鉄道模型工作記録帳

モデルアイコン・札幌コムモデル情報は下記に移動しました
http://blog.goo.ne.jp/modelicon

若旦那の荷物客車6

2010-01-31 23:26:00 | 単発モノ!色々突き進んで作ったもの♪

考えてみたら、来週の今頃は

特攻野郎Aチームのごとく。
東上&必死こいて運転しているはずです。

うそだろー。
ほんとさー。

後部座席に控えていたら、リニアにアップでもしますか。
いや、その役割はミクシィだな・・・。


取り出しましたペットボトル。


刃を入れます。


このように開腹・・・ってわからねぇじゃねぇかw


切れ端見たら判ります?
上だけ開口したの。


ブラスクリーンを入れるための小道具でした。

たっぷり注げて、戻すのは飲み口から戻す。


定鉄さんも塗装です。


ブラスクリーンオッケー。


洗面所です。


戻して・・・・。


クリームクレンザーとマジックリンで洗って。


エアーで水を切ります。
てか7kパスカルそのままぶち当てるので、もちろん車体は衛生手袋して手持ちです。
これは単に片手で撮るためのポーズ。


さぁ、塗装よ!


ミッチャクロン~軽くグレーを吹き


ガイアの白を吹く。


まず定鉄から。
これはフェザントグリーンに吹きます。

そんな色無いし。
強いてあげれば京阪ダークグリーンが近いかも。


純色を使ってみます。

ぶっりゃけ後で後悔してます。


適当に黒と灰色で色を練ります。
ところがこれ、結構・・・てか全く。


隠ぺい力ありません。

吹き心地はとてもいいのですが・・・・。

ですから


吹くたんびにどんどん色が濃くなるんだけど、それが止まらないのです。
このままじゃ、本当に黒っぽくなりすぎる。


ムラが出る。
回り込まないところは色が浮く。
凄い絞って段差とか真直に吹かないと色が浮く憂く浮きまくる。


う、やばい。
色むらが凄すぎる。
色のトーンはいいのに!


しょうがないので、白を若干足し、薄く全体を吹いて深まる色を止めました。
ちょっと新車時のような色よりほんのり若干経年っぽくなってしまったけど、案外悪くありません。
2個上の色より色が転んでいるでしょ?

灰色成分は錯覚が働いて隠蔽してくれるのですよ。

なんせ、非常に粋な色の緑で、それでいて大変濃い。
京阪ダークグリーンでも正直、濁りが気になるのです。

旭川電気軌道に使った練り色でごまかせばよかったかな。
いいや、こっちの方がちょっとだけいい。

一方ワサフ
モリタの青15号を出しましたけど白成分が半分固まっていました。


新兵器

これ実験です。


凄いとだけ言えました。
あっという間に溶けて使いきれましたし色も充分攪拌できました。
なんで?
ねぇなんで?

青15号はあまりにイージーな塗料です。

苦労なく。


ムラ無く


あっさり吹き終わり。

GMの青15号は黄色成分が強すぎて好みではありません。

今日はここでおしまい。
さて、間に合うのか!!!

若旦那に手土産が出来るのか!?



   ↑ぶっちゃけ自信なし!


朝6時の札幌駅

2010-01-31 14:29:00 | Weblog

友人KWが東京から戻ってくるのでお出迎え。





いっそげいっそげ。



よく思うんですが、北海道人(自分含め)の雪上走行速度ってキチガイだと思う。





誰も居ない札幌駅。





早朝の駅というのは大好きな雰囲気です。

5番線の千歳空港行「普通」ってこれ2本くらいじゃないのかなぁ。

空港への通勤電車ですよね。



ただ13分発と34分発って着時間ほぼ同じか逆では無いか?



その空港一番列車になるはずの編成。





運転台なんて覗いてみた。





色さしのお勉強。





隣にも同じ721系が





見たい列車のひとつ。

苗穂機関区所属の長躯普通列車。

朝6時発旭川行

これがはまなすと接続していないのが非常に惜しいと思われます。

はまなすは7分着。



18キッパーは恨めしげに苗穂駅辺りですれ違うことでしょう。



「新札幌駅5:55着で降りて、厚別駅6:14発まで 新札幌駅にタクシー控えさせて、走る」という豪腕もありますが。

ちなみに乗車時間4分見ておけばいいので、充分間に合います。





その列車がこれです。

札幌駅6:00発 旭川駅8:55着

札幌駅発長距離?鈍行でキハ40原型エンジン2連

古きよき?普通列車の体裁です。

3列シート改造車なのはご愛嬌。

逆言うと

旭川駅に乗り入れる唯一?の3列シート車両です。



根室本線運用の送り込みですね。

滝川ー新得(落合)間の車両はこれです。



折り返し旭川駅10:24発の滝川行となるはず。



ちなみにこの列車は旭川にたどり着いたと思いますが、この日。

この列車が1回目の深川駅を停車した3時間後

折り返しの深川駅到着後70分後に

(その後この車両が滝川駅到着4分前に、罹災した798系1005編成が13号として旭川に向けて走行しながらすれ違っているはずです)



間を置かずにスーパーカムイ24号踏み切り事故が起きてしまいました。



本来、滝川駅でこの車両が、落合駅行になるべく、滝川駅1番線(だったと思う)でまどろんでいる間にその横をスーパーカムイ24号の当該列車が抜いていくはずだった車両です。



犠牲者が出なかった奇跡的・かつ789系の衝撃吸収性能を遺憾なく発揮された不幸中の幸いの事故でした。

過去の事故に習った対策が採られたおかげで、高速走行中の事故で犠牲者が出なかったのは本当に幸いであり、最新JR北海道電車の高い安全性が証明されたといって過言では無いでしょう。

お怪我された方の速やかな回復を祈願します。





この運用、記憶が間違いなければ3交番であり

一日旭川と滝川で滞留時間が変わったと思われ、

この車両はいつ戻れたのかなと。

(たしか本日に戻るのが本当のはずだけど、どのようになるのかな?)



