なんと1年ぶりに引き出してきたものです。
前回
http://blog.goo.ne.jp/komume1973/e/03b69fa03e63d54e91301c918b6acecb
1年前、結局バラバラにしてしまった旧作のモハ1201.
溶剤で溶かしたら、金属部分に溶けたスチロールがビッシリ張り付いて偉いことに。
その後どうなったかというと。
このようになっています。
前面いつの間にか増殖。
友人MYに磨いた前面をコピーしてもらったのでした。
ドンドン、マテリアルが変わるこの車両。
果たして復旧し完成させることが出来るんでしょうか?
磨いた原型前面。
角はきっちり出してあります。
既にオールメタルだった「しもたか企画」キット時代とはかなり変わりそうです。
コピーしてもらった前面。
綺麗ですよ。
見て解りますか?
前回のとき、トルエン入りシンナーに漬け込んで、スチロール成分を薬解させる荒業のお陰で、薄い膜がビッシリと。
斑になりながら張り付いています。
キサゲ刷毛で磨いていきますが・・・
裏もえらい事になっています。
磨いたって削ったって、えらい状態で復旧は困難を極めています。
数時間
様々な道具で磨いてそいでいく作業。
とりあえず磨くだけでここまで着ましたが、剥離した内張りの中に樹脂が入り込んでいたり
もうそれはそれは絶望的な状態です。
がんばっている様子。
だってこれしかないんだもん。
もうまず手にはいらないんだもん。
もう一枚も酷い状態。
ディテールを埋めるくらいの樹脂幕。
ゴシゴシ・・・
窓枠も一個一個、汚れ落として復元。
磨きこんでいきましたが樹脂が入り込んで浮いています。
剃刀を
内張りと外張りの離れているところに挿して削り取る作業。
コンロに火を掛けて
炒ってみた。
樹脂の最終除去手段。
内張りと外張りは剥がれてくれませんでした。
嫁には内緒よ。
フライパン。
取り出して、酸洗いと水洗い、カビキラーで洗って更に水洗い。
そうすると、樹脂がボロボロ最後の剥がれをしてくれるようになりました。
断面に浮いた樹脂の焦げだし
磨いたらやっと剥がれてくれました。
IPAと超音波洗浄機でカス取り。
かなり綺麗になってきた。
細かいところを除去したりして今日はオシマイ。
半田が浮いているところも次の工程で貼り付けなおしてみます。
さて、復帰できるかなぁ。
↑でもチョット光が見えた気もする
仕事が忙しく、遂に午前様なので流石にやる気が起きません。
ということで20歳のころに世田谷線を訪問した時の写真でも飾って終わりです。
ろくでもないカットばっかりで意味が余りありません。
形式写真らしきものはこの一カットという情けなさ。
アルミサッシを塗装していますが、この窓枠は東急7000系を7700系に改造した際、
サッシを交換したその残骸を組み替えて使ったそうです。
訪問したというのにろくでもないカットばっかり。
何かひとつでも参考になるものがあれば良いのにまるで無しw
謎なカットばっかりw
あのころに自分を殴りたいですねwwww
なんで軸受けなんてw
車庫のジャッキ。
辛うじて・・・
まだ近代化はされていましたが、古豪たちが奮闘していた平成5年
150型の内装。
かなり近代的です。
80型の内装。
クラシカルですね。
自分に「馬鹿でないのか」と。
間接制御ですね。
木目が綺麗だったことが記憶に残っています。
酷いでしょ?
車庫行ってこれだけですよ。
実は学校のレポート取材というモノの名目だったので、えらい余所余所しく行ったのです。
鉄というのを完全に隠していたんですよね~。
それにしても酷い。
帰りには実は学校生活で唯一撮った301系などがありました。
数年間毎日見て、ほぼ毎日乗っていたのにこのカットのみ!
