オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

日本人は、農耕民族ではなかった

2020-06-19 22:42:52 | 昔話

 

 小人窮すればここに濫す・・・小人閑居して不善をなす・・・昔からある、それこそ退屈な諺だ。

 コロナ自粛が長く続くと、小金を持った大人たちが、勘違いして蠢いてはいるが、すっ飛ぶがな。

 

 スピリチュアルな怪しい仕事、占いやカウンセラーでゼニカネを稼いでる連中、マッサージや針灸、エステに美容、内科医とおなじで、そんな他人に対して厳しいことを抜かし、アドバイザーだと偉そうに偽の神になって自惚れてる大人は多いが、その自分の日常はダラダラ甘ったれたのが多い。

 ・・・能書きはエエから、とっとと家賃を払えや!

 高い金を払って、肌を許して、安心してる顧客もまた、おなじ穴のムジナには違いない。

 

 柳田圀男は、日本人は農耕民族で、そこからその生活は出発しているという決めつけでモノを書いておった。

 今風に言えば、おとなしく、コツコツとよく働き、辛くともオモテナシの心を持ち、乱暴なことはしなかった、となるが、そういう歴史観を持たせば、みなその気になる、今回のコロナ自粛でもよくわかることだろう。

 歴史を決めつけでどんどん進めて行く手法は、その時の権力に迎合するやりかたで、決めつけ自体をまた疑ってかかるという面倒な自省を避けているところが、気に喰わない。

 若いころに、そう思ったもんだった。

 縄文時代以前から、わが国には錬金術とも言える、鉄や銅やを使った農具や生活具が、あった。

 山の頂には雨降らしの神がいて・・・山の頂にはお天気を司る神がいて・・・山に浮かぶ残雪の形でその年の豊作を占っていた・・・うんぬんかんぬん。

 これらはあくまでも農耕民族の話であって、それ以前の、狩猟や山で金属を溶解して暮らしてた人間のことは語られてはいない。

 風が吹くと田畑に被害が出て、農作物が倒れて駄目になってしまうが、山で金属の溶解をして暮らす民には、強い風は味方で、荒天こそ高温の溶炉を保つ追い風でもあった。

 風を拒む神と、風を呼ぶ神、正反対の山の神がいたことになる。

 川の流れで砂鉄を流し落とし、汚れ濁った川は下流域の田畑に流れ込み、甚大な被害を起こしておった。

 その溶炉で作られる農具のおかげで、農耕民族は効率的な農耕を発展させていったわけだが、田畑を荒らされることをもってして、山でたたらを踏む先住民の者らを闇に葬るような仕打ちで、歴史から黙殺した。

 農耕生活がどんどん拡がって発展してゆくと、それ以前の歴史は、どうでもいい邪魔なモノになった。

 現代でも、大勢の民が楽をして安穏と暮らせることが正義で、過去や未来のことなどは、勝手に創作されてしまってるのをアチコチで見て来ると、どうにも我慢が出来なくなる。

 書物や今に残る証拠がないだけで、この国にはもっと古くから色んな歴史があった筈だが、弥生時代と呼ばれる時代以降、それらは学問としても芸術としても食えるジャンルでもなく、無視されたまんまで今に至っている。

 俺は、単に知りたいだけで、毎週のように興味を覚えた山々に登っては、その頂からはるかな昔に、たたらの民がナニを想っていたのだろうかと、そんなことに夢中になってもいる。

 平地に降りて、楽を求めた民は、書き写しを覚え、それが後世に歴史として残されてはいるが、話すだけ、語るだけ、それだけで生きていた人間がその前時代にいたことを忘れてはいけない。

 いまの社会の、メディアの自作自演ばかりな報道を見て居ると、言われている歴史自体が信用など出来ないと解ることだろう。

 生まれた国の先祖を、もっと知りたい。

 これは自分の家の墓が墓地ではなく、小高い丘のうえに延々と代々続いているからこそ、余計にそう想う。

 合理的に、誰よりも合理的に周旋屋と言う稼業で日常を生きていながら、真反対なことを想っているようでもあるが、人間とはそういうオモシロイ生き物であって、この頃はそんなことで仕事に疲れ果てた夜でも、興味の古書を読み漁っておるわけだ。

 神々の話も、大きく違ってくるだろうし、歴史に語られている事実は、果たして本当の事実だったのか?

 日本中に残る、そんな古書からは、否、という臭いが濃くなって行ってる。

 

 さ、仕事すんべ~か。



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