その発車シーン動画



話を戻して。

苗穂機関区のキハ40-700は

札幌から離れたところのピストン運用が中心で案外札幌駅に入らないので貴重な撮影時間でした。



残念ながら対抗ホームには721が据えつけられており、これは、夜討ち朝駆け出社前とかに、わざわざ撮影に来るところでもなさそうです。

(苗穂駅でも4番線ですからねぇ。厚別まで行かないと対抗ホームがありません)

 

やはり苗穂区のキハ70-700は小樽駅と滝川駅でめちゃめちゃ地道に撮り潰すしかなさそうです。

それが判ったので、以前の撮りつぶしも果ててしまったのでした。





ドアチェック時の不思議な光景





その2





ナホ区





キハ40-819と





キハ40-822



早朝はほかの長躯普通列車の出発時間でもあります。



6:12発小樽方面然別行キハ150の2連

然別で50分待って乗り換えると11:13分長万部着です。

札幌駅7:15分の列車で小樽乗継に乗っても変わりませんけれどもね。



11:13分に長万部についても、30分前に函館行普通が出てしまっています。

これも歯がゆい。



大沼公園まで北斗8号にワープしちゃえば、13:25分に追いついて普通列車で函館に行けます。

その流れだと上野駅まで行くとして一ノ関で駅寝して上野駅には14:56分



そーじゃないと長万部13:24発まで2時間以上待ち、函館着は16:12着。

そうなりゃ実は、蟹田と宇都宮で駅寝する羽目となり、もうほぼ詰みです。



18キッパーにもう少しやさしく・・・ならんわなぁwww



奥羽経由はわかりません。



昔この列車に相当する列車で上野に行ったんだけどなぁ。

16歳の頃。

ちなみに花巻温泉で寝ました。





711系が始業点検を受けていました。

録画して置けばよかった。





学園都市線用PDCがやってきました。

回送で当別まで行くようです。

小窓戸袋タイプですね。





末尾13の編成は2両とも小窓・・・・っとc⌒っ*゜ー゜)φ メモメモ...





めろめろ





ぽこぽこ







さてその間に



本命登場。



その到着シーン動画









この編成



? スハネフ 14 551 B寝台禁煙 札サウ

? オハネ 25 15 B寝台禁煙 札サウ

? スハフ 14 555 指定席禁煙 札サウ

? オハ 14 515 指定席禁煙 札サウ カーペットカー

? オハ 14 505 指定席禁煙 札サウ ドリームカー

? オハ 14 508 指定席禁煙 札サウ ドリームカー

? スハフ 14 508 自由席禁煙 札サウ





でした。

最近の以前、友人KWが乗った数々のはまなす編成(彼はある企みによってこの半年で既に11月2回、1月2回の計4回乗車)と同じ車両あり、違う車両あり。

但し、スハネフ14-551とオハ14-515とスハフ14-508が、スハネフ14-552とオハ14-512は今のところ組み替えられておりません。

あとは随分目まぐるしく組み替えられています。



ああー、お帰りなさい。

1月10日(日記は11日記載)の千歳駅万歳以来でございます。

友人KW

次は2月中旬かな?

(いくら乗り鉄大好きのKWでもソロソロ飽きてきたか?)



ああ、やっぱ札幌と東京は鉄道では非常に遠い道と感じます。

アレだけドM級の鈍行厭わぬ乗り鉄大好きの友人KWが「普通列車じゃなく北斗星で帰りたい」と申すくらいだもの。

鉄道衰退するわけですわ。



(さりげなく鬼発言・ちなみに今回はすべて座席特急)



あ?今度自分は車で行きますが何か?

カートレインがあればよかったのにねぇ。









   ↑はまなすが上野まで行ってくれりゃぁねぇw


若旦那の荷物客車5

2010-01-31 01:05:00 | 単発モノ!色々突き進んで作ったもの♪

ノ(´д`*) あらご無沙汰。

貧乏金無し!
いや・・暇なし。
ちょっと先週実は猛然と仕事に忙殺されており、にっちもさっちも行かなかったのでした。

それでも貧乏が解消されるとはまだ見えておらんので困るのです。
自分のは社会人当初はバブル崩壊不況とはいえ忙しければねぇ。
微々たる希望が見えたものですが。


嬉しいもの戴きました。
七味本家の山椒。

これに目がありません。
冷凍しながらちびちび使います。
これ使うとSBなどの大手香辛料メーカーの山椒はちょっとご遠慮させていただきたい。

すっげえええ割高ですが、手放せません。
★使用法
・カツ丼・親子丼・ザンギ丼・チキンカツ丼など
・チャーハンに最後に紅しょうがと
・秋刀魚の塩焼きに
・ホタテの刺身に
・卵掛け飯に

などなど。
地味に年間4袋は使います。

これ、結構な消費量だと思う。

うな丼だけではないですよ。


思い出したように取り出した荷物車。

東京出張が3月までに3回も決まり、下手すりゃ2月~3月上旬に間欠20日間も東京に居る羽目になるかもしれないと。

「流石に火がつく若旦那の作り仕掛!」

5日までにある趣味文も書かねばならないし。

実は6日には

車で東京に行かねばならないし!!!
(つまり帰っても来なくてはならない)
出発日は大洗航路も仙台航路も都合が悪く。

青函航路って何だよそれw
(つまり19時間30分は2名交代で連続運転しなければならない)

なんというわが仕事。
長距離トラックさんのような仕事ではございません。
普段は「デスクに齧りつくか、営業職」ですよ私。


さて、テールライト取り付けます。


まずは0.8mmドリルでザクって見ました。


付属のテールライトの光ファイバーを挿します。


びょん♪


うーん。
どうせこうなるなら


内径0.8の外径1.0にパイプ使って開き直っちゃおう。


こうやってさ


これなら光漏れも全く気にしなくて良いし、長く伸びたパイプで補てい出来るよね!


ついでに


えいさっさ


こうやって室内灯ユニット作ってみた。


車掌室だけだから1灯でよかろうもん。


1.5mmの光学繊維でいたずら。


こうやってリューターで適当に傷つけて


微々たる光の拡散ww


エポキシで取り付け。


テールライトパイプも整えたら、結構いい感じになりましたよ!
挽き物を差したみたいに。


部品も半田付けして、塗装準備できた!

