ああいえばよかった
あの時ほんの少しでも笑顔を見せればよかった
ああ あんな上げ足取らなければよかった
一言のねぎらいの言葉が出なかった
目礼もできなかった
一言言葉を添えればよかった
ちょっとでも立ち止まって言葉を交わせばよかった
ああーああー
と反省したり後悔したりすることが多かった
それをいちいち思い出しては自分を責める日もあった
ノートに書いてハンセイ
そうするうちにちょっとした気遣いが身に付くようになり、あまり自分を責めることもなくなった。とおもいきや
その悔いが実は体の細胞にたまっている ということが先日分かり仰天した
細胞はああらゆることを記憶している
それを「あーま」という毒素のことだとアーユルベーダ―で教わった、その毒素はお湯でも流せるし、自分をいつも愛していればいつか流れ去っていくと教わった
ところがどっこい、そんな軟ではないらしい
その悔いを一つ一つ思い出して手放していると、肩が軽くなり(自分で勝手にしょい込んだ重荷が開放)また足からは(人を足蹴にした悔いが開放)胸からは(自分を責めていた悲しみ)お腹からは知らぬ間に食べてしまった体に悪い食物の怨念が出ていき、便通がきてお腹が軽くなる
いやー-
自分をこんなに痛めていたのかと、ごめんごめん
どうも体重も減るらしい
どうなる、どうしよう、どこに向かったらいいのか、世の中は二極化がはっきりしてきた
まず自分を身軽にし、そこから世界を俯瞰して眺むれば、見えてくる、見えてくる。その自分が感じた真実を信頼して前にすすめばいい
細胞を綺麗にして自分が身軽になり、自信と誇りをもっていきていれば、「聖」なる道を歩むことになると感じる