いやぁ・・・今では信じられないです。
元気一杯だったときの5000系もこれだけ。
あとは30歳過ぎてから慌てて消滅寸前に出張で時間を取って撮影したくらいですね。
まだまだ新型だった05系。
初期車が一番好きです。
いまでも。
せめてこのころのデザイン風潮に戻ってこないかな。
超最新型だったワイドドア。
西葛西の線路際に住んでいたのにねぇ。
一日中、部屋のものを次々とコンテナに詰めて蔵に運ぶ一日。
棚1段は確保。
部屋にあったVTRや、ストラクチャー類を全て蔵にしまいこみました。
でもまだまだゴチャゴチャした部分が多すぎます。
いつもの100円ショップでいつものタッパーを更に10個購入。
同じ大きさで50個に到達。
ラベルつけないと解り辛くなってきました。
死蔵品類はコンテナで6箱運び出しましたけどね。
色々出したりしていると
こんなもんが。
KATOカニ21の車体だけASSYです。
電源車不足なので追加したかったものの、下回りが見つからず既に何年経ったかというもの。
丁度走らせるとKATOのEF65では空転して勾配が上れないことが多かったので
幽霊にしてしまうことは考えていました。
動力を何も考えず入れると、 あらノ(´д`*)
内窓の内寸と鉄コレ動力がぴったりだわ。
そんなら話が早い。
計って入れちまえ。
4.5mmでした。
1mm厚×2mm幅の帯材を
現物合わせでチョチョイと張って終わり。
台車枠はとりあえず阪神用で代用。
昔はTR-50で阪神に代用したもんですが。
逆です。
まぁ、いつか正規モールドを張りましょう。
3mmほど台車間距離が短いのですが、幽霊で動くことが大切なので、
ジャンクが長く使い道に困っていたマイクロエースの連結器を
ポン付け。
高さ再チェックして
床下機器はまだ無いですが、これで用は足ります。
幽霊だとカニ後部付けは脱線の危険が大きいので、サインもテールライトも不点灯でよく、
あとはチョイチョイとモールドを追加すれば完成に出来ますね。
モールドもこれのASSYはなかなか見つからないので、古の旧製品をどっかから調達して貼り付ければらしく見えるのではないでしょうか?
ウエィトも追加して、しっかり重量を稼げば、機関車とのW駆動で15両編成が登坂できると思います。
本当はスハネフ14なども幽霊化するつもりだったのですが、カニ21がたまたま目にはいったのでやってみました。
協調運転は製品カニ24では抵抗値を変えられるようになっていましたけど。
↑たまには軽工作でもいいでしょ
とは、私の恩師の言葉であるのですが、
ここんところどうも、作り込みにしっくり行きません。
それは恐らく。
部屋がカオス状態になってきたから。
私目の工作部屋兼、ほぼ全ての家族時間以外の道具が詰め込まれた部屋は6畳なのですが
なんせ30年以上の鉄道モノがすごい量になっているうえ、
この2年工作関係に没頭していたため整理が付かないで山積みになったものが凄いことになってきたんですね。
工作テーブルの裏にネコ社の25年分。
その奥に書庫として整備したはずの繁盛ほどのクローゼットにはピクトリアル本。
軽く40年分。
寝床の真上には吊り棚で鉄道模型趣味が30年分
(地震が着たら間違いなく私は圧死する)
塗装ブースの真上には鉄道ファン30年分
今打ち込んでいるパソコンの真上にはディススプレーケースとブックケースの一部
工作机の横の吊り部分には既にもうはちきれんばかりの部品類のほんの一部
工作テーブルの上には自分で取った写真ファイルが実は200冊以上
塗料箱に収めていた塗料もとっくに溢れ孵り
キットはタッパに入れて積んでいるものの、既にもう溢れかえってます。
表装剥がしてもご覧のとおり。
部品やキットそのものを入れているんですがこれはまだ半分くらい。
どれも最初はある程度予定しておいたために統一したタッパや余裕を持ったスペースを作ってこしらえていたんですが、
12年住んでいるうちに既にもう許容量を越えてしまいました。
まだお見せ出来ない様などえらいカオスな角度があり・・・
整理をしないとどうにもなりません。
本については、引っ越してきたとき既に2tあったんですが、今は何トンになっているか全く解りません。
ネットで代用できない資料も一杯あるため、捨てるなんてトンでもない。
一部からでも整理整頓しないと、心が整理できないんですよね。
20年近く録り貯めていた深夜放送のビデオもコンテナに詰めたら、
50cm×60cm×40cm位のコンテナにぎっしり詰めて3箱も!!
