幸福地蔵の建物が見えます
北門の入口
三鈷寺から来たのでこの入口を通った
あじさい苑
石仏
あじさい苑にある 白山水 開山源算上人が写経のときに用いた水と伝わる
幸福地蔵
遊竜の松
遊竜松・徳川桂昌院の植栽と伝わる五葉松で左右に伸びた横枝がそれぞれ22mもありあたかも波に泳ぐ竜のごとくみえるので、遊竜の松という。昭和7年天然記念物に指定された。桂昌院は幼いころから善峰の観音さんを深く信じて女性としては最高の従一位までいただかれました。そのお礼にこの寺の本堂をはじめ諸堂を寄進された。
経堂
本堂
善峰寺
西山と号する天台宗延暦寺派の寺。後一条天皇の長元3年(1030)、恵心僧都の弟子源算上人の開創と伝わる。117才で入寂。後一条天皇の勅願所となりました。中世には慈鎮和尚が入寺し、次いで道覚・慈道・尊円法親王が入室されたので「西山の宮」「西山御坊」とよばれた。とくに法然の高弟善慧房証空は法然の寂後、当寺において宗風弘通につとめたから、その流派を浄土宗西山派と称した。往時は50余宇の堂舎があったが、応仁の兵火で焼亡し、衰退した。近世は徳川桂昌院の寄進によって諸堂を再建した。広大な境内には本尊11面千手観音立像を安置する本堂、
西国33所めぐりの第20番札所として、西山の名刹である。
善峰さんにお参りする人は毎月14日のお釈迦さんの御縁日に薬湯に入り神経痛、腰痛治癒を祈願されます
本堂の奉納額
文殊堂 宝物館
仁王門
仁王像は永和5年(1379)の古像
仁王門
鐘楼
護摩堂
あじさい苑の石仏
北門あたりからの眺め
経塚・石造法篋印塔を安置する。この経塚は桂昌院の歯髪塔をつくるにあたり、近年移築されたものである。このとき発掘したところ、地下石室内部から銅製経筒をはじめ陶製の筒や瓦製の筒および古鏡・経巻の残欠などが発見され、平安時代末期より鎌倉時代初期に築造された経塚であることが判明した。
青蓮院宮墓・覚快(鳥羽皇子)・道覚(後鳥羽皇子)両法親王の墓は五輪石塔、慈道(亀山皇子)・尊円(伏見皇子)・尊道(後伏見皇子)三法親王のは石造宝塔を以て墓標とされている
桂昌院の菩提寺 ➔ 寺院上0104 真敬寺 真宗大谷派 ・・・玉の輿の主人公の菩提寺・桂昌院
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今日の俳句
むし風呂の ごとき夜が明け 原爆忌 /白朝