毎日のよぅにBさんの幻想に襲われること約2月
ただ昔のこと、、という理由と、昔より多少は冷静でいられたかな、、という点で、どこかで反転したい、こういう不愉快な状態を逆に利用できないかな、という思いがどこからか、、
このまま馬鹿にされたまま、人生、終われるか、、という思いが時間の経過とともに大きくなっていった。
自分の中にも、まだ、こんなに闘志が残っていたのかな、とちょっと内心驚いてもいた。
そんなに激しく怒り狂うわけでもなく、静かに、静かに、
しかし、しつこく継続的に燃える。
自分、怨霊とかになったら、なかなかしつこいだろうな。
まずは、今後の方針を定めよう
自分の人生、どこからうまく運ばなくなったのかな、、と考察すると、Bさんとの出会いなんではなかろうか、、
とすれば、Bさんと会った日より前のころの心持ちに帰れば、上手くいくのではなかろうか・・と考えた。
かなり若いころではあるけど、、どんなだったかな?
ひねり出した、結論。
努力の放棄。勉強の放棄
ただ、根本となる事項は、飽くなき継続を図る。
継続、継続、継続 つまらい内容をあきない量で徹底的に繰り返す。
小さなことから、コツコツと、とか言うけど、コツコツでは、まだ、一粒、一単位が大きい。砂粒を継続して延々と積んでいく感じで。
とりあえず、資格勉強のことを具体化
朝起きた直後、朝昼晩の飯後、寝る前。。必ず、知的財産法の条文を一定量、頭に入ればいいな、程度に繰り返して読む。2週間に1回、同じ条文に返ってくる感じに。逐条解説も同じく、並行して読み進む。最初は分からないところだらけだったけど、頭悪いな~自分、と思いつつ進めると、なんか楽しくなった。何回目かに読んで、霧が晴れたように、分かるときもある。そうなると、もっと楽しくなった。
他の受験生が受験機関を使ってどういうことをしてるか、全く気にならなくなった。とにかく自分が楽しければ・・
愚鈍な行いも1000日程度積み重なれば、一定の成果も出る・・・のかな。
3年弱、それくらいの積み重ねで、ほんの小さな成果ではあるけど、弁理士試験に合格できた。
自信にはなったけど、自分は、全く努力もしてないし、勉強もしてない。
成功したきっかけをくれたのは、Bさんかな、というのは皮肉なもんかな。
そもそも、私から全ての自信を剥ぎ取っていったのは、Bさんではある。大学院試験に合格すれば、Bさんと同じ研究室にいれるかな、などと淡い期待をよせつつ院試に合格できたのも、Bさんのおかげ。
30年近く経過して、いつまでも馬鹿にされる人生で終わってたまるか、と思わせてくれたのも、昔のBさんの記憶
自分らしさ、を追究した結果、たどりついたのは、単調な愚鈍な行いを呼吸するがごとく、飯を食うかのごとく、目先の利益も考えずに愚鈍に繰り返したこと。
まさに、ちまちま、したことではなかろうか。
30年前、ちまちました人は好きではない。。。そのようにはっきり書いてあった。ちまちました人・・・まさに、私。、近藤のことだったんだろうな。
ここにきて、あのときの年賀状ではないはがきで、はっきりと、私のことを忌避していたんだな、と痛感した。
しかし、あまり悔しくはない、悔しいと思うと、Bさんに負けた気がする。
ここまできて、題とは正反対の境地に達した。
すでに、もともと、ちまちました人間なので、そういう人に「なる」という心配はまったくしなくていい。自分の武器なので、放棄する気もない。馬鹿にしたい人がいれば、そのようにしてもらえばいい。すぐに、寝首をかくレベルのところまで追いついてやるさ。。