本日は板橋シティマラソンに向けてロング走を実施。まだ青梅疲れが残っており足は重かったですね・・・。
さて、今回は私の草創期回想の続きとしてデビュー戦以降について振り返ってみたいと思います。
1991年末に走り始めて半年強で挑んだ92年7月のデビュー戦(8km)は散々な結果だったが、大会参加を経験したことは少しずつ走ることが「ダイエットのためのジョギング」から「レース出場のためのランニング」へと変化していくきっかけとなった。
そして今度は自らデビュー2戦目へエントリーすることとなった。
デビュー2戦目は同年11月、川崎市民限定大会として開催されていた「川崎市民マラソン」(現在は市民以外でも出場できる川崎国際ハーフマラソン)の10kmの部であった。この川崎市民へはある目標を掲げて挑んだ。それは「一回も歩かず完走すること!」であった。デビュー戦では最初から全力走という自爆行為を行い案の定後半歩き通してしまったが、2戦目ではそれが教訓となり「長距離」としての走りを心掛けることにした。
レースは結果的に(当時はまだペース感覚など分からず、勿論配分など考えていなかったが)キロ5分ペースで走ることができ、最後はバテたものの歩かずに51分で完走することができた。
これに気を良くしたのか、次にエントリーしたのはまさかの30km! 当時の練習量、実力では無謀な挑戦というのは今では自明なのですが、当時はそんなことも分からず勢いだけでエントリー・・・。私もいまでいうなら一回も走ったことないのに東京マラソンにエントリーしてしまう怖いもの知らずのミーハーさんたちと同じレベルだったということです(笑)
結果がどうだったかは言うまでもないのですが、とにかくひどいひどい!(苦笑)中間点くらいからすでにアップアップ状態になり始め、20kmからは歩き通す始末・・・。どんどん後続に抜かれ、気づいたら後ろに誰もいない状態に(当然前にもランナーはいません。完全一人旅で歩け歩け大会に・・・)。そして見事に最下位でのゴールでした!(苦笑) いまの私の立場(クラブ代表)であったらほんと「バカタレ!」と鉄拳ものですね~(笑)
なおタイムは約3時間30分。現在ならこのタイムでもまだまだランナーいると思うのですが、当時はやはり市民ランナーも競技志向が強くレベルが高かったですね。
という感じでいまのクラブ若手以上の「30kmの洗礼」を受けた私は、しばらくは当時の市民レースの多くでメイン種目であった20km、後のハーフを主戦場にしていくのでした。
次回へ続く
さて、今回は私の草創期回想の続きとしてデビュー戦以降について振り返ってみたいと思います。
1991年末に走り始めて半年強で挑んだ92年7月のデビュー戦(8km)は散々な結果だったが、大会参加を経験したことは少しずつ走ることが「ダイエットのためのジョギング」から「レース出場のためのランニング」へと変化していくきっかけとなった。
そして今度は自らデビュー2戦目へエントリーすることとなった。
デビュー2戦目は同年11月、川崎市民限定大会として開催されていた「川崎市民マラソン」(現在は市民以外でも出場できる川崎国際ハーフマラソン)の10kmの部であった。この川崎市民へはある目標を掲げて挑んだ。それは「一回も歩かず完走すること!」であった。デビュー戦では最初から全力走という自爆行為を行い案の定後半歩き通してしまったが、2戦目ではそれが教訓となり「長距離」としての走りを心掛けることにした。
レースは結果的に(当時はまだペース感覚など分からず、勿論配分など考えていなかったが)キロ5分ペースで走ることができ、最後はバテたものの歩かずに51分で完走することができた。
これに気を良くしたのか、次にエントリーしたのはまさかの30km! 当時の練習量、実力では無謀な挑戦というのは今では自明なのですが、当時はそんなことも分からず勢いだけでエントリー・・・。私もいまでいうなら一回も走ったことないのに東京マラソンにエントリーしてしまう怖いもの知らずのミーハーさんたちと同じレベルだったということです(笑)
結果がどうだったかは言うまでもないのですが、とにかくひどいひどい!(苦笑)中間点くらいからすでにアップアップ状態になり始め、20kmからは歩き通す始末・・・。どんどん後続に抜かれ、気づいたら後ろに誰もいない状態に(当然前にもランナーはいません。完全一人旅で歩け歩け大会に・・・)。そして見事に最下位でのゴールでした!(苦笑) いまの私の立場(クラブ代表)であったらほんと「バカタレ!」と鉄拳ものですね~(笑)
なおタイムは約3時間30分。現在ならこのタイムでもまだまだランナーいると思うのですが、当時はやはり市民ランナーも競技志向が強くレベルが高かったですね。
という感じでいまのクラブ若手以上の「30kmの洗礼」を受けた私は、しばらくは当時の市民レースの多くでメイン種目であった20km、後のハーフを主戦場にしていくのでした。
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