かんりにんのひとりごと

日々の出来事や季節を感じる野鳥や花々の写真を載せています!
お出かけ先の寺院や趣味の卓球についても書いています!!

二条城の二の丸庭園と天守閣跡

2024-10-13 | 観光・旅行・京都検定

今日は先週に続いて、入院中の母の面会に行きました。


先週は母の反応が今一つで元気がないので心配していました。


今日は家内も一緒で、二人でなんとか盛り上げようとしたので、少しは笑顔も見せてくれました。


けれども、もう一つ手応えがありません。


以前は話しだしたら止まらない感じだったのですが、今はなかなか話が続きません。


今度は、娘にも登場してもらいたいと思います。

さて、昨日書いた二条城ですが、大政奉還の大広間だけではなくて、ほかにも見どころがありました。


二の丸御殿の向こうに広がる二の丸庭園です。


さすがに、広くて綺麗な庭園でした。


新しいスマホが広角レンズモードにできるので、ワイドに撮影してみました。


そしてもう一つ、行きたかったのは天守閣跡です。


当たり前と言えば当たり前ですが、二条城にも天守閣があったんですね。


確かに天守閣らしい場所でした。


ここからも比叡山が見えました。


山頂もよく見えました。


こちらは大文字山です。


今は特別公開で本丸御殿が公開されているのですが、予約制です。


こちらは、本丸といっても明治になって、皇室の離宮となった際に御所の建物を移築してきたものです。


江戸幕府とは関係がないので、私としてはあまり興味がありません。


やはり二条城は徳川にとっては特別な場所だったのではないでしょうか?


徳川慶喜さんは明治の終わりまで生きておられたそうですが、幕府の終焉をどのように見ていたのか、そのあたりに興味があります。


今となっては、想像するしかありませんが、、、。




  




世界遺産『二条城』大政奉還の間

2024-10-12 | 観光・旅行・京都検定

今日は、どこへも行かずに、家で『京都検定』の勉強をしていました。

毎日コツコツと勉強をしていますが、忘れる量も半端なく、ざるのように抜けていきます。

記憶する量と忘れる量はどちらが多いのでしょうか?

というか、覚えなければいけないことが多すぎます・・・。

ぼやいても仕方がないですが・・・。

気分転換に少し前に行った二条城のことを思い出しました。

以前から行きたいと思っていたのですが、ここは観光客が多いと思って、敬遠していました。

特に外国人観光客と修学旅行生が多いような気がします。

子どもの頃と、若い頃に行った記憶がありますが、その頃はまったく勉強していなくて、特に感動もなく通り過ぎました。

今回は、事前に勉強をしていったので、いろいろと見たいものがありました。

これは唐門です。

大変綺麗な門ですね。

秀吉が作った唐門も綺麗でしたが、さすが徳川と言う感じですね。

家康さんも、家光さんも将軍の宣下を受けたのは、伏見城だったそうですが、新しく京都における拠点として、この二条城を作ったんですね。

秀吉を上回るものを作ろうとしていたのでしょうね。

あまりに綺麗なので、内側からも撮影してみました。

大変綺麗でした。

唐門から中に入ると二の丸御殿がありました。

この二の丸御殿は、徳川の時代につくられたものが、そのまま残っているらしくて、狩野派の絵が数多く描かれていました。

以前は、そういった絵には興味が無かったのですが、この間『狩野永徳』の物語や『長谷川等伯』の物語を読んでいるので、ぜひ見たいと思っていました。

残念ながら内部は写真撮影ができないので、しっかりと目で見て堪能することにしました。

入ってすぐの間には、虎の絵が描かれていて、将軍家の権威を見せつけるような空間になっていました。

ただし・・・、狩野派の人たちは実際に虎を見たことが無かったらしくて、中国から伝わった見本(粉本)を頼りに書いたようです。

いつも思いますが、この時代の虎の絵は、顔の部分がちょっとおかしい感じを受けます。

おそらく、虎を見たことが無いので、見本を頼りに、後はほかの動物を参考にして描いたのでしょう。。。

ちなみに、二条城ができた時代には狩野派は永徳の孫の探幽の時代になったいたと思います。

そして・・・。

もう一つ見たかった場所が・・・。

大政奉還が行われた『大広間』です。。。

まさに、その時歴史が動いたといった感じですね。

実物は撮影出来ないので、絵葉書を買いました。

将軍が座る部屋は畳が一段高くなっていて、天井も高くなっています。

これこそ上から目線・・・、これでもかというくらい権威を見せつけていたのでしょうね。

3代将軍の家光が来て以来、14代将軍の家茂まで全く使われることが無かったそうですね。

この二条城は、江戸時代の最初と最後を象徴すると言えるような場所だと思いました。

しばし、157年前を想像・・・。

この部屋の前では、ちょっと感動してしばらく立っていました。

     

  

   


浄土宗開宗850年『法然展』へ

2024-10-09 | 観光・旅行・京都検定

今日は、久しぶりに国立博物館へ行きました。

今年で、法然が浄土宗をひらいてから850年になるそうで、「法然展」が行われていました。

若い頃は、法然も親鸞も全く知りませんでしたし、宗教についても全く関心がありませんでした。

なぜか、京都検定を勉強するようになってから、歴史や昔の人たちの思いに関心が向くようになりました。

久しぶりの博物館、新鮮で綺麗に見えました。

長い間来たことが無かったと思います。

この建物は、明治に建てられた明治古都館です。

いかにも明治らしいレンガ造りの建物です。

今日のテーマになっている法然さんです。

法然さんは、それまでに行われていた頭の中で阿弥陀様や浄土を思い浮かべて修行する「観想念仏(かんそうねんぶつ)」対して、声に出して念仏を唱えるという「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」をひろめた方でした。

浄土宗では、「南無阿弥陀仏」と唱えることで救われると説きますが、その考えに至ってから850年ということらしいです。

法然さんの生い立ちや、数々の絵伝を一つずつ見ていきました。

今日は勉強の意味もあったので、ノートを持って行って、大切なことはメモをしながら、展示場を歩きました。

失敗したのは、ボールペンをもって、書こうとしたら、係の方が走ってきて、ボールペンはダメなので、この鉛筆で書いてくださいと言って、貸してくださいました。

それは、気が付きませんでした。

浄土宗では、死に際して、阿弥陀如来が極楽から迎えに来てくれるとされますが、この絵は「山越阿弥陀図(やまごしあみだず)」です。

永観堂にあるものが有名ですが、他のお寺にも同じような絵が何枚も残っているようで、たくさん展示されていました。

これは、マグネットで、冷蔵庫にメモなどを貼り付けるものですが、絵は「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」通称「はやらいごう」というものです。

これも知恩院所蔵の絵が有名ですが、同じような絵が各地に残っていたので、驚きました。

ありがたい絵なので、みんな真似をして描いたのでしょうね。

阿弥陀様が、大勢の菩薩を従えて、死が迫っている人たちのもとへ、大急ぎでやってくるんですね。

明日をもしれない、庶民にとっては、阿弥陀様が極楽浄土へ連れて行ってくれるということが、心の救いになっていたのかもしれません。

一か所だけ、写真撮影オーケーと言う場所がありました。

あまり有名ではないようですが、たくさん飾ってあり、カメラマンが大勢撮影されていました。

最近、仏像などにも興味が湧いてきました。

つい最近までは、野鳥ばかり撮影していたのですが・・・。

いろいろなものを撮影してみるのも面白いものですね。。。

今日は卓球にも行かずに、一日のんびりして過ごしました。

良い休養になりました。。。。