ああ、なぜか坂本冬美が心にしみる。
いきものがかりの若さに嫉妬する。




   ↑ネットジャンキーのお父さんって凄く嫌なものです。(;´Д`)


営団5000系のエトセトラ

2010-01-26 23:11:00 | 大 英 断! 大 営 団!

営団5000系は学生時代利用せざるを得ないほど乗った電車でして。
そのころ写真を撮り捲くっておれば今頃大変貴重な資料となったでしょうに。
すっかり何も撮らず卒業し、全滅直前に張ったのみというオロカしさ。


5813ですが、これも社会人として出張になってから適当に撮影したのみでして。


反対側の5013もこの通り、深夜の東陽町車庫で出張レンタカーから撮ったのみ。

私が西葛西に住んでいた平成3年から平成7年の間、05系がじゃんじゃん増備されており
最期の組み替え大作戦直後であったと思います。
5000系の非冷房車は全て5+5の編成に組まれ、
貫通編成は順次冷房改造に突っ込まれている状態でした。
7両編成は全滅直後であり、放送では「10両編成の快速電車・・・」などと言っておりましたが私のときに7連は既になかったのでした。

7連こそ無いものの、アルミサハがスキンステンレスの編成に混ざった編成、
301系と103系1200番台編成の5+5
103系1000番台地下鉄復帰
窓とりどりの5000系冷房車
徐々に非冷房車は廃車の運命に走っており、
在学中にはアルミサハがリサイクル回送のために深夜の西葛西高架線を3連の5000系に押される形の4連で東陽町から行徳車庫に推進回想されるシーンも偶然見ました。

すまいは西葛西と葛西のちょうど中間点の高架脇のマンションの一室であり、窓から顔を出すと電車が見える場所でした。
中葛西3丁目という場所に住んでおりました。

な ん で 撮 影 し な か っ た ん だ 馬 鹿 や ろ う。

悔しいですねぇ。


時既に遅しの頃に取ったもの。

ある出張に際し、葛西の宿に設定し、「ここ逃したら永遠に駄目かも」と早朝仕事に入る前から葛西駅に1時間陣取り最後の撮影をしたんですね。


5808


殆ど全てインドネシアに行ってしまう直後です。
その中野戻りの5808


アルミ車両で整った外観が素敵だった5950


5809
奥に見える「ソフトウェア情報開発」ビルの線路側手前の4階建て白いマンションの1階が私の住処でした。
正直、またあの部屋を借りて住みたいです。
金があれば借りっぱなしで東京隠れ家にしたい・・・。
当時6万円もしましたっけ。

現在は築23年くらいになっているのかなあ。


5807


学生の頃にはなかった移籍車両1041


同じく1061
なんでわざわざ戸袋まで全て埋めるまで改造したのかな。
非冷房車を徹底的に改善しており不思議な気持ちでした。
クーラーも異なりますね。
筋がついています。


西船橋方面戻りの1041

最期の数編成はこれで全部だったのかわかりませんが、形式写真も撮りたかったものの、編成写真も撮りたかったのですよ・・・。

個別の床下については友人から頂いた写真があったのでとらなかった記憶。




屋根上。(もらい物写真)


保存されるはずが結局解体となった5001(もらい物写真)


保存されたばかりのときの5833


もう荒らされてゴミ同然と聞きます。


どうもメトロマークはいまだに馴染めません。
JRマークアレルギーに近いものかもしれません。


若旦那撮影・1980年の綾瀬支線5000系
奥にも本線5000系が見えますね。


現代の綾瀬支線5000系


アルミ車がここに居ついたんですね。
5951の編成は5+5だったはずですが、中間ドアはクリーム色の「先頭には出られないドア」が東西線当時付けられていたと記憶しているのですが、どこからアルミドアを調達したのでしょう。


いまさら撮影しても遅い気がする角度など


まぁ、前もこの写真は出したのでこれくらいで。


車内は学生時代の更新室内のままが嬉しいですね。

さて、平成8年頃に友人を中心に調査した資料など。

Hゴムの色分けなどかなりのバリエーションがありました。
まぁ、ゴム劣化や割れれば交換していたのでしょうから瞬間芸のようなものです。
白ゴムは黄土色がかった劣化色でしたね。


一方戸袋窓は部分部分で違うことはなかった模様です。
それにしても統一感の無い編成ばかりでした。

共通しての間違いがこれにはあり、5252は事故廃車で代わりに5254が入っています。
なんで当時間違えたかな。

90編成・91編成はアルミ7連組み換えが良くわかる・・・
でもね?スキンステンレス編成に嫁に行って一足早く廃車となったアルミサハって黒ゴムだったっけ?


こうしてみると面白い・5000系編成。
白地は貫通ドアが山側方向の開き向きだったかな。
とにかく貫通ドアが一方に開くように統一されていました。
引き代の無いほうが2段窓となっておりました。
しかし、MC2とTCの接続点となる5100型、5900型中間車はその向き合いに簡易運転台があったので、どちらともHゴム窓が嵌っており、
5300型後期はどちらの妻板にもドアが無くどちらも2段窓が嵌っておりました。

で、ややこしいのは本来TCの場所に入るべき?ところに5200型(5300番台突入車両含む)や5600型が挿入されている編成がこの当時で5編成あります。

電装解除車両ですが、5900型に改番することなくサハ化しており、ややこしい限りです。(まぁそれのおかげで前文の謎が閃くんだけど)

7連に5300番台・5100型・5900型の5次型3連中間車をそのまま入れればよいと思う反面、単純ではなかったようで番号が乱れ捲くっております。


で、こうしてみると違う観点で判りやすいのが戸袋。
基本的に戸袋無しに注目するのが5000系の第一歩。
元から戸袋が無いものと、後で埋め立てたものの途中でやっぱり埋めるの止めたため、ややこしくなっております。
先頭車両で元から戸袋窓がなかったのは例の荒川鉄橋転覆事故で代替新製された5818・5252号車だけですね。
あとは後天的戸袋埋め先頭車というのは有名な話かと。

この表で後天的戸袋窓埋め車両は、「西船橋側で5818と5252以外の1両目~3両目、中野側の1両目~2号車がまず当確で、中野側3両目~4両目が元から埋まっているものと後埋めの2種があったように思います。

組み合わせを変えれば、全戸袋ありが更に1本と全戸袋無し編成2本に最低限組み替えられるようになっていると見えますが、実際は全戸袋無し編成はついぞ10連では現れず、
ぐちゃぐちゃの窓有り無しが楽しい系列でした。

結局全部戸袋窓あり編成はごらんの3本+アルミ車で、5000系ラスト編成はほぼ戸袋ありの初期車両編成だったのです。
これは、何故だったんでしょうね?

