早いものでもう4月ですね。そしていよいよ長野マラソンまで2週間を切りました!
あとはこれまで蓄積した疲労を回復させつつ調子を上げていくだけです。そうそう、節酒モードにも入りましたよ(笑)
さて、今回は思い出のレース記第3弾として2009年、初出場の長野マラソンを回想してみたいと思います。この年の長野はある「決意」を持って挑んだレースでした。
2009年、これまで憧れの大会であった長野オリンピック記念長野マラソンに初出場が決定した。
この長野は国内でも有数の超人気大会であり、この年もエントリー開始からわずか4時間足らずで定員締切となっていた。私もエントリー開始前からパソコン前で待機、接続に苦労しながらも「エントリー完了」画面を見れた時はとにかく興奮したものである。
さて、この長野にエントリーしようと思ったのは私にある決意があったからである。
当時、我がクラブはそれまでのメンバーが軒並み故障によりリタイア、そのまま実質的にクラブからも離れていく危機的状況に置かれていた。まさしく「暗黒時代」であったのだ。(余談ながら、この2年後に現在の「黄金時代」が訪れるなど、当時は夢にも思いませんでした。ほんと嬉しい限りです)
私は、クラブの危機からの脱却、クラブの再建を目指す決意を持っていたが、まずはその決意を自らが最前線に出ることで示そうと思ったのである。
そして、目標であるが・・・。当時私は「団体としての代表」としてのみならずランナーとしてもクラブ内外から「クラブ代表選手」、すなわちエースとして認めて頂いていた時代であり(現在のメンバーからすると実に遅いエースでしたが・・・(苦笑))、そうである以上、目指すべき目標は明確であった。すなわち、長野で「クラブの最高記録」(3時間19分)を更新することであった!
一方、もし長野で記録を更新することができなかったら、速やかに有望な後進を発掘することに専念し、「新エース」に私の思いを託す覚悟ができていたのである。
この長野に向けて、私は前年から本格的に練習を行ってきた。2008年11月の世田谷ハーフでは1時間半切りも狙える走りができた(コース間違えにより記録は無効に・・・)。2009年1月の館山若潮マラソンおよび3月の荒川市民マラソンでは連続してサブ3.5も達成した。さらには同月には「42km走」の位置づけで佐倉マラソンにも出場。このシーズン、長野前にフルは11月の湘南国際、つくばを含めすでに5本走っており、長野に向けて万全の態勢を築いたのである。
そしていよいよ迎えた4月! しかし私の中では長野マラソン当日が近づくにつれ、かつてない緊張および恐怖が襲い始めていたのであった・・・。
続く
あとはこれまで蓄積した疲労を回復させつつ調子を上げていくだけです。そうそう、節酒モードにも入りましたよ(笑)
さて、今回は思い出のレース記第3弾として2009年、初出場の長野マラソンを回想してみたいと思います。この年の長野はある「決意」を持って挑んだレースでした。
2009年、これまで憧れの大会であった長野オリンピック記念長野マラソンに初出場が決定した。
この長野は国内でも有数の超人気大会であり、この年もエントリー開始からわずか4時間足らずで定員締切となっていた。私もエントリー開始前からパソコン前で待機、接続に苦労しながらも「エントリー完了」画面を見れた時はとにかく興奮したものである。
さて、この長野にエントリーしようと思ったのは私にある決意があったからである。
当時、我がクラブはそれまでのメンバーが軒並み故障によりリタイア、そのまま実質的にクラブからも離れていく危機的状況に置かれていた。まさしく「暗黒時代」であったのだ。(余談ながら、この2年後に現在の「黄金時代」が訪れるなど、当時は夢にも思いませんでした。ほんと嬉しい限りです)
私は、クラブの危機からの脱却、クラブの再建を目指す決意を持っていたが、まずはその決意を自らが最前線に出ることで示そうと思ったのである。
そして、目標であるが・・・。当時私は「団体としての代表」としてのみならずランナーとしてもクラブ内外から「クラブ代表選手」、すなわちエースとして認めて頂いていた時代であり(現在のメンバーからすると実に遅いエースでしたが・・・(苦笑))、そうである以上、目指すべき目標は明確であった。すなわち、長野で「クラブの最高記録」(3時間19分)を更新することであった!
一方、もし長野で記録を更新することができなかったら、速やかに有望な後進を発掘することに専念し、「新エース」に私の思いを託す覚悟ができていたのである。
この長野に向けて、私は前年から本格的に練習を行ってきた。2008年11月の世田谷ハーフでは1時間半切りも狙える走りができた(コース間違えにより記録は無効に・・・)。2009年1月の館山若潮マラソンおよび3月の荒川市民マラソンでは連続してサブ3.5も達成した。さらには同月には「42km走」の位置づけで佐倉マラソンにも出場。このシーズン、長野前にフルは11月の湘南国際、つくばを含めすでに5本走っており、長野に向けて万全の態勢を築いたのである。
そしていよいよ迎えた4月! しかし私の中では長野マラソン当日が近づくにつれ、かつてない緊張および恐怖が襲い始めていたのであった・・・。
続く
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