ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団88 方殿はなぜ後ろに倒した状態で造られたか

2010-06-04 09:09:51 | 歴史小説
石の方殿を立て起こす方法


「素晴らしい。第1の謎は解けた。では、後ろに倒した形で造ってから起こす、ということはどう推理するかな」
カントクは、若者を褒める時には、つけ込んでくる。
「この伊保山全体がこの地域の人々の祖先霊が宿る磐座(イワクラ)だとすると、そこから方殿を切り出してそのまま使うということは、死者の霊(ひ)と方殿が繋がることになります。
生きている大国主と少彦名が、この磐座の一部を分けて頂き、地上の王として即位する方殿を造り上げるためには、巨石を磐座から切り離す必要があったと思います」
ヒナちゃんの推理は完璧であった。
「最初から立てた状態で造れなかったのかな」
「立てたままで方殿を底の部分で切り離すことは難しいと思います。後ろに倒した状態で加工し、最後に前に起こす、という方法にしたのではないでしょうか?」
「なるほど、筋が通った説明だな」
「それと、益田岩船のように、あらかじめ、上部に2つ部屋をくり抜いていないのも、前に倒すことを想定している証拠と思います。益田岩船の場合は、固い花崗岩なので、予め2室をくり抜いていても、倒す時に岩が割れる心配がなく、かえって、重量が軽減されるので起こしやすくなります。
ところが、石の方殿の方は、火山灰が固まった柔らかい凝灰岩なので、あらかじめ2室を設けておくと、起こした時の衝撃で割れる可能性があります。そこで、立てた後に、前面に2室を彫る予定であったと思います」
ヒナちゃんはすでに論文を書いているのかも知れない。結論まで、見通しているようであった。
「先ほど生石神社で頂いた社伝には、『神代の昔、大穴牟遅と少毘古那が国土経営のため出雲からこの地に至り、石の宮殿を造営しようとした』と書かれているけど、この言い伝えは、当時から伝わった可能性が高いわね。私達は、益田岩船を知っているから、前に2室を設ける予定であったことが推理できたけど、昔の人は益田岩船に2室が彫られていた、ということなんて知らないものね」
マルちゃんは、石の宝殿=益田岩船説にすっかりはまっている。
「方殿の下部に材木をかませて後ろに倒れるのを防ぎ、前に掘り進み、最後にクサビを打って岩盤から切り離し、太い綱で前方に引っ張り、方殿全体を前に90度回転させて建てるつもりだったようだな」
セットづくりがお手のもののカントクの中では、工事をしている人々の絵コンテが出来上がったようだ。
「方殿の両側の岩盤を残したのは、足場を組む代わりだったのかもね」
建築学科を出ているマルちゃんが助け船を出した。
「今でも迫力があるんだから、もし完成していたら、すごいモニュメントになったに違いないわね。人々は、どうして造ったのか、度肝を抜かれたんじゃない。」
ヒメは小説の場面を頭の中で描いているようであった。
「岩を加工するとなると、ノミやハンマー、楔などの鉄器を持った集団ということになる。それは、鉄の産地の新羅に交易にでかけたというスサノオに続く出雲勢力しか考えられないなあ。鉄器を支配し、多くの人々を動員して神々の霊(ひ)の宿る竜山から巨石を切り出し、人々の力で立ち上げて前に倒して起こす、というのは、建国の儀式としては見事な演出だ」
慎重な長老が断定的に言うのは、よほどのことである。
「地上の四方を支配する建国王が、天から天之御中主神から続く祖先の霊(ひ)を受け継ぐ『受け霊(ひ)』の建国儀式を行おうとしたんだな」
カントク得意の宗教論だ。
「そんな力を持った大国主と少彦名が、途中で建造を中止することってあるかしら?」
ヒメの質問は当然だ。
「伝承では、阿賀の神が反乱したため、大国主達が建造を諦めた、となっています。
そのような可能性も考えられますが、ちょっと弱いと思います。私は国づくりの同志であった少彦名が亡くなったため、大国主は建造を止めた、と考えています」
ヒナちゃんの説明にはよどみがない。最後まで、ストーリーは出来上がっているようだ。
「そうだね。播磨の人々の一部が反乱したからと言って、大国主と少彦名が怯んだ、というのは両神を矮小化しているね」
カントクはやはり女性にはやさしい。


資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)


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