楽をすることばかりを考え、ゼニカネに執着して金を儲け、消費に精を出し、酒と薬や人工食品にサプリで過ごす毎日では、人間の身体はどんどん退化してしまい、免疫・抗体も失って、とっとと難病・奇病の餌食となり、医療の玩具で終わって行く。
金儲けばかりを考えていたのに、金儲けの餌になって終わっている。
それが現代社会のキレイゴトな普通の景色だが、それはそれで自分たちで選んだ道なんだから、どんなことが起きても自業自得でしかないわいな。
サラリーマンや公務員が老いて高齢化してゆく姿は、皆さんには悪いが、それぞれの家族構成や生きて居る環境を見ていればだいたい底まで見えてしまってる。
そこで年代ごとに起きるアクシデントやトラブルまで、だいたい解る。
メディア奴隷な大人社会は、そこまで単細胞化してしまっておって、これを集団で操作して金儲けにすることは訳のないことだ。
人間の格、品性、魅力というモノは、何億・何十億の資産を持っていても何処に行っても買えないものだ。
青山や銀座で40年近くも周旋屋をやっていると、色んな多くの成金・守銭奴なお客さんと関わり合いを持つが、5年や10年で切れてしまう方々ばかりだ。
社会的に肩書を持ち、資産を持ち、豪華な消費生活にうつつを抜かしている猿の衆も多いが、格と言うモノがまるで無く、薄っぺらい安物な人間なのがほとんどの大人たちの現状で、その私生活の部分で関わり合ってるとナニが楽しいのかが解らない。
結局のところはしっかりした独自の日常を持ってメディア奴隷にはならず、個々で社会に対して大袈裟ではない責任を目立たない形で果たしながら生き貫いている方々ばかりが何十年というお付き合いになっている。
じきにいなくなる大人たちは、最初から解ってしまう。
いつも言うことだが、子供や若者たちは、真似などせずに、怖いモノも無いのだから、自由自在に好き放題に生きればエエのんさ。
邪魔になる親や爺婆がいるものならば、とりあえずは横に置いておいて距離を置き、知らん顔で生きて行く方が無駄が無い。
俺はそう生きて、老いて自信喪失した高齢者たちの介護や面倒を今はしっかり見ておるが、すでに一番に頼られる存在になっている。
ひとりの命の重さが軽々しく扱われていた太平洋戦争で負けて、国土も国民もグチャグチャにされて以降は、真逆の価値観が社会を席巻してゆき、平和だの小さな幸せだのの、国家よりも個を重んじる時代が作られたように見える。
個を重んじるとは、個々が大量に消費する時代用の、単なる洗脳だった。
大量生産と大量消費の歯車を噛み合うようにと風潮作りは進んで行き、集団で動く特性を持った日本人は、世界でも稀有な戦後の復興を成し遂げた。
これは高度経済成長なんかではなく、ただの戦後の復興だったということは、すべて米国主導で成し得ていたことを見れば解るだろう。
植民地として、強奪・搾取される優秀な奴隷国家になった。
実際は、個など重んじられるどころか、闇に葬られる時代だったのが本当のとこだ。
人間とはかくも単細胞で、単純で、集団で行われる洗脳と煽動に弱い生き物だと、答えを出してしまってる。
これからはどんな時代になって行くのかを、嘘の歴史ともども紐解いて、先回りしてそこで笑っている、俺はいつもそんな自営を続けて来た。
群衆が辿り着く頃には、また先を読んで移動している。
自営とは、そんな楽しい仕事ではある。
投資だの運用だのという、楽して儲けようとする日常が普通になっているが、市場そのものが現物ではないネット上の商品とともに閉鎖になったり消失してしまえば、皆さんは訴えたり取り返す相手も即座にいなくなるということだ。
その投資や運用をしている商品となっている現場にいる人間は、毎日を汗水流して働いている訳だ。
闘牛場で牛と命がけで戦っている戦士を、観客席で賭けに昂じてドキドキ眺めている。
米国では、すでに大リーグやナニやらですら賭け事の対象となっているが、イチローや大谷がと人情噺で感動してるような日本人には、その本質は理解出来ていない。
本当に、お馬鹿が揃いも揃って、奴隷市場で徘徊しているようなもんだ。
俺は賭けの対象にもならずに、賭けたりもしないで、自営を愉快に愉しんでいる。
投資や運用ですら、ハナから興味もない。
米ドルや円にも興味はなくって、地球の資源の鉱物だけが俺の価値となっている。
会話が成り立たない人ばかりで、どうでも良い話ばかりには屁も出ない。
新しいシステムや新しい価値を生み出す為には、古いモノを解体してそこに新しいモノを作り上げると言う方法が一般的だった。
大戦争を起こし、破壊して、再生する、これが現代の資本主義社会の基本だった。
ところが世界の覇権、基軸通貨という話はそこに置いておいて当たらず触らず、別に攻撃もしなければ関わり合いも持たないようにそっとしておいて、別の場所に別の人間や国家群が集まり、新しいモノを作りあげて行っているのがBRICS諸国のやり方だ。
古いモノは放置して関わらない。
じきに廃れて滅んで滅亡してゆくように、あくまでも放置しておく。
絡めば必ずや相手の意のままにインチキな術中に陥って行くような今の世界の構造では、新しいことや正論は罷り通らない。
30年続けて居る俺の自営の周旋屋のやり方と、よく似ている。
秋らしい良い天気になっている。
忙しかった雑用もだいたい一段落して、仕事の方は忙しいまんまだが、儲けてくれ! と仕事が相変わらずに飛び込んでくるから、ひとつひとつ丁寧にやってる。
世の中社会のことなど俺の知ったことではないから、興味も失せている。
両手の届く範囲で、キチンと愉快に笑って食い扶持作りをしては、オストメイトな障害者で片目が不自由になって、それでも好き放題に生きておるわいな。