箕島である。
 あの事件以降、箕島は人一倍練習をし、とりあえず守備は合格の域に達していた。しかし、バッティングの方は、まだこれからとゆー状態である。
 ここはバッティングのいい森に代えるべきか?… いや、森はまだ1年生。ここで1年生に代えたら、やつのプライドはズタズタになってしまう。こんなところでやつを傷つけてどうする? オレは箕島にこのチャンスを託すことにした。
 バッターボックスに入る寸前、箕島がオレを見た。オレは特にかける言葉はなかった。ただ瞳で「やれ」と言ってやった。箕島はなんの反応も見せず、バッターボックスに立った。
     ※
 1球目、空振り。2球目、空振り。やっぱりだめか…
 しかし、3球目、バットにボールが当たった。ふわふわ~とした打球が3塁後方に飛んだ。なんとこれは、城島高校との練習試合で箕島が醜態をさらしてしまったあのフライとまったく同じフライだ。ふつうならショートフライだが、当のショートは前進守備中。慌てて下がるショート。しかし、届いてしまいそうだ。ランニングポケットキャッチ。が、グローブとユニホームの透き間からボールがこぼれ出た。おまけに、勢いが止まらないショートの足が、そのボールを蹴飛ばしてくれた。ボールはそのままファールゾーンを転々とした。岡崎のファンの悲鳴が響くなか、3塁の中井と2塁の鈴木がホームインした。バッターの箕島は、2塁ベース上でガッツポーズ。エラーっぽいが、なんとあの箕島が2点もの得点を叩き出してくれた。
 これで、この回4点、都合5点。桐ケ台高校のファンも応援団も、完全に沈黙した。騒いでるのは、オレたち聖カトリーヌ紫苑学園のベンチだけだった。
     ※
 ノーアウトランナー2塁3塁。まだチャンスは続いていた。このチャンスにバッターはとも子。そういや、とも子が昔ほれてた男も、甲子園準優勝投手だったんだっけ。オレに野球を教えてくれたおじいちゃんも甲子園準優勝投手。今マウンドに立っているだらしのない男も甲子園準優勝投手。なんて皮肉な巡り合わせだ。
 とも子はピッチングに専念させたいので、打順が廻って来たらバッターボックスの一番外側に立つように指示してたが、とも子はその指示どおり、バッターボックスの一番外側に立った。岡崎にはアウトを1つくれてやるってゆーのに、なんと初球は、とんでもない暴投だった。3塁ランナーの北村は、労せずしてホームに帰って来た。この回、5点目、都合6点となった。
 別に岡崎を弁護するわけではないが、まったく撃つ気のないバッターは、意外と投げにくい。オレもよくフォアボールをやった。おまけに、とも子は超小型だから、ストライクゾーンもかなり小さく、とても投げにくいと思う。
 しかし、ここまで外すのは論外だ。すでに岡崎は限界を越えてるようだ。桐ケ台高校の監督もそう思ったんだろう。敵ベンチから伝令が走った。結局、アウトを1つも獲れずに、降板である。
 今日の岡崎は明らかに調整不足… いや、まったく調整してなかった。どんな弱い相手でも、万全に調整しておくのがエースの心構え。岡崎、おまえはエース失格だ!!
     ※
 桐ケ台高校の3番手ピッチャーは友部。投球練習を観察したが、こいつはちゃんと調整してるようだ。岡崎よりも、その前の安藤よりも手ごわそうだ。
 このピッチャーに、とも子は見逃しの三振。1番渡辺も2番大空も、あっとゆー間に撃ち取られた。しかし、この回、我が学園は5点も挙げた。都合6点。もう楽勝ペースだ。
     ※
 その裏の桐ケ台高校の攻撃は1番から。そいつが見事な流し撃ちを見せた。打球はオレを襲い、オレは思わずはじいてしまった。が、はじいたボールはオレの目の前にあり、それを素早く拾って直接ファーストベースにタッチし、事なきを得た。どうやら敵さんは、バットを短く持ってこつこつと当てていく戦法に切り替えたらしい。ふふ、ならこっちもベールを脱ぐとしますか…
 オレはブロックサインを送った。とも子はそのサインに気づかなかったが、北村が気づき、とも子にサインを送った。するととも子は、はっとしてオレを見た。その顔はいつも見せてるかわいい笑顔だった。ふふ、そんな顔を見せるなんて、とも子もあのタマを投げたかったんだな。
     ※
 とも子はここまでセットポジションで投げてたが、このときはぎこちなく振りかぶって投げた。次の瞬間、とも子独特の伸びのある豪速球が、あっとゆー間に北村のミットに納まった。低めのストレートを待っていただろう敵バッターは、あまりのスピードに、ストライクゾーンど真ん中にボールが来たとゆーのに、びびってバッターボックスを飛び出してしまった。主審もびっくりしたらしく、ストライクのコールがかなり遅れて出た。球場全体が一瞬沈黙し、そして徐々にざわめき出した。桐ケ台高校のベンチも、ただ唖然とするしかなかった。ふふ、どんなもんだ。これがとも子の本性だ!!
 それでも桐ケ台高校打線は、とも子の低めのストレートに狙いを絞った。しかし、ときどき混じる超ハイスピードボールと、ストライクゾーンからボールゾーンに逃げて行くカーブに惑わされ、まったく勝負にならなかった。結局この回の桐ケ台高校の攻撃も、3者凡退に終わった。
     ※
 次の回、うちの攻撃。3番唐沢が撃ち取られ、オレの打順。よーし、また大きいの狙ってやろーとバッターボックスに立ったが、敵のキャッチャーはなかなか座ってくれなかった。どうやら敬遠らしい。敬遠はホームランバッターの勲章。どうやらオレは、一流のホームランバッターと認定されたようだ。ま、正直なところ、撃ちたかったのだが…
 オレは1塁ベース上に立つと、なにげにスコアボードを見た。スコアボードの巨大な時計は、1時30分を指し示していた。もうあの判決が出てる時間… 今すぐ電話か何かで結果を聞きたいが、今は公式戦の真っ最中。試合に集中しないと…
 5番中井、6番鈴木は凡退し、この回は無得点に終わった。以後我が聖カトリーヌ紫苑学園は、オレが再び敬遠された以外、まったく撃てなくなってしまった。一方桐ケ台高校打線も、相変わらずとも子を撃てず、試合はトントン拍子に進んだ。
     ※
 8回の裏、桐ケ台高校の攻撃。この回の先頭バッターは4番。ついにそいつのバットが火を噴いてしまった。打球はセンター前に転がった。さすがは桐ケ台高校の4番である。これでとも子のパーフェクトは消滅した。
 パーフェクトやノーヒットノーランが途切れると、そのとたん緊張の糸がぷつりと切れ、集中打を浴びてしまうことがよくある。ここは内野手全員をマウンドに集め、インターバルを兼ね、とも子をはげました方がいいかも…
「ドンマイ!!」
 と、サードの中井がとも子に声をかけた。とも子はその中井に笑顔で「はい」と答えた。
 そう、我が聖カトリーヌ紫苑学園のエースはとも子。エースはもっと信頼しないと。ヒット1本くらいでいちいち内野手を集めてどうする? ここは中井の一言で十分だと思ろう。
     ※
 ノーアウトランナー1塁。とも子はランナーがいなくてもセットポジションだが、実際ランナーを背負ってのセットポジションには、ちょっと不安がある。それに、投球回数も気になってきた。次のタマがちょうど100球目。とも子のスタミナは、はたしてどれくらい持つのだろうか? 桐ケ台高校は岡崎を中心とする守備のチームだが、その気になれば、10点くらいは平気で獲れると思う…
 心配してた通り、次のバッターにも狙い撃ちされてしまった。打球はとも子の右側を鋭く抜けて行った。完全にヒット性の当たり… が、なんと、ショートの箕島がダイビングキャッチ。寝転んだまま、セカンドの鈴木にトス。鈴木は振り向きざま、ファーストのオレに送球。なんと、ダブルプレイが成立した。あ、あの箕島が、こんなすごいプレイを見せるなんて…
 箕島は野球を続けててよかったと思う。本当によかったと思う。その箕島を野球部に引き戻したのはとも子。だから箕島は、とも子のためなら一生懸命プレイできる。いや、箕島だけじゃない。みんな、とも子を信頼してる。ナインに信頼されてるエースがいるチームは、本当に強くなるチームだ。もしかしたら、オレたちはまじで甲子園に行けるかも…
     ※
 次のバッターも、快音を響かせた。打球は大きな放物線を描き、レフトスタンドへ。しかし、フェンス手前で失速し、大空のグローブに納まった。もしもう少しとも子のタマが高かったら、フェンスを越えてたと思う。ここはもう潮時だろう。オレはベンチに帰る途中、とも子の肩を叩いた。
「とも子、お疲れさん。今日はここまでにしよう」
 とも子はいつもの笑顔を見せることで「はい」と返事してくれた。まだ投げたいと思うが、とも子は素直にオレに従ってくれた。が、北村から意義が出た。
「え、まだ1点も獲られてないのに、交替?」
「とも子はもう限界だよ」
「で、でも、まだヒット1本しか撃たれてないんですよ!?」
 一理ある意見だ。もしオレがとも子の立場だったら、絶対腐ると思う。スタミナ的には限界であっても、6点差ならまず引っくり返される心配がない。先発ピッチャーはマウンドに登ったからには、最低完投はしたいもの。とも子だって、完投したいと思う。しかし、相手は桐ケ台高校だ。石橋を叩いてでも渡りたい。
 ここでとも子を替えたい理由がもう1つある。うちの監督が唐沢をリリーフに使いたくなったらしい。例の城島高校との練習試合で唐沢がラスト3人を完璧に押さえたことに監督が注目したようだ。唐沢もその気になってるようで、最近よくピッチング練習をしてた。やつを試すんなら、6点差ある今がちょうどいいタイミングだと思う。
 北村はまだけげんな顔をしているが、すでに唐沢はベンチ脇でピッチング練習を始めており、この回2人目のバッターになるはずだったとも子にも、すでに代打が告げられていた。
 そして9回表の我が校の攻撃が終了した。試合はいよいよ9回の裏、桐ケ台高校最後の攻撃である。

