おはようございます。
Konemy述べる時間です。
久しぶりです。
12月も今日で一週間。
約2ヶ月ぶりですね。
まぁ、たまに一言宣伝してましたけど。
投稿に関して
一年間空けた事があったので、空ける事自体は珍しくないですが
こんな衰退するように消えたのは珍しいかと思います。
体調不良とか不慮の何かがあった訳ではありません。
無事、少なくとも表面上は何事もなく生きています。
気づけば書いていなかった。
ただそれだけの話です。
ただ、「それだけの話」が新規投稿を妨げていたのも事実です。
一度空けると、久々の投稿は質の良いものを!
などと思ってしまったりするのです。
全く、何を考えているのか。
いくら頑張っての出来るのは駄文ばかりというのに。
さて。
そこで久々の投稿は「モノを書く」って事について述べようかと。
文章を書く人のことを
物書きさん
なんて言ったりしますよね。
もっと格式高く言えば
作家さん
ですかね。
両者の違いは表す広さだと考えます。
例えば、講義中にノートを取る学生さん。
人の話を聞いて、その話をまとめているのですから
紛れもなく「物書きさん」でしょう。
ただし、作家ではないですよね。
例えば本屋に並んでいる小説を手に取って
その本の表紙に名前が書かれている人物。
これは「作家さん」でしょうね。
そして、「物書きさん」です。
回りくどく説明しましたが、そういうことです。
「作家さん」ならば「物書きさん」である。
「物書きさん」でなければ「作家さん」じゃない。
なんとなく対偶を使ってみたくなりました。
「作家さん」は「物書きさん」の狭義なんですね。
ところで
私は自らのことを僭越ながら「数奇作家」と言わせて戴いています。
そんな私は「物書き」であって「作家」ではありません。
では何故。
そもそも「数奇」とは。
この際お話ししましょう、興味云々置いておいて。
前半部分から。
私は趣味で文章を書いている者だ。(某漫画サイ◯さんの台詞っぽく)
つまりは”好き”で文章を書いているんですね。
そこから回り回って「数奇作家」って事になりました。
いきなり説明が雑です。
語っておきながら、説明するような理由なんてないんですよ。
まぁ、響きですかね。
「自称作家」とか「趣味で物書き」とか「作家気取り」とか。
そんな奴たちより洒落た感じでって思ったんですよ。
実際は「自称作家」で「趣味で物書き」の「作家気取り」してます。
ちなみに、「数奇」とは『動詞「すく(好)」の連用形を名詞化』したものです。
意味としては「風流」だったり「風雅」なんて意味があったりしますが
単に「物事を愛好する心持ち」の意で使ってます。
なんだか一人でにスッキリしました。
ありがとうございます。
ところで、何故いきなり
「モノを書く」って事について述べようかと思ったのか。
最近、作家さん同士が対談したものを文章化してまとめた本を読んだんです。
そこで、作家さんって変人であり、常識人であり、何よりも面白い人だと感じました。
「モノを書く」って素晴らしい事なんだなって。
書きたくなりました。
それでは bye! Konemy