昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。
不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
荘子の有名な一節ですね。
夢の中で胡蝶となって舞っていたが、胡蝶は自分が見ていた夢なのか、あるいは自分の方が胡蝶が見ている夢なのか。
胡蝶と自分、姿形は変わっているけれど、どちらも自分であることには変わりない、という意味です。
写真を撮る時、私が目指しているのはこういう世界かもしれません。
夢のように浮世離れしているようで、どこかリアル。
私にとってレンズの向こう側に見えているのは、胡蝶となって舞う、愉しい夢のようなものなのでしょう。
でも、夢の中で感じることが、場合によっては現実よりもリアルに感じることって、ありませんか?
そんな時、思うのです。
むしろ私は今、現実を生きているのか。
現実とは何か。
時々、自身が生きていることを、客観的に外側から眺めているように、とても非現実的に感じることがあります。
でも、考えていることや感じていることは確かに自分のもの。
「我思う、故に我あり」というデカルトの思想の方が近いのかもしれませんね。
確かなものを求め続けたデカルトよりも、形の変化を緩やかに受け入れた荘子の方が好きです。
今の私の生き方は、デカルトのように確かなものを求め続けているようだけれど、形が変化することを受け入れる荘子のような柔軟さが欲しいと思っているのでしょう。
人の姿であっても、景色であっても。
自分が見つめたものを記録に残しておきたい。
他人から見れば夢のように非現実的で曖昧なものだとしても、それは、確かに自分が感じたもの。
年始に撮影会を予定しています。
どんな夢が見られるのか、とても楽しみです。
自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。
不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
荘子の有名な一節ですね。
夢の中で胡蝶となって舞っていたが、胡蝶は自分が見ていた夢なのか、あるいは自分の方が胡蝶が見ている夢なのか。
胡蝶と自分、姿形は変わっているけれど、どちらも自分であることには変わりない、という意味です。
写真を撮る時、私が目指しているのはこういう世界かもしれません。
夢のように浮世離れしているようで、どこかリアル。
私にとってレンズの向こう側に見えているのは、胡蝶となって舞う、愉しい夢のようなものなのでしょう。
でも、夢の中で感じることが、場合によっては現実よりもリアルに感じることって、ありませんか?
そんな時、思うのです。
むしろ私は今、現実を生きているのか。
現実とは何か。
時々、自身が生きていることを、客観的に外側から眺めているように、とても非現実的に感じることがあります。
でも、考えていることや感じていることは確かに自分のもの。
「我思う、故に我あり」というデカルトの思想の方が近いのかもしれませんね。
確かなものを求め続けたデカルトよりも、形の変化を緩やかに受け入れた荘子の方が好きです。
今の私の生き方は、デカルトのように確かなものを求め続けているようだけれど、形が変化することを受け入れる荘子のような柔軟さが欲しいと思っているのでしょう。
人の姿であっても、景色であっても。
自分が見つめたものを記録に残しておきたい。
他人から見れば夢のように非現実的で曖昧なものだとしても、それは、確かに自分が感じたもの。
年始に撮影会を予定しています。
どんな夢が見られるのか、とても楽しみです。
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