エースに恋してる第9話

2007年08月20日 | エースに恋してる
「明日桐ケ台高校に勝ったら、甲子園に行けますか?」
 と、真顔のとも子が筆談で話しかけてきた。大切な試合の前日であっても、オレととも子はいつものファミレスでいつものようにおしゃべりをしてた。
「ああ、もちろん行けるよ」
 と、オレは返答した。とも子の表情は、とたんに笑顔になった。
 桐ケ台高校に勝てるほどの実力があれば、間違いなく甲子園に行けると思う。でも、桐ケ台高校に勝てる確率は、正直1%もない…
 しかし、そんな絶望的なこと、チームのエースに面と向かって言えるはずがなかった。
「明日、がんばろうな」
 それくらいしか言えなかった。
 しかし、大事な試合の前日だとゆーのに、オレはこんなところでチームのエースとデートしてていいのか? 今日は早く帰るべきじゃ… オレはそう判断すると、いつものようにとも子とキスをし、そそくさと家路についた。
     ※
 家に帰ると弁護士の先生がいて、親父とお袋と打ち合わせをしてた。そう、明日は例の判決の日でもあるのだ。オレも裁判に出たいが、大事な試合と重なってるので、それは絶対にむり。ま、この裁判、どう考えたってこっちが勝つに決まってる。あの朝おじいちゃんは黄色の点滅信号を無視して交差点に進入したが、向こうは赤の点滅信号を無視して、猛スピードで突っ込んで来たんだ。黄色の点滅信号は「徐行」だが、赤の点滅信号は「一時停止」。絶対に向こうが悪い!!
 でも、やっぱ裁判に出たい。裁判に出れば、あの助手席に乗っていた少女の行方がわかると思う。あの子は今でも生きてんだろうか? 生きてるとしたら、今どうしてるんだろうか?
 その夜、またあの女の子が夢に出て来た。やはり恐怖に顔を引きつらせていた。
     ※
 いよいよ試合当日となった。桐ケ台高校が出るとあって、1回戦だとゆーのに球場は満員だった。通常1回戦だと外野席は開放されないのだが、その外野席まで人があふれていた。マスコミ関係者もたくさん来てた。満員の観客とマスコミの目的は、主に3つあるようだ。
 1つ目はとも子。女子でしかも障害のあるエースってことで、注目されてるらしい。しかし、とも子の真の実力は、実のところ、だれも知らないと思う。城島高校との練習試合以後どことも対戦してないし、城島高校と対戦したときのとも子は、今とは別人と言えるほど貧弱だった。
 桐ケ台高校は、きっととも子をなめてくると思う。
     ※
 2つ目は、桐ケ台のエース、岡崎の人気。やつは去年春の大会で甲子園のマウンドをたった1人で守り抜き、決勝戦まで進出。しかし、連投につぐ連投がたたり、最後は力つきた。そのたんたんと投げる姿が人々の共感を呼び、やつは時の人となった。
 ま、これだけならよく聞く話だが、実はこの話には続きがあった。準優勝を祝って桐ケ台高校の応援団が酒盛りしてしまったのだ。悪いことに、その中に当時の野球部員が数人加わってたことが発覚し、野球部は謹慎に追い込まれた。で、1年間の対外試合自粛。つまり、岡崎にとって、今日の試合は1年ぶりの対外試合なのである。スタンドを埋めた観客は、ほとんど岡崎に注目してるはずだ。
 ちなみに、我が聖カトリーヌ紫苑学園の応援団は、だれ1人来てないようだ。オレたちは母校に見捨てられたらしい。
     ※
 3つ目はオレとか。いや、正確に言えば、オレ対岡崎。かつての岡崎のライバルがスラッガーに転向して、岡崎と対決…
 バカゆーな!! たしかに岡崎と何回か投げあった記憶はあるが、やつをライバルと思ったことなんか一度もなかったよ。中学時代のオレは常勝だったんだ。敵と言えるピッチャーは、1人もいなかったよ。
     ※
 先攻は我が学園が取った。桐ケ台高校の先発ピッチャーがマウンドに上がり、ピッチング練習を始めた。だが、そいつは岡崎ではなく、安藤とゆー初めてその名を聞くピッチャーだった。そーいや、桐ケ台高校は去年春の反省から、岡崎以外に何人かのピッチャーを育ててるとゆー話を聞いたことがある。きっと安藤は、その中の1人なのだろう。ちなみに、安藤はまだ1年生。ふっ、なめられたものだ。
 安藤のピッチング練習をベンチから観察したが、たしかにエース級の実力はありそうだ。が、明らかにとも子よりは下。そのとも子に鍛えられたんだ。うちのナインが撃てないはずがない。絶対撃ち崩してやる!!
     ※
 いよいよ試合開始。1番バッターの渡辺がバッターボックスに立った。
 安藤の1球目。低めに押さえられたストレート。が、とも子のタマから見れば棒ダマだ。渡辺はやつらしく、コンパクトにバットを振り抜いた。
 カキーン!! 打球はショートの横をするどく抜け、センター前に転がった。渡辺は1塁ベース上でガッツポーズ。いや、渡辺だけじゃない。聖カトリーヌ紫苑学園野球部員全員が、「やったーっ!!」と大はしゃぎをした。もちろん、ただのシングルヒットだ。1点も獲ってない。でも、うれしいのだ。なんか、まじで桐ケ台高校に勝てる気がしてきた。
 2番バッターの大空だが、ここはやはり1点が欲しい。で、絶妙な送りバント。1塁ランナーの渡辺は、難なく2塁に進んだ。
 続くバッターは唐沢。その1球目は明らかなボールダマ。敵のピッチャー安藤は、完全に浮足立っている。チャンスだ!! 行け、唐沢!!
     ※
 ネクストバッターサークルで試合を凝視してたら、ふと視野の端に白いものが入ってきた。それはとも子が掲げている大きなスケッチブックだった。「ヘイヘイ、ピッチャービビッてるよ!!」とゆーヤジがそこに大きく書いてあった。オレは思わず苦笑してしまった。
「ヘイヘーイ、ピッチャービビッってんよーっ!!」
 オレが代わりにヤジを飛ばすと、とも子がにこっと笑ってくれた。こんなときでも、とも子の笑顔はかわゆいんだようなあ…
     ※
 カキーン!! 唐沢がうまく流し撃った。ライト前ヒット。渡辺が俊足を活かし、一気に3塁を回った。しかし、これはちょっと無謀だった。渡辺の足がホームベースに到達するより早く、ライトからの返球がキャッチャーミットに到達してしまったのだ。
「ドンマイ!! ドンマイ!!」
 みんな、このアウトには失望しなかった。逆にこのピッチャーなら点が獲れると確信できた。しかも当の安藤は今のホーム寸前タッチアウトに安堵してるらしく、隙間だらけになっている。これは1球目から狙うべき!! オレはそう決断すると、左バッターボックスに立った。
 1球目は案の定、棒ダマだった。カキーン!! オレが思いっきりバットを振り抜くと、タマは弾丸ライナーでサードの頭を越え、レフトの脇を襲い、外野フェンスを直撃した。1塁ランナーの唐沢が、長躯ホームイン。やったーっ、先取点ゲットだ!! オレは2塁ベース上で思わずガッツポーズしてしまった。いや、オレだけじゃない、聖カトリーヌ紫苑学園野球部員全員がはしゃいでた。オレはその中でも、ちょっと冷静になってるとも子に瞳で話しかけた。
「あとはまかせたぞ」
 とも子はこくりとうなずいた。
     ※
 5番中井が凡退し、攻守交替。いよいよとも子のピッチングのお披露目のときが来た。とも子がマウンドに立つと、桐ケ台高校のファンばかりのスタンドから、嘲笑とヤジが聞こえてきた。出てきたピッチャーが小さい女の子だったから、みんなでバカにしてるようだ。正直こんなやつらは、球場に来て欲しくない。桐ケ台高校も、岡崎も、つまらないファンを持ってしまったものである。
 ここは一発、とも子の目が覚めるような豪速球を見せつけてやりたいところだが、それは大事なウイニングショット。しばらくは重たいストレートを投げさせておいた方が得策だと思う。オレはそう判断すると、キャッチャーの北村にサインを出した。ピッチャーのリードはキャッチャーの仕事だが、重要な局面ではオレがサインを出すことになっていた。
     ※
 敵の1番バッターが右バッターボックスに立った。いよいよとも子の1球目。サイン通りの低めのストレート。撃つ気満々の敵バッターがジャストミートした。しかし、打球はレフト大空のグローブに難なく納まった。撃ったバッターが首をひねってるが、手元で微妙に落ちる重たいストレートを闇雲に撃ったら、よくても今のような外野フライである。敵さんは見事術中にはまってくれたらしい。
 続く2番3番バッターも闇雲にバットを振ってくれ、三者凡退。2回3回もとも子は桐ケ台高校打線をパーフェクトに押さえた。この間に追加点を取っておくと楽になれるのだが、うちの打線も2回以降、安藤をまったく撃てなくなってしまった。
 しかし、4回表、先頭打者の唐沢は、簡単には引き下がらなかった。厳しいタマをファールファールで逃げ、ついに来たあまいタマをセンター前に撃ち返した。
 敵ベンチがざわついてきた。むりもない。次のバッターはさっきホームラン寸前の2塁打を撃ったオレだ。敵ベンチから選手の1人が飛び出し、主審に走り寄った。伝令だ。続いてベンチ脇で肩を作っていた岡崎が、マウンドに向かって歩き出した。今度はスタンドがざわつき出した。ふふ、桐ケ台高校の監督さんよ、なかなかおもしろいことしてくれるじゃんかよ。
     ※
 いよいよ岡崎がマウンドに立った。甲子園準優勝投手、最高の対戦相手だ。
 はたして岡崎はどんなタマを投げるのか? オレはやつの投球練習をじっくりと観察した。しかし、「あれ?」って感じになってしまった。甲子園準優勝投手が投げるタマではないのだ。切れも伸びもない…
 こいつ、本当に肩を作ってたのか? いや、それ以前に、コンディションそのものを作ってなかったんじゃ?… ともかく、身体がゆるゆるなのだ。そう言や、1回戦と2回戦の間って、日程の都合上、5日も空くんだっけ。こいつ、オレたちが弱いからって、ここは控えのピッチャーにまかせ、次の試合から出てくるつもりだったな。ふっ、なめられたもんだ…
     ※
 試合再開。マウンド上の岡崎が、オレを見てにやっとした。こいつ、投手として復活できなかったオレを嘲笑してるのか? 
 岡崎がセットポジションに入った。スタンドのボルテージが、一気に最高潮に達した。
 1球目。来たタマは、思った通りの大あまだった。野球をバカにすんな!!
 カキーン!! 思いっきりバットを振り抜くと、打球はピッチャーマウンド上の岡崎を襲った。慌てて両手で顔を防御する岡崎。が、打球はその岡崎の頭上でぐーんと伸び、センターの頭もはるかに越え、バックスクリーンを直撃した。
 スタンドがシーンとなった。あの岡崎がこんなホームランを撃たれるはずがない。だれもがそう思ったんだろう。
 マウンド上で腰砕けになってる岡崎が、わなわなと震え出した。オレはダイヤモンドを廻ってる最中、ずーっとしらけた視線を岡崎に浴びせてやった。けっ、ざまーみろだ!!