ちなみに内装色は確認できなかったのですが、新製当時の濃いベージュ色と後期更新室内のホワイト系に2種類でした。

初期更新まではベージュを使っており、やや暗い色合いでした。
初期更新で積極的に戸袋窓埋めをしておったのですが、後期更新になると戸袋埋めをやめてしまい、その代わり粗いメッシュの扇風機も細かいメッシュのものに取替え、内装もホワイト系に、ゴムは積極的に黒ゴム化となっていったはずです。

記憶によると、この内装色の違い、戸袋Hゴム色とリンク度が高く、戸袋窓があって黒ゴムの車両はホワイト系内装だったはずですが
「記憶に間違いがなければ」少数戸袋窓無しの車両にもホワイト系内装車両が居たはずです。
ただ、本当に少なかったと思うんですけれども。

なんせ今のように簡単に画像交換も出来ない時代、デジカメって無い時代ですから目視と記録、その文字起こしが全てですので微妙に間違いがあるかと思います。

しかし調査に協力してくれた友人TTには感謝です。

あれ?
「じゃ、GMのキットは5807~5809には出来るの?」
と言うところですが、実は正解は×
側窓に2種類があり、角Rがきついものと大きなRの二種類がありどの戸袋窓編成も混在しております。
そこを気にしなければ、5807~5809のどれかに付けると自然かと思います。
言わなきゃ気がつく人は少ないですけどね。

つまりGMキットも過去の真鍮キットもそのままリアルリアルに組めるのは・・・
イエロートレインキットだけのはずです。

ちなみに非冷房と冷房の車両では帯の色と屋根の色が異なっておりました。
非冷房は帯色が薄く、屋根色は大変明るい灰色、廃車間際はさび色を軽く吹いた感じ。
冷房車は帯色は鮮やかな青で、屋根もウレタン系塗料を塗り上げたようで、青味の掛かった濃いグレーでした。
同じ色ではちょっとイメージが異なります。

限りある中で平成8年のベスト統一感編成は5807の編成ですね!
しかしこの編成も詳しい調査無しですが、廃車直前は5213のところに戸袋無し車両が入っております。

これが証拠。
全体写真は上にあります。
そんな時期に埋めるはずは無いので、廃車編成から差し替えたのではないでしょうか?


   ↑部分的に間違いがあると思いますが、概論として捕らえてください。


マニ30がやってきた?

2010-01-25 01:22:00 | 模型工作雑ネタ日誌

友人に誘われて、
西の里に構えていようぜと。

その列車は来たんですよね。


連写連写!


2両目にあるもの。


目的の現金輸送車・マニ30の最期の走行姿です。


これが「動いているマニ30」の最初で最期の姿でした。
この40分後・・・

場所は札幌貨物ターミナル。

既に編成から解かれて、作業が開始されていました。


若干物々しい雰囲気?

その翌日


既にトレーラーに乗った状態でした。
これはびっくり。

撮影許可を得て、撮影開始。
レールに乗っていないようになると随分ゆるかったのでまた驚き。


はみ出しが凄かったです。


係員さんは近くに5人居ましたね。


オタは私だけ。







舐める様に取り始めていました。


今考えても幸せなお時間。




きれいでしたよ。
今考えるとこっち側は博物館でも見られない角度ですね。












ディテールの観察し放題でした。




よく見るとアンテナが既にありませんでした。




発電機。


発電機


発電機


反対側


GMの客車キットでおなじみの発電機。


これも今では見られない角度。


これはどこだ・・・?
奥に係員さんが・・・


足掛けの形





ボルスタですね。


ボルスタ。


エロい写真です。


手ブレーキ







よくわからないけど床下。











あまり意味の無いカットも。
























参考になったでしょうか?



   ↑撮影から何年経過したっけな・・・?


津軽鉄道キハ2403でゼロヨン競作 12

2010-01-24 04:19:00 | ディーゼルカー浪漫?

ちまちまと。

ここ数週間週末的も休んでいなかったんですけど、
日曜日は仕事しなくて良さそうなので夜更かしで時間稼ぎです。


裏側に銀を塗って、光漏れ防止。


レンズは銀河の汎用テールライトレンズ。


ヘッドライトレンズは三菱レイヨンのエスカ1.5mmを使用。


リューターに加えて磨けばいいんです。


まぁまぁいいかなぁ・・・。


まぁまぁ・・・・。
ちょっとヘッドライト明るすぎるけど。


燐銅板は今はなき福原金属のもの。



適当にカットしておきます。



テールライトはずるをして市販品利用。


赤いLEDがあれば使っていません。


ここに現物あわせでカットしてフレームにエポキシ接着剤で取り付け。


さっきの燐銅板にリード線をつけて


フレームに張る


配線すれば


まぁまぁの点灯。


一応すべて点いたけど・・・。

実際は室内暗いです。

で、ヘッドライトが困ったことに両方点きます。
ただLEDは別に問題なく、どうもモーターが常に逆電流を生成しているくさい。
後ろヘッドライトは点滅しかかっています。

こまったなぁ。
モーターにコンデンサー噛ませばいいのかなあ。



試走は・・・
まぁウェイトが無いとバランス崩すのか、若干良くありません。


ヘッドライトだけは素敵です。



電装系はちょっと上手にはいっていないところが多かったです。



   ↑勉強が圧倒的に足りない。


津軽鉄道キハ2403でゼロヨン競作 11

2010-01-23 01:56:00 | ディーゼルカー浪漫?


