まず、一年前を把握したら、足りない車の加工をして見ます。
クハ401-101の相棒のクハ401-47が無いので、材料の車から加工します。
どーも大目玉だったようで
加工はその・・・
クハ401~411に至る「たぶん」大きな特徴の「全長が0.5mm長い」(その代わり連結面間はクハ111と同じ)と言うところの加工点につきます。
この改造作例及びそういった記事が一切無く、かの牛久保さんすら触れていない部分なので、本当にあっている考え方なのかいささか自信が薄いのですけど、
図面上は確かに長いのです。
以前のジグも出します。
小さなスコヤで
ガイドにしてそのままカット。
0.5mm消えてなくなるレザーソウで切るので1mmの延長をすることで所定になるはず。
2個上の写真は消えてなくなる部分が0.25mmの薄いレザーソウだったので、改めて厚いレザーソウに切り替え。
ぎーこぎーこ
ぽろん
切る面は
丁度運転台の仕切り上に入っている梁を真っ二つにすると接着面が多く取れます。
こんな感じ。
1mm×1.5mmのプラ棒を
このように貼り付けていく
こんな感じだね
こうして暫く放置。
固まってから再加工します。
5時間程度放置。
貼り付けていきます。
心もとないので、後で撤去しますが、ごつい糊代を貼り付けます。
全ての加工を終えたら撤去します。
定規を隙間を与えて、下に一部飛び出させているプラ材を避けるように
高さをそろえて接着接合します。
完全一致させないと大変なことになるのですが、ここは気合しかありません。
どーだかなぁ。
ノギス利用で幅を維持しておきます。
接着が収縮するのを避けます。
再び放置。
これからの断面成形がイチバン緊張します。
これまでは割りと成功していましたが、今回は時が経過してテンション違うので心配です。
↑えーっと、私は死んでおりませんよwww(友人から死亡説が流れているとw)
ひさびさなので、このボタン押してくれると助かります。
さて。
札幌に帰札してきました。
バス乗って
い ば く う から
いろいろとアレですが、
なんと夕方に札幌行きが増便してました。
変わらないように見えていますが、
震災2日前にここを使ったときから一度天井が全て落下して復旧したそうです。
売店。
先週、利用100万人突破だそうです。
震災さえなければ、もっと利用が伸びたんだろうな・・・
萌え要素が
かなり
失われたのは見て取れました。
震災とその後の例の「政災」ともいえる件はあまりにも傷跡が大きい。
いばくうの売店経営と製菓生産をしている亀印製菓さんも大変だったようです。
まぁ、そんな暗いこといってもしょうがないので
やっぱり変なもの健在!
納豆ローション!!!
結構心の中で爆笑。
いや、その、わかるんですが違う面がイチバンにイメージされちゃうでしょww
わりとおおらかな出航検査
今日はウィングレットの無い機体。
ちょっと揺れるべなーー。
ウィングレットのあるB737-800と無いB737-800は想像以上に差があるように感じます。
案の定、ちょっと揺れました。
写真整理などを飛行機内で。
77分の空の旅。
いつも羽の近くですね。私。
帰ってきました。
犬には大歓迎を受けました。
あと、一応娘にも。
飛行機の帰りがけ、セカンドストリートで見つけた
これ。
200円
以前購入したファミコン棚と同じものの段違いだったので
組合せを変えたら2台になるので良かったよかった。
塗料収納に絶大な効果があります。
アイリスオオヤマなのでどこぞのニ○リよりいろいろな面で丈夫です。
で。
2010年06月04日以来らしいですこれを引き出すのは。
実に一年以上!
全部加工による生成だもんな。
ようやった、自分。
さて、もう綺麗さっぱり、何やっていたか記憶にございません。
どこまでヤル気が漲っていたのか恐ろしい部品とか。
なんでもう一組先頭車があるのかとか
結構な数の改造先頭車とか、
在庫車体とか?
さて、もう一度思い出してみましょうか。
一年以上前の記事。
以下自分の引用
*****************************
自分の作っている非冷房編成は
K558編成
クハ401-47
モハ401-24 (作ってる)
モハ400-24 (作ってる)
クハ401-101 (作ってる)
らしく、クハ401-47は大目玉らしいよ!