エースに恋してる第8話

2007年08月19日 | エースに恋してる
 とも子の野球熱は、練習にも現れていた。カーブはあっとゆー間に会得してしまった。ピッチングホームも自ら矯正し、振りかぶるタイプからセットポジションに近いタイプに変えた。このホームだとスタミナの消耗が少なくなるうえ、コントロールがよくなる。とも子は野球のデスクワークにも、力を入れてるようだ。
 練習のフィニッシュのランニングも、とも子の提案で学園の周囲2周6キロが3周9キロとなった。それでももの足りないとも子は、4周12キロにしたいと言い出した。しかし、いくらなんでもこれはオーバーワークだ。オレはキャプテンとしてそれは却下した。ともかく、とも子のやる気はすさまじく、押さえるのが大変だった。
 いつしか聖カトリーヌ紫苑学園野球部は、とも子を中心としたチームになっていた。みんな、守備練習に心血を注いだ。一生懸命投げ込むとも子を見て、エラーしたら申し訳ないと思ったんだろう。あの箕島さえ、別人のように守備がうまくなった。バッティングも全員向上してきた。かつての大あま体質は完全に消えた。いつしか、みんなの心に「行ける」とゆー想いが芽生えて来た。
 そして、いよいよ夏の全国高校野球の県大会が近づいて来た。
     ※
 夏、陽はすでに昇っているが、早朝のせいか、町はまだ眠っていた。オレはおじいちゃんが運転する軽トラックの助手席に座っていた。ほとんどの信号は点滅状態で、その交差点の信号も点滅してた。黄色の点滅だった。黄色の点滅信号は徐行して進入するのがルールだが、おじいちゃんは減速せず、その交差点に進入した。その瞬間、右側からものすごいスピードのスポーツカーが突っ込んで来た。おじいちゃんは慌ててハンドルを切った。しかし、もう間に合いそうになかった。そのとき、ほんの一瞬だが、スポーツカーの助手席に座る、恐怖に顔をひきつらせた少女の顔が見えた。
     ※
 ここでオレの夢は途切れた。久しぶりにこの夢を見た。あのときの事故そのものの夢。とも子と出会って以来、あの恐怖にひきつった顔は夢にあまり出てこなくなったのに、なんで今になってあの忌まわしい事故の夢を見たんだ? そういや、あの事故の判決の日が決まったんだっけ。オレも当事者としてその裁判に出席したいが、悪いことに、県大会の1回戦がそこに入りそうな雰囲気がある。そう、もう夏の大会がすぐそこまで来てるのだ。ともかく、1勝。今は1回戦でくみしやすそうな相手に当たることを祈るだけである。
     ※
 が、しかし、抽選は最悪の結果となった。1回戦は判決の日となったのだ。それ以上にショックだったのが、対戦相手…
 桐ヶ台高校。去年春の甲子園で準優勝した高校…
 その大会をたった1人で投げ抜いたエース岡崎は、当時2年生だった。てことは、現在3年生。さらに進化してるはず。オレたちはそんな剛腕と戦うハメになってしまったのだ。
     ※
 この報告を聞いて、オレたち聖カトリーヌ紫苑学園野球部ナインは消沈した。とも子がいれば、最低1勝はできるはず。だれもがそう思ってた。特に3年生は1度も勝ってなかったから、最後の戦いとなるこの夏の大会は、どうしても1勝が欲しかった。だが、相手が岡崎を擁する桐ケ台高校じゃ、どう考えてもそれはむりだ。オレたちゃ、つくづく運がないらしい。
 けど、いつまでもため息ばかりついてちゃいけないと思う。ここはキャプテンのオレがなんとかしないと…
「みんな、たしかに岡崎は強いが、岡崎だって人の子だろ? オレたちが撃てないはずがないだろ!!」
「で、でも、相手は甲子園の準優勝投手ですよ。どう考えたって、撃てませんよ…」
 さっそくナインの1人から、弱気な発言が飛び出した。この弱気をなんとかしないと…
「ふふ、岡崎からだって、1点くらいは獲れるだろ?
 いいか、うちには澤田がいるんだ。澤田なら、桐ケ台高校を0点に押さえることができる・」
 オレは自信に満ち満ちた目でとも子を見た。
「そうだろ、澤田!!」
 とも子も自信満々な目で大きくうなずいた。
「ともかく、1点だ!! 1点さえ獲れば、絶対勝てる!!」
「岡崎から点を獲るなんて、絶対むりですよ…」
 オレの狙いとは逆に、ナインの口からは、ただ消極的な発言しか出てこなかった。が、ここで唐沢がおもむろに口を開いた。
「みんな、キャプテンの言う通りだ。岡崎だってオレたちと同じ高校生だろ? 1点くらい獲れなくってどうする?
 たしかに岡崎はすごい。オレだって認めるよ。だがなあ、なんにもしないで負けんのは、オレのプライドが絶対許さない!! おまえたちは、どーなんだよ!?」
「オ、オレだって、それくらいのプライドはあるよ!!」
 中井がそう答えた。それを聞いて唐沢は、さらに発言した。
「試合まであまり時間がないが、どうだ、みんな、悔いを残さないように一生懸命練習しないか? 全力で岡崎にぶつかってやろうぜ!!」
「そ、そうだな… 一生懸命やってそれでも負けたんなら、悔いも残らないよな」
 あっとゆー間に部員たちにやる気が出た。唐沢はみんなを後押しするように、さらに発言した。
「さあ、みんな、練習をおっ始めようぜっ!!」
「おーっ!!」
 どうやら唐沢の話術で、みんなにやる気が出たようだ。オレの役目なのに… ふふ、まさか唐沢に助けられるとは…
 当の唐沢が、一瞬「どうだ」って顔をしてオレを一べつした。オレはなんとなく照れ笑いをしてしまった。
     ※
 ここんとこ守備練習がメインだったが、今日からは岡崎を意識したバッティング練習をメインにすることにした。バッティングピッチャーはとも子が買って出た。しかし、低めにコントロールされたストレート、高めにホップする豪速球、右バッターから見てストライクゾーンからボールゾーンへ逃げて行くカーブのコンビネーションに、1番渡辺と2番大空はファールさえ撃てず、続く唐沢も当てるのがやっとだった。とも子のタマの切れは、さらに増してるようだ。また、ピッチングの組み立てもうまかった。どうやら、北村がうまく組み立ててるようだ。北村もそうとう勉強してるらしい。
 しかし、こんなに完璧なピッチングをされちゃ、バッティング練習にならないよ…
     ※
 打順はオレの番になった。オレは左バッターボックスに立った。とも子と本気で対戦するのは何日ぶりだろう? しかし、毎日デートしてる女のタマを撃つなんて、なんか不思議な気分だ…
 1球目。前3人の初球は低めの重いストレートだったのでそれにヤマを張ったが、来たタマは高めの豪速球だった。空振り。こりゃ、とも子も北村も本気だな。
 2球目。外角のカーブ。オレはボールと判断して見送ったが、ホームプレート近くで思った以上にカーブして来た。
「キャプテン、今のはストライクですよ」
 得意満面に北村がしゃべった。
「ふっ、ボールだよ」
 と、オレの反論。でも、正直今のタマは、外角低めぎりぎりに入ってた。こんなすごいカーブを短期間で会得してしまうとは… なんてすごいピッチャーなんだ、とも子は。
 3球目。いよいよオレが待っていた低めのストレートが来た。ジャストミート… のつもりが、なぜか凡ゴロになった。どうやらスイートスポットをはずされたようだ。重たいストレートはほとんど回転してないので、引力にもろ影響されやすい。とも子のストレートはほんのわずかだが、バッターの手元で引力に負け変化してるのである。
 オレはたった3球でとも子の進化を確認した。これなら桐ケ台高校打線を0点に押さえることができる!!
 しかし、今は練習とは言え、勝負のとき。高めの高速ストレートはとても撃てそうにないし、カーブはほとんど見せダマ。となると、やはり低めのストレートを待つべきか?
 次の打席、今度も低めのストレートを待ってると、狙った通りのタマが来た。今度こそジャストミート。いい手応え!! が、ふつうの外野フライだった。とも子の回転しないストレートは、回転による反発がまったくないうえ、低めによくコントロールされてるので、ジャストミートしてもタマがぜんぜん飛ばないのである。
 結局、だれ1人、とも子からヒットを撃てなかった。
     ※
 下校。とも子とオレは、いつものように北村と一緒にバスに乗り、いつものように名残り惜しそうに北村が途中下車。一方オレはとゆーと、自分が降りるべきバス停で降りず、いつものファミレスにとも子といっしょに入った。で、いつものようにとも子とおしゃべりといきたいのだが、その前にとも子に注意しなくちゃいけないことがあった。
「とも子、バッティングピッチャーの役割、知ってるか?」
 とも子はオレのいつもとは違うトーンの声に驚き、オレの目を見た。
「いつものようにバッターを撃ち取ることだけを考え、投げただろ? あれじゃ、ピッチング練習だよ。
 バッティングピッチャーの役割は、バッターをその気にさせることだよ。バッターを絶望的にさせてどうする? 次バッティングピッチャーをやるときは、バッターのやる気を引き出すように投げないとだめだよ」
 とも子は目で「はい」とうなずいた。真面目な顔も、またかわいいんだよなあ。
 オレは急にキスしたくなり、さっとファミレスを出ると、例の場所でとも子といつものように、いや、いつもより長いキスを交わした。
     ※
 次の日も、とも子を仮想岡崎にしてのバッティング練習。オレはその前に全員を集め、闇雲にバットを振らず、1つの球種にヤマを張り、それを撃つイメージを思い浮かべ、それからバッターボックスに立つように指示した。
 で、1球目。低めの重たいストレート。1番バッターの渡辺は、それにヤマを張ってたらしく、バットに当てることができた。が、ファール。しかし、昨日渡辺はとも子のタマにかすりもしなかったから、これはかなりの進歩である。いいバッティングのイメージ、渡辺はこれをうまく描けたようだ。
 2球目。同じく重たいストレート。が、さっきよりちょっと高い。渡辺はそのボールをバットに当てた。しかし、打球はセカンドの守備範囲のゴロ。
「やったーっ!!」
 と、渡辺は思わずガッツポーズした。むりもない。例え凡ゴロでも、とも子のタマをインフィールドに撃ち返すなんて、今の渡辺にはほとんど奇跡だ。それができたんだから、渡辺のうれしさはひとしおだろう。もちろん、今のとも子のタマは若干あまかった。たぶん意識的にあまいタマを投げたんだと思う。
 次のバッター大空にも、4球目にあまいタマが来た。その打球も内野ゴロだったが、それでも大空は、渡辺同様何かを掴んだようだ。こうしてオレを除くレギュラー全員が、インフィールドに1つか2つ、ボールを飛ばすことができた。正直ヒット性の当たりは1つもなかったが、それでも全員満足できたようだ。
 みんな、頭の中でいいイメージを描けたようだ。もちろん、とも子の微妙な計算もあった。もしとも子がもっとあまいタマを投げ、みんながヒット性の当たりを撃ってたら、とも子の手心がばれ、みんながしらけてたと思う。内野ゴロ程度の当たりだったからこそ、とも子の意図にだれも気づかなかった。しかも、内野ゴロ程度の当たりだと、次はもっといい打球を飛ばそうと努力し、工夫しようとする。そう、向上心を育てるのである。
 人心までコントロールしてしまうとは、とも子、キミはなんてすごいエースなんだ。しかし、オレのときだけあまいタマを混ぜないなんて、ふふ、憎たらしいやつだ。
 毎日毎日とも子のタマを撃ってるうち、みんな、徐々にヒットを撃てるようになり、桐ケ台高校と激突する前日になって、ついに全員とも子からヒットを撃てるようになった。もちろん、すべてがとも子の術中だった。

