昔から紅花と紫根染は小寒の声を聞いて染はじめると聞いていた
しかし
紅花に限らず、多くの植物染がエキスや粉末で染められるようになって、わざわざ小寒を過ぎた冷たい水で染める人は少なくなった。米沢に住む山岸幸一さんは中でも数少ない寒染めを常に実行をしている
日本風俗史学会に所属していたチャ子ちゃん先生は、入会して一番初めの遠出の研修会が、米沢の紅花摘みであった
8月初旬北の国の夏は太陽が燦燦で風は気持ちがいいが暑いことこの上なし、そのころすでに着物生活をしていたので、一人だけ日傘をさし優雅に花摘みをしていて、先輩たちの冷たい目にさらされていた
先輩たちはそれぞれの大学の研究生だったり、化粧品会社の研究員だったりするので、教養もあり、あからさまな嫌味は言わないが、何となく態度に出てくるのが面白い
チャ子ちゃん先生はその何年か前ある取材先で「あの人はいつも洋服着て取材に来ているけど、着物のことはお分かりになるんかねえ」と織子さんたちの陰口をきいた時から「よし1年365日着物で過ごし、その着物を着た姿を彼女たちに見せて安心していただくんだ」と固く決心をしているので、少々の冷たい目や、嫌味な言葉は気にしない
、
さて花摘みが終わり、紅花餅を作る現場も学んで、それが紅になったり、口紅の材料に、また毛細血管を刺激して血流を促す漢方薬としての働きまでを理解する一日目が終わり、次は姫君たちの着物を彩った紅花染を研修することになり、山岸さんの工房へ伺った
「夏は紅花染は致しません、しかし染めたものはお見せします」
と言って紅花染の振り袖や、下着を見せてくださった。その仕事場には山崎青樹さんの本が並んでいた
「山崎さんをご存じなのですか?」
「ええ師と仰いでいます」
「私はお父さんの山崎斌さんに出会って、着物の道に入ったのです」
ということで一気に二人の距離が埋まり、翌年の寒染めを見せていただくという約束を取り付けて帰った
其れから5年毎年小寒の前日に米沢に入り、私だけがこたつに入って、夜中に染める寒染めを見続けてきた
小寒が来ると、染めた糸が周囲の雪景色の中で燦然と輝ていた景色を思い出す
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