確かねぇ・・・・カルトQとかさんまタモリたけしの正月ゴルフとかまだ録ってあるんよ。
蔵は幸いあるので、これらを明日かなり蔵にぶち込んでしまいます。
しかし、本はねぇ・・・。
湿気に弱いし・・・。
手元にないと探すの面倒だし・・・。
この部分だけ整理した。
タッパが入っている中ほどの壁にネジ止めた木箱にビデオぎっしり入っていたの。
いやぁ。。。。
どうやって処理していこうかしら。
心落ち着く部屋にしないと。
今後ろを振り返ると、資料として出してきた本がうちの子供の背丈くらい積んであるんですよね。
いやぁ・・・・明日は徹底的に掃除しましょう。
私、
A型なんです(そうは言われませんけど)
既に、部屋の四面は天井まで棚だらけで既に棚を増設することは不可能に近い状態なんですけどね。
まぁ、実は今日は
札幌ドームに
野球観戦に行っていたという時間の余裕もあったはずなんですが
ダルなんで当然のように勝ち試合であり
川島慶三vsダルの04年ドラフト同期同士も堪能したし。
勝って楽しかったんですがね。
実は野球が今大変面白く、ちょっと気が抜けているのかもしれません。
ダル家族も見てしまったしw
こんな広告が札幌ドームにはあるんですよ?
では。
↑明日は大掃除だ?
中間工作報告?。
野球が負けてしまったので、作業にすんなり入れます。
下手に勝つと、余韻が残りましてねw
「物凄くごつい床板」が2枚ここまでできました。
コメントに猫さんから「何g?」といわれたので測ってみることにします。
粒鉛は一定の質量が入るとは限りませんので1枚目
14gです。
2枚目
15gでした。
では車体は?
17gでした。
台車は5g
15g+17g+5g+ほか2gとして
39gの車体になる予定。
さて、真鍮キット(ずーーーーーと以前に紹介した3軸旧型食堂車)は?
39g
あれ?
同じじゃんw
KATO完成品先頭車は32g
これも大差変わり・・・あるかw
でもね、若旦那のはヘッドライト店頭化するからこのヘビーウェイトはオイラのもの。
↑次回、点灯準備床下を作ります。
さて
床板を丈夫にして行きます。
1mm角棒を用意して
10mmでカット。
端と真ん中に接着して~
更にがんがん貼り付けていく。
内にも枠にした感じ。
こんな感じ。
それこそ適用な端材で
ボルスタを一旦蓋する。
埋めちゃう。
こんな感じです。
賛否両論鉛粒。
流し込んで
瞬間接着剤で固めます。
床板と同じ1mm板で蓋&接着。密封。
計3mmになっちゃった。
ごつすぎかな。
動力車になる中間車に嵌めてみる。
ピッタリ。
オリジナル床下機器も
GM床下機器も微調整で台枠内に納まります。
一枚作ってみたんですが、ごつすぎたかなぁ。
重量はもうそれはそれは重いんですけど。
3連だし。
中間車全軸駆動だし。
動くのは支障ないけど、重すぎかな?
頑丈なんだけどねぇ。
軽装版もやってて思いついたけど、若旦那。
どうする?