エースに恋してる第7話

2007年08月18日 | エースに恋してる
 とも子が注文したのは、巨大なイチゴのパフェだった。とも子はスプーンでパフェの先をすくい口の中に運ぶと、とたんに御満悦なほほ笑みを浮かべた。しかし、思いっきり身体に悪そうな食べ物だ。ちょっとこれはやめて欲しいなあ…
 とも子はテーブルの上に筆談用のノートを出し書き始めた。が、ふと何かを思い、立ってオレの横に来た。相対して座ってると文字が上下逆になるから、こっちに来たようだ。とも子はオレの顔を見て、いつものようににこっと笑った。そして、筆談用のノートに書いた。
「今日のヒット、お見事でしたね」
 意外にも、野球の話だった。
「低めのストレートばかり投げていれば、いつかは撃たれるよ。たまには高めにホップするタマも投げないと。ピッチングはコンビネーションが大切なんだよ」
「でも、私には2種類のストレートしかありません」
「ふふ、じゃ、今度はカーブを教えてあげるよ。キミには150キロを超すストレートがあるんだ。緩いカーブとコンビネーションすれば、絶対撃たれないよ」
「カーブを覚えれば、強くなれるんでか?」
「もちろん」
 その答えを聞くと、とも子はいつものようにほほ笑んでくれた。
     ※
 ファミレスを出ると、とも子はマンションのエントランスにオレを誘った。
「部屋には入らないよ」
 とも子はにこっとした顔を見せることで、「かまわないですよ」と答えた。
 オレととも子はエントランスの奥に入ると、人目のつかないところに行き、キスをした。もしまた舌を入れてこようとしたら今度は許すつもりだったが、舌は入ってこなかった。とも子はオレの気持ちがわかってくれてるようだ。
     ※
 次の日、いつものようにバスで登校してると、歩道を走る少女の後ろ姿をふと見かけた。体操着姿でリュックサックを背負ってる少女。その後ろ姿は、なんとなくとも子っぽかった。バスがその少女を追い越し、その直後少女の顔を確認すると、やはりとも子だった。オレは学園前のバス停で降りると、走ってくるとも子を待った。とも子はオレの目の前で立ち止まると、いつものようににこっと笑った。長距離を走って来たとゆーのに、よく笑えるものだ。
「オーバーワークになるなよ」
 オレの忠告に、とも子はほほ笑みで「はい」と答えた。とも子はまた走り出し、校舎の中に消えた。オレはふと自分の定期券を見た。期限は今日まで。オレも明日からマラソンで通学するかな。
     ※
 放課後。約束通り、今日はとも子にカーブを教える日。一口にカーブと言っても、いろんなカーブがある。とりあえず、一番初歩的なカーブを教えることにした。オレはとも子にカーブの握りと腕の振り方を教えると、いつもとは逆の右バッターボックスに入った。
「キャプテン、いきなり立つんですか?」
 と、キャッチャーの北村からの質問。
「カーブは目標を置いて投げさせた方が覚えやすいんだ」
「へぇ~」
 さあ、練習開始だ。オレは右手で自分の左肩を指し示した。
「とも子、ここ目がけて投げろ・」
 右ピッチャーの場合、右バッターの左肩目がけ投げると、カーブを覚えやすいのだ。
 とも子はこくりとうなずくと、セットポジションのような体勢から投げた。タマはオレが指定した通り、オレの左肩に飛んで来た。しかし、最初から曲がるわけがなく、明らかにデッドボールのコース。オレは間一髪でそれを避けた。とも子が心配になったらしく、慌ててマウンドを降りて来た。
「大丈夫だ、気にすんな」
 オレはとっさに声でとも子を押し返した。しかし、とも子は心配顔だ。
「カーブは当たっても、そんなに痛くないんだ。気にせず、投げろ」
 ふっ、カーブだって、当たりゃ痛いさ。けど、手っ取り早くカーブを覚えさすとなると、この方法が一番なんだ。ここはオレのためにも、とも子のためにも、頑張らないと!!
     ※
 5球10球と投げてるうち、タマがカーブし出した。
「よーし、その調子だ!!」
 しかし、ついにオレは、あごにタマを受けてしまった。正直、これは痛い。一瞬あごがはずれた感覚があった。
「キャプテン!!」
 オレがあごを押さえ痛みをこらえてると、北村の心配する声が聞こえてきた。ふと見ると、とも子も心配そうにオレの顔をのぞいていた。オレは慌ててあごを押さえてる手を離した。
「だ、大丈夫だよ」
「で、でも、血が出てますよ」
 あごを押さえていた手のひらを見ると、本当に血が付いていた。
「心配すんな。これくらいのケガ、野球じゃ日常茶飯事だろ?
 ほら、とも子、マウンドに戻れよ」
 とも子は表情を変え、こくりとうなずいた。とも子はこれで投げる手が縮こまったかと言えば、そうでもなく、引き続きオレの左肩目がけ投げた。オレもびびることなく、右バッターボックスでとも子の目標になり続けた。20球30球と投げてるうち、タマもはっきり曲がるようになり、50球目になると、ど真ん中にカーブが来るようになった。しかし、オレはここでカーブの練習を打ち切った。そして、いつものように50球ストレートを投げさせた。ピッチングの基本は、あくまでストレート。カーブの練習中はカーブに集中させたいが、半分は基本を優先させた。
     ※
 その後はみんなといっしょに守備練習。そして6キロのランニング。練習後が終わると、いつものようにとも子と北村とバス下校。とも子は登校はマラソンだったが、帰りはバスにしたいらしい。
 いつものようにバスの中で北村と別れると、オレととも子は昨日と同じファミレスに入った。
     ※
 オーダー。とも子は昨日と同じように、メニューの巨大なイチゴのパフェを指し示した。とも子の横に座ってたオレは、慌ててその手を押さえた。
「だめ!! そんなの食べてたら、強いピッチャーになれないよ」
 とも子は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔で「はい」と答えてくれた。そんなわけで、今日のオーダーは、アイスコーヒー2つとなった。
 とも子がさっと筆談用のノートに書いた。
「あご痛くないですか?」
「大丈夫だよ」
「でも、赤くなってますよ」
「ふっ、言ったろ。野球じゃ、デッドボールは日常茶飯事なんだよ。これくらいで痛がってたら、野球なんかやってられないよ」
 とも子は安心したのか、ちょっとほほ笑んだ。が、すぐに真面目な顔になり、ちょっと間を空け、そしてノートに書いた。
「私、甲子園で優勝できますか?」
 い、いきなり何書くんだ?… オレは一瞬絶句したが、すぐに我に返り、答えた。
「しょ、正直言って、ちょっとむりじゃないかな」
「私の力が足りないからですか?」
 とも子の恐ろしいほどの真剣な目が、オレの目を捉えた。いいかげんな返答じゃ、納得してくれそうになかった。
「とも子のピッチングはすごいよ。カーブを身につければ、かなり行けると思うよ。
 でもね、野球は9人でやるもんなんだよ。とも子のピッチングがすごくっても、残り8人のレベルが低いと、どうしようもないんだよ。うちらの力じゃ、甲子園で優勝どころか、甲子園に行くレベルにもないんだよ」
 とも子はとても残念そうな顔をした。ふととも子の手が伸び、オレの左腕の醜い手術あとに触れた。そう、あの事故がなきゃ、オレは甲子園の優勝旗を握ってたはず。とも子もそれを知ってるらしい。
 ふととも子の目に哀しいものを感じた。とも子はまじで甲子園で優勝する気だったのか? 夢を見るにしても、限度ってものがある。かと言って、とも子の夢を簡単に否定したくはないし…
「ともかく夏の地区大会は、行けるところまで行こう。とも子のピッチングがあれば、きっとベスト8まで行けるよ」
 オレはとりあえず、ぎりぎり実現できそうな夢を提示した。しかし、とも子は笑顔でうなずいてくれた。
 その後、2人は例のマンションのエントランスでまたキスをし、別れた。
     ※
 5分、10分… とも子はいつまで経っても来なかった。皆川一丁目、オレが毎朝使ってるバス停。今朝のオレは、学園の制服姿ではなく、体操着姿だった。制服は背中のリュックの中である。
 15分後、ようやくとも子の姿が見えてきた。オレがちょっと早過ぎたようだ。やはり体育着姿のとも子は、オレの前にくると、いつものにこっとした顔を見せてくれた。そして2人は、聖カトリーヌ紫苑学園へと並んで走り出した。
     ※
 放課後。今日もカーブの練習。とも子はもうど真ん中にカーブを投げられるようになっていた。しかし、今とも子が投げているカーブは、右バッターの肩口からど真ん中に曲がって来るもの。これはもっともホームランになりやすいカーブ、いわゆるハンガーカーブである。しかし、ちょっとずらす… 例えば、最初っからど真ん中に投げた場合、右バッターの撃ちごろゾーンからボールゾーンに逃げて行くカーブになる。超ハイスピードボールのあとにこのカーブを投げると、たいていのバッターは空振りするか、凡打に終わる。逆も同じ、このカーブのあとに超ハイスピードボールを投げれば、バッターはまったく手を出せないはず。このカーブはとも子の切り札の1つとなるはずだ。
     ※
 練習が終わり、いつもの6キロランニング。そのあともオレは、とも子とマラソンで帰るつもりだったが、とも子はどうしてもバスで帰りたいらしい。そんなわけで、この日はいつものように、北村とともに、とも子とバスで帰路についた。北村が途中下車したあと、また例のファミレスに行き、またとも子とおしゃべりを楽しんだ。とも子はこのおしゃべりを大切にしたいようだ。だから下校はバスにしたいらしい。でも、とも子の話すことは、野球のことばかりだった。とも子はまじで甲子園に行き、優勝したいらしい。筆談でも熱い思いがひしひしと伝わってきた。しかし、なんでそこまで甲子園優勝にこだわってるんだろう?…
     ※
 いつしかオレととも子は切っても切れない仲になっていた。2人は野球部の練習が終わると、必ずどこかのファミレスに行き、おしゃべりを楽しんだ。でも、相変わらずとも子は、甲子園で優勝することばかり話してた。
 一度なんでそんなに甲子園で優勝したいのか、訊いてみたことがあった。どうやら昔ほれてた男がものすごいピッチャーだったらしく、甲子園に出たものの、決勝戦で負けてしまったらしい。その男に代わって、深紅の優勝旗を手にしたいとか。いったいどんな男だったんだろう、そいつは?…
 しかし、甲子園の準優勝投手にほれてたなんて… 実はオレのおじいちゃんも、甲子園の準優勝投手だったのだ。縁とは不思議なものである。

