6月10日に脳梗塞で緊急入院した父が、15日の2時22分に亡くなった。
家族を守る、強い心を持った父でした。
子供の頃は、しつけに厳しかったなあ。商売をしていた父は、稼ぐことで一家の大黒柱として家族を養うことに必死だったのだろう。
今まで父が普段かけてくれた言葉を思い出してみると、自分がこのシチュエーションだとこう言うだろう、ということも、父は異なる優しい言い回しで言葉で話してくれていたことを、50歳になって気づきました。
昨年も、私が仕事が忙しい時期で疲れて嫌気がさしていて、気分転換のため週末に実家に帰った時、父が突然『仕事はどうだ?』、と聞いて来ました。
私は本音が言えず、『・・・まあ、忙しいくてちょっと疲れてる・・・』と言うと、すかさず父は『仕事が忙しいなら良かったな!』と明るく元気に言って来た。
商売をずっとやってきた父からすると、仕事が少ない時の大変さを知っているから、忙しいなら食って行けるということを言ったのだろう。
私は、ハッとしました。
そうだ、忙しいことは悩みなどのネガティブなものではなく、生活を支えるためには重要なことであることに、父のその一言が思いださせてくれました。そして、その一言で気持ちがとても軽くなりました。
細かいことはあまり言わない父でしたが、私が会社勤めを始めてからは、成功することを信じ、黙って見てくれていたのでしょう。口煩いことは一切ありませんでした。
だから、私の心の何処かで、高齢になって商売を辞めた父を安心させたいから、そしてお礼のお小遣いを渡したいから、今まで仕事を頑張れてた気がします。
福山雅治のヒット曲『家族になろうよ』の父親像は、正しく私の父も同じに感じます。
父が入院する二週間前、私の住む市内で美味しくて人気のケーキ屋さんで、両親の為にケーキを買って行き、晩ご飯の後、両親と一緒に美味しく頂いた時の、子供のような父の笑顔が忘れられません。
高校では、父と同じ柔道部に入り三年間頑張ったお陰で、小柄な私の体つきも筋肉がついてガッチリしていたため、高校の卒業式で父が来てくれ、卒業式場に私が整列して歩いて入場した時のことを家に帰ってから『胸を張って、ビシッとして入ってきて良かった!』と喜んでくれましたね。
父が喜ぶと、嬉しい自分がいました。
就職した時も、大変喜んでくれましたね。でも、八年勤めた会社を辞めて無職になって実家に戻ったとき、母が、早く仕事見つけろ、と言うのに対し、父は黙って普段通りに接してくれましたね。きっと言いたいことはあったと思いますが、何も言いませんでしたね。
私は、どれだけその父の行動に救われたか。
それでいまの自分があると思うよ。
だから、だから、もっともっといっぱい父には親孝行したかったのに。
・゜・(ノД`)・゜・。
入院した父は意識が戻らなかったため、最後まで、ありがとう、って感謝の言葉を口で伝えられませんでした。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
戦中戦後と、小さい頃からこの家を守りぬき、今まで家族を守るために頑張ったから、とても疲れたよね。
家族もそうだけど、親戚も皆、父を頼りにしてたからね。
強がって、一人前になったように振る舞っていたけど、お父ちゃんには到底追いつけないよ。まだまだ一緒にいて欲しかった。見ていて欲しかった。
母は、私が大切にするから、もうゆっくり休んでね。
悲しいし、寂しい。
でも、俺も頑張るよ。
お父ちゃんの子供で本当に良かったよ!
本当に本当に今までありがとう。
(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)