千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

久々歴史考・・江戸幕府って?

ここんとこ読書の秋から引き続きまだまだお江戸小説読んでます。
江戸時代の古い言葉やら道具用具やら調べながら読むとも
楽しみの一つです。

例えば「チョキ船」やら「冷飯草履」なんかわからんでっしょう?

小説では幕府の役職がいっぱい出てきてなんやわけのわからん。
老中、家老、大目付、目付・・・
時代劇で言葉は聞くばってん深い内容はしらなんだ。
だんだん幕府の仕組み判ってきた。
幕府では一番偉か人が老中(何人かおります)でその下に
いろいろな役職、大目付、大番頭、町奉行、勘定奉行、城代、遠国奉行が
おります。
奉行でも「寺社奉行」は老中の配下やのうて「町奉行」より格上です。

そいけん神社や寺の敷地内での殺しやら賭場の事件に
町奉行は立ち入ることのでけんとです。
賭場の頭から寺社奉行に賄賂やらでうやむやにされて
町奉行は地団太踏んで悔しがるとですね。

この町奉行の配下におる同心の手下が「銭形平次」のごたあ親分
目明し、御用聞きても言います。
給金はでらんばってんが地域の治安ば守るけん縄張りの中の
大店からの付け届けで暮らしよります。
やくざの親分やったり、奥さんに商売させながら御用ばしよった
親分もおったらしかです。

大名でも将軍家直属の家臣(直臣)が旗本(はたもと)
将軍様にじかに謁見でける大名です。
黒田家はこのくちですね。

面白かとは家康の男系子孫は幕府の要職(いわば公務員)につけんかったらしい。
将軍家の転覆ばはかったらいかんて言う理由やそうです。

今読みよる小説に出てくる岡っ引きの宗吉親分は
町奉行の配下でありながら家康の幕府開闢いらいの目明しで
先祖が幕府の金座破りば召し取ったて言う手柄で
将軍家光直々に金流しの十手ば授かり将軍謁見もでける
特別な目明しなんですね。

「家光公から金流しの十手を拝借した金座裏の宗吉親分たぁ俺のことだ」

商人も幕府開闢以来の商人たちは「小町町人」て言うて
正月には特別にお城にあがって将軍様に謁見が許されたげなです。

松囃子が黒田のお殿様の場内に入ってお祝いしよったとと
一緒ですね。

江戸幕府には二つの奉行所、南町奉行所、北町奉行所のあって
月交代でお江戸八百八町の治安ば管理しよったとばってん
町奉行の数は少なかけんそれぞれ手下に同心やらその下に岡っ引き、下っぴきば配置して
江戸の治安ば守りよりました。



今の警察署みたいなとが「番屋」て言われ取り調べが行われます。
博多ではこの番屋は「会所」て言われ福岡と博多に二か所おかれました。

その博多部の会所があったところが今の古ノ一であります。

古ノ一へようこそ・・につながってきたでっしょうが、ぷぷぷ

次回はその辺のお話ば・・・・

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