エースに恋してる第6話

2007年08月17日 | エースに恋してる
 とも子の投球回数が、ちょうど100球になった。オレととも子と北村は、また学校周辺を走り始めた。1周回って戻ってくると、そこには意外なものが待っていた。昨日北村が立っていた場所に、なんと今日は、野球部員全員が立ってたのだ。後ろの方だが、箕島の姿もあった。
 オレととも子と北村が唖然として立ち止まると、部員の先頭にいた唐沢が口を開いた。
「キャプテン、水臭いっすよ」
 しかし、オレはまだ状況が掴めず、何を返答すればいいのか、いまいちわからなかった。
「オレたちゃ、置いてけ堀ですか? 一緒に走らせてくださいよ」
「いいのか?」
「キャプテンとバッテリーが走ってんのに、オレたちが走らないなんて、なんか変でしょ?」
 た、たしかに…
「じゃ、みんなで走るか?」
 オレの問いかけに、唐沢が、そしてみんなが一つの声で返答した。
「はい・」
 こうして2周目は、みんなで走ることになった。先頭を走るのはとも子だ。3日前初めて走ったときはあっぷあっぷだったのに、今日はみんなを引っ張るほどの元気さだ。とも子の身体はたやすく進化できるのか?
 ふと唐沢が走りながらオレに寄ってきた。
「キャプテン、なんで箕島が戻って来たと思います?」
「さあ?…」
 唐沢はにやっとしながら、真っすぐ前を見た。
「彼女ですよ」
 唐沢の視線の先は、先頭を走るとも子だった。
「昨日うちのクラスに来て、箕島を説得したんですよ」
 オレは唖然としてしまった。
「今日も来たんですよ。結局箕島が折れたようですね」
 とも子が説得してくれたなんて… とも子はオレの悩みに気づいて、それで箕島を説得したのか?…
 オレの胸にのしかかっていた重たいものは、とも子がはね除けてくれたようだ。ありがとう、とも子。
     ※
「キャプテン、声出して行きましょうよ」
 突然中井が提案してきた。たしかにかけ声のない野球部のランニングは、なんか変だ。しかし、オレは目の前を走るとも子が気になった。そう、彼女はまったく声を出せないのだ。
「いや、それはいいだろう」
 が、利発なとも子は、瞬時にオレの配慮に気づいてしまったようだ。とも子は振り返ると、首を横に振った。ふふ、わかったよ、とも子。
「じゃ、みんな、声出して行くぞーっ!!」
「おーっ!!」
「イチ・ニ!!」
「そぉれ!!」
「イチ・ニ!!」
「そぉれ!!」
 オレのイチ・ニのかけ声に、みんなが続いて声を出してくれた。箕島も声を出していた。どうやらオレは、キャプテンの地位に戻ることができたようだ。そればかりか、以前よりチームがまとまってるような気がする。すべてはとも子のお陰だ。オレは何もしてないのに…
 とも子、キミはなんて素晴らしい女なんだ。オレはキミに逢えて幸せだよ。
     ※
 その日はとも子と北村と一緒にバスに乗り、帰路についた。北村はとも子と帰るのは久しぶりだが、いつものようにとも子と並んで座った。オレはしばしの我慢… でも、北村がバスを降りたあと、とも子と2人きりになれる時間は、停留所2区間分だけ。北村のせいで今日のキスもおあずけになりそうな雰囲気だ。野球では北村たちとよりを戻して万々歳なのだが、プライベートまでこれじゃあねぇ…
     ※
 北村がバスを降りると、さっそくとも子がオレの横に来てくれた。そしてオレに筆談用のノートで話しかけた。
「今から私の部屋に来ませんか?」
 オレはフリーズしてしまった。女の子のうちに誘われるなんて… いったいオレはどうすりゃいいんだ? 
 ちょっとの間ぼーっとしたが、とも子の真剣な眼差しにふと気づき、オレは我に返った。とも子は返答を待ってるようだ。ええーい、こうなったら、
「わ、わかったよ、キミの部屋に行くよ」
 とも子はにこっと笑ってくれた。ま、いいか。オレだってできるだけ長くとも子と一緒にいたいんだし。
 バスはオレが降りるはずだったバス停を素通りした。
     ※
 バスは街中に入った。このバスの終点は鉄道の駅だが、とも子はその1つ手前のバス停の名前がコールされると、ボタンを押した。その停留所の背後には大きなデパートがあった。まさか、このデパートでデートする気なのか? いや、とも子はバスを降りると、その隣りのマンションのエントランスにオレを誘った。デパートよりさらに背の高い、超高級なマンションだ。これがとも子の住みかなのか? こんなところに住んでるとなると、とも子の親は相当な金持ちってことになるが…
 エントランスの1つ目の自動ドアを開け入ると、とも子はそこにあったテンキーにカードを差し込み、数字を入力した。すると、2つ目の自動ドアが開いた。と、とも子はオレの手を取り、オレの顔を見た。どうやら「入ろう」と言ってるようだ。オレは少々怖くなったが、別に拒否する理由もないので、とも子に求められるまま、エントランスの奥に入った。
     ※
 とも子の部屋は最上階にあった。とも子がドアを開けると、室内は外観以上に立派な部屋だった。オレがその豪華さにただ唖然としていると、ふととも子の視線を感じた。とっても真剣な上目使い。突然その目が閉じた。と同時に、とも子は唇を突き出した。キスをねだる仕草。で、でも…
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。だれか来たら、どうすんだよ」
 するととも子は、筆談用のノートを取り出し、さっと書いた。
「ここは私専用の部屋です。だれも来ません」
 そんなバカな、こんな豪華な部屋を女子高生1人が使ってるなんて… オレは疑惑の目をとも子に向けた。するととも子は、また書いた。
「本当です。信じてください」
 とも子はまた目を閉じ、唇を突き出した。正直信じられないが、オレの欲求もちょっと限界に来てた。オレは少々かがみ、とも子にキスをした。するととも子は、オレの身体をきつく抱き締めてきた。な、なんだ? 前2回は軽く唇を重ねただけなのに…
 さらにオレの身体に衝撃が走った。とも子の舌がオレの唇をこじ開け、さらに前歯もこじ開けようとしてきたのだ。オレは慌ててとも子の手を振りほどき、身体を離した。びっくりしてとも子の顔を見ると、とも子は仔猫のような笑みを浮かべていた。明らかに何かたくらんでる顔…
 次の瞬間、とも子がとんでもない行動に出た。なんと、制服を脱ぎ出したのだ。オレはフリーズしてしまい、ただとも子の動作を見てるしかなかった。しかし、とも子の美しい肌と薄黄色のブラジャーがあらわになると、オレは我に返った。
「バ、バカ、何やってんだよ!?」
 オレはブラジャーに手をかけたとも子の手を押さえた。
「オレたちゃ、まだ高校生だぞ!!」
 するととも子は、哀しい目をして、首を横に振った。そして、3文字分唇を動かした。
「抱いて」
 …そう言ったようだ。
「だ、だめだよ、オレたちは、まだ高校生だよ」
 しかし、とも子は哀しい目をしたままだった。考えてみたら、オレもとも子ももう18。別に身体の関係があっても許される歳だと思う… でも、オレの中の何かがそれを許さなかった。それは野球…
 この夏の大会でオレの高校野球人生は終わる。なのにオレは、この3年間1度も勝ってなかった。だからどうしても1勝が欲しい。その1勝は、とも子の右腕にかかってる。もし今オレととも子が大人の関係になったら、その大事な右腕が汚れてしまうような気がする…
     ※
 オレはとも子が脱ぎ捨てた制服を拾い上げ、とも子に渡した。とも子はしょんぼりとしていた。なんか、まだ納得してないようだ。
「ありがとう、とも子。でも、まだ早いよ」
 オレはさっき思ったことを洗いざらいしゃべった。それを聞き終わると、とも子は笑顔を浮かべてくれた。そう、いつもの笑顔だ。どうやら、納得してくれたらしい。ごほうびに今度はこっちの方からキスをした。でも、オレとて男。本能が爆発すとまずいから、そそくさととも子の部屋を出た。
 しかし、とも子はいったい何考えてんだ? 身体は子どもっぽいけど、意外とほれやすい体質で、しかもすぐに身体を許しちゃうタイプなのか? いや、そんな尻軽女じゃないだろ、絶対…
     ※
 とも子にこんなことされたせいで、その日の夜はなかなか寝付けなかった。翌日の授業中もそう。ずーっとうわの空。
 でも、野球はオレの天分。放課後の練習は、さすがにうわの空ではなかった。
 この日はとも子がバッティングピッチャーとなり、ナインがとも子のタマを撃つことになった。各ナインに与えられた打席は3つ。1番渡辺、2番大空、3番唐沢は3打席とも凡退。オレの最初の打席も、とも子の重たいストレートの罠にひっかかりライトフライ。しかし、2打席目はちょこーんと当て、レフト前ヒット。3打席目は左中間を大きく割った。いくらオレがとも子に弱いからと言ったって、ダイヤモンドの中では容赦しなかった。
 バッティング練習が終わると、各ナインは守備練習。とも子は北村相手に数十球投げ込み、その後全員で6キロのランニングをこなした。
 練習が終わると、オレととも子と北村はバスに乗り込み、いつものように北村が途中下車。そしてまた、とも子と2人きりになった。
 とも子はさっそくオレの横に来て、筆談用のノートで話しかけてきた。
「デートしましょう」
 おいおい、またあの部屋に連れて行く気か? が、とも子はそれを察してか、筆談用のノートに続けてこう書いた。
「ファミレスはどうですか?」
 ふふ、それなら断る理由はないな。オレととも子は昨日と同じバス停を降りると、例のマンションの隣りにあるファミレスに入った。

