広島カープが、オモシロイ野球をやり始めている。
長いシーズンだが、プロとは何か? が身に染みている新井や黒田がいることが、大きいんだろう。
俺なんざ、別に勝ち負けよりもその試合の中身だけで笑わしてくれれば、それで良い古い爺ィだが、楽しそうに野球をやっているのは、一番に大事なことだろう。
しつこい苦労話や、昭和の感傷下積みの泣ける話や、プロには関係のないアマチュア話ばかりが大メディアで流されるのは興ざめするだけのことで、他には能の無い一芸馬鹿でも良い給料もらってるんだからと、見下されるのが関の山。
口では賑やかでも、人間は山の獣と同化してしまってる冷ややかな爺ィには、女・子供向けのキレイゴトなどメンドクサイだけだ。
都内のアチコチに出没していると、古い付き合いの不動産屋のオヤジ連中にもちょくちょく会うことも多く、互いに老いて来たヘマ話に花が咲くわけだが、しょっちゅう顔を出している婆さんのマンションの近所の古い不動産屋のオーナーには先週続けざまに道で会い・・・社長! うちのまわりで地上げ始めてんの?? 勘弁してくれよ!・・・と笑って言われ・・・ちげ~よ、身内の面倒を見てんだよ・・・と大笑い。
そんな義理を欠くようなことは、あっしゃ~しませんぜよ。
義理を欠く、幼稚な連中には、生きてる間は延々と、容赦しないがね。
ということで・・・群馬の渋川から四万温泉と草津温泉の辺りの岩山をいくつかよじ登って遊んできた。
今朝は久しぶりに、上半身が筋肉痛になってるが、なんども長い鎖や梯子を頼りの断崖絶壁を愉しんで来た。
なんで人気が無いんだろうね~、というくらいに、人には会わない。
噴煙あげてる浅間山を、先週とは真逆の裏側から眺め、草津の白根山も雪が残っていて、花桃は満開で、やっと桜が咲き始めているような感じだった。
そろそろこの辺の奥の林道も、冬季閉鎖が解除になって行く。
帰路、いつものようについでに色々と回って歩いて来たが、冬季閉鎖からオープンしたての山の上の庭園は暇こいておって、草津の仕上げの湯の沢渡温泉や、鄙びた四万温泉の現状を見ておいて、もったいないことよと、しっかり良い湯に浸かって来た。
時間のせいもあって、千と千尋の神隠しの宿にも寄って来たが、閑散としていた。
ネット広告や宣伝で真新しいことをやっても、現場が変わっていかなければ、ナニも始まらないし続かない。
経営難や営業不振の一番の原因は、経営者や労働者の意識の改革、古いことに閉鎖的に固執してばかりでなく、どんどん今に合わせた営業へと変えていかなければダメだろう。
結局薬局、良い温泉場は、登山者の帰りの楽しみくらいになってしまっては、儲けは出ないだろう。
俺は、良いけんどもな。
銀座でも、外国人観光客の姿が一気に増えて来てる。
凄い数の旅行者が、日本にやって来ていることが解る。
いろんな事件や事故も、増えて行くぜよ。
脳無しの行政に、脳無しの後だし政府、いろんなことを予期して先手をうつ対応など、まるで無い。
これが、皆さんの頑なに支持している日本の実態だ。
もともと身寄りのいない高齢者ばかりが棲み付いているアパートやらをアチコチで管理しているから、高齢者の医療や福祉についても、俺はケア・マネージャー並みの知識や経験や人脈を持っているが、ここ3年近くは自分の両親の介護や看護も銀座の近くに呼び寄せて続けており、他の身内の高齢者の面倒も見ておるから、そりゃ~人脈にしても相当にみなさんレベルの高い有能な方々がまわりにはいらっしゃる。
大メディアなぞ相手にしない、実地の臨床で鍛え上げて来てる人たちばかりだ。
これからは縦割りの単細胞専門職・一芸馬鹿では役には立たなくなる。
過去の遺物が一度総崩れ、大破壊されるような世の中社会になれば、なんでも出来る大人だけが重宝される訳だ。
それを考えておったからこそ、何十年も、他の連中がやりたがらない、逃げ出してしまう仕事ばかりをお勉強しながら抱え込んでこなして来た訳だが、そのおかげで有能な人たちとの出会いも増え、ますます愉しい日常が続いて行ってる。
人生ってのは、いつもトータルで物事を考えておらねば、行き当たりばったりのその場凌ぎで終わってしまう。
天気予報は、自分で天気図を描くくらいは当たり前のことだし、それは基本中の基本であって、情報の嘘や誤りも考慮して、常に空を見て、雲を見て、風を感じ、高度1000m2000m3000mの天気すら瞬時に頭の中で整理してしまう、これくらいのことは、毎週まいしゅう、何十年も山や海で遊び惚けておれば身につくもんだ。
今しかないタイミングであれば、仕事すら後回しにして出掛けて行く。
人間界の仕事はズラせても、地球や宇宙のタイミングはズラせない、人間の存在の小ささを知っている。
だから無理して強行するなんて、身勝手な人間の自惚れは最初からまるで持ち合わせてないから、危険も無い。
山や海で遊び惚けていたいなら、人間の小さな都合なんて放り捨ててなければ無理だ。
何億や何十億の不動産取引よりも、山や海が優先される、これで俺は何十年も生きて来た。
そうやって、毎週まいしゅう、楽しく出掛けて行っては、ゲロを吐きそうなクタクタになるまで肉体を酷使して遊んでる。
優雅なお泊りではなくって、高速林道往復5~600キロを運転しての日帰りばかりだ。
去年、癌ステージ4をいきなり宣告された古女房も、腕の良い俺の主治医に外科手術はお願いして、あとは抗がん剤治療はさせずに、軽い免疫療法と山歩きと放射能源泉入浴に毎週付き合わせて、半年後に根治してしまった。
これで64年、生きて居る。
親にもらった命を、擦り切れ果てるまで、使い込む、これが生きるということだ。
それが社会や世の中や他人に役に立つものであれば、両手の届く範囲で関わって積み重ねて行くだけ。
ナニもかも信用できなくなってる現代社会では、なおさらまともな人たちばかりが寄って来るのも、当たり前のことだろう。
これで、身体の方は障害者手帳を持っている、立派な身体障害者だけどもな。
どこの温泉にも、腹の袋を押さえる腹巻をして、好奇な視線を浴びても堂々と、笑って入っておるわい。