ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

7 文献に現れたスサノオ

2008-11-24 07:27:20 | Weblog
●ボク 080910 21:55
 ハイハイ。仕事でクライアントを「使いっ走り」させてきた皆さんですから、市民生活においても同じですよね。

 スサノオが登場する基本的な文献は、古事記と日本書紀、それから出雲国風土記です。
 『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)『日本書紀』では素盞嗚尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)などと表記されています。
 ホビットさんの意見に従い、場所にこだわって、その足跡をたどると、まず生まれた場所は、イザナギ命が死んだイザナミ命を黄泉の国に訪ねて、宍道湖湖畔の黄泉比良坂(よもつひらさか:出雲國の伊賦夜坂:いふやさか)で地上に出て、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊を行った際に産まれたとされています。いずれも、出雲、筑紫の具体的な地名です。
 「古事記」では、イザナギ命が鼻をすすいだ時に生まれたとされており、「日本書紀」ではイザナギ命とイザナミ命の間に産まれたされています。
 成長したスサノオは、高天原にいる姉のアマテラスの後継者を巡って乱暴狼藉を働き、アマテラスが天の岩戸に隠れる事態になり、神々によって高天原を追放されます。戦前までは、この高天原は天上の神の国とされてきましたが、話の流れからすると、「筑紫の日向」の地上のどこかかの可能性もあります。
 その後、スサノオは出雲の斐伊川の上流の鳥髪(とりかみ:船通山)に来て、櫛名田比売(くしなだひめ:奇稲田姫)を助け、越のヤマタノオロチを切り、須賀の地に宮を建てたとされており、全て、出雲にある地名です。
 「出雲国風土記」では、大国主と較べるとスサノオは影が薄く、意宇郡安来郷や飯石郡須佐郷の地名を定めたとか、その御子人(みこと)たちの話が書かれているだけです。有名なヤマタノオロチ退治の話はでてきません。
 死んだ場所は、大国主が「木の国」へ行って根の国へスサノオの訪ねたとされていることや、子のイソタケルが祀られていることから紀伊国(熊野)と考えられますが、墓所の記録や伝承はありません

 以上、出雲、筑紫、紀伊の3か所が、記紀と出雲国風土記に現れたスサノオの足跡です。
 「5w1H」の他のテーマは、その時々に、取り上げていただきたいと思います。(日南虎男)


にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ
ブログランキング・にほんブログ村へ




最新の画像もっと見る

コメントを投稿