↑ここまで頑丈&重くしないでも良い気はする。
鉛粒は入れない方法で軽装にする方法もある。
ハイフン車の続きです。
若旦那のもののM車制御器側について、ホワイトメタル部品がベースを削るとバラバラになってしまいそうなので、
鉄コレの部品を流用して近似値にすることに。
色々なカルダン車両系の床下機器を探しますが、秩父のものと同じ部品が完全に集まらず、新たに調達を決意。
実はなかなか進まないのは
野球が面白いから。
交流戦が面白くて面白くて。
仕事がほんのチョット段落したと思ったらこれだもん。
私の贔屓のファイターズは読売軍を2連勝で撃破という(でも札幌ドームになかなか行けず)快挙。
第二応援のタイガーズは大変苦戦。
ええい!赤星や金本もレギュラーから下ろすくらいの断行をせんかと。
(タニマチが黙っていなさそうだが・・・)
ファイターズは稲葉(と金子誠)以外、レギュラー剥奪で活性化したぞ。
(お陰で楽しみな選手が毎試合でなくなって寂しいが)
ちなみにもちろん今度のFT戦は「出っ張ってくる若旦那と札幌ドーム2連観戦でブログは当然のごとく休みます」
ああ、考えてみれば、熱狂の2006年から
小笠原も読売に逃げられ
入団時最も期待していた川島もヤクルトに飛ばされ(右端の立石さんも引退されて)
やはり入団のころから見ていた押元もヤクルトに(左の武田久はストッパーで健在)
SHINJOはグダグダに(これが最も寂しい)
幸雄も去り
金村も阪神に去り(グダグダに)
工藤も読売に去り
2005年にはこんなに細かったダルも「すーぱーえーす」になり。
と、脱線したんで戻ると
床下を作ろうと(話のすっ飛び方が心ここにあらず)
1.0mmの筋板をカットして、先頭車の床板を作ります。
15.5mmの幅でカットしてきます。
筋板を使うのはキーストンもどきのつもりです。
元の真鍮床板に合わせてボルスタ穴を開けていく作業の段階。
何度かに分けて穴を大きくし
我に返ると
ぺらぺら過ぎて強度が無いです。
これでは困るんで
リトルジャパンの京急700系キットからウェイトを召し上げて張ってしまいます。
床下の低いところに重量を稼ぎたいですからね。
ボルスタの台車接点中心から下にあれば多少重心が下がります。
ゴム系接着剤で張って、万力でぎゅっと抑えると
接着剤がはみ出ますので
爪楊枝でくるくると回し取り。
取り去ってもまだ感じが弱いので
もう一回万力で抑える。乾くまで放置明日になるまで放置。
↑明日は試合が無いので・・・・
昨日の自分用営団ハイフンをやってから彼に電話。
「あんな感じでいいんかい?」
「いいじゃないの?」
OK。
さて、手がけますか。
ドアを一枚一枚カットするのは結構な手間です。
一枚一枚貼り付けたり。
下地の0.3mm×0.4mmを張り敷き詰めて
ぺたぺたぺた
0.8mm厚みの板を張り合わせます。
爪をこしらえてっと。
自分用よりごつい、1.0mmで爪を組み付け。
特に意味は無いけど。
どっちでも良いのです。
床下機器を当てたら、まぁ予想通り基盤が分厚い。
これ削るの骨よ。
金ヤスリで削り始めても、埒が明きません。
しょうがないのでサシを当てて、削りたい寸法をPカッターで
削ぎとっていきます。
切り粕がデカイでかい。
削りまくり。
ノミで整えて・・・
またノミを研がないとね。
一発で刃が丸くなる。
出来た出来た。
すげー時間が掛かった。
0.8mm板を
2枚あわせにして
張り込んでいく。
それを、動力に張る。
こうすると接着面積が稼げて、強度が実用的になりますね。
がっちり固定。
比較。
まぁ、なんちゅーか。
自分用は雰囲気だけというのが解るでしょ?
