オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

遊びをせんとや、生まれけん~~

2020-06-27 23:04:03 | 世界覇権の交代劇

 

 都内の、あちこちのマンションの空室のポストに、アベノマスクが放り込まれたまんま、黴が生えておる。

 こういう行政、こういう政治、税金の無駄使いを言う以前に、腐り切った土壌がカラカラに乾き始めてる。

 生き物は生涯を終えると腐って悪臭を放ち、分解され、カラカラに乾いて土に還るが、還るべき場所の無い政治の産物は、そこで汚点を刻み込んで行く。

 火葬ではなく、土葬や風葬や水葬やが普通だった時代、そうやって死者は土に還っていっておったが、現代の政治家や官僚・役人、大企業なんざ、汚点として土に還ることもない。

 ダムにしかり、箱物しかり、日銀の紙幣量産もまた、恥ずかしい姿で残って行く。

 

 河野ボンボン大臣が、イージス配置の中止で、涙ぐんで会見をしておったが、あれはアメリカの軍産への従順な態度を表明した、三文芝居の演技だ。

 泣く泣く中止にしなければいけなかった・・・そういうこと。

 我が国も、アメリカではなく中国が世界の覇権を受け継ぐということを、知っているからこその、三文芝居。

 煮え切らない態度で、あっちに媚を売り、こっちにも媚を売っている、売春婦のようでもある。

 これが敗戦国ニッポンの、真の姿だ。

 アメリカは国内の各州がいずれ独立し、民族・宗教問題を解決する方向へと進むだろうが、日本はアジアに在り、中国とも近い距離の島国で生き残ることを考えなければいけない。

 反朝鮮半島、反中国を吹聴して煽っていたメディアは、アメリカに尻尾を振る小魚の群れだったが、これからは親中国へと大きく舵を切るしか方法がなくなる。

 見苦しい、みっともない、哀れ提灯な国ではある。

 我が国の戦後の高度経済成長は、世界一の大量消費国アメリカのおかげだったのが本当で、ただの敗戦国の復興を、大袈裟に国内向けに自慢していたのは、他でもないアメリカ色に染まった首長たちではあった。

 

 企業がアメリカに期待してナニかのアクションを起こし、個人がアメリカに期待してナニかを夢見る、アメリカはすでに世界の覇権を放棄する方向で大きく舵を切っている訳だから、いまさらアメリカ? なトンチンカンだ。

 アジア辺境の地にある島国の立地では、中国やロシアと仲良くしておかなければいけないのに、遠い太平洋の向こうのアメリカに従属・隷属して、これまたトンチンカン。

 南・北朝鮮も、これからはアメリカではなく中国・ロシア頼みになる。

 方向感のない、お子ちゃまお仲間の安倍政権では、世界の大転換期を乗り切るのは難しいだろう。

 選挙用に宗教団体とは古い付き合いだが、創価学会もそうだし、統一教会なんてのにも門戸を開き、心大きなフリはしておるが、ギブ&テイク、これが上手く回転しなくなったらグチャグチャになる、今がまさにそうだろう。

 中身は幼稚園児とさして変わらない。

 現場の人間も愚かな守銭奴ばかりに成り果てておるから、統一感の無い、やっぱり珍獣博物館だ。

 昭和の膿が、悪化して、その珍獣も見れたもんではない。

 まともな大人は政治や行政・立法府にはいなくなって久しい。

 大企業群が国家にすがり、利益を分け合っておる経済界もおなじようなもんだ。

 ロクな大人はおらん。

 街の自営でナニにも拠らずに淡々と暮らしてる側こそ、日本人と言っても良いのは、昔からの景色だろう。

 サラリーマンや公務員を生涯の生業に選んでる時点で、すでにあっちの側の人となってる。

 あっちとこっちは商売以外では関わり合いを持つこともないし、仲良くしたいとも思わないし、興味もない。

 

 人材派遣会社と、広告代理店、これは要らないゴミだ。

 ブローカー稼業は、しょせんは間に入って中抜きすることで、末端価額を上げてるだけの詐欺で、発注主が自分で直接に製作すれば済むことで、その配信だってテレビや新聞・ネットを使わずとも出来ることだ。

 俺んとこは零細企業だが、創業30年、広告は自分で作り、チラシも自分たちで撒き、それでやって来てる。

 なんの問題も無い。

 売り上げを嵩上げしたいために、広告費が膨大になって薄利でも、それを続けてるのは、現場の発注主が楽をしようという間抜けな魂胆なだけで、その足元を見られてブローカーが暗躍する訳だ。

 要は費用対効果の話になり、借金・負債を増やして売り上げをあげるのか? 借金・負債をせずに地道にやるのか? その違いなだけで、利益だけ考えると俺のやり方の方がメンドクサイ付き合いもなくて健康に良いのが本当だ。

 不動産バブルの頃、日本一の負債を抱えて元気にやっておったデベロッパーの東京支店を作った時でも、初穂や大京やの不良債権を引き受けてる自社の動きとは別に、俺はチラシも自分で作り、自分で撒いておったもんだ。

 あくまでも、会社の看板を借りた自営業者の動きに徹していた。

 だから30歳半ばでナニにも拠らずに独立した時は、そのまんま自分のやって来たことを続けておれば良かった。

 無駄なことはしない合理性というよりも、メンドクサイ付き合いこそ不健康な無駄、という意味もあった。

 昭和は終わり、新しい時代に向かってる、それに合わせて生きていたつもりだったが、まだまだ昭和のままだ。

 若い人たちでも、ナンの疑問も感じずに、それを続けてるのを見てると、可哀相というよりも呆れるしかないね。

 

 AIの時代になるんだってさ、そこで生きてる秀才・天才・メカニックの日常をよくよく見て居れば、これはそんなに上手くはいかないことは解る。

 要らない商売、要らない仕事は多く、AIがとって代わるだろうが、人間には体臭や肉体の個性があることで、みなロボットのようには生きては行けないという、現実がある。



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