一昨日、林家喜久扇と


三遊亭小遊三の

落語に行ってきたんですよ。

笑点メンバーのキャッチーな物でしたが。

小遊三と喜久扇の。

喜久扇は「ジュゲム」やるはず?
が、何故か地元出身の前座の女の子・林家扇がやっちゃうし。

前座の弟子のネタが「時そば」だったのだが、コレが一番拍手貰うし。

小遊三はやはり十八番の「金明竹」なんだが、端折りがあったので原作以上に前半と後半がぶちきれており残念。

喜久扇は民主党袋叩きの前振りがドッカンドッカン受けたものの、
自民党歴代総裁物皮肉真似で時間潰して、いきなりぶった切ってネタに突入。
(てかテレビに影響されない噺家らしい「党派超えた政治斬り」は爽快でした)

それもグダグダの体力切れありありの「松竹梅」だったが、もうね、オチがダメダメ。
疲れ切って「喋りゴール届かないかどうか心配になって笑い損ねたよ」

てか「松竹梅」はあんたの十八番じゃねぇかwwww

喜久扇さん、政治ネタではしゃきっとしていたのに、それで体力使い果たしちゃぁ。

政治ネタは結構面白かったけどね。

昨年は三遊亭圓歌「中沢家の人々」は大変楽しめたのだが・・・。

さて。
偉そうに通ぶってますがおそらく落語好きには袋叩きでしょうか。


さて、本日は電装です。


いつもテールライトで躓くんですが今回も無謀に行ってみましょう。


電材です。


シール基盤を


普通の穴あき基盤に貼り付けます。


まず、ブリッジダイオードを


このように半田付け。
4線のうち、外側を母線、内側を整流線にします。


電球色チップ発光ダイオードを


極性に注意しつつ


よっこいせ


半田付け。


ハイよろしいでしょう。

でももちろんこのままでは電圧が高すぎますんで


チップLCD
S-153T 15mA(typ)
を使いましたが、ミス極性逆だった
○| ̄|_


片方角が落ちているほうがあるのに・・・。
こっちがカソード(-)です・・・。
逆向きには効果無しです。

実はそんなことも忘れてやってしまい。

結局抵抗に頼る羽目に。
意味ねぇ・・・。
室内灯にもLCD付けりゃいいことなのに・・・
意味ねぇ。


間違ってつけたLCDに気が付かない様子。


せっせと間違ったまま進行。


おかげで、ヘッドライトは起動電圧3V程度なのに


室内灯は6Vくらいからの点灯という間抜けなことに・・・。

ヘッドライトにLCDつけたんですが、それが前後で逆だったため・・・

前進と


後進で室内灯の明るさが違うという大失態。
しかもこのとき気がついていない!
このとき気がついていれば・・・・。

しかも


こうやって


偉い苦労して


抵抗まではめてから


いろいろと馬鹿な私は


多電球式のオリジナル室内灯を満足げに


パテで遮光してから


気が付くというアホさ加減です・・・。

はい、ヘッドライトは前後同じ照度ですが、室内灯が前後に走らせると照度が異なるという。
作りたくても作れそうに無い不思議な電装になってしまったのでした。
(;´∀`)・・・

LCDを間違って「結果的に互い違いのヘッドライトLEDに二個順列」につけたがために、片ほう向きの室内灯にはより多い電流が流れるのは自明のこと。

っまぁ・・・いーや。
どうせコレは売る予定が無い!!!!!

ヘッドライトが明るくて室内等が若干暗いのは良いことなんだけど・・・。
前進後進で差があっちゃぁねぇ。


間抜けな気動車は製作者らしく間抜けな一面を持つことになってしまいました。

次は窓張ってからテールライトだ。

こんどはLCDミスったら阿呆です。
おとなしく・・・でかいけど抵抗にすべきか?





   ↑気が抜けている証拠ですな


台車のエトセトラ

2010-01-21 21:34:00 | 模型工作雑ネタ日誌

コメントいただきましてアリガトウございます。
コメントになかなか返さないぐうたらブロガーで申し訳ないです・・・。

今度こうやってブログ日記でコメント返そうかしら・・・。

Blue.様から

++++++++++++++++++++

・タイトル

お久しぶりです。

・コメント

前回は記事にそぐわない内容のコメントをしてしまい、失礼いたしました。

今回は地元なんで是非協力したくコメントしますね。といってもあまり見掛けはしませんが・・・

さて台車枠の件ですが、単刀直入に申し上げると、使えません。

ボルスタ?でしょうか、台車の上の枕バネ?の形が違いますね。

この台車枠はモールドの形に対し、キハ125のDT601Kは標準的な円筒形です。

それと、この台車枠の下側についている簡易的なヨーダンパ?は

DT601Kの場合はボルスタの横なんです(円筒形の物の左)。

最後に、DT601Kは軸受けがコロ軸受けになっています。

形状としては標準的だと思いますし、コキ100系とほぼ同様じゃないんでしょうか?

++++++++++++++++++++
あ、やっぱりですよねぇ・・・。

ひたちなか海浜鉄道のときに台車を撮ってこなかったんで確証がなかったのですよ。

ふるさと銀河線のCR75の台車なら撮っていましたが・・・









あ、


全然違うかぁ・・・・。




   ↑一見いいと思ったんだけどなぁ


津軽鉄道キハ2403でゼロヨン競作 10

2010-01-20 23:45:00 | ディーゼルカー浪漫?

なんと、
前回記事
津軽鉄道キハ2403でゼロヨン競作 9
から10ヶ月!
開幕3連敗とか言っているし。
そのシーズン、リーグ優勝したとあの日の自分に伝えたい。


そんな間に鉄コレキハ04が発売され動力も発売される事態に。


じゃん♪


ポン付けできないわけなの、ハッハーーーン
好きだといってるじゃないのホホーー

年がばれる歌だ


分解分解分解


随分特殊な形のウェイトになりました。


キハ04にポン付けした動力を見比べます。


カットライン検討。


よし、ここだ!
いけー!!!


ぱーんぱーんぱーんぱーん
パンパンパンパンパカパンパンパン
byペギー葉山


1.5mm縮めたいので、刃分0.5mm×2を除外し、0.5mm分カットします。


ほれ


やすりたいほう台2で


ととのえまっすーー


接着して、はめてみる
ばっちぐー!


金属板も


カットして


7.5mm重ねて


半田付け!


組んじゃう!