誰も解らんってw
反対側は明日にします。
思った以上に時間が掛かった。
同じ固体の時間差モデルを平行して作るというのも妙な気分です。
↑これは案外時間が掛かるぞ・・・
ここ数日の糸切れ蛸のような状態もよろしくないので。
色の調色なんかしていたら
白緑色が大量に出来てしまったというオチ。
気分切り替えに躍起になるのが解りますね~。
で、営団6000ハイフンなんぞブラスクリーンに漬け込んでみました。
汚くなっていたしゴミも相当こびりついていたし。
あら、すんごい色んなゴミがドンドン落ちてくるわ。
思いがけず綺麗になっちゃった。
で、
ちょっといじってみる事にした。
直接は触らないように「二トリル手袋」という・・・まぁ、衛生手袋を使っています。
ガボットな。
そう、私の手って、物凄いごついのです。
特に何するわけでもなく乾かして行きます。
あららん。
綺麗になっちゃったわよん。
ちょっとやる気が出てきた|`・ω・)ノ
耐水ペーパー600番の上で、ゴシゴシと下辺を整えました。
半田の盛り上がりを金ヤスリで削ったり
回転砥石を羽目たリューターで削って
きれいにしていったら段々とやる気回復。
このキット、ドアを一枚一枚張っていくのよね。
チョット面倒なのさ。
瞬間接着剤で張って行きます。
半田である必要はここについてはありません。
一枚一枚張っていくので手間は掛かります。
ぺたぺた
とりあえず1台張りました。
これは私分のものです。
試作的にやってみるんです。
このまま瞬間接着財だけでは不安ですし、これからやる作業コミなら十分な強度の方法を考えます。
動力を仕込んで行きます。
鉄コレ動力を嵌めて行きます。
採寸すると1.1mm程度、車体内寸を狭めることが必要とわかりました。
用意した材料はこのようなもの。
幅4.8mmなら簡単に動力を取り付けられる秘策?がありますし。
まず0.3mm板を
カット。
ドア間に張って行きます。
この辺り普段より数倍手間が掛かりますね。
一枚ペロッと張れば良いものではないので。
ドアが内部に盛り上がってんですもの。
で、0.8mm板を張ると。
これは一枚モノでよし。
が
ドアの部分には隙間が開きます。0.15mm程度。
そこに瞬間接着剤を充填。
しっかり充填。
反対側も同じ工程を踏んで行きます。
両内面張り終えたら、動力を仮組。
ピッタリよ♪
幅ピッタリに収まりましたね。
動力を止める爪は、0.5mm角を用いて
カットして
プラ板の上辺、ドアの部分に張っていくと、丁度動力が正しい位置で止まるんです。
これは簡単。
更に真ん中に3mmにカットしたさっきの0.5mm角を張ればストッパーになります。
ジャストフィット!
実は若旦那分は床下がメーカー標準であるのですが、私の分はジャンクがもとなので、床下機器がありません。
ので、鉄コレ動力でもあることから
哀れ。
鉄コレ秩父300型が床下機器の捻出先として召し上げられることになってしまいました。
ホワイトメタル製のメーカー床下機器に類似するように並べ替えて行きます。
パッと見、雰囲気が伝わる程度にしました。
楽に組みかえることだけでも成果があります。
考えてみれば、これは営団5000系にも応用できるやり方ですね。
この秩父300を探そうかな。
ドナーとして。
反対側もイメージ優先で。
哀れ取り捲られた秩父300.
抵抗器は別の鉄コレ南海のものを召し上げて仮付けしてますので、実質殆ど奪われてしまいました。
召し上げたほうは平気な顔して製品のように取り付けられています。
台車は仮にFS510を。
阪急ミンデンタイプの台車が鉄コレで出ていないんですよね。
東武ミンデンはあるのですが、全く似ていません。
雰囲気は充分出ています。
いきなり進んだ感じ。
何となくいけそうなので、若旦那の分も始めましょう。
↑これも配管がありますからねぇ。
※京成帯色について、まことにたくさんの方から「イエロートレインにあるよ」と情報を頂きましてまことにありがとう御座います。
追いかけイエロートレインに通販を申し込みたいと思います。
さて
一度若旦那の許に旅立ったサハ103-775が
帰ってきました(;´∀`)・・・
色がやっぱり濃すぎたようです。
で
資料車両と供に。
KATO クハ103がやってきました。
いじりませんよw
で、
ん?
ん?
んんん?