冷房編成は
K522編成
クハ411-701 (作ってる)
モハ415-707
モハ414-707
クハ401-51 (作ってる)
これは判ってた。
どーも、足りない分作っても更に基本編成が無いッぽいぞww
*****************************
へええええええええええ。
で、すごい途中で放り出しています。
常磐線は作っていかないとならないです。
平以北に敬意を表しながら。
↑ひさびさなので、このボタン押してくれると助かります。
スクーターなんぞ齢38歳にして乗ってみると結構便利っすね。
さて、久々に午前中だけ工作が出来そうなのでとりかかりです。
板も継ぎ目うめを待っています。
考えてみれば自分も12両分もっていますから、考えられないことに30台+6両のキットが東京と札幌に合計されています。
で、この後の工作を考えると結構うんざりです。
この継ぎ目ごまかしは面倒だぞ・・・・。
ヘッドライトも魚の目のようで格好悪い。
やすりであたって
平らにしておく。
で、ここで気がつく。
卦がキ針がない。
画鋲じゃ精度が出ないし・・・
で
次の獲物へ
オリジナルのプラ側板より金属側板のほうが気楽な部分があるというのも皮肉。
CUT!CUT!
曲げて
まともに力を掛ければいいけど、下手なことすると窓柱に筋がつきやすいと思う。
500型の屋根はいかがか?
削って~
当たって~
張っていくの~
ちょいと横道。
急行表示灯のある前面でHゴム正面が出来ないかな?
いや、これちょっと無理パーツだ。
周囲なんて埋められない。
自分の技術じゃ・・・。
おとなしく後期前面を
撫で始めたけど、これがライン合わない!
プラ状態ならごまかしがきくけど、金属なら裾合わせになるからやっぱり屋根が難しい。
ラッカーパテかポリパテが欲しくなった。
ということでこの後買いに走ろう。
まだまだ無残なラインです。
ゆがみ嫌い。
では、ちょっと秋葉原に行ってきましょう。
そのあと今日は遅くまでまたお仕事です。
おもむろにむしり取られるヘッドライト
銀河モデルの300型はちょっとしたやりにくいところがあったので折角なのでもう一台も作ってしまいます。
先のが活躍中期なら、今度は最末期の中間電動車更新されたタイプです。
そのためには運転台撤去が肝心です。
貫通扉も撤去されているようですから
抜いていくことにします。
えいやっと
抜き終わりと仕上げまで。
更にアンチクライマも完全撤去されていました。
方向幕もなにもぬっぺら坊です。
これが側面
サシをあてがい
内張りも差しで宛がってカット。
サシ二枚で丁寧に曲げます。
取りつけるもん
気になったのがこの窓柱。
細いなぁ
サッシ入るかなぁ。
しかものりしろ部分が見えているから削らないと。
結構削らないとなりません。
ここを
これくらい取り去ります。
角も丸くしておくとフィットします。
ガッチガチに瞬間接着剤で固めますが、車体裾がいも付けなので極めて弱いです。
300型は都合あと最大4両まで作れます。
ええっと、
今日は雨でした。
塗装ができず、そしてもって富山港線クモハ40は側面取り違いでドアを貼ったことが分かり部品を調達し直し。
で、
丸ノ内線きっとの制作指令が。
ということで東京にいても仕掛かりが絶えることはないのでした。
とりあえず、やっつけられる部分をやっつけます。
18両以上の在庫があって、一気にすると絶対終わりませんので
とりあえずスタンダードな500型を6台分
切り出します。
バリもさっさと取り去ります。
標準で切り継ぎ状態の加工があるので、片運転台に継いでしまいます。
ほとんど流れ作業です。
RMMのキットですが、ご存じの通りちょっと机上論で設計されたような痕跡があちこちにあり、モールドが徹底的に浅すぎて塗装が難しいだとか、ここのように継いでいかないといけない部分とか、
しかも継ぎ場所がやや技術の要るドアのその物の場所とか。
一体ドアのRはどうやって復元することを模したのでしょう。
確かに切り継ぎ痕はドア筋で埋まりますけどね。
それ以外は結構大問題です。
更に裏は窓ガラスが羽目難いような継ぎシロがあるので
溶剤で接着したら、やすりでガンガン
取り去ってしまいます。これをしておかないと、あとで窓ガラスを張るときに涙目です。
これもまた、流れ作業です。
積むとこんな感じ。
ここで丸一日シーズニングさせて変形が無いか確認してから次に入ります。
正面は300型前面、400.500型初期前面、500型後期前面に3種。
方向幕と更新前面窓は一通りの組み合わせなので、これもザックリ組んでいきますが、
先行試作車を作っていろいろデータを取りたいと思います。
銀河から発売されていた、側面交換キットを用いて、301の現役末期を先行試作にします。
設計自体は問題はありません。
折るだけですから。