軸もフライホイールもぶつかるようになるので


内径1.5mmの金属パイプで


切って


瞬間接着剤ちょっと入れて接着。
軽くカシメておわり


ウェイト削り後回し。
コレでもおそらく大丈夫だけど


出来上がった1.5mm縮めた動力。


1mm角プラ棒を


接着。
これは当初15m級をストレッチする予定だったので欠き取り部分とつめが今回合致しなかったため。


台車ぁ!


床下ぁ!


おらおら!!!
どうよ。


あとは電灯関連電装と窓張りのみ!
一気に行っちゃおう!


哀れ床下機器ドナーさん。


この台車気になりますね。
将来、富士重LE-Carが出るんですね?

ところでこれはキッチンのキハ125には使えるのかな?




   ↑これは完成が久しぶりに出来るのか!?


やる気復活計画

2010-01-20 01:23:00 | 模型工作雑ネタ日誌

お察しの通りかと思いますが、長期スランプです。
仕事脳が鉄道模型でも振り切れないってことなんですけどね。


プラ材も買って暫くほったらかしていたので、整理しました。
自分的メモ
・エバグリ 265、144、127、123、122 品切れに付き買足し
・0.8mm関係充実させる
・0.75mm関係充実させる
・0.25mmの3mm幅~1mm幅を買う

実は机も

ご覧の惨状・・・・・・・。
コレは組み立てどころではありません。
『忙しいとは「心を亡くす」』森重久弥


よいしょ、よいしょ


復元。

リハビリ。

グリ完に部品付け。



よいしょ


説明するまでも無いこと


嵌め合いは相当良いです。


おわり。


考えてみりゃ、苫小牧区歴代の車両ばっかり。
キハ12も22も24も130も持っていますから、何故か苫小牧区ほぼコンプリート。
てか、キハ40を新塗装にしなければ・・・。
(一回塗ったけどおこずかい稼ぎに売っちゃったし)

苫小牧区といえば友人MYの陣地。
なんでよりによって苫小牧区が集まってしまったんだろう・・・。

既に友人MYはキハ160の壮絶工作を進め、日高線40も作成済み。
ああ、敵う訳ねぇ・・・・。

苗穂区とかのモデルに逃げないと、かち合ったら堪ったもんじゃありませんww
自信喪失するために作るようなもん。

だから、
このキハ150は冬季苗穂区貸し出しの心算にするのです!
(キハ150-100は冬季は函館本線山区間の走破力向上のため、夏季は苗穂区キハ40の運用を置き換えるために貸し出されております)


随分前に中断している津軽2403も
中断中鉄コレキハ04が発売され動力が利用できるかなと。


実はキハ2403、微妙にキハ04より実車も短いのです。


動力切り接ぎを予備なくされるようです。

でもコレが今一番完成に近いかな?


1.5mm程度の台車間距離を縮める必要があります。


まずは様々な仕掛品をどれか完成させて「気持ちの高揚」が必要なようです。




   ↑模型制作はあくまで独り言です。


あまぎモデリングイデア真鍮キット番外編1

2010-01-14 22:03:00 | 単発モノ!色々突き進んで作ったもの♪


実は札幌市電の卵形電車について語りたいものの、自分の知識と資料のギャップがあり取材して来ないとどうも説明が付かない。
ということでかなりお時間経過中のネタがあります。

この全身3次曲面立体の電車どっかから出ないでしょうか?
あ、ホワイトメタルの塊のアレは結構です。


定鉄の1200と旭川電気軌道の1001って兄弟のようなものであります。
車体幅や全長は異なるものの、構造的には極めて似ており、台車も同じ。

あと兄弟車としては京王2700系も含まれるかもしれません。
あれは台車が鉄コレで出ているNA4なんですよね。
ちなみにこいつらはその組み立て溶接台車版のNA5です。


全長は1m旭川が長く、全幅は10cm定鉄が広いはず。


一度作成していますが、友人MKに譲渡してあり、もう一度作らないとなりません。


結構前回、凝ってますね。


半田のやり直しなんてしていきます。


すーいすい


楽勝と鷹を括っていたら


ぎゃああああああああああああ。

ハンダの熱で溶けちゃったよ。
あーあーあーあー!!!

で、
あまぎさんに問い合わせ。

メタル一個までなら失敗を証明できれば送っていただけるそうで。


ありがたーやー。




アンパンマン!新しい顔よ!!!
) ゜●゜( 


さて、前の顔を溶かし外して付け直そうか・・・。

何も作業していないようですが

納屋のコンプレッサーから電源スイッチを引っ張って取り付けていたんですよ。
40mも伸ばしてきました。
それでも居間に引っ張るので精一杯。
で、このスイッチ。

そう、国鉄車両の扇風機スイッチ利用です。
家族の目線が大変痛いものとなりました。



   ↑コレでなきゃだめなの?と妻の声。


定山渓鉄道ED500型の肖像

2010-01-13 21:26:00 | 定山渓鉄道をモデるには?

コメントでご質問を受けまして。
「定山渓鉄道ED500が牽引していた貨車の写真をお持ちではありませんでしょうか」

と。
ありがたいコメント頂きました。

で、結果は

「そうです、無ぁいんでぇす!」(川平のように脳内再生してください)

ED500とは何か?
WIKIでも見ればいいのでしょうがおさらいです。

ED500は昭和32年に三菱三原で2両製造された50tクラスの私鉄としてはもっとも大型の部類の機関車ですね。

これ以上のクラスとなると、ほかではあまり例がなく西武鉄道のE851くらいしかなく、同クラスでは秩父鉄道・大井川鉄道などにあるB-Bタイプの主力級であり、地方私鉄の虎の子機関車にふさわしいものです。

何せ特徴はそのスタイリングであり、デッキの無い大型機関車はほかになかなかあるものではありません。

長野電鉄~越後交通を渡り歩き、平成6年に廃車となって消えました。

長々と勾配が続く定山渓鉄道ですから、逆に制動関係が強化がされており、最終段電空併用ブレーキ、自動撒き砂装置完備、さらにすべてにヒーターが付く重装備です。

出力は200KW×4の800KW。
ギア比は4.76の低速ギアを装備し引張力は8,900tを誇る山の電気機関車でした。

形式ED500
番号 5001、5002
軸配置 B-B
電動機 三菱MB-266-BFVR 
出力 200kw×4
制御器 三菱KL-35
ブレーキ EL14AR自動直通・電磁空気式電気制動併用型 加熱器付撒砂装置併用
歯車比 81:17
運転整備重量 50.00t
最大寸法 13,800mm×2,830mm×4,100mm
固定軸距 2,400mm
ボギー中心距離 7,700mm
車輪径 1,070mm
製造 1957.3.4設計認可 1957.4.12竣工
製造所 新三菱重工三原製作所 製番463、464

