Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
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あべのしんぞうをたべたい

2022年09月08日 11時31分00秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

衝撃的な事件から早二ヶ月。

俗にいう「安倍晋三銃撃事件」

最初に述べておきますと

これは

彼を敬うものでも

彼を蔑むものでも

そのどちらでもない事をご理解ください。

突然の事でした。

私が事件のことを知ったのは

テレビ番組でも

ネット記事でもありません。

人伝てに聞いたのです。

「安倍元首相が銃撃された」と。

事件の話を聞いてから

長いようで短かったような気がします。

ネット記事で訃報を目にしました。

一度たりともあった事はありません。

言ってみれば、私にとって全く関係のない方の訃報。

毎日のようにある事です。

特に心に留める必要も無いことかも知れません。

しかしながら、なんとも複雑な心境になったのです。

恐らく、それは「安倍氏が亡くなった」事に対するものではなく

「安倍氏の亡くなり方」に対するものだったのでは無いかと思います。

世の中には天寿を全うするであろうと思える人が何人かいます。

私にとって、安倍氏はその一人でした。

潰瘍性大腸炎を患っていたのは有名な話です。

この病のリスクの一つとして大腸癌がある。

大腸癌といえば日本人の死因上位として挙げられるだろう。

病と向き合いながら、日々を懸命に戦い

そして、患う病に関連したもの

もしくは全く違う病

または老衰か何かでその生を終えるのであろう。

などと勝手に思い込んでいたのだ。

私はここで「人の"命"の価値は一緒」なんて綺麗事をいうつもりはない。

むしろ、人の”命”の価値は異なっている。

当然だ。

人の"命"は他人が定めるところで価値に差がある。

だが、しかし。

誰しもの「1日の価値は一緒」なのだ。

この事件を通じて、何故か思い出した。

欠片として通ずるところを勝手に感じたのか。

飛躍している……と私だって思う。

だが、「話の飛ばし屋」たる私である。

住野よる 著作『君の膵臓をたべたい』

心に刻んだはずの言葉から、私は目を背けていたのかも知れない。

              それでは bye! Konemy


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