サシを使って正確に折りましょう。
前面の合いは中々良いでです。
屋根の裏リブはすべて取り去ります。
多少の調整は必要でしたが、このように綺麗にハマります。
しかし、キット自体のウィークポイント、各部が意外と合致しなかったりちょっと無理のあるモールドが解ってきます。
500型では肩ルーバーがあるのでこの横ラインで接着すると良いのですが、300型は張り上げ屋根の稜線で繋がなくてはなりません。
ここは結構骨のある作業となるでしょう。
また前面と屋根でライン取りが乱れています。
ばっちり継ぎ目が残って良いならこれでいいのですが、埋めてみるとどうなるかやってみます。
実はこの間、ちょっと友人UDに誘われて竜ヶ崎まで一往復。
すぐ作業開始。
パテを盛ってみます。
瞬間接着剤はここで張り上げ屋根のパテ代わりには好適ではありませんので、薄くまで削れるポリパテかエポキシが本来良いころでしょう。
今回はラッカー溶きパテです。
雨樋は削ってしまいます。
あとから張りなおしたほうが良いか、省略が望ましい。
スムージング。
明らかに段差があるんです。
500型ではこの作業の必要があるかもあとで検証。
この屋根を側面の継ぎ目はある程度埋めたら放置して、あとでサフェーサーで完全に整えます。
そうじゃないときりがないんです。
それなりというか、かなり工作が楽しめそうです。
塗装はこれも1色。
楽だからこそ、ここで取り組める。
(スカ色のほうが面倒臭いです。)
ミス記事。
マスクして
FARBEのぶどう色を吹いていたら
落として台無し。(;´Д`)
とりあえず、塗料も濃いまま吹き付けていく。
このようになるのが理想なんだけど・・・
2.5mmのマスク幅は太すぎたおまけつきで見事失敗のきわみ。
まぁ、やりおなせばいいや。
薄め液プールにどぼーん!
ズル剥け!
で。
同時にもう一台沈めてみる。
あっという間にこれも剥ける。
札幌市某所。
ここ、市街地の真ん中にある広大な「農地」です。
場所は札幌市豊平区月寒。
八紘学園という農業専門学校が経営しているジンギスカン屋です。
http://www.hakkougakuen.ac.jp/
市街地のど真ん中。
とはいえ、この月寒という場所は、羊が丘などの民間官庁それぞれの農業施設が密集しており、非常に面白い土地であります。
昔は千歳旧線が真ん中をぶち抜いていました。
結構マイナーかつ有名な「ツキサップじんぎすかんクラブ」
ここで飯です。
お値段。
ここは、今や北海道でも珍しくなった「マトン」を食べることが出来る通好みのジンギスカン屋です。
マトンとは成羊のことで、ラムとは子羊のこと。
マトンは臭みが強く25年前とかなら平気で私も食べていましたし、売っていましたが臭みが敬遠されてラムが主流になり、また、焼肉文化が北海道にもやってきてジンギスカンは郷土料理に押し込められた感じ。
ジンギスカンが普通に焼肉と同義語だった時代にマトンが多かったのです。
(北海道に焼肉が一般化したのはそう昔のことではないのです)
昔はここ、羊を見ながら食べられた伝説があるところ。
凄い時代です。
今は違うようでw
雪一面を見ながら
召し上がることにします。
マトンです。
ある程度覚悟しております。
ただ、冷凍丸肉ではないので
隙のある、また独特のジン鍋でいただくとどうなるか?
ここは油を引かないで食べるようです。
ジンギスカンといっても数流の流派?があり、ここはまた特徴的な鍋です。
ほかには松尾流?(滝川の大手ジンギスカン専門店・松尾ジンギスカンのやりかた)や、一般家庭で広く食べられる「冷凍丸肉でのジン」があったりします。
まずはモヤシ等を囲むように乗せます。
一回目は覆うように肉を並べます。
これは家庭用流儀と変わらずにやりました。
適度に返しながら
食していきます。
まぁ、たいしたことは無いのですが・・・
食べ終わりをこのように綺麗に終えるのが道民テクニックでしょうか。
地味に作法があるんですよw
結構焦がしまくってしまうことが多いんですよね。
マトンはどうだったかって?
いやぁ・・・・
全く臭くなくて驚いた。
恐らく飼育方法に秘密があるんじゃないかな?
で、脂乗りはラムより豊か。
これは美味しい。
20年ぶりに来て再確認。
臭いマトンもちょっと期待していたんだけど。
で、娘の希望により
アクセス札幌という「ミニマム・東京ビッグサイト」に行くのです。
凄い車。
そして、ワンボックスと軽の展示場のような客層。
サン宝石フェア!!!
いやぁ。。。。
乙女ですね。
結構な人だかり。
急加速する娘。
うわちゃ!
安物wwww
うーん。
凄い熱気です。
原宿限定じゃないからww
おとうさん、おじいちゃん疲労ゾーン。
男性陣は所詮「運転手」
振り返れば
少女たちの夢の空間。
戦う娘・・・・
で、
ちょっと気になったこと。
あれ?