製造目的は豊平川流域のダム建設資材輸送でしたが、結局この機関車による輸送は殆どなかった状態で、フライング製造の可能性が高いものです。
落成後は主に鉱石輸送と木材輸送にあたり、定山渓と藤の沢間を往復した記録が残っております。

が、それも僅か5年経過した昭和38年に中止され、基本的な仕事は定山渓の少ない資材輸送と


国鉄列車乗入れ牽引、


除雪とあまり良い活躍とはいえないものでした。

ED500はなぜ活躍の写真が少ないか?

実は発注した直後、豊平峡ダム計画は一時頓挫します。
コレがすべての原因と考えられます。
再開は廃止目前の昭和42年。
工事輸送の当てにされる時期ではありませんでした。

つまりは先行投資が外れた結果となり、実はこういったさまざまな過大投資が問題となり、昭和23年末に王子製紙から株式を受けて経営していた浅野一夫社長は結果的に五島慶太率いる東急に買収を受ける隙を作ることになります。

※真ん中が浅野社長

ちなみに浅野社長時代の車両新製は活発で、
モ800を2両、


モ1000系2両、


モ1010系ロマンスカー2両、


モハ1200系2両、


モハ2100更新車を4両と

キハ7000型3両


この機関車2台、


DD4501型1台。

合計15両+機関車3台の客用新製車両にも及び、過大投資とされた例となります。

果たして本当に過大であったのかは、疑問が残るのですが、隙を見せてしまったのはこの件であったようです。

あとで書きますが、このダム計画。
本 当 に 実 在 し た 計 画
 なのでしょうか?


それまでの20年間で新製が譲渡含み電車9両(うち新製5台)、中古木造二軸客車10台、中古木造ボギー客車1台、蒸気機関車7台(うち新製1台)簡易な中古貨車50両余ですから、規模としては急激な投資と見られても不思議ではないのです。
(客用車両が寿命を迎えて約2年おきに計画的近代化したともいえますが・・・)
ちなみに東急傘下であった11年ではキハ7500型1台、モハ2200型3台(中古)、モハ2300型2台(簡易車体による更新)であり、設備投資のペースが一気に下がります。

東急総裁五島慶太の株の進攻はすばやく、
息がかかった北海道交通(現在の北交ハイヤー)・柴野安三郎の提案で、昭和31年11月に買収開始をします。
柴野曰く「浅野一族は同族経営に感けて経営に熱心ではない。これは(乗っ取るのは)どうでしょう?」

果たして浅野社長が熱心ではないと言えるのか疑問です。
「過大投資」を紋所にするなら「熱心ではない」というのは符合しません。

しかし。買収は始まりました。
国際興行・小佐野賢治(のちのロッキード事件被告)、北海道開発公庫総裁・松田令輔(元A級戦犯補佐弁護人のち大蔵省~専売公社~公庫~東急エージェンシー社長)、子会社だった東映社長・大川博、同じく子会社の日東タイヤ・蛯名忠雄らの協力により徐々に株を買収され、
更に町村元官房長官の父・町村金吾、広田弘毅内閣の前田鉄道大臣秘書官で当時建設大臣を退任したばかりの南条徳男も参加した大買収団が結成されることとなります。

徐々に地元株主・財界から見放された浅野社長は、最後の大株主・定山渓ホテル社主の林孝一の義理によって防戦を張りますが、上記代議士や有力政治家、更には北海道金融筋にも説得を受け浅野社長は降伏します。
まさに圧倒的な人脈によって四面楚歌となり、一族経営であった浅野経営陣を飲み込んで放出して行ったのです。
「過大投資」など言いがかりにしか過ぎないのです。

そして後任社長には五島側近の蛯名忠雄が座ります。
(ちなみに五島慶太は戦前、鉄道院総務課長として定山渓鉄道の開通式に参列している縁があります)

株式の実質買収完了は半年後の昭和32年5月20日、実にED500落成わずか26日後のことでした。
ちなみに株式正式譲渡は昭和32年10月1日です。
ED500は発注主の株式が続々と買収される中で建造されていたことになります。

赤色文字のをピックアップします。
北海道開発公庫は当然ながらダム建設関連資金に重要な力を持ちます。
浅野社長が着工計画が明らかになる前に機関車を建造。
「やや」不自然な部分も無いわけではありません。
当初は9200型SLか9600型SLの払い下げ予定が突然このEL新製に変わっています。
これは歴史の真相に隠れてしまっていますが・・・・。

あくまで独り言です。


先日、浅野社長の退任準備金を入れた封筒がヤフーオークションに出展され、驚きました。
あの封筒に、どれほどの恨み辛みが包まれたかを想像すると、昭和経済史の凄まじさを感じます。
http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r60991737


さて、本題に移ります。
定山渓鉄道の最大在籍貨車は有蓋緩急車5台、有蓋車10台、無蓋緩急車9台、無蓋車41台、長物車13台(うち3軸無蓋車4台)、石炭緩急車が2台、石炭車が7台、業務用水槽車が1台、ラッセル車が2台で、ラッセルと特記以外はすべて小型の2軸貨車です。

※1112型SLに牽引される無蓋貨車の一列

ED500在籍中の貨車は
有蓋緩急車3台、有蓋車10台、無蓋車30台、長物車13台(うち3軸無蓋車4台)、業務用水槽車が1台、ラッセル車が2台です。
その殆どが定山渓~藤の沢~選鉱場の運用区間であり、藤の沢~選鉱場はDD4501の運転区間なのでおおよそ想像が付くと思います。
下り坂なので重連運用はなく単機が基本。
というか重連すると変電容量不足で動かなくなるので単機限定です。

なぜ、消費電力が過大な機関車が2台もあったのでしょうか。
客車でさえ重連が必要となる貧弱な電力施設にもかかわらず、仮にダム資材を定山渓に持ち上げることを考えると、本来的には重連も可能性があったことがわかります。
先の買収劇、そして見えない資金先を考えると妄想が膨らみます。
この機関車は本当に必要だったのでしょうか?