こ・・・これは
古のウルトラスーパープレミアムモデル
KATO201系「試作車」じゃぁないすかw
良くこんなの持っていたな・・・。
ネタ仕込みに違いありません。
こんな触って怖いのは、すぐ戻すことにしますよw
で、クハ103と比較
あー、色がやっぱ濃かったか。
調色しなおしだな。
103系と201系を比較したら、違うことは違いますが、今回ほど違いません。
並べてみると、このくらい試作車は全長が長いんですよね。
やっぱ濃いです。
さて、明日にでも剥がしてもう一度塗りなおしましょう。
今日もへとへとにしんどいのです。
仕事が詰まって詰まって・・・・。
↑京成帯色情報を本当にたくさんの肩から頂きましてまことにありがとう御座います。
心落ち着くことはなかなか無いのですが強制施工です。
昨日の記事を書いた翌朝。
札沼線電化の一報が。
いやぁ。なんとま。
「補正予算に計上されただけ」ですから果たして信憑性は確かなのか怪しいですがね。
さて、京成。
ここからスタートです。
傷だらけだった妻板に
サフェーサーを吹いて目止めしました。
他の2両も質感あわせるために吹きつけ。
どうかなぁ
L字に組んで
枠にして行きます。
ぎゃ!
やっちまった。
完全乾燥させてから、シルバーに耐える成型しなおしをしなければならなくなりました。
まずは箱に組んで行きます。
6台の箱が出来ました。
帯の塗装どーすんのよw
デカールがあればそれに越したこと無い感じですよねぇ・・・。
どっかに無いかな?
↑6連まで作ったらまたとそうで嫌気さすってのにね
記事書いて約10時間後の追加
なんと札沼線電化の一報が!
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/164917.html
PDCが一気に消えることになりそうです。
モデルを作るお時間がどうしても無いので間埋めです。
キハ141、キハ142、キハ143、キサハ144はご存知のとおり札幌圏の主力気動車となって既に改造からも16年が経過し、
改造車両とは思えぬ存在感があります。
先行改造車だった141-1と142-1は早々と廃車解体されてしまいましたが、記録に無いほかの車との相違があったのかもしれませんね。
運用離脱直前は団体運用が多かった両1号。
なにか扱いづらい部分があったのかもしれません。
写真は両1号車の運用離脱直後。
苗穂工場で解体を待つキハ142-1
あいの里側がキハ142で、苗穂側がキハ141というルールがあります。
形式間の違いというのはWIKIででもお調べいただき、外観上の差などを出してみようと。
上記1号は見た目では差が感じられませんでしたが、
基本的なスタイルは変わりません。
キハ141-10ですが、元もとの車掌室を運転台に改造したこと。
141と142は非冷房であり、屋根に排気管が増えたことと、業務室側の扉が埋められたこと。
キハ141-9
運転台が設けられた車掌室部分の乗務員扉は、
マスコンなどの運転台機器の関係で広さを確保するためか若干後退して設置しな直されたため、2枚上と扉の位置が異なることが確認できます。
元もとの妻面車掌窓はこの向きの1枚だけ残っておりますが、ほかは埋められています。
141の排気管はよく見ると業務室の角に立ち上がっていますね。
基本的にキハ141とキハ142は同じ番号がペアを組んでおり、ばらして運用することも多い系列ですが、141と142が2連を組むときは、
やりくりしてセットで繋がれ戻ることが暗黙のルールとなっている模様。
元のオハフ51に初期車10台とその他で2形態があったため、改造後はランダムながら戸袋窓に2形態があります。
上の写真でも既に確認できるのですが
合成して比較するとこのように戸袋窓が全く異なるものが入ります。
模型で製品化されているマイクロエースの51系客車は、基本車両が左の初期戸袋窓。
再発売の際製品化されたオハ51-41・3扉車は右の後期型の戸袋窓です。
(まぁ、戸袋はともかく客窓の縦横比が異なる致命傷がありますが・・・)
1から14まで順調に作られましたが、唯一継子となるものが存在します。
キハ142-201がそれです。
本当はこの車、パワーアップ型とも言えるキハ143になる予定ではなかったのか?