エースに恋してる第5話

2007年08月16日 | エースに恋してる
 再びユニホームに着替えたオレは、とも子とともに路上を走り出した。野球部がいつも使ってる学校周辺のコース、1周3キロ。
 とも子は今日の試合の疲れのせいか、オレのスピードについて行くのがやっとだった。それでもオレは、とも子がぎりぎりついてこられるペースで走った。ピッチャーは走ることが基本だ。走れば足腰が鍛えられ、安定したスピードとコントロールが得られる。苦しいだろうが、頑張ってくれよ。
 そしてとも子は、1周3キロを走り終えた。
「今日はここまでにしよう」
 しかし、とも子は首を横に振った。そして、右手の指を1本立てた。どうやらもう1周走りたいと言ってるらしい。
「大丈夫か?」
 とも子はにこっとした顔で首を縦に振った。
「OK」
 いい根性だ。オレととも子は、再び走り出した。ただ、今回はとも子のペースに合わせ走った。
     ※
 オレの身長は185センチ、それに対し、とも子のそれは145センチくらい。だから並んで走ると、とも子を見下ろしたかっこうになる。とも子の胸は同年代の女の子と比べるとかなり小さいけど、それでもユニホームの胸元の透き間から2つの膨らみのふもとがちらりちらりと見えた。オレはなぜかそれが気になって気になって、しょうがなかった。
 その視線に気づいたのか、ふととも子がオレの顔を見た。オレは慌てて視線をそらした。気づかれた? しかし、とも子はいつもの笑顔を見せてくれた。それを見て、オレはなんとなく赤くなってしまった。
     ※
 ランニングコースを2周走り終えたオレととも子は、野球部の部室に戻った。
「ごくろうさん。今日はここまでにしよう」
 とも子はうなずいた。と、次の瞬間、とも子は思わぬ行動に出た。そーっと目を閉じ、少し唇を突き出したのだ。こ、これはもしや、キスをねだるポーズ? しかし、こんなの、オレには初めて。何をすればいいのか、ぜんぜんわからなかった。と、ともかくオレは、この状況をやり過ごすことだけを考えた。
「さ、澤田さん、もう帰ろ」
 するととも子は目を開け、「なんで?」とゆー顔をした。そして再び目を閉じ、唇を突き出した。
 女の子がキスをねだってきた場合、男はそれを拒否してもいいのだろうか? やっぱキスすべき? でも、正直なことをゆーと、オレはキスとゆーものをこれまでしたことがないのだ。でも、そんなのは拒否の理由にはならないと思う。オレは意を決した。
 オレは2・3歩を進めると、少し身をかがめ、とも子にキスをした。ほんの少し唇と唇が触れたとゆーのに、その瞬間、オレの心臓は爆発しそうなほど作動した。
「ありがとう、澤田さん」
 オレはとも子に感謝した。が、とも子はふと哀しい目をして、首を横に振った。そして部室の隅に掛けてある小さなホワイトボードに向かうと、専用のペンでこう書いた。
「とも子と呼んでください」
 オレはドキッとした。ま、考えてみりゃ、他の部員はみんな呼び捨てなのに、とも子だけ「澤田さん」じゃ、おかしいと言えばおかしい… でも、下の名前で呼ぶのはちょっと変だと思うし… けど、本人がそう言ってんだし、オレだっていつも心の中で「とも子」と呼んでるんだ。「とも子」でもいいか…
「あは、わかったよ、とも子」
 とも子はまたにこっとした。
     ※
 オレの左腕はこれ以上回復する見込もないし、今日の醜態… もう潮時だと思う。このへんできっぱし野球をやめ、学業に専念すべきなのかも…
 でも、オレにはとも子との約束がある。オレの知ってるピッチングのいろはをとも子に教えるまで、ユニホームを着続けなくっちゃいけないと思う。オレの野球部での人望は地に墜ちたが、とも子だけはオレを信じてるんだ。もうしばらくは、野球部にいることにしよう。
 でも、なんでとも子はキスをねだってきたんだ? やっぱオレにほれてるのか?…
     ※
 翌日授業が終わると、オレととも子の特訓が始まった。場所は例のグランドの端っこに設けられた、ブルペン用のスペース。本来のキャッチャーは北村なのだが、オレがチームで孤立してることを考え、オレがとも子のタマを受けることにした。
 ダイヤモンドでは、いつものようにナインたちが練習をしてた。彼らはオレの気持ちをくんでが、それとも本当に嫌われてしまったのか、オレたちを無視してくれていた。
 ふとショートに目をやると、そこには1年生の森の姿があった。箕島は退部届を出したらしい。オレは自分の暴言にあらためて後悔したが、2割くらいは「しかたがないか」とゆー思いもあった。正直箕島は、野球には向いてないと思う。
     ※
 とも子のタマを受けるたび、オレのミットはバシッバシッといい音がした。キャッチャーは通常右利きのプレイヤーがやるので、オレみたいな左利き用のキャッチャーミットは、特注しない限り存在しない。しかたがないから、ファーストミットでとも子のタマを受けた。しかし、ファーストミットはキャッチャーミットより薄い。とも子の豪速球を受けるたび、オレの手がしびれた。でも、ある意味、心地よい痛みだ。
 だが、オレのファーストミットが小気味よく鳴るのは、正直あまりいいことではなかった。
 とも子のストレートの握りは、中指と人差し指をボールの縫い目に直行させたもの。野球の教科書を開くと、ストレートはだいたいこの握りが書いてある。この握りで投げると、ボールは下から上へ回転しながらバッターに向かって行く。浮上する回転なので、ボールがホップしやすくなる。ホップするタマは見た目以上に速く感じるので、速球には有効である。とも子と対戦するバッターはよくポップフライを撃ち上げるが、これはとも子のタマが打者の手元でホップしている証拠なのである。
 しかし、この握りには大きな欠陥がある。バッターから見て下から上へボールが回転してるので、ジャストミートされると上昇する方向にボールが反発し、感触以上にボールが飛んで行ってしまう、いわゆる「軽いタマ」になってしまうのである。さっきからオレのファーストミットが小気味よい音を立ててるのは、実はとも子のタマが軽い証拠なのである。城島高校に連続ホームランを撃たれたのは、この球質が関係してると思う。
 オレは回転しないストレートの握りをとも子に教えた。とも子は飲み込みが異様に早かった。あっとゆー間に、回転しない、いわゆる「重いタマ」を投げてみせた。
     ※
 ふとグランドを見ると、ちょうどナインの練習が終わるところだった。オレは立ち上がると、言った。
「とも子、走るぞ」
 とも子はいやな顔をまったく見せず、うなずいてくれた。
 今日とも子は100球近く投げた。くたくただと思うが、ここがピッチャーの肝心なところ。ピッチャー、特に先発完投型のピッチャーに一番必要なのはスタミナだ。スタミナを豊富にさせたければ、練習後のくたくたなときに長距離を走らせるといい。
 オレととも子は、昨日と同じく、1周3キロの周回コースを2周走った。昨日の2周目はとも子のスピードに合わせゆっくりと走ったが、今日は2周ともとも子のペースより少し速いスピードで走った。でも、とも子は耐え、3キロ×2周、計6キロを走り抜いてくれた。
 オレととも子は部室に戻ると、昨日と同じようにキスをした。ただ、今日はオレの方から求めた。とも子は快く唇を重ねてくれた。キスの時間は昨日よりう~んと長かった。
     ※
 翌日も同じように、オレはグランドの端でとも子のタマを受けた。とも子は重いストレートをほぼ手に入れたようだ。こうなると、今度はとも子の豪速球を活かす変化球が欲しくなる。ま、そうせかすこともないか。
 ふとダイヤモンド内で練習してるナインを見ると、今日もショートは森だった。もう箕島は戻って来ない… 昨日はいくぶん開き直った感情があったが、今日は100%箕島に謝りたい気分だ。でも、もうどうしようもなかった。
     ※
 今日はとも子にきっちりと100球投げさせ、ランニングに移った。いつものコースを1周回って元に戻ってくると、そこには北村が立っていた。オレととも子が北村の横を通り過ぎると、北村も並んで走り出した。
「北村、オレにかかわらない方がいいぞ」
「なんでです? チームのキャプテンと一緒に走っちゃいけないんですか?」
 ふふ、たしかにそうだな。オレはまだキャプテンを辞めてなかったんだっけ。ま、とも子が目的なのは、バレバレなんだが…
 しかし、北村は迷惑なやつだ。こいつのお陰で、練習後のキスはお預けになってしまった。
     ※
 次の日もとも子はグランドの端で投げた。ただ、キャッチャーは北村だった。やつは最初、とも子の重いタマを受けたとき、いつもとは違う感触に、ちょっと戸惑ったようだ。
「どうだ、重いタマの感触は?」
「お、重いタマ?…」
「このタマさえ覚えておきゃ、もう連続ホームランは撃たれないはずだ」
 が、北村はいまいちピンと来てないようだ。
「おまえ、まさか、タマの重さは、投げてるピッチャーの体重で決まると思ってんじゃないだろうなあ?」
「そ、そんなことないですよ、あはは…」
 図星か… そう、聖カトリーヌ紫苑学園野球部の部員は、みんな、その程度のレベルしかないんだ。だから、利き腕の自由がきかないオレでも使ってくれてる。オレも同じレベルの仲間なんだ。それなのにオレは、箕島に罵声を浴びせ、野球をやめさせてしまった… 
 最低だな、オレって…
     ※
 ふとオレの目が、監督と話をしている1人のユニホーム姿を捉えた。そいつはオレから見たら後ろ向きなのだが、背番号の「6」とゆー数字ははっきりと見えた。6と言えば、ショートのレギュラーメンバーに与えられる背番号。もしや…
 その背番号6が振り返ると、案の定そいつは箕島だった。箕島が帰って来た? ふと箕島と目が合った。と、やつは慌てて視線をそらした。オレはなんとなく照れ笑いをしてしまった。
 ダイヤモンド内は守備練習中。森に替わって箕島がショートの守備位置に着いた。どうやら箕島は、本当に戻って来てくれたらしい。オレは急に晴れ晴れしい気分になった。胸を圧迫してた重たいものが、突然取れたような気分になった。
 ふととも子を見ると、とも子もほほ笑んでいた。

私が聞いたレアな戦争体験記

2007年08月15日 | 散文
8月15日です。終戦の日です。「終戦の日」とはうまく言ったものです。本当は「敗戦の日」なのだから。ちなみに、戦勝国アメリカでは、対日戦勝記念日だそうです。

私は第二次世界大戦(太平洋戦争)が終了してかなりの年月が経ってから生まれてます。当然戦争体験などあるはずがありません。しかし、戦争体験者からいろいろと戦争体験を聞かされています。そのほとんどは、テレビなどで定番となってる体験記ばかり。しかし、中には他ではまったく聞かれない体験録もありました。その中から2つ、妙に記憶に残ってるものをちょっと書いてみようと思います。

それは、私がゼネコンで監督をやってたときのこと。その日の仕事が終わり、上司に飲み屋に連れてってもらうと、先客だったご老人と私の同期生だったやつが意気投合し、いろいろと話をしてくれました。
そのご老人は、戦時中は憲兵だったそうです。憲兵としてまず赴任した町は京城(現在のソウル)。今想像すれば、当時のソウルは毎日のように反日・抗日活動が繰り広げられていたように思えますが、元憲兵のそのご老人の話によると、彼がソウルに赴任してた間は、一度もそんな事件はなかったそうです。そればかりか、毎日地元の人と温かい目でふつーにあいさつを交わしてたとか。ともかく、当時のソウル市民の目には、日本人に対する敵意はまったく感じられなかったようです。
彼は次に満州のある町(名前失念)に赴任したようです。彼はそこでまず上官に「かならず2人で行動するように」と命令されたようです。なんでも、日本人の憲兵が1人でその町を歩いてると、路地からいきなり手がにゅーと伸びてきて、首根っこを捕まれ、そのまま行方不明に。翌日その憲兵は皮を剥がされた死体となって発見される。そんな事件が、彼が赴任する前に何度かあったようなのです。
ともかく、その町は本当に怖い町だったようです。行き交う人すべての人の目に敵意と殺意が感じられ、特に路地や怪しい店先にたむろってるゴロツキは、スキあらば狙おうと怖い視線をいつも浴びせてたようです。ソウルとは180度違う町の雰囲気に、彼はたえず戦々恐々としてたようです。

2つ目の話。これは地元のある会合でのこと。会合場所である公民館に行くと、別の会合に来てたらしいおじいさんがいました。そのおじいさんは私を見るなり、突然自分の体験談を一方的に話始めました。
そのおじいさんは、戦後まもないころは新潟で稲作農家をやってたようです。ところで、映画やテレビドラマなどでは、戦後まもないころの超食糧難の時代、都会の人(特に女性)がわずかに焼け残った反物や骨董品を持って田舎に行き、農家の人にほんのわずかの米を分けてもらう、とゆーシーンを見かけますよね。だいたいここで描かれる農民は、いかにも強欲そうな非人格者に描かれてますが、そのおじいさんの訴えによれば、あれは全部ウソだとか。
実際には米の収穫期になるとGHQがやってきて、江戸時代の年貢米のように強制的に徴用されてしまうので、とても他人に売るほどの米は残ってなかったようです。だからそのおじいさんは、映画やテレビドラマに出てくる強欲農民を見ると、そのたびに「そーじゃねーよー」と叫んでたようです。
ま、逆の見方をすれば、そうだったからこそ、貴重な反物や骨董品を微々たる量の米と交換してたのかもしれません、ね。

