栗山善助(利安)御存じ黒田官兵衛の一の家来です。
黒田家て言えばこの善助です。
黒田一成((美作)と同じ黒田八虎の一人です。
大河「軍師官兵衛」では「濱田岳」が演じとりましたね。
auの金太郎のあの人です。おいしゃんこの役者さん好きです。
けん坊で逢うたことありますばってんが小柄で普通の若者やった。
15歳の時から官兵衛の側近になり、同じころ側近になった
「酒は飲め飲め飲むならば」の母里太兵衛の言わば兄弟子。
官兵衛から母里太兵衛は「善助の言うことに逆ろうてはいかん」て
義兄弟の仲て決められました。
黒田八虎筆頭の井上九郎右衛門と一緒に永らく黒田家に仕えます。
母里太兵衛・・皆が間違えて「森太兵衛」て思いよったけん
一時期は面倒くさかけん「森」で通した時期もあったて
博物館で読んだことのあります。
栗山善助(利安)は姫路市栗山町の出身です。
こげな重鎮たちが官兵衛、長政に使え忠之の時代には
疎ましか古株やったとですね・・・・・
それがのちの江戸の三大騒動「黒田騒動」に繋がりますと。
栗山善助の息子「栗山大膳」が身を捨てて黒田家ば守ります。
忠之の横暴に「黒田家謀反の企て」大膳が幕府に忠臣したとです。
これ、山笠の人形飾りにも登場してます。
この騒動後忠之は藩政に真面目に務めたそうです。
その子、3代藩主光之は名君と言われております。
先だって書いたと勘違いで訂正します。
橋本で生れたとは「忠光」やのうて「光之」であります。
貝原益軒に今に有名な「黒田家譜」ば編纂させとります。
光之の時代の大きなでけごとが伊藤小左衛門の密貿易事件。
幕府の嫌疑をば避けるために小左衛門一家ば処分しました。
その子小四郎・万之助も連座して処刑され、人々は幼少の2子の死を悼み祭ったていうとが
今の東流、浜口町の「萬四郎神社」です。
福岡と博多(異人はfakataて発音しよったゲナ)黒田時代からしても
歴史は積み重ねられとりますね。
今回でこの歴史のお話は書き足らんばってんがお終いとします。
チャンチャン