しかしこの201、キハ143の登場後に改造されています。
運転台も細かい部分でキハ143の仕様で「なぜキハ142で作ったの?」という感覚はあります。
キハ143-105になれば良かったのではないか?という疑問は残る車。
143から実用化された半自動ドア回路を持つことから200番台とされたもので、
主な運用はフリーの編成のあいの里側先頭車増結遊軍となっている模様。
(苗穂側の予備ではキハ143-155、156、157があるのですよね・・・。)
見た限り、このように141-142に追加される連結が多く、
または143-144-143の編成に検査欠車が発生すると143や144の代わりに連結される便利物となっている模様です。
遊軍が足りなかったのか、キハ142-14にも半自動ドア改造がなされ、114になっていますが概ね141-14と運用を供にしています。
キハ142-201は例えばこのようにキハ40-300や330などとも組むことが多いです。
141-142は非冷房であり恐らく改造されることはもう無いでしょうが、
そのため冷房化進んだこの路線では夏季は運用を外れることも多くなっており、
計29台も存在するキハ141-キハ142は夏に良くある波動運用に勤しむことになります。
例えばこのような運用で、これはマラソンイベント輸送にぶつ切り2連×3で6連の臨時列車運用に入り、函館本線塩谷駅で捉えたものです。
今は殆ど無くなってしまいましたがマヤ検の動力車になったり、
夏季のイベント列車でもあるバーベキュー列車の動力車になったりする運用が多くなります。
初年度はわざわざ塗装まで変更した気合の入り方で、函館に貸し出されました。
貸し出される直前の姿ですが、運用終了後はすぐに復帰。残念。
なお、12号は142が後期型戸袋の車。
キハ141-12が小窓戸袋です。
外観上の変化も大変少ないので、自分が見かけたイレギュラーは上記のカラーのほかは
マラソンイベント時のキハ141-11がなぜか扉を帯無しで姿を見せたときぐらいです。
他にももっとマトモに撮った写真があるんですが(苦笑)
デジタルネガにしていないものがあまりに多く、デジタル化したものはホント酷い写真ばかりで(反省)
で、141-142が一応の成功を残したと考えられたのか、パワーアップ決定版のキハ143が登場しまして。
キハ143-101
クーラーが標準装備となり、電動方向幕準備も完全撤去した形になっています。
床下だけ見ると、キハ150とほぼ同等のパワフルな内容ですね。
屋根上ではベンチレータをふたした状態で撤去。
排気管も141-142と異なる場所に立ち上がっています。
このほかに細かいことでは側面窓下の給油口も場所が違います。
連結面側は窓が完全に塞がれました。
運用線は平坦路線であることから、143の3連に際し中間にはキサハとすることになって、キサハ144が4両用意されました。
キサハ144-101
登場時、何故か1両は便所が残され101から103と151という登場。
なおかつ冷房なしでデビューしているんですが、結果的に全て便所なし、クーラーも後から別エンジンを積んで冷房化されることになっています。
台車は廃車発生に逆戻り。
が、発電ユニットは外観を見る限り
大変懐かしい10系寝台客車のエンジンのそれと極めてよく似たものを吊っています。
新品であるようなのですが、どうも10系寝台車などで多く利用された電源エンジンの改良版だそうです。
その燃料タンクも廃車発生品ではないかと思わせる旧来の気動車の燃料タンクそっくりであり、大変興味深いものです。
偶然ですがキサハ144は101?103が戸袋小窓、元151の104のみ
大きな戸袋窓の種車です。
キサハとはいえ、冷房関係で床下は非常ににぎやかです。
また、これもオハフ改造であり、オハ改造でも良かった気もしますが、元業務室には配電盤を設置し、
室内はドアを中心に広々としたデッキとなっていることから、オハフの意味はあったんだろうなと感じる次第。
143と144は組み合わせの相棒であり、
144が非冷房チームと組むことは前述の142-201や142-114の出張以外基本的に無いです。
141-144-142という編成がキサハ非冷房時代の初期にはありましたが、やはり所定出力に若干足りないのでしょう。
144の形態差異は戸袋ぐらいですが、143については実験改造された車が存在します。
映りが良くは無いですが、104にのみ、前面への雪付着(主に編成後端になった際に雪を巻き上げて前面窓ガラスに張り付く)ことを防ぐため、
整風版が取り付けられたものがあります。
785系や781系で実用となっていましたが、この系列では104のみの取り付けで推移しています。
拡大!