8月13日付我がPOG順位

2007年08月14日 | Weblog
暑いです、暑いとゆーより熱い! これだけ熱いと、POG有力馬が出走するハズがありません。我がPOGは、先週も今週も動きがないようです。

現在の我がPOGの順位です。
馬三郎         5196位/70P
ホースニュース馬  500位以下※/70P
netkeiba        4151位/880P
裏ホースニュース馬   152位/1990P
裏netkeiba        703位/2050P
※ホースニュース馬のPOGは、500位以下は順位発表なし

エースに恋してる第4話

2007年08月12日 | エースに恋してる
 バッターボックスに柴田が入った。妙にへらへらとした顔だ。中学時代のやつは、こんなふざけたやつじゃなかったのに…
 とも子が1球目を投じると、柴田は初球から撃ってきた。が、ポップフライ。しかし、タマはサードとレフトの間にぽとりと落ちた。そんな… どう見ても今のフライは、ショートが補りに行くフライだろ? オレは即座にマウンドに内野手を集め、ショートの箕島をにらんだ。
「箕島、なんで捕りに行かなかったんだ? おまえの守備範囲だろ」
「す、すみません…」
「おまえ、何年野球やってんだ?」
「に、2年とちょっとです…」
 2年とちょっとって…
「お、おまえ、高校に入るまで、野球やったことなかったのか?」
「は、はい…」
 な、なんだ、こいつ、野球をバカにしてんのか? 前々から守備がヘタクソなやつだと思ってたが…
 オレの脳の中で何かがプチンと切れた。
「箕島、野球やめろ!! おまえなんか、野球やる資格、ねぇーよ!!」
 箕島は愕然としたようだ。と同時に、他のナインの冷たくしらけた視線を感じた。なんだよ、本当のこと、言ったまでだろ!?
「キャプテン、言い過ぎだ!!」
 中井がかみついて来た。
「どこが言い過ぎだ!? 野球ってーのはなあ、小さいときから切磋琢磨して身体にたたき込んでいくものなんだぞ・ それなのに、こいつときたら… こいつは野球をバカにし過ぎだ!!」
 ちょっと間を空け、中井がゆっくりと口を開けた。
「オ、オレも…、オレも高校に入ってから野球を始めました!!」
 今度はオレが唖然としてしまった。正直うちでもっとも使えるプレイヤーは中井なのだ。中井が野球の初心者であるはずが絶対なかった。
「中井、うそをゆーな!!」
「うそじゃありません!!」
 オレは中井の目をにらんだ。中井もオレの目をにらんだ。2人は、いや、我が学園ナイン全員が緊迫して動けなくなってしまった。
 が、
「おいおい、何にらみ合ってんだよーっ!!」
「男同士、気持ちわりーんだよ!!」
 とゆー城島高校のヤジで、オレは我に返った。
「と、ともかく、箕島、おまえ、帰れ!!」
「は、はい…」
 箕島がとぼとぼと歩き出した。が、1つの小さな人影が、箕島の前に立ちふさがった。両手を大きく広げたとも子だった。とも子は首を横に振った。
「とも子、何やってんだよ」
 オレがとも子を怒鳴ると、すかさずとも子がオレの顔をにらみ返してきた。初めて見る、とも子の怖い目だった…
「う…」
 オレはびびってしまった。オレがこんな小娘にびびるなんて… で、でも、こんなことでとも子に嫌われたくないのも心情…
「わ、わかったよ…。
 箕島、帰らなくっていいぞ」
 箕島はきょとんとした顔を見せた。オレはそんな箕島から視線をはずし、こう吐いた。
「ショート守ってろって、言ってんだよ!!」
 オレが1塁ベースに帰ると、ランナーの柴田のへらへらとした顔が待っていた。
「いや~、なかなか見ごたえのある演技でしたよ」
 オレはやつを無視し、マウンド上のとも子を見た。とも子はいつもの笑顔でオレを見返してきた。どうやらとも子には嫌われてないようだ。
 しかし、オレがこんなにも女に弱かったなんて… 女にほれてしまうと、男はみんな、こーも骨抜きになってしまうものなのか?…
     ※
「ヘイヘ~イ、ピッチャー隙だらけ~!! 隙だらけ~!!」
 オレの横で柴田がとも子に盛んにヤジを飛ばしてた。品のないヤジだ。しかし、やつのゆーとーり、初めて見るとも子のセットポジションは、どこかぎこちなかった。
 今度は福永が代打で出て来た。とも子がモーションを起こすと、柴田はさっとダッシュした。盗塁だ。キャッチャーの北村は、2塁に送球することさえできなかった。完璧にモーションを盗まれたとも子は、ちょっとショックを受けたようだ。オレは慌ててマウンドに駆け寄り、とも子に声をかけた。
「澤田さん、慌てんな。これはただの揺さぶりだ。どーしても気になるようだったら、構わずけん制球を投げろ」
 とも子はうなずいた。
 ふとバッターボックスの方を見ると、福永の野郎がオレをへらへらとした顔で見てやがった。どうやらオレをバカにしてるらしい。けっ!!
     ※
 2球目。福永はその投球前から送りバントの構えを見せた。オレは浅めに守り、とも子の投球と同時にダッシュした。福永、バント。なんと、その打球はファーストのオレの目の前に転がって来た。バントミスか? 通常2塁にランナーがいるときは、盗塁が怖いので、サードはバント処理のためのダッシュができない。ゆえにこーゆー場合は、3塁方向にバントするのが定石。逆に1塁方向にバントすると、ファーストはランナーを気にすることなくダッシュできるので、よほどへたなファーストでない限り、3塁手前でランナーは刺すことができる。
 オレは打球を素手で掴むと、3塁に送球した。完全にアウトのタイミング… が、しかし、オレの送球は山なりだった。楽々セーフ… 次の瞬間、オレの身体にたくさんの鋭い視線が一斉に刺さった。仲間のナインの視線だ。
「キャプテン、あんた、よくその送球で箕島にやめろと言えましたね!!」
 城島高校ナインの情け容赦ない罵声と嘲笑も、オレを痛めつけた。竹ノ内監督の視線もきつかった。オレは情けなかった。どうしようもなく情けなかった。なんでもいいから、ともかくこの場から逃げ出したくなった。
     ※
 中学時代のオレは、いつも順風満帆だった。ダイヤモンドの中では、何をやってもうまく行った。そのせいか、オレはミスするやつは、絶対許さなかった。試合中でもミスしたチームメイトを平気でののしった。それでも気が済まないときは、ベンチ裏に連れてって、何発もビンタを食らわした。特にビンタを食らったのが、今3塁にいる柴田だ。そーいや、今1塁に立っている福永は、ビンタを食らわそうとしたら、失禁したことがあったっけな。もちろん、竹ノ内監督から何度も注意された。でも、オレはまったく聞かなかった。
 そう、今オレは、やつらからしっぺ返しを食らってるのだ。やつらはオレの左腕の自由がきかないことを知ってて、わざとオレの目の前にバントしたのだ。
     ※
 カキーン!! 乾いた金属音が鳴り響いた。次のバッターの金属バットがとも子のタマをジャストミートしたのだ。打球は軽くフェンスを越えた。ついに0対0の均衡が崩れた。
 セカンドの鈴木とサードの中井とショートの箕島とキャッチャーの北村がマウンドに集まって、とも子をはげました。オレも内野手なんだから… いや、キャプテンなんだからはげましに行かなくっちゃいけないのに、なぜか行く気になれなかった。
 北村たちがそれぞれのポジションに散った。その直後、とも子はオレと視線を合わせた。なんとも情けない目だ。「キャプテン、助けて」と言ってるようだ。しかし、オレは視線をはずしてしまった。
 次の城島高校のバッターが、とも子の初球を完璧に捉えた。カキーン!! 連続ホームラン… マウンド上のとも子は、ただ呆然と立ってるだけになってしまった。限界だ。なんとかしないと…
 オレはタイムをかけると、振り返り、ライトを守る唐沢を見た。
「唐沢、替われ!!」
 しかし、唐沢は微動だにしなかった。あんにゃろ~、シカトしてるな。オレは怒鳴った。
「唐沢、替われと言ってんだよ!!」
「おいおい、キャプテンさんよう、ピッチャー交替ってゆーのは、監督の権限だろ?」
 減らず口を叩きやがって… オレは今度は監督の方を見た。
「監督、ピッチャーを唐沢に替えてくれ!!」
「唐沢、替われ!!」
 監督は間髪入れずに大きな声を出してくれた。
「はいはい、わかりました、わかりました」
 唐沢はしぶしぶとした態度で、マウンドに向かった。
     ※
 唐沢は後続3人をいともかんたんに斬って取って見せた。その間、オレはベンチに座ったとも子を何度も見た。とも子はずーっとうつむいていた。
 攻守交替。うちの最終回のトップバッターはオレ。オレはあえてベンチを見ずにバットを握り、バッターボックスに立った。何としても一矢報いたかった。しかし、凡ゴロだった。
 ベンチに帰ると、たくさんのしらけた目がオレを出迎えた。オレはそれを無視して、ベンチの一番端に座った。ふととも子のことが気になった。でも、他のナインと視線を合わすのが怖くって、顔を上げることができなかった。
     ※
 この回3人目のバッターも、三振に倒れた。ゲームセット。結局パーフェクト負け…
 両校のナインがホームベースを挟んで並び、型通りのあいさつをした。もちろん、オレも並んだ。でも、両校のナインの視線が怖くって、ずーっと下を見ていた。
 なんて最低なんだ、オレって… 実は以前にも似たようなことがあった。
 オレはここに入部したとき、生ぬるい雰囲気に愕然としてしまった。オレは途中入部にもかかわらず、実績を買われて即キャプテンに抜擢されたが、さすがに新参者だったので、何もゆーことができず、悶々とした日々を過ごした。そんな反動でか、去年春新入生が入ってきたとき、オレはそいつらを過剰にしごいてしまった。結果、10日もしないうち、全員辞めてしまった… 
 オレは猛烈に反省した。もう2度と独りよがりはしまいと誓った。なのに、今日またやってしまった…
 はたしてオレは、野球を続ける資格があるのだろうか? わからない、ぜんぜんわからない… ただ、ここにいづらくなったのはたしかなようだ。
     ※
 試合後のロッカールーム。みんなが着替え、身体の汚れを拭いてる最中、オレは端っこの方に立ってた。みんなの視線を避けるため、壁をむいて着替えようと考えたが、それではあまりにも惨めだし、だからと言って、みんなの視線を真っ正面から受けることもできず、横を向いて着替えをしてた。オレはこの部屋から最後に出たかった。だから、わざとゆっくりと着替えた。
 だれ一人、口を開けなかった。ただ、だれかがわざとらしく、何度か咳払いをした。そのうち、みんなロッカールームから出て行った。が、北村だけが残っていたようだ。
「キャプテン、いっしょに帰りましょ」
 オレは横を向いたまま、こう返答した。
「す、すまん… 今日は1人で帰りたいんだ」
 それに対する北村の反応は、いっさいなかった。ほんのちょっと間を置いて、ドアを開け出て行く音がした。
 これでようやく帰れる… オレは自分のスポーツバッグを手にした。が、その瞬間、再び部室のドアが開いた。北村が戻って来た? いや、とも子だった。とも子は女ってことで普段は女子テニス部の部室を借りて着替えをしてるのだが、なぜかユニホーム姿のままだった。
 とも子は唖然としてるオレに、筆談用のノートに何かを書き、見せた。
「私を強いピッチャーにしてください」
 そのとも子の目はとても哀しく、なおかつ真剣だった。オレは今日、キャプテン失格になった。だから、他人に野球を教える立場にはないと思う。でも、女の頼みにそむくなんて、オレにはできそうもなかった。
 オレもとも子の瞳を真剣に見た。
「強くなりたいのか?」
 とも子はうなずいた。
「オレの練習は、めちゃくちゃきついぞ」
 その問いかけに、とも子はいつもの笑顔でうなずいた。
「わかった。じゃ、善は急げだ。今すぐ始めるぞ」
 オレは再び着替えようと、制服を脱ぎ出した。と、ふととも子の姿が目に入った。いけねぇ、とも子は女だった。
「澤田さん、ちょっと着替えるから、外で待っててくれないか?」
 とも子はにこっとすると、ドアを開け、部室の外に出て行った。相変わらずかわいい笑顔だ。オレはとも子の笑顔に弱いんだよなあ…