JNMAなどのイベントと大して変わらないじゃないか。
むさくるしいおっさん達のクッサイ雰囲気が華やかなだけで
部品を漁り、群がるのは同じですねぇw
戦場最終日とあって、売り切れブースも多数。
いやぁ、
凄かった。
↑でも臭くないのはやっぱ、おっさんは臭いと言うことか・・・?
未塗装オールスターズ。
まだあるんだけど・・・。
ということで、次なる出張は2月上旬。
2月はその殆どを家を空けるので、それまでなんとか塗装力を奮起しないとならないと感じまして。
最終的にはこの京成3500@2009-05-15から停止中。も含めて何とかしたいもんだと。
(わwww1年半以上放置されているww)
なんとかせんとねーー。
銀塗りまでは見通しつくんだけど、帯がどうしようか悩んでんだよねぇ。
さて、傷埋めの最終。
白サフェ点吹きだぁ!
ここに集中火力を持って前艦全速前進。
各個別砲火によって陣形の傷を完全に埋めるのだ!
ファイエル!!!!
なーんつて。
てか、まだこの時点で痩せ傷(写真に薄っすら見えるでしょ?)が見えるのが、本当に忌々しい。
5回吹き上がり。
明日もう一度確認ね?
↑埋るまで同じ作業だ。らったった♪
このネタ、2ヶ月ぶり。
お仕事終わりましたは午前3時20分ですので、そこから加工です。
え?コレ何かって?
同僚でもある友人KW。
出張帰りをなんと、彼の出張先の土地で私が「ヤフオク&通販」購入したトラックを仮ナンバーで運んでもらったんです。
はははははwww
ヤフオクで購入したのは3台目。
調達調整係の腕がなりますww
仮ナンバーを外している図。
遠路遥遥、海を越えて北海道においでました「ヤフオク戦利品」
さて、パテ盛りシーズニングされた車体です。
ここから削ります。
ノミであらかた馴らし
こんな感じまでノミで仕上げます。
平らにします。
よしよし・・・
1000番耐水ペーパーで磨いて
整いました!
ここまでで今日は終了!
↑眠い・・・
東京から荷物が帰ってきました。
ちょっとだけサフェーサーが毛羽立っているようなので、ラプロスで磨きます。
えええーーーっと。
こうすれば見えますね。
はい。
ガッチリ引けてしまいました。
しょうがないので
溶きパテで盛っておきます。
さーーーーって。
かなりの時間シーズニングしましょう。
半月は放置決定です。
すんませんねぇ。
瞬着だと元材質より硬くなって綺麗に削るの面倒なので。
同じく定鉄も
(´▽`*)アハハ
だーめだっこりゃ。
おでこやり直し。
これもシーズニングへ。
フリーの客車が一番表面状態が良い。
が、こんなの本当は一番後回しにしたいのにw
とりあえず、この4台をまず明日から片付けます。
新 規 着 手 は そ れ か ら だ 。
今年、年末までは新規はなるべく手をつけるべきじゃない・・・。
↑怒涛の完成劇を演じてみたいなぁ
今日でタンポポの工作は終われるはず。
配管をプラランナーの引き伸ばし線でそれっぽいように仕上げます。
妻面は「手抜き!」
富士川車両のパンタグラフ冶具ステッカーを活用して
ポンチうち。
これだけにもったいない気もしますが楽ですねぇ。
角孔まですすめます。
キングスのプラパンタ台を
貼り付けてオワリ。
屋上手すりも
意外と厄介な内部の手すりも
ニッパーであらかたカットして
ノミでこそげ落とす。
刃は一度だめになるけど、研ぎなおせばいいのです。
すっきりさせないと窓ガラスが入りません。
おおむね工作完了。
書庫から、探しまくること30分
高校時代のレイルマガジンを引き出してきます。
いやぁ・・・周辺時期の雑誌を見ると、このあたりで新車紹介されているものが既に「老朽鬼籍」だったりするわけです。
営団05系とか、インドネシアに売られてしまった。
JRが官から民になり、作法も何もあったものではなくアイディアフラッシュに近い状態のものを生乾きで、イベント列車をガンガンリリースしていたり、まだ鋼製抵抗制御の新型電車が出ていたり。
これから鉄道はどうなっちゃうんだろう?と不安になったり驚いたりがっかりしたり。
そんな百鬼夜行の時代だったんですね。
決して「良い」物だけがリリースされるのではない時代。
なんだか解らない「接客って何だろう?」パワーだけは漲っているのでした。
鉄道ハードテクノロジーは意外と進んでいる雰囲気はさほどなく、とにかく上回りをどうにかしちゃえ!という時代に、今になったら思います。
探してたのはこの記事です。
これを
トレースした。
あくまで小さいので簡易に。
ちょっと鋭角にしているのは、プリント時の自然についてしまうダレを考えたもの。
↑そう、茶色にします。格好良いんだもん。