浴衣姿がちらほら街に出始めた
お祭りや花火が復活したためらしい
疫病を平定するために祭りや花火があったのに、今回は疫病で一気に粛清になってしまい、本来の祭りの意味がなくなった
それでも復活したことはめでたい
いろんなところでしゃべったり書たりしているが、チャ子ちゃん先生は浴衣が苦手、羽織と浴衣がどうも似合わない。と自分で思っている
浴衣を着たのは手術をした時、その時は入院する前に竺仙で鯉の滝登りの柄の浴衣をつい丈に仕立て、「燕帯」という前が角帯風後ろが蝶々結びになる帯も用意し、術後の衣裳とした
これがなかなか着心地がよく、病人病人していないので気分も明るくなり、主治医も驚くほどの速さで恢復、退院
いまでもその浴衣のおかげだと信じている
人って着るものによって気分が大いに変わる。特に着物はそれが顕著だ
喪服を着れば体全体が悲しみの風情になる、留め袖を着れば女の風格が自然に醸し出される、紬に手を通せば気持ちがしゃきっとするし、動作もきびきびになる、とろんとした染の着物を着れば、優雅な仕草が自然にでてくる
誰に教わるのでもなく、着物を体にまとうことで着ている人の心根が着物に沿っていくのだと思う、だから一人の女がいろんな女を演じることが出来る、こういう衣裳って他にあるのだろうか
洋風にもそれらしき風情を味合うことが出来る。ジーンズをはけば活動的な動作になるし、イブニングを着れば優雅な身のこなしが自然にできる。しかし着物のような多様性は望めない
素材で仕草が変わり、色で気分が変わり、柄付けで作法まで変わってしまう
浴衣はそういう中で、どうしても家着としての感覚に落ち着くのだ、つまり家族でくつろぐときの衣裳という感じ。それに素肌に近い格好で着るものなので、体の線が浮き彫りになる。特にヒップライン
そんなことを考えていると、浴衣を外出着として着る勇気が持てないでいるちゃこちゃんせんせい