エースに恋してる第3話

2007年08月11日 | エースに恋してる
 バスの中、北村と彼女は並んで腰掛けた。で、オレはとゆーと、2人の後ろの席に座った。北村はいろいろと彼女に質問し、とも子は筆談でそれに答えていた。2人は今日初めて会ったはずなのに、とても仲良く見えた。まるで古い友人のようだ。キャッチャーはよく「女房」と言われるが、これじゃどっちが女房なんだか…
     ※
 北村が降りるバス停が近づいてきた。北村が名残惜しそうにバスを降りた。彼女は北村にお別れの手を振ったが、やつの姿が完全に消えると途端、突然振り向き、オレの顔を見た。その目はいつものにこっとした目ではなく、かなり真剣な目だった。オレは一瞬あせった。しかし、筆談用のノートを見せられ、ちょっと拍子抜けした。それにはこう書いてあった。「隣りに座っていいですか」
「あ… ああ、いいよ」
 そうオレが返事をすると、とも子はいつものにこっとした顔を見せ、オレの右隣りに座ってきた。オレにぴたっと密着して… オレはまじでびびった。女の子にここまで接触されたのは、いったい何年ぶりだ?
 彼女はそんなオレを見て、またにこっとした。そして今度は、オレの右の二の腕に左手を巻き付け、頬をすり寄せてきた。
「な、なんなんだよ、いったい…」
 オレの顔は、すぐさま真っ赤になってしまった。心臓の音が異常に速く、なおかつ強く打ち始めた。
 ふいに次のバス停をコールする車内放送が流れた。
「次は皆川一丁目、皆川一丁目」
「オ、オレ、ここで降りなくっちゃ…」
 と言うと、彼女はふと悲しい目をオレに見せた。しかし、すぐにまた普段のにこっとした顔に戻った。
 オレは定期券を運転士に見せ、バスを降り、歩き出した。と、ふと後ろからの視線を感じた。きっとあの子の視線だ。オレはピッチャーをやってたせいか視線を浴びるのは慣れっこだったが、こーゆー視線を浴びるのは初めてだ。振り返りたい。振り返りたいが、あえてここは振り返らず、オレは真っすぐ歩き続けた。
     ※
 しかし、なんでとも子はバスの中であんなことをしたんだ? オレにほれたのか? 初めて会ったのは昨日だから、一目ぼれ? それとも、中学時代からのファン? もしかしたら、聖カトリーヌ紫苑学園に転入して来たのは、オレが目当てだったのかも…
 オレは布団の中でいろいろ考えを巡らせた。とも子の頬の温もり、お風呂に入ったとゆーのに、オレの右手には、なぜかそれがまだ残っていた。
 いつもはこの時間になると、あの恐怖に顔を引きつらせた女の子の顔が浮かんでくるのだが、今夜はとも子のことで頭が一杯だった。
     ※
 翌日の授業中、オレはずーっととも子を見ていた。彼女の席はオレのより前だから、オレは彼女の後頭部しか見ることができないのだが、それでもオレは、なんとも言えない幸せを感じていた。授業なんか、もうどうでもよかった。
 しかし、とも子の人気は相変わらずだった。休み時間になると、彼女の回りには必ず人垣ができた。野球部に入ったことが、それに拍車をかけたようだ。
「ともちゃんが投げるタマは、めちゃくちゃ速くって、ボクでも捕るのがやってなんだよ」
「へぇ~、すご~い」
 北村のやつ、とも子の豪速球のことしゃべりまくってる… おいおい、北村、頼むからそんなにチームの秘密をばらすなよ。
 そして、放課後が来た。
     ※
 ナインが守備練習している傍ら、ブルペン用に設けられたスペースでとも子が北村相手にピッチング練習を始めた。彼女の豪速球を受けるたび、北村のミットはビシッ、ビシッと鳴った。いい音だ。監督はそのとも子のピッチングに魅入っていた。監督もこれなら勝てるとゆー自信がわいて来たんだと思う。
 が、しかし、正直なところ、彼女のピッチングには大きな欠点がある。でも、その欠点は高校野球程度じゃ、めったに表面化しないと思う。ま、甲子園を狙ってるとしたら、矯正しなくっちゃいけないと思うが…
     ※
 ふと1台のバスがオレの視界に飛び込んできた。グランドの向こう側にある道路を低速で走ってるバスだ。そのバスが角を曲がり、こちらに向かって来た。そのバスの横っ腹にはこう書いてあった。
 城島高校。
 城島高校とは、野球で有望な中学生を高額な奨学金で次々と釣っている、言わば本気で甲子園を狙ってる高校である。オレの中学時代のチームメイトも何人か釣られてた記憶がある。なんか、すごくいやな予感がしてきた…
     ※
 城島高校のバスがグランドの通用門の脇に停まり、1人の男が降りて来た。
 竹ノ内監督、中学時代の恩師…
 竹ノ内監督は城島高校野球部のウインドブレーカーを着ていた。どうやら竹ノ内監督まで城島高校に釣られてたらしい…
「いや~、久しぶりだなあ」
 竹ノ内監督はへらへらとした顔でオレに声をかけてきた。こんな顔をする監督じゃなかったのに… オレはわざとけげんな顔を見せ、返答してやった。
「なんの用ですか?」
「いやな、キミがここにいると聞いてね。なんか、急にキミに会いたくなってね… ユニフォームを着てるところを見ると、どうやらリハビリはうまく行ったみたいだな。
 どうだ、ついでと言っちゃなんだが、今ここで我が校と練習試合をしてみないか?」
「な、何言ってんですか? とてもじゃないですが、うちはあなたたちの練習相手にはなりませんよ!!」
 心配になったうちの監督が、くちばしを挟んできた。監督のゆーとーりだ。聖カトリーヌ紫苑学園と城島高校じゃ、レベルが違い過ぎる。練習試合なんて、どう考えたってむりだ。
 しかし、竹ノ内監督はどうしてもうちとやりたいみたいだ。
「いや~、心配することないですよ。うちは二軍しか出しませんから。
 実はね、今春の公式戦をやってきたところで。だから今は、二軍しか使えないんすよ」
「し、しかし…」
 うちの監督は、それでもためらった。当たり前だ。城島高校は二軍でも、それでも我が学園よりはるかに上。監督が考えてる通り、ここはていねいにお断りした方が得策だと思う。でも、うちには今とも子がいる。とも子がどこまで通用するのか、試してもみたい…
「どうです、監督、5回までやってみては?」
「そ、そうだな、5回くらいなら…」
 監督はオレの提案を受け入れてくれた。
「じゃ、5回までとゆーことで」
 とゆーと、竹ノ内監督は振り向き、バスに声をかけた。
「おーい、みんな、降りてこーい!!」
 バスから城島高校ナインが降りて来た。みんなふてぶてしい顔だ。特に見覚えのある2人が、オレを見てにやっと笑った。柴田と福永。中学時代、同じ釜の飯を食った仲だ。こんなところで、この2人に会うとは…
「いや~、キャプテン、久しぶりですねぇ~」
 柴田がへらへらとした顔でしゃべりかけてきた。ちっ、カンに触るやつだ。
     ※
 うちはホームとゆーことで、後攻めとなった。とも子がマウンドに立ち、北村相手にピッチング練習を始めた。
「お~い、女の子が投げてんぞ!!」
「かわいい~」
「パンツ見せて~」
 城島高校ナインが野球人にあるまじきヤジと嘲笑をとも子に浴びせた。竹ノ内監督、あんた、変わっちまったな。オレの知ってる竹ノ内監督は、教え子がこんな下品なヤジを飛ばしたら、即行ぶん殴ってるはず。
「気にすんな」
 オレはとも子のそばまで行って、そう声をかけた。とも子はうなずいてくれた。
「いつも通り投げれば、絶対大丈夫!!」
 とも子は今度はオレの目を見て、瞳で「はい」と答えた。
     ※
 いよいよとも子の1球目。推定時速140キロのスピードボールが、北村のミットを鳴らした。バッターは呆然と見逃すしかなかった。下品なヤジを飛ばしまくっていた城島高校ナインが、とたんに沈黙した。ふふ、どうだ、とも子の実力は!!
 城島高校の1・2・3番バッターは、とも子の豪速球に空振りを繰り返し、3者三振に倒れた。オレが想像してた以上の出来だった。しかし、これでやつらも本気モードに入った。2回以降、短めにバットを持ち、こつこつと当ててきた。それでもやつらは、とも子の豪速球に負け、次々とポップフライを撃ち上げた。ときどきファールで逃げるやつもいたが、そのときは例の150キロを超える豪速球で空振りさせた。「行ける!!」と言いたいところだが、実は我が学園の打線も、城島高校の二軍のピッチャーに、完全に沈黙していた。
     ※
 両軍とも1人もランナーを出せないまま、いよいよ試合は5回表に突入した。とも子がこの回を押さえ切れば、一応我が学園の負けはなくなる。
 と、竹ノ内監督が突如立ち上がり、声を挙げた。
「ピンチヒッター、柴田!!」
 柴田って… あいつ、レギュラーだろ!?
「監督、約束が違うぞ!!」
 オレは竹ノ内監督を怒鳴った。それに対し、竹ノ内監督は余裕で答えた。
「うちの二軍がぜんぜん撃てないんだ。このへんで一軍を出してもいいんじゃないのか?
 だいたいキミんとこのピッチャーだって、これじゃ、なんの練習にもならんだろ?」
 一理ある。それにとも子の限界を試してみたい気もある。とも子のスタミナもまだ十分あるようだし、オレは竹ノ内監督の提案を受け入れることにした。