編成後端になった際、整風版で取り込まれた風が前面真下に降りかかり、ガラスに雪付着を防ぐシンプルなアイディアです。
キハ143と144は見たところ、やはり末尾で揃えた編成を組むことが多いようですが、
キハ143-100 キサハ144 キハ143-150 となると概ね末尾4までが3連を組むことが多いようです。
143-100が欠車する場合は前述の142-114や142-201が、
143-150が欠車する場合155、156、157が入るようですね。
写真は末尾3の編成。
これは末尾4の編成。
ただし完全な規則性は無くキハ48やキハ40のパワーアップ車が入ることももちろんあります。
解りづらいですが、キサハが欠車したときの編成例
先頭はキハ143-157ですが、2両目以降は(143-151)(143-101)(141-5)(142-5)(142-201)
でした。
学園都市線は2連から6連まで幅広く組まれており、規則性までは理解していないのですが、6連から2連までバラエティ豊かに見られます。
2連は冬季に多いように思えます。
6連の例。
(143-152)(144-102)(143-102)(キハ40-330)(キハ40-330)(キハ48-330)
5連になると
(キハ141)(キハ142)(143-150)(144-100)(143-100)
という感じで組まれている様子が良く見られます。
4連は少ないように見えますが
北部を単行で運用されるキハ40-450の送り込み&引き戻しに4連が見られます。
キハ40-330やキハ40-300も併用されていますが、40系は40系で組むことも多い・・・かな。
多いだけで141系2連にちょこんと1台連結され、3連運用ももちろん多いです。
ただ、キハ40系だけで6連は今のところ見たことは無いくらいでしょうか。
ちなみに各系列の室内を
キハ141の室内です。
デッキが存在します。
オハフ時代とは座席が2-1になったこと、モケットが代わったこと、天井にクールファンという外気を噴出す換気扇があることくらいです。
キハ143の車内です。
デッキがありません(小さな仕切り壁はあります)
スタンションポールが存在します。
立ち席部分が拡大されています。
キサハ144のデッキ車内です
まこと広々とした空間となっています。
スタンションポールが結構組まれており、室内誘導の苦労でしょうか?
さて、まだこのものズバリのモデルは銘わーくす製以外発売されておりません。
いつかプラ製が出ることも楽しみにしたいと思います。
↑屋根も車体色なんですよ?
昼間ばてておりまして。
野球すらよく見てい無いという。
勝ったみたいですね。
ここからスタート
バリを綺麗に取り去りますね。
繰り返しに近いですが、富士川車両のステッカーでポンチ打ち
本当にラクチンだねこれ。
0.8mmドリルでドリドリ♪
どーりどーり
このように孔あけて、ノミで落として角孔にしますね。
はぁい!
パンタ台穴は0.9mmですよ。
浣腸を挿す。 (金鳥の夏)
二本も挿す。 (日本の夏)
と、ボキャブラネタなんてだれもわかんねーよ。
やはり富士川車両のパンタ台を接着。
ヒューズ箱はタヴァサの103系1000番台用。
友人MYと話していたところ
おれ「ヒューズ箱からの線をやってみようっかなぁ」
MY「やりゃぁいいんすよ」
はーい。
その言葉に勇気を得てやってみます。
0.3mmでドリドリ
折れないようにクヌクヌと抜いたり入れたりします。
ドリルの目地に削りカスが詰まると大変折れやすいので、一回一回抜いて取り去ってもう一度挿す。
細いタイプの一般的な0.3mmドリルで最後仕上げます。
この部品、大変出来が良くないものが多く、今回はずれたものから更に選別するしかありませんでした。
削ったりして誤魔化した。
歩留まり悪いのがこの部品の欠点。
ドリドリ♪
ね、削りカスがドンドン沸いてくるでしょ?
何回かに分けて貫通させます。
焼きなました0.25mm燐銅線を挿して行きます。
くぬくぬくぬ!!!
えいやえいや!
ふぅ。
これだけしか今回配線しませんよ~。
でも随分良くなりました。
自分のものなら簡易にしている気がするんですがw
いやいやいや・・・・。
普通は自分のものなら拘るだろうって?
だって手持ちの京成・京急・都営シリーズ全部別配線になんか出来ないもん (-∀ー)
↑近々、例の場所で焼肉運転会またしましょう!