無蓋貨車は樺太の元南樺鉄道のナチ1型と元国鉄ト6000の各10t積みからなる古典貨車で、長物車もそれらからの転用であるので、おおむねの形態は2形式の源流となります。

ト6000と言われても・・・・。

ED500の華運用はなんといっても国鉄客車の温泉客乗り入れ列車牽引でしょう。

これがその列車。
8両の堂々たる編成です。


コレを見る限り、C12-1とDD4501の重連のようですが、C12が廃車になったあとはED500がDD4501と時に重連で牽引しております。


こちらは割りと平易な客車6連


定山渓に入る温泉列車。
スハフ42156 天王寺観光団
時期的にはこれがED500牽引かもしれません。

再び

これもそうですね。
コレにいたっては最後部がスロフ30では無いでしょうか?
中間もスロ33のようです。

よって、ご質問いただいた「ED500の貨物列車姿」はついぞ無いのでございました。
ごめんんさい。

ちなみにED500が単機で客車を牽引している写真は鉄道ピクトリアル232号15Pに星良助先生のものがあります。


   ↑歴史関係の記述はあくまで独り言です。


定山渓鉄道モハ2200-16

2010-01-13 00:45:00 | 定山渓鉄道をモデるには?

定山渓鉄道2200型のカスタム製造品は、おかげさまをもちまして。
すべて里子先に嫁いでいきました!

よかったよかった。


コメントになかなかお応えできなくて申し訳ありません。
縦画面について、お二人からありがたいご助言を頂き、自由自在に画面をいじれるようになりました。
アリガトウございます。

さて本日の悲哀。
お昼休み、スーパーの海苔巻きを購入したんですね。

サーモン巻き。

で、なんか変。

ぼろ・・・・


工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
表面しか入って無いじゃん!!!

あのね、
いくらデフレとか言っても、こういうのって騙された気がしません?
無理なら価格だけでも安くしてこういう風にするってあーた。
それは無理なことをごまかしているに過ぎないじゃないすか。

まともな値段でも良いから、きちんとしたものがほしいですね。

今日の作業。

2200を


もう一回肩撫でしました。
うん。
わかりにくい上に工作シーンが無い。


辛うじて屋根傷が違うでしょ。


でもですね、まだ雨樋の上に埋まりきっていない部分が結構あり、
水分飛んだらもう一回パテ盛です。

一方で、納屋に置いたコンプが頻繁に動くので、エア漏れを直しました。

使う道具はこれ。
ガス漏れ検知スプレーです。


エア管の周辺に吹いていきます。
サブリザーブタンク周辺は全く問題ないようです。


納屋に行き
防音?隠ししている


コンプの周辺もまったくエア漏れなし。
ちなみに防音に使ってんのは大変古いムートンです。
ああ、本来なら勿体無い。

どこだ・・・?


もういちど工作部屋に行き


ガンの根元にシュ!
あ!


ここだ!


しかも2箇所!

そう、ガス漏れ検知スプレーを吹くと、なんでもないところは一瞬にぼたぼたと液が垂れ落ちるのですが、エア漏れ部分にかかるとこのように細かい泡が吹き出すのです。

本当なら、最後に加圧経過試験をすれば完璧なんでしょうけれども。
加圧機械はガス屋さんにやってもらわないとねぇ・・・。
そんな御人好しなガス屋等いない。

いや、納屋まで電源スイッチケーブルをつくろうとはしてんですが・・・・
時間が作りきれて居ないだけです。

とりあえず、ガン周りの配管を一旦カットしたらコンプが動かず、また圧力が2時間変わらなかったので良しとします。

てか、ホビー系ガン周辺機器は4キロパスカル程度以上になると破綻する模様。
全部工業用に取り替えようかしら。
納屋と部屋を結ぶチューブも、本当は白ガス管にしたいのにw




   ↑道具だけ一著前の・・・。


DE11-2とDE15-1

2010-01-12 00:46:00 | 模型工作雑ネタ日誌

仕事で、かの場所に行ったときにお願いして撮らせてもらった写真をば。

「あの・・・実は」
「好きだねぇ・・・時間無いからね」

てな感じです。
もうかなり前のことなので、今もあるのでしょうか?


新鶴見機関区に保管されているDE15のトップナンバー。
どうもJR未明に廃車となり、遠く苗穂からココに運び込まれたらしいですが詳細不明です。


廃車から10数余年経過していた割には綺麗でした。


立派なフル装備で保管されているんですね。


DE15-1は最初、片側前頭車だったと思うんですが、
http://suk2.tok2.com/user/tk8620/?c=022
こちらのサイトに見えるDE15-1の前頭車と運転席窓が異なり、ほかにも後位ハッチの大きさ、側面扉の窓も違う。
各部ずいぶん異なるコトから、新製時のものではないものですね。
しかも記録によると新製や転用で両頭としたらしいのですが、コレを見る限り、DE15-1はどちらも新製になっている模様です。
本来の前頭車は2,4,5,6のいずれかに転用されたのでしょうか?




昭和56年12月に検査を終えております。

あちこちのさびは粛々と進行している様子です。


銘盤はすべて取り去られて、さらにそれが久しい模様です。


う・・・ごかなさそうですね。


奥にいたDE11-2(らしい?)
徹底的に塗装がぼろぼろです。
敷地内であるからか、ガラス形はみな保っております。


奥の歩道橋からよく見えるんですよね。
こちらも凄く塗装が痛んでおります。
保存価値・・・・まぁ初期のDE11ということ以外は無いんでしょうけれども・・・。
一度塗ってくれないかな。

時間が特にあるわけでもなかったので、細かい記録までは流石にとりにくい雰囲気でありました。


一方付近には上記の最終生産分のDE11-2004が居まして。
非常に象徴的に感じました。


製品化されませんねぇ。
なんででしょう?
案外今時代では売れる気がするのですが。



   ↑新規製品になったKATO改造のコンバージョンとか・・・JNMAでどっか出しそうだけど